授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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板垣退助

■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
「板垣退助」は明治維新の授業(全5時間)の3時間目です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとです。
 全国の先生方、ぜひ追試してみてください!


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           板垣退助

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明治維新の授業はこれが4時間目。
 人物は3人目となる。取りあげるのは板垣退助である。
 まず、肖像写真を掲示する。

板垣退助肖像
板垣1


 次に昔懐かしい100円札を掲示する。子どもたちは興味を示す。

100円札
板垣2


ここで、大久保利通と伊藤博文の出身藩と現在の県名を確認する。そして、板垣退助の出身藩が土佐藩であることを教える。
「坂本龍馬と同じだ」
質問が出る。
「龍馬とは知り合いだったんですか?」
 互いに知っていたかもしれないが、幕末当時は下級武士の龍馬に対して板垣退助は上級武士であり、身分がかなり違ったことに触れる。


<ワークシート・第1ページ>

★下の絵を見て、気づいたことを箇条書きで書きだしてみましょう。

演説会
板垣3


 この絵は「明治会堂演説の図」という。
 中央に弁士がいて大勢の人が演説を聴いている。会場も文明開化らしい雰囲気が漂う。
「建物が洋風」
「電灯がある」
「着ているものが和風なので一般の人なのではないかと思う」
「国会?」
「中心の人が何か発言している」
「大勢の人が集まっている」
「2階にも多くの人がいる」

 これは図の中にある文字でもわかるように「演説会」であることを教える。
 今日学習する板垣退助と演説会には関係があることを伝えて次の学習へ進む。


<ワークシート・第2ページ>

★自由民権運動と板垣退助

①国会(議会)を開け!
 板垣退助は、坂本龍馬と同じ土佐藩(いまの高知県)の出身です。
 退助は、明治新政府の中で大事な仕事をしていましたが、大久保利通たちと意見が対立し、政府から去ってしまいました。
 地元の土佐に戻ると「立志社」をつくり「国民が選んだ議員に政治を任せるべきだ」と主張して、1874年に「民選議員設立の建白書」を政府に提出しました。
 この建白書には「いまの政治は、天皇も国民も関係ないところで政府の役人たちが自分たちの考えだけで進めている。これではいけない。すぐに国民による選挙で選ばれた人たちが話し合う国会を作って、役人が自分たちの考えだけで政治を進めるのをやめさせなければいけない」と書かれています。
 この「建白書」の提出が自由民権運動のはじまりと言われています。なお、「建白書」というのは身分を問わずにだれでもが政府に意見を述べることができる制度のことです。
 
②板垣死すとも自由は死せず
 この自由民権運動の影響もあって、政府は1881年に「国会開設開設の詔(みことのり)」を出しました。10年後にの国会を開くことを約束したのです。退助たち自由民権運動を進めていた人たちの思いが政府に届いたのです。
 新しい政治を進めるためには政党が必要だと考えた退助たちは、国会開設にそなえて,自由党(じゆうとう)を結成し、大隈重信たちは立憲改進党(りっけんかいしんとう)を結成しました。
 退助は自由党の考え方を広めるために全国で演説を行いました。
 岐阜県に行ったときのことです。
 演説を終えて、会場の玄関でくつをはいているときに突然、若い男が短刀で退助の左胸を刺したのです。退助は深手を負いましたが、この男をにらんで「板垣死すとも自由は死せず!」といったと言われています。

板垣遭難図
板垣4
 
③憲法と国会ができた
 自由民権運動は、武力ではなく言論の力で政府を動かそうとして始まったものでした。ところが、この運動にかかわった者の中には役所を襲ったたり、全国各地で事件を起こす者も現れました。こうして運動が過激になることで、運動から離れる人も増え始め、自由党は解散しました。
 その後、1889年に「大日本帝国憲法」が発布され、1890年には第1回の選挙が行われて国会が開かれました。「日本の未来を作ろう!」と自由民権運動を進めた人たちの努力が実ったのです。


<ワークシート・第3ページ>

★あなたも「民選議院設立の建白書」の論争に参加しよう!

 板垣退助たちが出した「建白書」が新聞にのると、民選議院を作ることについて大きな論争が巻き起こりました。下の2つの意見を読んでみましょう。
┌──────────────────────────────────────┐
A:民選議院を作るのはまだ早すぎる!

│ 日本がひとつの国として安定するためには民選による国会が必要なのは言うまでも
│ ありません。
│ しかし、日本は明治という新しい世の中に変わったばかりです。
│  国民は、国を動かすしくみや日本を取り巻く世界のようすを理解しているとは言えませ
│ ん。そんな状態で、日本の将来を決める議員をいきなり選挙で選ぶことができるので
│ しょうか?
│  それよりも、まずは日本の教育を充実させて国民のレベルを上げることが大事でしょう。
└──────────────────────────────────────┘
┌──────────────────────────────────────┐
B:民選議院はすぐに作るべきだ!

