授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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勝海舟

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編最後の授業です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとです。
 全国の先生方、ぜひ追試してみてください!


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            勝海舟

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幕末の5時間目。
 取りあげる人物は4人目となる。勝海舟である。
 ここまで学習してきた人物をおさらいし、出身藩や現在の何県かを確認する。
 そして、今日は勝海舟を取りあげることを伝える。
 なお、前回まで学習した3人とは違い、勝海舟は幕府側の人間であることを話す。


<ワークシート・第1ページ>

上は荒れる海を進む帆船です。下は勝海舟の写真です。
この2つにはどんな関係があると思いますか?
あなたの予想を書いてみましょう。


咸臨丸
咸臨丸

勝海舟肖像
勝海舟

子どもの予想はおおよそ3つである。
「勝海舟がこの船を造った(設計した)」
「この船の持ち主が勝海舟か?」
「勝海舟がこの船でどこか外国へ行った」
他には
「嵐の中で難破して命を落としたのでは?」
といった予想もあった。


<ワークシート・第2ページ>

咸臨丸と勝海舟

①オランダ語の辞書を丸写しして辞書を2冊作った
勝海舟は貧乏な武士の家に生まれました。名は麟太郎と言います。麟太郎はとくに剣術と蘭学を熱心に学びました。
 蘭学はオランダ語で書かれた本を読めるようにしなくてはなりません。外国語を学ぶためには辞書が必要ですが、60両という高価なものだったので買うことができません。そこで、麟太郎は辞書を持っている医者から借りて、1年かけて58巻もある辞書を手で写しました。しかも、2冊分です。1冊は自分のものにして、もう1冊を売って貸出料の10両を払ったのです。

②幕府に意見を出して注目された
大人になった勝海舟は幕府の役人となりました。ペリーが日本へやってきて開港をせまったときに勝は幕府へ意見書を出しました。それは次のようなものでした。

*身分のこだわらずにすぐれた人物を幕府の役人にすること
*日本を守るために軍艦を作ること
*軍艦を作るための費用は開国して貿易によってまかなうこと
*日本を守るための技術研究所や軍隊の訓練をするための学校を作ること

これらの意見は採用され、実現していきました。

③咸臨丸でアメリカへ
幕府もこれからの日本には海軍が必要だと考えるようになりました。そこで、長崎に海軍伝習所という学校を作りました。
実習で使う本物の蒸気船はオランダが寄付してくれました。また、海軍について教えてくれる先生もオランダから招きました。
 勝はここで航海術・造船学・砲術・測量学・算術・機関学などを徹底的に学びました。その後、幕府の命令で咸臨丸に船長として乗り込んでアメリカへ渡り、西洋の科学技術や社会の仕組みを学びました。日本人による初めての太平洋横断です。

④西郷隆盛を説得した
1864年、幕府は薩摩藩をはじめとしていくつかの藩に長州藩への攻撃を命令しました。幕府と長州藩では国づくりの方向に意見のちがいがあり、長州藩は常に幕府を批判していたからです。薩摩藩は幕府とは意見のちがいはあるものの、過激な行動をとりがちな長州藩に対して批判的だったのです。
 長州藩の攻撃をまかされた薩摩の西郷隆盛は「長州藩を壊滅させて京都から遠い、東北地方へ国替えさせるのがいい」と考えていました。ある日、西郷は幕府側の責任者である勝海舟との話し合いでこの意見を述べました。すると、勝はこう言いました。「いまの幕府には新しい日本を作る力はない。私は早くつぶれた方がいいと思っている。そんなときに、新しい日本のためにがんばっている日本人同士が殺し合っている場合だろうか?」
 これ聞いた西郷は驚きました。幕府側の責任者が「幕府はもうだめだ」と言うのです。ものごとを広くとらえ、日本全体のことを考えている勝海舟の考え方に西郷は感動しました。自分がまちがっていたことに気づいた西郷は、長州藩と話し合い、幕府に謝罪させることで実際に戦うことを避けることに成功しました。


<ワークシート・第3ページ>

江戸総攻撃の情報が伝わった~あなたが勝海舟ならどう考える?

