授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

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高杉晋作

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編の第4弾です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとですね。
 全国の先生方、ぜひ追試してみてください!


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                高杉晋作

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幕末の学習の第4時である。
 『では、幕末の人物学習の2回目です』  
  人物学習は吉田松陰に続いて、2人目となる。
  なお、毎回「前時は誰の学習をしたか」「その人物はどこの藩出身か」「その藩は今の何県か」を子どもに確認する。
  また、吉田松陰から勝海舟までの4人の学習は共通の課題を児童に提示している。

 <幕末の武士は日本のためにどのような行動を取ったか調べよう>
というものである。
これも毎回、黒板に掲示して確認する。

<ワークシート・第1ページ>

 ★この2枚の写真はどちらも高杉晋作です。気づいたことはありますか。 
 高杉晋作肖像①
高杉1

高杉晋作肖像②
高杉2

子どもの気づきは以下のようなものである。
「剣道の格好をしている」
「丁髷がある写真とない写真の両方がある」
「刀を差しているので武士だろう」
「服に家紋が付いている」
「まじめそうな感じ」

『高杉晋作は吉田松陰の弟子です。どんな人なのか調べてみましょう』


<ワークシート・第2ページ>

★魔王と呼ばれた高杉晋作

①将来を期待されていた
晋作の生まれた長州藩の高杉家は、戦国時代のむかしから殿様の毛利家に仕えている由緒正しい家柄で、高杉家だけではなく殿様からも将来を期待されていました。
 7歳ごろから藩校の明倫館で学び、12歳ごろからは兵術や弓・槍・剣道に熱中しました。

②負けず嫌いだった
明倫館で学んでいた晋作はこれだけではあきたらず、19才で吉田松陰の「松下村塾」に入門しました。そこには一つ年下の久坂玄瑞がいました。玄瑞は松陰先生も絶賛する秀才です。負けず嫌いの晋作は猛勉強を始め、他の生徒も一目置く存在となりました。
 その後も玄瑞と晋作の二人はよきライバルとして松陰先生を支えていきました。

③幕府との戦いで活躍
 1866年、晋作の長州藩と幕府の間で戦争が始まりました。日本の中で「尊皇攘夷」のリーダーシップを取っていた長州藩が幕府打倒の旗印をかかげたからです。これを「長州戦争」と言います。晋作も船を指揮して幕府軍を打ち破りました。
幕府軍は数ではまさっていましたが、意見が一つにまとまっていませんでした。また、戦国時代からあまり変わらない旧式の装備でした。これに対して長州軍は武士だけでなく民までもが一つにまとまり、西洋から最新式の鉄砲や船を購入していました。

④魔王
 長州藩は自分たちの藩たった一つで無謀にもイギリス・フランス・アメリカ・オランダの四カ国連合艦隊と戦争をしたことがあります。結果は完敗です。
 晋作は、このときの戦争後の話し合いの代表に選ばれました。長州藩は負けた側ではありましたが、晋作は臆することなく相手側と対等に議論しました。このときの晋作のことを相手側の外国人通訳は「まるで魔王のようだった」と記録に残しています。

⑤結核で亡くなる
長州戦争の終わりごろから晋作は体調がすぐれませんでした。肺結核にかかっていたのです。肺結核は当時は不治の病でした。無理な行動をくり返したため、急激に悪化したのです。
晋作は29才という若さで惜しまれながら亡くなりました。

 ここで感想を聞くと
④の馬関戦争のことが話題となる。
 西洋が圧倒的に強い、という情報をここまで与えてきているので長州というたった一藩で四カ国連合艦隊と戦争をしたことに驚いていた。


<ワークシート・第3ページ>

★高杉晋作の日記を読んで考えてみよう

1862年4月。
 晋作は千歳丸という船で清国の上海へ4ヶ月におよぶ海外視察へ出かけました。もちろん、海外へ行くのは初めてのことです。晋作はこのときのことを日記に書きとめ『遊清五録』という本に残しています。
この日記の中から4つのエピソードを読んでみましょう(なお、小学生にもわかりやすくするために言葉や文章を変えたり、付けたしたりしています)。
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   高杉晋作は、下の4つのエピソードの中でどれにいちばん
ショックを受けたと思いますか? 一つ選んで理由を書いて下さい。
また、ショックを受けた晋作はこれからの日本はどうするべきだと考えたでしょうか?

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①5月6日
 ようやく上海に到着。ここは清(中国)でいちばん大きな港のはずなのだが、泊まっているのはヨーロッパの商船や軍艦ばかりである。船の帆柱がすごい数なのでまるで森のように見える。陸にはこれもヨーロッパの商館の白い壁がえんえんと続いていてまるでお城のようだ。

上海の港
高杉3


②5月13日
 イギリス領事館から少し離れたところにガーデンブリッジという橋がある。この橋は今から7年前に一度こわれたらしい。ところが清国人には橋を直す力がなかったので、イギリス人がこの橋を作り直した。そこで清国人はこの橋を通行するたびにイギリス人にお金を支払わなければならないという。

③5月21日
清国人はことごとく西洋人にこきつかわれている。イギリス人やフランス人が町の中を歩けば、清国人はみんなはじによって道をゆずりビクビクしている。ここは清国の町のはずなのにイギリスやフランスの町のようだ。

④6月17日
午後、イギリス人が守っている砲台を見学し、イギリス製の最新式のアームストロング砲を見た。現在、わが国が使っている大砲はほとんどが筒先から玉薬を入れるが、この大砲は手元から玉薬を入れる。だからとても便利だ。図に書き残しておこう。
 

