授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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陸奥宗光


■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
「日清戦争と日露戦争」の授業(全5時間)の1時間目(導入)です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
誰でも成果が出せる授業であり、誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 

■横浜の小学校6年生の思考力・表現力がみごとです。
 全国の先生方、ぜひ追試してみてください!


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陸奥宗光

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『前回から日清戦争・日露戦争の学習に入りましたが、ここでその前に大事な出来事が起きました』
 
 陸奥宗光の肖像写真を見せる。

陸奥宗光肖像
陸奥宗光1


『この陸奥宗光が活躍します』


<ワークシート・第1ページ>

★下の風刺画を見て気づいたことを箇条書きで書き出しましょう。

ノルマントン号事件風刺画
陸奥宗光2


 有名なビゴーの風刺画である。
 児童からは以下の気づきが出された。

「奥に壊れて沈没しかかった船がある」

「船は斜めになっている」

「そこからおぼれかけている人が流されている」

「小舟に乗っている人はなんか助けていない感じがする」(教室はまさか?助けないなんて・・・という雰囲気である)

『そうです。助けていません』
「えーひどい!」

「船長らしき人が浮き輪を持っているのに使おうとしていない」

「なんだかみんな偉そうにしている」

「タバコを吸って余裕みたいな感じでひどい」

『これはノルマントン号事件と言ってイギリスの船長が乗客の日本人を見殺しにしてしまったのです』



<ワークシート・第2ページ>

★不平等条約改正を成功させた陸奥宗光

乗客を見殺しにしたノルマントン号の船長はなんと無罪となりました。
なぜなら、日本とイギリスの間には治外法権を認める不平等条約が結ばれていたので、日本の法律で裁くことができなかったのです。
当時は日本国内で外国人が行動できる範囲には制限がありました。治外法権があるので自由に行動されると問題が起こる可能性があったからです。ただし、西洋人は「自由に行動させてほしい」と言っていました。

外国人行動制限
陸奥宗光3


『見てわかると思いますが、神奈川県でもこの線の内側しか自由に行動はできない決まりになっていました。では、この不平等条約を改正した陸奥宗光について調べてみましょう

①海援隊で活躍
 陸奥宗光は紀州藩(いまの和歌山県)の出身です。
 幕末は坂本龍馬の海援隊に入って活躍しました。龍馬は「もし武士をやめても食べていけるのはオレと陸奥だけだ」と言って、宗光の才能を認めていました。

②ヨーロッパで勉強
 明治時代になると、伊藤博文にすすめられてヨーロッパに留学しました。
 宗光は、イギリスで内閣制度・議会などがどのようなしくみで運営されているのか、徹底的に勉強しました。また、伊藤博文と同じく、オーストリアのシュタイン博士について憲法を学びました。

③メキシコと平等条約を結ぶ
 ヨーロッパから帰国すると、外務省で仕事をすることになりました。
 駐アメリカ公使及び駐メキシコ公使として、メキシコとの間に日本最初の平等条約である日墨修好通商条約を結ぶことに成功しました。これで条約改正への足がかりができたのです。

④条約改正に成功
 その後、宗光は第2次伊藤内閣のもとで外務大臣となりました。
 宗光が外務大臣になる前にも、日本は不平等条約を改正するチャンスが何度かありましたが、ことごとく失敗していました。
 しかし1894年、ついに黒船来航以来の不平等条約の改正に成功し、イギリスと平等な条約である日英通商航海条約を結びました。その後、アメリカも同じく平等条約に調印、ドイツ、イタリア、フランスなどとも同じように平等な条約に改正しました。
 宗光が外務大臣の時に、不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正に成功したのです。

⑤日清戦争の下関条約
 日清戦争に勝利したのち、宗光は伊藤博文とともに清国代表と話し合いました。そして、この会議で下関条約を調印し、戦争を日本にとって有利な条件で終わらせることに成功しました。しかしその後、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により、遼東半島を清に返還するもやむを得ないとの立場に立たされました。



<ワークシート・第3ページ>

★陸奥宗光になって不平等条約改正の方針を考えてみよう

 不平等条約の改正は、当時の日本人すべての目標であり悲願でした。
 なぜなら、これがある限り日本は西洋の国々から下に見られ、植民地化の恐怖からのがれることはできません。
 つまり、不平等条約の改正は西洋の国々と対等になることの証なのです。
 
 これまで何人もの日本の政治家が不平等条約の改正にチャレンジしてきましたが、失敗に終わっています。では、条約改正を成功させた陸奥宗光はどのような方針で交渉にのぞんだのでしょうか?

