授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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服部剛の道徳5 「人種差別について考える」

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★この授業は、文科省『中学校学習指導要領』道徳の内容4「主として集団や
社会とのかかわりに関すること」の(3)「正義を重んじ,だれに対しても公
正,公平にし,差別や偏見のない社会の実現に努めるを指導するためにつくら
れた授業です。
日本人とアメリカ黒人との意外なつながりを通して、人種差別を憎む心を育み
ましょう。

★服部剛さんがブログを始めました。すぐに使えて役に立つ歴史・公民・道徳の
授業がこれからどしどし公開されていきます。どうかご活用をお願いしますす。
題して『授業づくりJAPAN横浜《中学》 「日本人を育てる歴史と道徳」』です。
http://jdjapany.blog.fc2.com/


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【ワークシート】

  道徳ノートNo. 「人種の平等について考える」
組  番 氏名(             )



1.アメリカの黒人たちは、日本人のことをどのように見てきたと思います
  か?

                    ア、好意的
具体的には?(想像で)     イ、嫌い
                    ウ、無関心


2.今からおよそ100年前の1904年、日本とロシアの間に戦争が始まりました。
  アメリカの黒人たちは日露戦争が始まったことを知って、どう考えたでし
 ょうか?

  ア、日本を応援した
  イ、ロシアを応援した
  ウ、無関心


→【資料1,2】で確認しよう



3.1920年代のアメリカで、日本人移民はとても差別されました。黒人たちは
 どうしたと思いますか?


→【資料3】で確認しよう 


4.1941年、自分の国アメリカが日本と戦争になりました。アメリカの黒人たち
 は、どう考えたでしょうか?


  ア、日本を応援した
  イ、アメリカを応援した
  ウ、無関心


→【資料4,5】で確認しよう



5.あなたは今、黒人の人たちに対して、どのような気持ち・感情を持っていま
 すか?

  また、あなたは真の国際友好を築くためにどのように行動したら良いと思い
 ますか?





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 【道徳資料】「人種の平等~アメリカ黒人社会の日本観」   

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【資料1】「アメリカ黒人」のはじまり

 アメリカ大陸がヨーロッパ人によって「新大陸」として開拓(かいたく)され
た時、労働者として送り込まれたのが西アフリカの黒人たちでした。北米の多
くの地方では「黒人は生きているかぎり働かなければならず、その子供たちも
同様である」とする法律が作られました。
 アメリカのフロンティアは、アメリカ先住民(いわゆるインディアン)の弾圧
とアフリカ黒人の酷使(こくし)によって成り立っています。白人植民者は先住
民から土地を取り上げ、黒人を労働力として投入したのです。
「自由と平等」を掲げて建国したアメリカには、人間を他の人間の所有物に
するという明らかな矛盾(むじゆん)が存在していました。しかも、それが矛盾
であるということにすら気がつかない人々が数多くいたのです。
 黒人たちは、この差別を取り除くために闘い続けました。彼らは脱走を試み、
南北戦争にも参加しました。また、白人からのリンチと戦い、一方で自分自身
を磨き、どん底の生活から一歩一歩はい上がる努力を続けていったのです。


【資料2】明治の日本人

《黒人紙インディアナポリス・フリーマン》

 東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめし続けている。事実、
ロシアは繰り返し何度も、日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオ
ルを投げ入れようとしている。有色人種がこの試合をものにするのは、もう時間
の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、ついに今突き崩されようとしている。


《ニューヨーク・エイジ紙)》

 さあ、行け。小さな茶色い男たち。攻めて攻めて攻めまくれ。鋭い剣をさやに納
めず、天罰を与えつづけるのだ。お前たちは、天地をひっくり返した。ロシアをや
ったんだ。プライドと力におぼれる、ほかの連中に同じ道をたどらせるのも、お前
たちなのだ。

