授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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東京大空襲

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■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
先生方のどなたでも成果が出せる授業であり、子供達の誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 
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東京大空襲


 前回の「千人針」に続き、戦時下の国民生活の第2時という扱いとなる。
 じつは「千人針」→「東京大空襲」→次回の「硫黄島の戦い」は3時間でワンセットになる。

 「千人針」は銃後の国民から戦場の兵隊さんへの思い、「硫黄島の戦い」は戦場の兵隊さんから銃後の国民への思いを学習する。そのキーとなるのが今回の「東京大空襲」の学習である。



<ワークシート・第1ページ>

★下の絵は1945年3月の東京大空襲のようすを描いたものです。気づいた ことを箇条書きで書き出してみましょう。
東京1
東京大空襲の絵左

児童からは以下のような気付きが出された。
「勢いよく炎が上がって家が燃えている」
「上から何かが落ちてきている」
「みんな防災頭巾のようなものをかぶって逃げている」
「布団をかぶっている人もいる」
「奥にライトの光が見える」
「何かが地面に刺さって爆発している」
「炎の中に逃げ遅れた人がいる」

なお、次ページの資料で焼夷弾については詳しく説明する。
すると炎がなぜ上がっているのか、火から髪の毛を守る行為などの意味がわかる。



<ワークシート・第2・3ページ>

①B29と焼夷弾(しょういだん)

  東京を空襲したのはアメリカのB29(ボーイング29型)大型爆撃機です。このときにB29が落としたのはふつうの爆弾ではありません。焼夷弾とよばれるものです。


東京2
B29

東京3
焼夷弾

 なぜアメリカ軍は焼夷弾を使ったのでしょうか?アメリカはアリゾナの砂漠に一軒の木造住宅を作り、ある実験をしていました。その実験の連続写真を見てみましょう。

0分
東京4

10分
東京5

15分
東京6

20分
東京7


②東京大空襲を生きのびた人たちの証言

「あ、落ちてくる!」                            
 私の一歩前にいた男は、顔をのけぞらしてさけんだ。ごしっ!と耳の破れたような音。地底にひきこまれそうな爆音。あわてて閉じたまぶたの裏に、金色の閃光がはしる。焼夷弾は、落ちてくる-とさけんだ男ののど首に、火をふいてつきささった。その横を走ってきた女の左肩をかすって、電柱にささりこみ、あっというまに、あたり一面を地獄絵図変えてしまった。

 B29が、ガソリンをまきちらしたのは、その後です。爆音が耳をかすめて、頭に、ほおに、さあーッとつめたいものがふれる。はっと気がついてみると、水です。それもへんににおう、とろとろした水、液体です。はじめ雨かと思いましたけど、そのにおいで、すぐガソリンとわかりました。ああ、これで私ら焼き殺されるんだ。死ぬのかな、って思いました。けど、そのとたん、畜生、死んでなるもんかと思い、必死で起き上がろうとしたんですけど、ダメなんです。私の上は、死体だらけ。その死体がつみかさなって、みんなまっくろこげの棒みたいになっているんです。

髪の毛に火のついた人たちが大声でわめき、苦しみながら、のたうちまわる。背中の子どもが、そのとき、ギャーッと、異様な声をあげましてね、あわてて、子どもをおろして胸に抱くと、口の中が真っ赤。いえ、血じゃないの。泣いている口の中に、火の粉が入っているんですよ。火の粉が、のどをふさいでカーッと燃えているんです。私はあわてて、それを指でえぐり出しましてね、子どもを下にうつぶせになって、上にねんねこをかぶりましたが、ねんねこにもすぐ火がついてしまいました。私のまつげは、とっくに溶けてし


③東京大空襲の被害
 日本の首都・東京は、1944年11月24日に初めて空襲されました。その後、1945年8月15日まで110回を越える空襲を受けています。
 アメリカの空襲の最初の目的は製鉄工場や飛行機工場などの軍需工場でした。しかし、最初の22回の空襲であまり効果がないと考えたアメリカは空襲の目的を一般の民間人をもねらう無差別爆撃へと変更したのです。
 1945年3月10日の東京大空襲では、午前0時すぎから2時間半にわたって計334機のB29から1600トンの焼夷弾を投下されました。26万8千戸の家が焼かれ、10万人が焼死、40万人が負傷、被災した人は100万人を越えました。(空襲後の写真を見てみましょう)

被害1
東京8

被害2
東京9

被害3
東京10

被害4
東京11



★①~③の3つの資料を読んで、東京大空襲のどこに大きな問題点があると思いますか?あなたの考えを書いて下さい。

児童からは以下のような意見が出された。

「日本は弱いのに民間人とかをねらったから、それが僕の中ではすごく悲しくて切なかった」

「アメリカの空襲が無差別爆撃に変更したのが、問題だと思います。そのせいで小さな赤ちゃんまで被害を受けているからです」

「爆弾は爆発すれば終わりだけど、焼夷弾はいろいろなものに飛び移り、町全体を焼き尽くして、人を最後の最後まで苦しめた」

「B29がガソリンをまき散らしたところ。焼夷弾だけでももう十分被害を受けているのに、さらにガソリンをまき散らすというところがひどい」

「木造だからすぐ燃える、というのが問題点だと思います。もともと木造の家は日本の文化ですからしょうがないのに、そこをねらってくるのはひどいです。それにガソリンをまいて焼死させる発想がむごすぎる」



 ここで戦時国際法の話をした。

 子供たちは戦争にルールがあることを意外に思っている。これは大事な知識だ。この国際法の中には空襲の項目もあり、民間施設を狙うことは法律違反だということが書かれていることを教えた。



<ワークシート・第4ページ>

★横浜もねらわれた空襲

この東京大空襲の後も、空襲は続きました。

3月10日 東京(被災者100万人)

13日 大阪(被災者 50万人)

17日 神戸(被災者 24万人)

19日 名古屋(被災者 15万人)

4月13日 東京

15日 東京・川崎

6月~8月 全国55の地方都市

 わたしたちが住む横浜も、1942年4月18日に初めて空襲を受けました。
 1945年に入ってから、空襲回数は30回を越えました。

 とくに1945年5月29日の大規模な空襲で、横浜市内は壊滅的な被害を受けました。この横浜大空襲では、B29は517機、戦闘機は100機が飛来し、焼夷弾による約1時間の爆撃と機銃掃射で死者は1万人、被災者は32万人にのぼりました。

 現・京急黄金町駅周辺一帯では、電車から退避中の利用客も住民とともに被害にあい、大勢の人びとが焼夷弾による火災により逃げおくれて焼死しました。空襲警報とともに駅構内に逃げ込んだものと思われ、焼夷弾による火に包囲され、火あぶりとなってしまったのです。

 死体は黄金町駅の道路両側に並べられ、引取者を待っていましたが、初夏に近い五月末のことで、強い日ざしによって死体から油と血が流れだし臭気も出てきたため、やむなく死体は埋葬されました。

また、6月10日の空襲では湘南富岡駅(現・京急富岡駅)に到着した電車が爆撃から逃れるためにトンネル内に待避したところ、トンネルの前後に爆撃を受け、80人が犠牲になっています。


被害5
伊勢佐木町周辺
東京12

被害6
空襲上空から見た横浜市 
東京13
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