子どもたちの主な意見を見てみよう。 
なお、人数分布は以下のようになった。

①・・・1組 0人  2組 0人
②・・・1組 4人  2組 4人
③・・・1組15人  2組20人
④・・・1組 4人  2組 6人

②派
「これからの日本は、何か壊れたらすぐに直し、外国人に頼りすぎない方がいい。外国人を自由にしたら清のように通るたびにお金を取られるかもしれない」

「清国人が橋を直せなくて、それをイギリス人が直したのは親切かもしれないと思う。でも、お金を取ることはない。日本は何かを直したらお金を取るケチくさいことはしない国造りをしよう」

「もともとは清の橋なのに、イギリスが直しただけで清の民からお金を取るか?普通に対等に過ごせばいいのに。日本は、こんなことがないようにしたい。全員対等に暮らせる国づくりがしたい」

「清国人が直す力がないということで、イギリスに頼み、作ってもらったとはいえ、通行する人がお金を支払わなければいけないというのはあまりに卑怯だ。日本はこういうことが起きないように自分たちの力を付けなければいけない」


③派
「この頃の日本人は植民地にされたくないと思っている時だったから、植民地にされたらこんなひどいことになるんだって思い知らされている感があってショックで、日本は弱くても堂々と強そうにするべきだと考えたと思う」

「清国人がことごとく西洋人にこきつかわれているところがショックを受けたと思う。もしも、これが日本人だったら耐えられないし、自分の存在を見失う」

「清の人たちはもう、自分たちの居場所がなくなってしまっている。自分の国なのに普通の生活ができない。これからの日本は西洋に負けたとしてもちゃんと自分たちの意見を言うべきだ」

「清国人が簡単にやられてイギリスやフランスの国のようになっているから、これからの日本は清国人と同盟を結んで、イギリス・フランスを倒す」

「日本が開国したらこうなるのではないか、と思った。③から④の日にちが空いているのでショックすぎて他のことを書けなかったのではないか」

「ここは清の国なのにまるでイギリスやフランスの国みたいになったらとてもいやだと思う。これからの日本は外国人に恐れずに立ち向かっていくことが大切だと思う」

「清の土地は清国人のもののはずなのに、西洋の人たちが清を西洋の一部分と勝手に決めつけて住んでいる。これから日本は、聖徳太子と同じように西洋の国とも対等につきあうべきだと思います」

「西洋の植民地になるのはこわい。まるで自分たちの国が他の人々の国のようだ。日本はどうやってでも植民地になるのを防がなければ!日本は日本としてこのまま行きたい。何か方法や対策を練らなければ。独立する!」


④派
「今の日本は、筒先から入れるから時間がかかるのに、イギリスのは手元から入るから負けるのは当たり前だと思う。これからは日本もイギリスから最新式の大砲を買って、研究を重ねるべきだ」

「日本の大砲とは比べものにならないから、戦争を仕掛けても絶対に負けてしまう。これからの日本は、もっと兵術を改良すべきだ!これでは戦争を仕掛けられたら植民地だ」

   ***

 晋作は「これが一番ショックだ」とは書き残していない。
 ここでは自分が晋作だったらという観点で幅広く意見を出してもらう。しかし、どの項目を選んでも子どもたちの意見には「植民地化への恐怖」が述べられている。考えられる対策も具体性のあるものではないが「侮られてはいけない」「軍備の充実」の2点が提案されている。


<ワークシート・第4ページ>

★上海から帰った高杉晋作はどうしたか?

 上海から帰った晋作は次のように言っています。
「清国の上海の状況を調べたり、北京の情報を聞くと、わが国・日本も植民地化されないような策をすぐにでも打たなければ清国と同じようになってしまうだろう」
晋作が言う「策」とはどんなものでしょうか?
┌──────────────────────────────────────┐
日本人が独立の心をもち、西洋に負けない軍備を充実させること
└──────────────────────────────────────┘
 晋作は帰国すると独断でオランダから蒸気船を購入する契約を結びました。また、今回の航海でイギリス人から実地に学んで航海術を身につけ、くわしい日誌をつけています。そして、軍艦や大砲を国内で作ることができるように西洋の技術を学ぶ必要性を訴えました。
 さらに、晋作は奇兵隊(きへいたい)という新しい軍隊を作りました。武士の上下関係よりも、その人の持っている実力を重視し、武士でなくてもやる気のある者は農民でも入隊を許可したのです。 
 外国と戦うためには武士だけでは足りません。人口の90%をしめていた民の力も必要になっていたのです。奇兵隊には入隊希望者が次々と押しかけました。この後、長州藩では、遊撃隊・御楯隊・八幡隊・お相撲さんによる力士隊などさまざまな軍隊が400以上結成され、活躍しました。

 
 学習後の感想文を紹介する。
*晋作の奇兵隊から軍隊が結成されて活躍したと言うことは軍隊のもとは晋作なんですね。晋作の心構えも、軍隊の結成も、勇気がなければできなので晋作はすごい人だとわかりました。

*一番印象に残ったことは、晋作の日記です。西洋人の力が強くて、みんなが怖がっていたことが改めて伝わってきました。そして、「日本人が独立の心を持ち、西洋に負けない軍備を充実させること」・・・この言葉と奇兵隊を作るという考えがすごいと思いました。

*晋作はこんなにも策を練り、日本が植民地になることを誰よりも心配していたはずなのに29才という若さで死んでしまうなんて、どうして大きなことを成し遂げたり、有名になって活躍したりする人は若いうちに死んでしまうのだろう?と歴史の勉強をしていていつも思います。神さまぁ・・・」
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