 日露戦争の時、アメリカ黒人紙に載った記事です。黒人はこの戦争を、白人の大
国に有色人種の小国が独立をかけて果敢(かかん)な戦いを挑んでいる、と見ていま
した。多くの黒人は日露戦争を人種間の戦争としてとらえ、白人による支配から有
色人種を解放してくれる国として、日本に期待しました。

 日本が白人の大国ロシアに勝利したことは、「有色人種は白人に勝つことができ
ない」という考えを崩壊させました。これ以来、黒人は「日本人は自分たちと同じ
有色人種だ」という仲間意識を、強く抱くようになったのです。
 当時、日本を訪れた黒人たちは
「まるで兄弟のように親密な歓迎(かんげい)を受けた」
「日本人には人種偏見(へんけん)は全くないという確信を持った」
「日本人ほど親切な民族に会ったことはない」
とその喜びを表しています。

 東京で開かれた環(かん)太平洋新教育会議に参加した黒人女性のマクギーさんは、
黒人の境遇(きようぐう)やアメリカの現状を話しました。最後に「あらゆる人種は
お互いに協調し、平等に扱われるべきだ!」と訴えました。

 のちにマクギーさんは「聞いていた日本人の目には、涙があふれていた」と日本
人の姿に感動し、次のように感想を述べています。
「わたしは、何か新しい人々に出会ったような気分になった。それまでまったく意
識したことのなかった人々に…、信心深く、穏(おだ)やかで、情けに満ちたこの人
々は、たいていの人がお世辞でしか言わないことを、心の底から言ってくれるのだ」。

 謙虚(けんきよ)で、おごりのない日本人。このような姿が、戦前の日本にはあっ
たのです。


【資料3】黒人の日本人に対する連帯意識

1920年代、アメリカでは日本人移民に対する差別がひどくなりました。そんな中、
日系人に温かく接したのは黒人たちでした。

《フィラデルフィア・トリビューン紙》
黒人たちは日本人を心から尊敬している。
 同じ『抑圧(よくあつ)された民族』であるのにもかかわらず、自分たちのために
一所懸命努力する日本人の態度は見習うべきものである。

《カリフォルニア・イーグルス紙》
ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今(さつこん)、日系人の病院が
どの人種にも門戸(もんこ)を開放していることは、本当に喜ばしい限りである。
「黒人を差別しない日本人」というイメージは、またたく間に西海岸に広まってい
きました。
 1923年、関東大震災の深刻な被害を知ったある黒人は、シカゴ・ディフェンダー
紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人こそが、同じ有色人種の日本人を
救えるのではないか」と投書し、それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペー
ンを始めます。

<たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくていつ出すというのか>

 同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透(しんとう)していきました。
 ハーバード大学で学び、米国黒人として最初の博士号(はかせごう)をとった黒人
解放運動の指導者・デュボイスは1936年、中国大陸の満州(まんしゅう)に1週間、
中国に10日間、日本に2週間滞在(たいざい)しました。そして、ピッツバーグ・
クリア紙に「忘れがたい経験」と題したコラムを連載(れんさい)します。

デュボイスが東京の帝国ホテルで、支払いをしている時に、「いかにも典型的な
アメリカ白人女性」が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込んできました。
 しかし、日本人のフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対
応を続けました。勘定(かんじょう)がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって
深々とお辞儀(じぎ)をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向
いたのでした。

 「フロント係の毅然(きぜん)とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、
新しい世界の幕開けを予感させた。
『母国アメリカではけっして歓迎されることのない』一個人(いちこじん)を、日本人
は心から歓(よろこ)び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれと同じ苦しみを味わい、
同じ運命を背負っていることを、心から理解してくれているのだ」。

 さらに、上海(シャンハイ )での出来事です。デュボイスの目の前で4歳くらいの
白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、どくように言うと、大人たちはみな、
あわてて道をあけました。