│  国民のレベルを上げるためにこそ民選議院が必要なのです。
│  民選議院ができれば国民は自分から進んで国のしくみや世界のようすを知ろうとす
│ るはずです。大事な日本の将来を決める議員を選ぶのですから真剣になるのはま
│ ちがいありません。
│  また、立候補する議員たちは自分から進んで学問をして知識を身につけた人たち
│ ですから心配することはありません。 
└──────────────────────────────────────┘

◇あなたはAとBのどちらに賛成しますか?明治時代の国民になって考えてみましょ う。
後で、みんなで話し合ってみましょう。

 話し合いの開始前と終了後に意見分布を取った。

*A・・・1組 9人→12人  2組 8人→ 5人
*B・・・1組21人→18人  2組18人→21人

 人数分布的にはBが優位なのは変わらないが、話し合い終了後の人数変更には大きな違いが起こった。
 これはA派の「よくわかっていないのに選挙をしたらへんな議員を選んだり、悪い議員に騙されて選んでしまうかもしれない」という意見への理解と共感の違いのようである。
 1組ではこの意見への賛同者が多く、2組ではそれほどでもなかった。

 では、主な意見を見てみよう。

◆A派
「日本は明治という新しい国になったばかりで、新しい日本にまだなれていないかもしれないから、教育を充実させてから民選議院を作った方がよい」

「もし、立候補した人が元武士だったら、まだ頭の中に江戸時代の考え方があるので、危ない。まずは教育を充実させた方がよい」

「いきなり選挙をしたら国が混乱する。悪質な議員が無理矢理自分に投票させるかもしれない。まだ選挙は早い」

「何事にも順序がある。まずは文明開化のことなどをみんながよく理解するためには、日本の教育を充実させて国民のレベルを上げてから金銭議院を作った方がいい。口先だけの議員が出てくるかもしれないから」

「日本はまだまだ外国とつきあいを始めたばかりの国だから、すぐに選挙をしては国民の混乱をまねく可能性もある。でも、自由民権運動の人々も何かを起こすかもしれないから今すぐではなくても早いうちに選挙をしたほうがいいかもしれない」

「新しい世の中ができたばかりなのでそんなに急ぐ必要はない。教育を充実させて、将来日本の役に立てる人たちを創っていければいい」


◆B派
「民選議院ができれば、議員に選ばれようとして演説をして、国民に自分がどんな議員か知ってもらえるし、国民も日本の将来を決められる。明治政府の考え方も変わるかもしれない」

「民選議院ができれば、日本を動かす力が大きくなり、議員の活動も活発になる。また、頼りにできる議員なら国民に苦しくない生活にしてくれるかもしれない。日本を大きく動かす力が今は必要だ」

「だれでも身分を問わずに意見を言えるようになれば、今までは取り上げれなかった国民の意見も聞けるから、いい意見もたくさん出てくるかもしれない。国民の意見を最優先するべきだと思う。国民のレベルが上がってくるまで待っていたらすごい年月がかかってしまうので、待つよりも実戦あるのみ」

「今、立候補する議員は、知識を身につけた人たちなので心配はないと思う。その議員たちを見て次の予備軍を育てればいい」
「新しい日本になったからこそ、新しい民選議院が必要でしょう。心配している暇はないです。早く新しい日本を動かしていかなければ」


<ワークシート・第4ページ>

★言論によって政治を進める

 板垣退助たち自由民権運動を進めていた人たちはBの意見でした。しかし、Aの意見の人たちとどこがちがうのでしょうか?
 じつはAとBの考え方をくらべてみても、ちがいはほとんどありません。
 どちらも、これからの日本は憲法を作り、国会を開くことが必要であることは認めていました。
 ちがいは国会を開く時期だけです。

A派の人たちは「あわてずにじっくりと」作るべきだと考えていました。それに対してB派の人たちは「いますぐに」作るべきだと主張しました。
 結局、政府は10年後に国会を開くことを約束したわけですから、A派・B派どちらの意見も取り入れられたと考えていいでしょう。

自由民権運動は「言論」(げんろん:話し合いや議論すること)によって政治をよりより方向に進めようとする雰囲気を日本に広める役割をはたしました。
 現在の日本では多くの国民が、新聞やテレビ・インターネットなどで政治家の意見を聞いていますが、明治時代の自由民権運動のころから新聞や演説会で政治に関する意見を知る機会が増えてきた、と言ってよいでしょう。

 明治時代に次のような言葉が残されています。

「一枚の紙、数行の字であっても、場合によっては百万の兵隊にもまさる力がある」

「演説は、人の心を励まし、自分の意見を主張したいという気持ちにさせてくれる。それは百万の兵隊と同じような力がある」



子どもたちの感想を紹介する。

「板垣退助の日本のよりより未来を作りたいと言う気持ちが伝わってきました。板垣死すとも・・・はきっと運動する人々に勇気をあたえただろうと思いました」

「板垣退助たち自由民権運動を進めていた人たちは国と国民のことをとても考えていたと思いました。板垣退助の言葉が心に残りました」

「明治時代はほんとうにいろいろあって奥の深い時代だと思った」
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