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坂本龍馬

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編の第5弾です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとですね。
 全国の先生方、ぜひ追試してみてください!


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                  坂本龍馬

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幕末人物学習の3人目は坂本龍馬である。
 ふところに手を入れて斜め前方を見つめる有名な写真を提示する。

<ワークシート・第1ページ>

坂本龍馬の写真を見て気づいたことを箇条書きで書き出してみよう。

坂本龍馬肖像
20151030223211597.jpg


 子どもの気づきを見てみよう。

「何かを見つめているみたい」

「目を細めていて、まぶしい?」

「台によっかかっている」

「髪の毛がもじゃもじゃで丁髷がない?」

「刀を差しているけど短いので脇差?」

「険しい顔をしている」

「靴を履いている?」

「服の中に手を入れている」

 以上のような意見が出てきた。これらに教師の知っているエピソードを付け加える。
*昔の写真は写すのに時間がかかるので、台に寄りかかってる。
*龍馬は近眼だったので、目を細めているらしい。
*龍馬はブーツを履いていた。
*龍馬はくせ毛だった。丁髷が結いにくい。
*檜垣源之介との龍馬の持ち物エピソード・・・小刀→ピストル→法律の本(万国公法)
*なお、ピストルは高杉晋作に清国に行ったときのお土産としてもらったらしい。

『では、龍馬はどんなことをした人なのか?調べてみよう』



<ワークシート・第2、3ページ

海援隊を作った坂本龍馬

①少年時代は泣き虫だった
龍馬は土佐藩(いまの高知県)の身分の低い武士の家に生まれました。龍馬のお父さんは才谷屋というお店を経営するお金持ちの商人でしたが、武士の資格を得ていたのです。子ども時代の龍馬は人前に出るのが苦手な性格で泣き虫だったと言われています。しかし、剣術に打ち込むようになると自分に自身が持てるようになりました。18才のときにはさらに剣術の腕をみがくために江戸で修行することになり、江戸の道場で北辰一刀流を学びました。この江戸修行中に黒船が来航したのです。

②勝海舟の弟子
若いころの龍馬は「剣の腕さえあえば西洋人などたいしたことはない」と考えていたようです。ある日「開国して西洋から学ぶべきだ」と考えている勝海舟に興味を持ち、訪ねました。龍馬はアメリカに行った経験のある勝の話を聞けば聞くほど自分の考えがいかに小さいものだったか気づかされました。感動した龍馬は「新しい日本を自分の手で作りたい」と勝海舟の弟子になりました。

③海援隊を作った
勝海舟の影響を受けた龍馬は、海に囲まれた日本が西洋に立ち向かうためには海を移動しながら戦える海軍が必要だと考えました。そこで、神戸にできた海軍操練所で航海術を学んだのです。その後、海と船に関する知識と技術を利用して亀山社中を作りました。亀山社中は貿易などで資金を作り、必要があれば戦いに参加する会社+軍隊のようなグループです。この亀山社中がのちに海援隊となりました。

④船中八策
龍馬は新しい日本の姿を八ヶ条にまとめています。これは船の中で作られたので「船中八策」と呼ばれています。ここには、天皇中心にすること・憲法と国会を作ること・条約を整えて外国と対等につきあうこと・日本が不利にならないように外国とお金の交換をすること・強い海軍を持つこと、などが書かれています。
 

ここで龍馬に「なってみる」学習に入る。


あなたが龍馬なら、どう説得しますか?~龍馬になって考えよう!

