授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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小村寿太郎

■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
「東郷平八郎」は「日清戦争と日露戦争」の授業(全5時間)の4時間目です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
誰でも成果が出せる授業であり、誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 

■横浜の小学校6年生の思考力・表現力がみごとです。
 全国の先生方、ぜひ追試してみてください!


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小村寿太郎

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 日露戦争の第2時である。
 ポーツマス講和会議をテーマにして小村寿太郎を取りあげる。

小村寿太郎肖像
小村1


<ワークシート・第1ページ>

★日露戦争を終わらせるための講和会議が行われることになりました。
下の写真はその時に撮られたものです。
気づいたことを箇条書きで3つ書き出した後、下の質問に対してのあなたの予想を書いてみて下さい。

<質問>この講和会議はアメリカのポーツマスという小さな町で行われました。なぜ、会議はアメリカで行われたのでしょう?


ポーツマス講和会議
小村2

 児童の気づきは以下のようなものが出てきた。
「みんな真剣な表情をしている」
「資料のようなものがテーブルにある」
「左が日本で、右がロシアだと思う」
「真ん中の椅子が空いている」
「ペンのようなものもある」
「5対5」


 質問についてはこんな予想が出された。
「日本またはロシアでやると戦争中なので不公平になる」
「とても両国では押さえきらないのでアメリカに頼んだ」
「アメリカは関わりがないから選ばれた」
「お互いの国でやるとどちらかに有利になるので危険だから」
「薩長同盟と同じで自分たちでは話し合いが進められないから頼んだ」



<ワークシート・第2ページ>

★ポーツマス講和会議が始まるまで

①国力の限界
 圧倒的な国力をもつ大国ロシアにくらべれば日本はまだ小さな国でした。ですから、戦争が始まったころから自分たちが優位なうちに講和に持ち込もうと考えていました。そして、ロシア軍に対して優位に戦闘を続けることができていましたが、すでに日本の国力は限界に来ていました。

②アメリカに仲介をたのむ
 これ以上、戦争を続ければ大国であるロシアの兵力が増強され、いつ逆転されてしまうかわかりません。そんな中、日本海海戦で大勝利をおさめたことで日本は講和会議に持ち込むチャンスがやってきたのです。日本は、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に日本とロシアの間に入って講和会議を進めるようにたのみました。この当時、アメリカは日本を支持していたからです。

③小村とウィッテ 
 日本側の代表に選ばれたのが小村寿太郎です。小村は、身長148㎝の小さな体でした。かつて、駐米大使になった時、ある人に「外国人の中にまじったら子どものように思われますよ」と言われ、「だいじょうぶです。わたしは日本を代表して行くのですから。日本は小さくても強いですからね」と答えたと言われています。
 対するロシア側代表のウィッテは身長180㎝の大きな体でした。
 ウィッテは、ロシア皇帝から「わずかの土地も金も日本に与える条約は結ぶな」と命令されていたと言われています。そのためウィッテは「講和会議がうまくいかなくてもしたがない。ロシアは戦争を続ける準備もできている」という態度をとっていました。

④国民の期待   
 しかし、講和会議を前にして日本の国民の多くはあの大国であるロシアに勝ったのだから多くの賠償金を勝ち取ってほしいと考えていました。日露戦争は多くの戦死者を出し、国民も多くの負担に耐えてきていたので、賠償金を期待していたのです。

講和会議の3人
小村3



<ワークシート・第3ページ>

★小村寿太郎になって考えてみよう

 講和会議はポーツマスの海軍造船所を改築した会場で行われました。日本とロシアの代表団はホテルに宿泊し、そこから船で会場に行きます。講和会議は17回にわたって行われました。
 第1回目の会議で日本は12項目の要求をロシアに提示しました。そのなかの重要なものを3つにまとめたので見て下さい。


