授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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野口英世

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■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
誰でも成果が出せる授業であり、誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 

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 大正の人物学習の最後は野口英世を取り上げる。
 この時代に日本の文化が飛躍的に進歩し、世界中から認められたその代表として医学者・野口英世を学習させる。

 英世の肖像写真を見せる。
野口1
 野口英世肖像


<ワークシート・第1ページ>
★中央で白い服を着ているのが野口英世です。この写真を見て気づいたことを 箇条書きで書き出してみましょう。
野口2
グアヤキルの英世

児童の気づきは以下のようなものだった。

「廻りにいるのはみんな外国人」
「みんな偉そうな感じ」
「緊張している感じにも見える」
「英世は白い服だけど、外国人はみんな黒っぽい服を着ている」
「全員、帽子を被っている」
「全員、革靴を履いている」
「後ろに船が見える」
「ここは港だと思う。桟橋を歩いている」
「これからどこかへ行くぞ!みたいな感じ」
「英世だけ半ズボンかな?」

『英世は半ズボンではなく、長ズボンの裾にゲートルという黒い包帯のような布を巻いています。蚊に刺されないようにするためです。なぜ?それは後でわかります』



<ワークシート・第2、3ページ>
★世界中の人を病気から救った野口英世

①大やけどを負う
 野口英世は1876(明治9)年に福島県の猪苗代の農家に生まれました。
1才の時に火がついた囲炉裏に落ち、左手を大やけどを負いました。その後、先生や友人の募金で左手の手術を受け、不自由ながらも左手の指が動かせるようになりました。
野口3
囲炉裏

野口4
英世の左手


②医学の研究を志す
医師をめざした英世ですが、ふつうのお医者さんではなく医学の研究する道を選びました。北里柴三郎の伝染病研究所に勤めた後、アメリカへ留学してロックフェラー医学研究所で細菌学を研究するようになりました。英世はここで蛇毒や小児マヒ、狂犬病、オロヤ熱など世界中の人を苦しめていた病気の研究で成果を上げ、有名な医学研究者となったのです。
野口5
ロックフェラー研究所



③野口英世は眠らない
 英世は、数多くの実験から得られるデータの収集を重視し、寝る間も惜しんで研究を進めました。思いついた実験はすべて驚異的なスピードで、しかも正確に実行しました。英世の研究を見た海外の医学者たちは「野口英世は眠らない」と驚きの声を上げたと言います。


④黄熱病との戦い
 1918(大正7)年、英世は当時まだワクチンのなかった黄熱病の病原体を発見するため、エクアドルへ渡りました。
 英世は、エクアドルに到着してわずか9日目には病原体を特定することに成功し、世界中から称賛されました。この研究結果によって開発された野口ワクチンにより、南アメリカでの黄熱病の流行は止まり、多くの人の命が助かったのです。
 さらに、黄熱病の研究のためにメキシコやペルーへも行き、ジャマイカで黄熱病研究の発表を行い、アフリカにも出張しました。
 アフリカで黄熱病の研究を続けていたある日、英世自身が黄熱病に感染してしまいました。一時は回復しましたが、その後病状が悪化し51才の生涯を閉じました。


★野口英世のプレート~エクアドルの人になって考えてみよう

 野口英世が戦った黄熱病は、熱帯アフリカと南アメリカ周辺に見られる伝染病です。蚊によって広まり、伝染します。潜伏期間は3~6日で突然の発熱、頭痛、嘔吐などで発症します。死亡率は30~50%と高く、現在も特効薬はありません。

 当時は、実験中に自分自身が黄熱病にかかって死亡するなど黄熱病の研究は過去に何人もの犠牲者を出していました。しかし、英世はこの危険な黄熱病の研究に挑みました。
 1918(大正7)年7月。英世は、船でエクアドルのグアヤキルの町に到着しました。この町で黄熱病が流行し始めたのは1740年です。それから150年以上もの間、この町は黄熱病に苦しんできたのです。しかも、近くの国からは「蚊が多くて汚い町だ」と言われていました。

 なんと、到着して9日目に黄熱病で死亡した患者の血液を培養し、病原体を発見しました。さらに、英世はその後も現地に残ってこの病気のワクチンを製造しました。野口ワクチンのおかげでエクアドルの人たちの多くの命が助かったのです。エクアドルの人たちは喜びました。やがて、英世の帰国が伝わると「エクアドルに立派な研究所を建設してドクターノグチを引き止めよう!」という声が市民の中からわき起こったほどです。
 エクアドル市民によるお別れ会で、英世は「もし、エクアドルが私を必要とするときは、誰よりも先にはせ参じましょう」と挨拶しました。会場の人びとは立ち上がり「グラシアス、ドクターノグチ!(野口博士ありがとう)」と叫びながら拍手を送りました。
 「黄熱病の流行する汚い町」という汚名を消し去ってくれた英世のことをエクアドルの人びとは「英雄だ」と考えたのです。

