授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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千人針

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■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
先生方のどなたでも成果が出せる授業であり、子供達の誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 
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千人針


 戦争の「原因」の学習を終えて、ここからは戦争そのものについての学習に入る。
 最初に取り上げるのは「戦時下の国民生活」である。
 ここの学習のポイントは二つあると考えている。
 
 ①第1次世界大戦以降、どの国も「総力戦」になった
 ②つまり、日本の国民は戦地の兵士と一体になって戦った
 
 この授業では①と②を実感させるために「千人針」を中心教材にして教える。

 ワークシートを配布したら<戦時下の国民生活>と板書する。


<ワークシート・第1ページ>
★下の写真は戦争中の国内の生活のようすです。気づいたことを書きだしてみましょう。


千人針1
勤労動員

千人針2
学童疎開

千人針3
千人針を縫う

 児童からは以下のような点が出される。

「女の人が戦闘機を作っている」
「整備しているんじゃないかな」
「ゼロ戦だと思う」
「ランドセルやリュックを背負っているので、登校中だと思う」
「学童専用車と書いてあるので子ども用の電車」
「どこから安全なところへいくのだと思う」
「女の人が何か買ってる?」
「配給で配られているのでは?」

『では、2ページ目を見てみましょう』

 2ページを読むことで勤労動員と学童疎開の画像は意味がわかる。
 残る1枚は「千人針」のお話と関連することを告げてから読む。



<ワークシート第2ページ>

★戦時下の国民生活

 この時代になると、どの国も戦争は軍隊だけで戦うものではなくなっていました。「総力戦」とよばれ、国民の生活や教育、文化などすべてをかけておこなわれるようになっていました。
 戦争によってものが不足し、政府は消費節約や貯蓄増強を呼びかました。

 戦局が悪化すると、労働力が不足したため多くの生徒や学生が勤労動員されました。また、金属の不足のためにお寺の鐘や銅像のようなものも戦争のために供出されました。

 サイパン島がアメリカ軍の手に落ちると、ここを基地にして日本本土に大型爆撃機による空襲が始まりました。このために子どもたちは危険を避けるために親元をはなれて地方に疎開しました。これを学童疎開と言います。


★千人針

 千人針は、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作るもので、お守りのようなものです。これは「武運長久」と言って兵隊さんの戦場での幸運を祈って作られました。
 1メートルほどの長さの白布に、赤い糸で千人の女性に一人一針ずつぬって、結び目をつくってもらいます。特例として寅年生まれの女性は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来ました。これは虎が「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えにあやかって、兵隊さんが生きて帰ってくるのを祈るものです。
 できあがった千人針を、兵隊さんは銃弾よけのお守りとして腹に巻いたり、帽子に縫いつけたりして、大切に身に付け続けていました。
千人針4
千人針1

千人針5
千人針を見る



<ワークシート・第3ページ>

★千人針を作った当時の人の気持ちを考えてみよう

 戦争中の国民生活は苦しいものだったに違いありません。とくに戦争も末期になると自分たちが生きていくだけで精いっぱいの状態だったことが想像できます。

しかし、そんな中でも、当時の女の人たちは戦地で戦う兵隊さんのために千人針を作りました。いろいろ種類の千人針を見て、当時の人たちのどんな気持ちが込められているか考えてみましょう。

A 
千人針6


千人針7


千人針8


千人針9



児童からは以下のような予想が出された。

*Aについて
「虎は千里を・・・の言い伝えがあるので、それを絵の形にして生きて帰ってほしいと思った」
「虎は強い動物だから戦闘に勝てるように、虎のように強くなって欲しいと考えた」


*Bについて
「五円玉を付けているから、これからも御縁が続きますように、帰ってきて欲しいと言う気持ち」
「振り子のように右いってもまた左に戻れるから、それで国に戻ってこれるようにと考えた」
「お金を付けてお守りの力をプラスした」


*Cについて
「頭を守るために帽子の形にした」
「袋状になっていて家族の写真などを入れていたのではないか」
「生きていくためのお弁当を包むものにした」


*Dについて
「子供用の服の形にして家族のことを思い出してもらった」
「防弾チョッキみたいなものでこれを着て銃弾よけにした」


 Aについては虎の言い伝え,Cについては帽子型にしたこと、Dはチョッキにしたことが正解であることを伝え、どれも無事に帰ってきて欲しいと言う気持ちが込められていることを話す。
 
ただし、Bについては正解を保留して次ページを読む。



<ワークシート・第4ページ>

★千人針に込められた思い

◇ある兵隊さんのお話・その1

 千人針の形は腹巻、チョッキ、帽子等いろいろです。とにかく千人の女が一針ずつ縫いつづる、その真心が天に通じて神や仏のお守りが得られると信じられていました。
 私の母も二人の息子を戦地に送ったため、千人針を作ってくれたものですが、当時の私の村は家も少なくて千人の女性の手はなかなか得られず、そのために母は松江市に野菜などを売りに出かけるときには必ず千人針を持っていって、その売り先の家の人たちにお願いしてせっせと作ってくれたことを覚えています。


◇ある兵隊さんのお話・その2

 昭和14年1月10日に歩兵36連隊に入隊して、中国に上陸したのち昭和17年に帰国するまで、千人針の帽子とチョッキは肌につけ続けました。戦いで退却するときに、川を渡るとき恐怖を感じましたが、その恐怖を救ったのがこの千人針でした。


◇ある女の人の話
 チョッキにも腹巻にもみんなしました。それにちょうど心臓のあたりに五銭銅貨を、死線を超えるということで、十銭は苦戦を越えてといわれて付けたのです。主人は、どうも南方へ行くらしいよ、と言うもので、私はもう夢中でたくさんのポケットをつくりました。ミシンでザァーッと縫って、千人針ができたあとで、またポケットをあちこちに付けました。

Bについてはこの文章だけではわかりにくいので板書しながら説明を加えた。

 死線→四銭→4線  五銭→5銭  4より1つぶん多くなる=越えている→死線を越える

 苦戦→九銭→9銭  十銭→10銭 9より1つぶん多くなる=越えている→苦戦を越える



児童の感想を紹介する。

*自分が生きていくのも大変だった時代に女性が千人針を一生懸命作ったのは、絶対に帰ってきて欲しいという強い願いを兵隊さんに伝たかったのだと思う。兵隊さんもお守りとして家族といっしょにいるような心強いものだったんだと思います。

*女の人は、兵隊さんが生きて帰ってくることを誰よりも祈っていたと思った。

*千人針にはいろいろな気持ちや願いが込められていて感動した。これほど、願いや気持ちが込められていたのなら兵隊さんも安心できていたと思う。

*戦争中でも千人針を作って兵隊さんにもたせるということはその兵隊さんたちを大切にしているのだと思う。

*瀬人針は人の命を守るために作られたのであり、とてもいいと思う。ただ、作るのではなくもらった人の気持ちや早く帰ってきてという意味が込められていてすごくいいと思う。漢字にも意味があり、これならずっと頑張っていられる。

*人々の願いはすごいものでした。他にもいろいろな工夫がされていると思います。人々の思いは苦しい生活よりも強いです。

*今の日本にはない優しさがあると思った。当時の日本人は戦争に行く人全員を待っていたんだということが伝わってきた。

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