 A:ウラジオストックをロシア海軍の軍港からふつうの商業のための港にすること。そして、ロシア海軍の兵力を制限してこれ以上強くならないようにすること。

 B:日本は大きな損害を受けたので、ロシアは賠償金を支払うこと。また、樺太を日本の領土にすること。

 C:日本陸軍とともにロシア陸軍も満州から引き上げ、満州の鉄道とリャオトン半島を日本にゆずること。 また、朝鮮半島のことについては日本にまかせること。


 この3つの要求の中で日本が「絶対にゆずれない」と考えていたのはどれだと思いますか?
あなたもこれから交渉する小村寿太郎になって考えてみてください。

◇あなたの考えを書いてみましょう。あとでみんなで話し合ってみましょう。


 児童の意見分布は以下のようになった。
       
1組・・・A 7人  B 3人  C 18人

2組・・・A 9人  B 5人  C 14人


 主な意見を紹介する。

<A派>
*ロシアは戦争を続ける準備もできているので、次の戦いでは日本は負けてしまうかもしれないという状態だから。

*ロシア海軍が強くなって日本に攻め込んできたら日本は包囲されてしまう。ロシア海軍をこれ以上強くしてはいけない。

*ウラジオストックは日本に近いので危険。


<B派>
*国民の期待に応えるために賠償金を払わせる。

*多くの国民が望んでいる賠償金をウィッテを説得してもらえれば、国の再建ができる。土地をもらってもやっぱりお金が必要になるから。

*樺太が日本の領土になればロシアは攻めにくくなると思う。


<C派>
*ロシアが引き下がれば日本は安心できる。もし裏切られれても朝鮮半島が日本にまかせられればそこを通ることはできないので日本までは簡単に来られない。来たとしても時間がかかりその間に逆に日本が攻めることができる。

*ロシア陸軍が満州から引き上げないとまたロシアと戦争になってしまうかもしれないし、とても広い満州や朝鮮を領土にできて一石二鳥だ。

*朝鮮半島が他の国のものになってしまえば、その国が攻めてきたときに絶対に不利だから。朝鮮半島が安定していれば前のように朝鮮を他の国が渡って来て攻められることは少なくなると思う。

*AやBも大切だと思うけど、鉄道やリヤオトン半島を取れれば、貿易したりして賠償金以上にお金が儲かる。




<ワークシート・第4ページ>

★ぎりぎりの交渉を成功させた小村寿太郎

 日本が「絶対にゆずれないこと」と考えたのはCです。
これまでの歴史をふり返れば、日本が外国からの危機に直面するのは、つねに朝鮮半島が敵対する国の手に落ちたときです。ですから、朝鮮半島が安定した状態にあることが何よりも重要でした。また、そこから一歩進んで満州も敵対する国に取り込まれないようにすることも大事だったのです。

小村のねばり強い交渉により「絶対ゆずれないこと」と考えていたCはすべて取ることができました。また、「できれば達成したいこと」と考えていたBも、賠償金は取れませんでしたが、樺太の南半分を取ることができました。ですから、交渉はほぼ引き分けで終わり、講和会議は成功したと言ってもよいでしょう。

 しかし、日本の国民はこの講和条約の結果に満足しませんでした。賠償金が取れなかったことに対して非難が高まり、全国各地で「講和条約反対」「戦争を続けろ」と集会が開かれました。また、暴動も起こり、大臣官邸や新聞社、交番などが焼き討ちされる事件にまで発展しました。 
 日本政府は「ロシアが戦争を続けようとすれば日本は負ける」という情報を国民に知らせることはできませんでした。なぜなら、この情報がロシアにもれれば戦争も講和会議も不利になるからです。そのため、国民の多くは「大国ロシアなら多額の賠償金を取ることができる」と信じていました。

日比谷焼き討ち事件
小村4

75年後のことです。作家の吉村昭さんは小説を書くためにポーツマスを訪れました。このとき吉村さんは、当時の会議場を警備していた90才の男の人に質問をしました。
「小村は、ずいぶん小さな人と思われましたでしょう」
すると男の人はこう答えました。
「とんでもない。一国を代表する堂々とした人で、小さくなどありませんでした」
この言葉の中に、日本の運命を背負い、つらくきびしい役目を果たそうとした小村寿太郎の姿がうかびます。


 児童の感想を紹介する。
*小村寿太郎は、国民に非難されるのに、それができたすごい人だと思います。勇気があるなと思いました。身長は低くても気持ちはすごく大きな人だと思います。

*小村寿太郎は体は小さいのに、日本のために堂々として講和会議をしたことはすごいことだと思いました。

*体の大きさではなく、意志の強さが相手にも伝わったと思います。もしも、自分が政府の事情を知らない国民だったら同じように怒ると思います。

*こんなに人々が苦しんでたくさんの犠牲者が出たにもかかわらず賠償金を得られなかったのは国民にとっても苦しかったと思います。でも、これからのことを考えると満州と朝鮮が譲れなかったんだと思いました。

*小村寿太郎は慎重148センチの小さな人だったけれど、警備をしていた人の話から心がとても大きな人だったということがわかりました。寿太郎のねばり強い心もあって、交渉も成功したんだろうなと思いました。
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