 1918年7月24日。エクアドルの公衆衛生研究所に野口英世の顔のレリーフが付いたプレートが飾られました。プレートにはこう書かれています。
┌──────────────────────────────────────┐
│  この公衆衛生研究所で、ロックフェラー研究所のメンバーであり、すぐれた細
│ 菌学者である野口英世が黄熱病の病原体を発見した。
└──────────────────────────────────────┘
野口6
エクアドルのプレート


 しかし、その後の研究で英世の発見はまちがいであることがわかりました。英世が発見したのは黄熱病の病原体ではなかったのです(ワイル氏病という別の病原体だったと言われています)。じつは後の時代に黄熱病の病原体は細菌ではなく、細菌よりもさらに小さなウィルスであることがわかりました。しかし、英世の時代の光学顕微鏡ではウイルスを見ることはできません。ウイルスは電子顕微鏡が発明されてから人類が発見した病原体なのです。

 さて、困った問題が起きました。エクアドルの人たちが掛けてくれたプレートに書かれている内容はまちがっています。このままにしておくわけにはいきません。
 どうすればよいでしょうか?
 エクアドルの人たちの気持ちになって考えてみて下さい。



◇あなたの考えを書いてみましょう。後で話し合ってみましょう。

 ここの課題は英世の研究成果がたとえ間違っていてもエクアドルの人々を助けた功績は決して色褪せないことを子どもたちがつかめればよい。日本人が世界に羽ばたいたその姿を学習することが目的である。

 児童からは出された主な意見を紹介したい

「正しい内容に書き換えればいい。作り直す。野口ワクチンが病気に効いたのは事実なのだから、そのことを書けばいい」
「一度、それを取り外して保管し、野口英世は汚名を消し去り、ワクチンを我々のために作ってくれたエクアドルの英雄だ、と新しく作る。そしてその隣にこれを付ける」
「そのままにする。他の国の人は間違っていると言うかもしえないけれど、いくら間違っていたとしてもエクアドルの人たちの病気を治せたんだし、野口英世のおかげで黄熱病の流行する町と言われなくなったのだから、プレートはそのままでいい」
「プレートを作った人に事情を話し、別の正しい内容のものを作ってもらう。別のウイルスであったが、エクアドルの人々をたくさん救ってくれた人だった、というプレートにする」
「このプレートは残して欲しい。エクアドルの黄熱病を研究してくれたし、黄熱病で亡くなってしまったし、町の汚名を消してくれたし、私たちにとっては英雄だ」



<ワークシート・第4ページ>
★世界から慕われた野口英世

 エクアドル人たちは1918年のもとのプレートははずしませんでした。
 その代わり、その右側に「左の記した野口の発見は誤りであり、のちに修正が加えられた」と書かれた新たなプレートを取りつけました。
野口英世の伝記を書いた人の中にはこんなことを言っている人もいます。
 
 最初の発見が誤りだとわかったら、1枚目のプレートをはずせばすむことかもしれません。しかしエクアドルの人たちは、1枚目をきちんと残したうえで新たに訂正のプレートを加えました。「野口英世に対する当時の評価を消す必要はない」と考えてくれたのではないでしょうか?
野口7
残されたプレート


 エクアドルの首都・キトから離れた村にはノグチ小学校があります。野口英世がこの村を訪れたことがあるのを記念してできた小学校です。学校行事があるときは右のポールに日の丸、中央にはエクアドル国旗、左にはキト市の旗が掲揚されます。
野口8
エクアドルの小学校

 残念ながら受賞はなりませんでしたが、野口英世は4回もノーベル賞候補になっています。しかし、医学への貢献が認められて世界中から表彰されています。

*1913年 スペインとデンマークから勲章授与
*1914年 スウェーデンから勲章授与
*1920年 アメリカ・フィラデルフィア市からメダル名誉章
*1924年 フランスから勲章授与
*1928年 日本から勲章授与

 

 児童の感想を紹介する。

*野口英世の研究結果は間違っていたけれども、エクアドルの人は、野口英世を偉人としてみているのが、日本人としてうれしいと思いました。寝ないで研究したのもすごいと思いました。

*野口英世がノーベル賞を取れなかったのは残念だけど、こんなに世界から勲章をもらって、しかもエクアドルの小学校で名前がノグチ小学校があると言うことは、世界中からその実力が認められたのだと思う。

*野口英世は、多くの人々の命を助けてきた人だからすごい人だと思いました。世界中から親しみを持たれているし、エクアドルの町にプレートを貼られているなんて本当にすごいと思います。ノグチ小学校があるなんて驚きました。

*野口英世のことを僕は心から尊敬します。そして、将来僕が大人になったら野口英世のように日本や外国に貢献したいです。

*エクアドル以外のスペイン、デンマーク、スウェーデン、アメリカ、フランスなどの、昔は日本が学んでいた国から認められたことがすごいなと思いました。
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