A:国民のがまんも限界にきているので、西洋人の国内での行動制限を完全にする。
 そして、すぐに平等な条約の実施を要求しよう。
 (行動制限+すぐ実施)

B:国民のがまんも限界にきているので、西洋人の国内での行動制限を完全にする。
 しかし、すぐは無理なので5年後に実施する約束で、平等な条約を要求する。
 (行動制限+5年後に実施)

C:こちらも歩み寄る気持ちを見せるために、西洋人の国内での行動を自由にする。
そして、すぐに平等な条約の実施を要求する。
 (行動自由+すぐ実施)

D:こちらも歩み寄る気持ちを見せるために、西洋人の国内での行動を自由にする。
しかし、すぐは無理なので5年後に実施する約束で、平等な条約を要求する。
 (行動自由+5年後に実施)


◇上の4つの中から一つ選んで、その理由を書いてみましょう。後で話し合ってみましょう。

 子どもたちの意見分布を見てみよう。

A・・・1組  1人   2組  1人
B・・・1組  0人   2組  3人
C・・・1組 15人   2組 15人
D・・・1組  9人   2組 10人

 主な意見は以下のようなものである。

*A派
「このままにしておくと危険なことがどんどんおきてしまう」


*B派
発言なし


*C派
「行動自由というのは西洋人が言っていたことなので、それをかなえることで不平等条約改正に少し近づくことができる。でも、5年後だと言ったら相手も忘れるかもしれないし、年月が経ってしまって「前のことは前のこと、今は今」みたいなことを言われてしまうかもしないのですぐにする」

「行動自由と引き替えに条約を改正させる。もし、断ってきたら行動範囲を狭くすればいい。犯罪が起きてもずぐに裁けるようにすぐ実施がいい」

「行動を完全に制限してしまうとナマイキだ!と言われて」改正できなくなるし、5年待っているとあっちもいろいろな作戦を立ててしまうから、行動を自由にするからすぐ改正しましょうと持ちかける」


*D派
「5年度に実施にした方が国民も落ち着くだろうし、5年後と言った方が確実に結べると思うから。行動自由の方が西洋の国々も条約改正の話に乗ってきてくれと思う」
「西洋人を自由にしたら、それなら!と言う感じの気持ちにもなると思うから。今すぐだと混乱してしまうので、計画を一度しっかりと立ててからやる方がいい」
「日本も歩み寄る気持ちを見せないと、西洋のことを嫌っているのかと悪く思っているように見られて改正を申し込んだときに断られてしまう。何よりも信頼し合えば言うことを聞いてくれるはず。でも、今すぐは信頼し合うことはできないので、5年後にする」



<ワークシート・第4ページ>

★条約改正に向けての宗光の演説

 宗光のとった方針はDでした。
 宗光は条約改正に向けて国会で次のような演説をしています。

みなさん!
 私は、明治維新以来、政府がとってきた外交上の大方針を明らかにしていきたいと思います。
日本はこれまで開国主義によって国家を進歩させてきました。
明治の始めのころと今の日本を比べてみましょう。
 貿易額は5倍以上になり、陸には鉄道や電線が敷かれ、海には数百もの船が浮かび、軍隊も西洋の国々とひけをとらないほど整備されました。
言論の自由も広がり、いろいろな制度も改良され、学問や技術も進歩しました。
とくに強調したいのは憲法が作られ、議会が開かれて立憲制度が整ったことです。
この20年間の進歩は西洋の国々も世界に例のないことだと驚いています。

さて、外国との交際はギブアンドテイク(あげる・もらうが平等)でなければいけません。
 日本の中にはいまだに「外国人は危険なので日本国内に住まわせるな!」と言っている人がいますが、これは開国主義に反します。
こんなことを言っていたら外国に住む日本人にも同じようなルールが決められて、損をするのは日本人なのです。
「条約を改正したい」と思うならば、このような考え方を改める必要があります。
 外国から条約改正を求めてくるなどということはありえません。
条約改正を成功させるためには、日本の進歩を外国に示すことです。
そして、その進歩は開国主義をとることによって可能になります。
大事なことは、国として受けるべき権利は受け、国として尽くすべき義務をやりとげることなのです。
したがって外交で重要なのは、自分の国を大事にしながら謙虚に行動し、外国人を侮らずそして恐れず、互いに尊敬し合う関係を作ることで文明強国の仲間入りをすることなのです。



児童の感想を紹介する。

*陸奥宗光は不平等条約を改正し、日本を動かした人だと言うことがわかりました。演説を聴いて、私がこれを当時聴いたら絶対納得していたと思いました。

*宗光の言うとおり「互いに尊敬し合う関係を作ることで文明強国の仲間入りをすることです」にはとても共感しました。お互いに尊敬し合うことができたなら、仲良くできるし、そういう条約も改正できるから宗光の演説はとてもすごいなと思いました。

*日本は強いことが世界に認められるのも、遠くないと思う。また、イギリス(最も強い国)に条約を結ばせた宗光は、国民のため、未来の日本のためにやったと思う。


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