 薩長同盟が成立すると「幕府から離れて自立しよう」「そして藩同士が協力して新しい政府を作ろう」と考える武士が増えはじめました。
 なぜなら、いまの幕府ではあまりにも策がなく日本の危機を乗り越えることはできないと感じていたからです。しかし、いまの朝廷にも政治を進める能力はないのです。

江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜は土佐藩などからの忠告を受けて、政権を朝廷へ返すことを決めました。<大政奉還>です。さらに<王政復古の大号令>が出されて新しい政府の誕生が宣言されたのです。
 しかし、江戸幕府の中にはこれに従わない勢力もありました。また、東北地方を中心に「あくまでも徳川家中心に新しい政府を作るべきだ」という藩がまだたくさん残っていました。
 また、西洋の国々は自分の国から軍艦を呼び寄せて、自分の国の兵士を日本に集めていると言います。
 そんなとき、京都の鳥羽・伏見で新政府軍と旧幕府軍の間で戦いが起こりました。そこで新政府は薩摩藩の西郷隆盛をリーダーにした新政府軍を江戸へ送り、江戸総攻撃を計画したのです。

江戸にいた勝海舟は悩んでいました。

「たしかに役に立たない幕府はなくなってしまった方がよい。しかし、日本の中心地である江戸が戦場になったら、そして日本人同士が真っ二つに分かれて戦ったら、新しい日本にとって困ることにはならないか・・・」


◇あなたが勝海舟ならどんなことを心配しますか?
いろいろなことが考えられます。
あなたの考えを書いて下さい。あとで話し合ってみましょう。


子どもたちからは大別して3つの意見が出た。

①巻き添えになって多くの民が死ぬ
②多くの人材を失ったり、町の復興に多くの時間がかかる
③日本が2つになることで勢力が弱まり、西洋につけいる隙を与える。そして植民地にされる。

「日本という国が日本ではなくなる。二つに分かれてしまい、別々の国になってしまう」

「一つにならなければいけないはずなの日本が中心地である江戸を戦場にして戦争をしたら、関係がくずれてしまう。そして、戦争をすることで日本は弱くなってしまう」

「お互いに勢力が弱まり、西洋の植民地になってしまう。攻撃されても対等に戦えなくなってしまう。西洋の植民地になってしまったら、また悪いことが起きる」

「多くの国民が亡くなってしまう。それに江戸が焼け野原になって住めなくなる。そのすきに西洋の国につぶされてしまう」

「もし、江戸が戦場になり、江戸が火の海になってしまうと、外国に攻めるすきを与えることになってしまう。さらに、江戸にはたくさんの人が住んでいるのだから攻撃されると罪のない江戸住民まで逃げることになる」

「戦うとお互いに日本の力を弱めあうことになって、そこを外国人につけ込まれて植民地になってしまうかも」

「日本の大都市・江戸が戦場になったら、西洋との貿易もできなくなるかもしれない。日本が二つになったら江戸もボロボロになってしまう。江戸に住む西洋人も巻き添えで死んだら、西洋から攻めてくるかもしれない」

 内戦→日本が弱まる→西洋による植民地化、という論理を立てている児童は2クラスともに約3分の1である。これは興味深い結果だ。


<ワークシート・第4ページ>

実現した江戸無血開城

勝海舟はこう考えていたのではないでしょうか。
「この江戸には大勢の民が住んでいる。江戸が戦場になれば民の命と住まいが危険になる。日本の中心地・江戸をいくさの火で壊滅させてはならない。それに、日本人同士が戦う内戦となれば、互いに傷つき力が弱まるだろう。日本をインドや清国のように植民地にしようとねらっている西洋の国々につけいるスキを与えることになってしまう」

 もともと幕府の役人だった勝は旧幕府の代表として新政府軍と話し合うことになりました。新政府軍の代表は西郷隆盛です。
 新政府軍はすでに江戸の一歩手前にあるいまの川崎付近まで軍隊を進めていました。話し合いに失敗は許されません。
 勝の考えは西郷もよくわかっていたのでしょう。会談は成功し、江戸城は血を流すことなく新政府軍に明け渡されました。こうして「江戸無血開城」が実現したのです。新しい日本にとって最悪の事態は回避されました。

 しかし、戦いがまったく行われなかったわけではありません。江戸では小規模ではありましたが戦闘が行われ、東北でも新政府軍と旧幕府側の戦いが行われました。
 これを<戊辰戦争>と言います。
 どちらも新政府軍が圧勝し、旧幕府勢力は完全になくなりました。

 授業後の子どもの感想文を見てみよう。

*今日の授業では勝海舟という人はとてもすばらしい人だと知りました。勝さんが新政府軍と旧幕府軍の戦いを止めたのはすばらしいことで、日本を救ったと言ってもまちがいではないと思いました。

*勝海舟は幕府の役人だからといって幕府側ではなく、今後の日本のために公平な立場で話し合ったのがすごいな、と思いました。

*勝海舟は幕府の役人なのに、わざわざ新政府のために江戸城を明け渡したのがすごいと思いました。勝海舟の行動こそが、江戸時代以降の日本の国づくり役立ったのだと思いました。

*昔の日本は西洋の国々に植民地にされないようにするために知恵を出し合っていたんだなと思いました。

*勝海舟のおかげで、日本の未来が守れたんですね。もし、勝がいなかったら、今、日本は日本でなかったかもしれないですね。


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