 「これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか! 上海、この世界一大きな
国の世界一立派な都市は、なぜか白人の国によって支配され、統治(とうち)されてい
る。それに対して、日本は『有色人種による、有色人種の、有色人種のための国』で
ある」。

WEB・デュボイス
黒人解放運動の指導者  WEB・デュボイス



【資料4】日本人と戦う理由は…

 1941年、日本とアメリカで戦争が始まると、黒人社会の世論(よろん)は割れました。

 「人種問題はひとまず置いて、母国のために戦おう」という意見。
 「アメリカの勝利に貢献(こうけん)して、公民権(こうみんけん)を勝ち取ろう」。
 さらには、
 「黒人を差別するアメリカのために戦うなんて、バカげている」という意見まで…。
 
 黒人指導者デュボイスは、日米の戦いを人種戦争という観点でとらえ、
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはずだ」と主張
しました。

 戦争が進むにつれて、黒人たちの多くは、白人が日本人を「イエロー・モンキー(黄
色い猿)」「リトル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」などの蔑称(べつしよう)
をさかんに使うことに、ますます人種戦争との確信を深めていきました。

 アメリカ政府は、日本兵の残虐(ざんぎゃく)行為を紹介し、「野蛮(やばん)な日本人」
というイメージを広めようと宣伝に努めました。

 しかし、黒人紙ピッツバーグ・クリアは、

「ビスマーク沖での海戦で、アメリカ軍は多数の日本の艦船(かんせん)を沈めた後、
波間に漂っていた多くの日本兵をマシンガンで皆殺しにした」

「本土爆撃では、わざわざ人の多く住んでいる場所を選んで、大人から赤ん坊まで無差別
に殺した」

「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万という人間が一瞬にして殺された。これを残忍
(ざんにん)と言わずして何を残忍と言おう!」
と主張しました。

 軍隊の中でも差別されていた黒人兵たちにとって、白人のために、同じ有色人種である
日本人と戦わなければならない理由は見いだせなかったのです。ある黒人部隊を指揮して
いる白人隊長は、「隊の95%は戦う気力がまったくない」と報告しています。

 黒人兵の間では、こんなジョークが語られました。「墓石(はかいし)にはこう刻んでくれ。
『白人を守ろうと、黄色人種と戦って命を落とした黒人、ここに眠る』と」。




【資料5】日本人移民の強制収容!

 戦争が始まった時、アメリカの日本人移民は、市民権(国籍)を持っている人まで、強制収
容所に入れられました。苦労して築き上げた財産も、アメリカ政府に没収されてしまったの
です。
 このことに黒人たちは大きな衝撃(しょうげき)を受けました。なぜなら、アメリカの敵国
の中で日本人だけが収容され、同じく敵国のドイツ系もイタリア系も収容されなかったのは、
あきらかに人種差別のせいではないか、と感じたからです。そして「市民権を持っている日
本人さえもが強制収容されるなら、黒人にも同じ事が起こる可能性がある!」と不安になっ
たのです。

 「11万5千人もの人々(日本人移民)が、アメリカ人としての自由を奪われるのを、われ
われ黒人は黙(だま)って見過ごすというのか」

とロサンゼルス・トリビューン紙の記者が全米黒人向上協会に呼びかけました。

 協会は、「われわれは人種や肌の色によって差別され、アメリカ人としての当然の権利を
侵害(しんがい)されることには断固として反対していかねばならない」と決議文を出してい
ます。

 1945年、日本は敗れ、大戦が終わりました。やっと日本人移民は強制収容所から解放されて、
町に戻ってきました。この日本人たちを歓迎(かんげい)し、温かく迎えたのは黒人社会でした。
彼らは、何もかも失った日本人のために仕事を探したり、教会に招いたりしてくれたのです。


【参考】レジナルド・カーニー『20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本人観』
    国際派日本人養成講座『Japan On the Globe「人種の平等~米国黒人社会の日本観」』

合掌の碑

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