 龍馬は、日本の将来のためには幕府を倒し、新しい政府を作るしかないと考えていました。それを実行するためには、強大な幕府に対抗できる力が必要です。
 それを可能にするには長州藩と薩摩藩の二つが一つになって対抗するしかありません。しかし、どちらも「自分からは協力しようなんて言えない」と言うのです。どうしてなのでしょう。二つの藩の人たちの意見を聞いてみましょう。

<長州藩(ちょうしゅうはん)さん>
 とにかく西洋の侵略をはねのけて日本の独立を守らなければいけない。西洋人に侮られてはいけないんだ。だから、われわれ長州藩は「馬関戦争」では勇気を出して単独でイギリス・フランス・アメリカ・オランダの四カ国と戦ったのさ。たしかに、こてんぱんにやられて、今の力では西洋にかなわないことがわかった。西洋から学んで強くなる必要があることに気づいたよ。そこは、薩摩藩と同じ考えだ。
 でも、薩摩とは協力したくないね。あいつらは幕府と相談して、われわれを裏切った。「禁門の変」のときは京都で薩摩藩に俺たちの仲間がたくさん殺されているんだ。
 それに今は幕府ににらまれているから自由に貿易もできない。船や鉄砲を買いたいのに長州の名前では買えないんだ。
 俺たちが日本を天皇中心の国にしたいと思っているのは知っているだろ。それなのに幕府の計略で天皇にも誤解され、悪者扱いされている。正直に言うといま苦しいよ。

<薩摩藩(さつまはん)さん>
私たちも「薩英戦争」のときに単独でイギリスと戦い、こてんぱんにやられた。これからは西洋という敵から学んで強くなって西洋の侵略から日本の独立を守るしかない。そこは長州藩と考えていることは同じだね。
 でも、長州藩は深く考えずにすぐに行動しようとして周りの仲間に迷惑をかけていると思う。「禁門の変」のときはとても仲間としていっしょにはやっていけないと思ったから、幕府側の味方になったのさ。俺たちの仲間だって長州藩に殺されたやつはいるんだよ。
私たちの藩は今とてもうまくいっている。幕府を助けてやったから、幕府に対して強く意見も言えるし、天皇の信頼も得ている。
貿易も好調だ。蒸気船を9隻も買いそろえてあちこちと商売をしている。外国とも取引しているから最新式の鉄砲だってかんたんに買うことができるよ。


◇あなたが龍馬なら長州藩と薩摩藩のどちらから「協力しよう」と言わせますか? また、どんな言葉で2つの藩を説得しますか?

 『では、最初に長州藩・薩摩藩のどちらから「協力しよう」と言わせた方がうまくいくと思うか決めて下さい』
 1分ほど時間を与えて立場を決める。
 
 以下のような人数分布となった。

*A:長州藩から言わせる・・・1組  9人  2組  6人

*B:薩摩藩から言わせる・・・1組 16人  2組 22人

 理由を聞いてみた。

*A
「薩摩藩の方がうまくいっているので、長州から言った方が受け止めてくれやすい」
「薩摩は1回裏切っているので、自分からは言いにくいのではないかと思う」

*B
「薩摩藩は貿易などがうまくいっているので、鉄砲などを売ってあげるから・・・など仲良くすればいいことがあるよと言える」
「薩摩は天皇の信頼があるから言いやすい。長州も天皇に認めてもらいたいはずだから」



『長州藩代表は桂小五郎。薩摩藩代表は西郷隆盛です。ようやく2人は顔を合わせることができた、としましょう。しかし、まだ自分からは言い出せないようです。その真ん中に龍馬がいます。さて、どんなセリフで2人を説得したでしょうか?考えてみましょう』

 数分後、話し合いをする。
「2つの藩が協力すれば長州は武器や船が買えるようになるし、薩摩藩は味方が増えて幕府を倒せる・・・とどちらも得することがある」

「日本はいま独立しなかればいけない。2つの藩とも同じ意見だ。日本のことを考えているならぜひとも虚力すべきだ」

「西洋から学んで日本の独立を守ろうという共通点はあるのだから、その考えを中心にして協力して仲間直りして幕府を倒し、新しい政府を作るべき」

「長州・薩摩とも単独で幕府に戦いを仕掛けたら、きっと以前のイギリスなど西洋との戦争と同じになってしまう。手を組んで新しい政府を作り、西洋に負けない国づくりをしていくべき」

「いまは日本が危ないんだ。日本がつぶれたらどちらの藩もつぶれてしまう。協力して日本を強くすべきだ」

「みんなで力を合わせなければ西洋には勝てない」

「自分たちの違う部分、共通していない部分ばかり強く感じてしまっている。逆に共通している部分、同じ考えを生かせばいい。長州も薩摩も日本の独立を守りたいのだから、それは協力すればかなう。協力して日本をこの手で作り、夢をかなえよう」

「同じ考えだし、同じ日本人なんだし、幕府を倒せばどちらももっと強くなれる。そうすれば西洋と同じになれる。日本ことをもっと考えてほしい」

「幕府を倒して、この日本を変えるぜよ!」

「西洋人たちに対抗するには日本という国で立ち向かうのが一番いい。それに幕府を倒せば、幕府の持っているものがすべて手に入って力にすることができる」


<ワークシート・第4ページ>

薩長同盟を成功させた龍馬の活躍

1866年に薩摩と長州は「薩長同盟」を結びました。
 これによって幕府と対等に戦う力が生まれ、倒幕が可能になったと言っても言い過ぎではありません。
しかし、この同盟を結ぶ話し合いはそう簡単には進みませんでした。薩摩藩も長州藩もそれまでのいきさつからなかなか自分から同盟を結ぼうと言い出せなかったのです。
 しかし、憎しみを乗り越えて、大きな目的のために協力しなければ歴史はかえられないのです。
長州の桂小五郎の回想によれば、龍馬は次のように話したと言われています。

「自分が長州と薩摩のためにがんばってきたのは、薩摩のためでもないし長州のためでもない。日本のことを思うからだ。日本の将来を考えると夜も眠れない。せっかく薩摩と長州の両方のリーダーが顔を合わせているのに何も決められないというのは理解できない。わだかまりを捨てて日本の将来のために深く話し合ってほしい」

龍馬は苦しい立場にある長州の気持ちを考えて「薩摩の方から話を切り出してほしい」と西郷隆盛に頼んだようです。
薩長同盟の第6条にはこう書かれています。
「開国以来、危険が増している日本を建て直し、西洋の力に対抗して日本の独立を守るために薩摩藩も長州藩も力を合わせて全力でがんばろう」

1867年11月15日。龍馬は京都の近江屋というところに泊まっていました。そこへ、数人の武士が突然現れて二階にいた龍馬に突然襲いかかりました。いきなり斬りつけられた龍馬は刀のさやで防ぐのが精一杯で、高杉晋作にもらっていたピストルを使うひまもなく殺されてしまいました。33才という短い生涯でした。犯人がだれでどんな目的で龍馬をねらったのかは、現在も謎のままです。

 最後に子どもたちの感想文をいくつか紹介する。

*龍馬は2つの藩を説得したすごい人物なんですね。本当に勇気がなければできないと思うので、龍馬の堂々としたところに感心しました。

*日本のために坂本龍馬は努力したことがわかった。殺されてしまったけれど、薩長同盟を結ばせたことで、当時の日本の未来を変えたはずだと思います。きっと長州藩も薩摩藩も倒幕を実現しようと考えただろうな、と強く思います。

*またもや33才で殺されてしまいましたね。龍馬は説得力があって話が上手だったと思います。後は西郷さんと桂さんにまかせるだけですね。

*坂本龍馬が日本を大切にしていたことがわかってよかった。今日も龍馬になってみようで色々考えられて楽しかったです。

*薩長同盟によって幕府がだんだん崩れていくのがわかりました。

*坂本龍馬がいなければ、薩長同盟がなくて、幕府は永遠に続き、西洋人にかなうことができないまま、不平等条約が改正できなかったり、日本が真っ二つに分かれたままだったから、すごいことだと思った。

*龍馬の勇気ある行動!剣術を磨きついに北辰一刀流を身につけたというこの努力!そして何よりも龍馬のセリフ!もう龍馬にしびれます。


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