授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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吉田松陰

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編の第3弾です。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとですね。
 全国の先生方が追試してくださいますように!

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           吉田松陰

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 幕末の人物学習である。
  第1回目は、吉田松陰を取りあげる。幕末人物学習の共通課題は「幕末の武士たちは日本のためにどんな行動を取ったか調べよう」であるが、吉田松陰の授業では当時の武士たちの共通の行動指針となった<尊皇攘夷>の考え方を知ることが大きな目的になる。また、同時にその思想を支えていた「国家」意識の芽生えを感じ取らせることも重要な指導事項である。

  ワークシートを配布して氏名等を書かせた後、松陰の2枚の肖像画を見せる。

<ワークシート・1ページ目>

★どちらも吉田松陰の肖像画です。気づいたことを書き出しましょう。

吉田松陰肖像①
松陰1

吉田松陰肖像②
松蔭2

 子どもたちは以下のような気づきが出された。
*本があること
*刀(脇差)があること
*丁髷を結っているので武士であること
 に気づく。その他に松陰の風貌について
*鼻が長い



『では、吉田松陰はどんな人だったのか調べてみましょう』 

<ワークシート・2ページ目>

★アメリカへ渡ろうとした吉田松陰

①11才で殿様に教える
 1830年8月、松陰は長州藩の武士の子として生まれ、幼いときから山鹿流兵学を学びました。なんと松陰は11才で長州藩の殿様にこの兵学の授業をしました。その授業があまりにもすばらしかったので大人たちを驚かせました。

②西洋の兵学を学ぶ
 しかしアヘン戦争で清がイギリスに大敗したことを知って山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感すると、西洋の兵学を学ぶために九州へ行ったり、江戸に出て勉強を続けました。

③アメリカへ密航をくわだてる
 1853年、ペリーが来航すると浦賀へかけつけて黒船を視察し、西洋文明のレベルの高さに驚き、西洋への留学を決意します。しかし、当時は鎖国の時代です。日本人が海外へ行くことできません。そんなことをすれば重い罪になります。
 翌年、再びやって来たペリーの黒船に乗り込むために、弟子の金子重之輔と二人で、海岸につないであった漁民の小舟で黒船にこぎ寄せました。幕府には秘密でアメリカに渡ろうと密航を計画したのです。しかし、ペリーに乗船を断られました。
 ペリーはこのときのことを日記にこう記しています。
『4月25日。午前2時。
 私たちの船に2人の男が近づいた。通訳を出してその男たちの要望を聞いたところ「アメリカへ連れって行ってほしい。世界を見て自分の考えを深めたいのだ」と言う。しかしそれは今の日本では犯罪になるので引き返してもらった。それにしても、知識を求めるためなら命もおしくないというこの2人は道徳的にも知的にも高い能力を持っている。このような若者たちがいるこの国の将来はたいへん有望だ』

④松下村塾
 この事件でとらえられた松陰は、長州へ帰され、野山獄という牢屋に入れられました。その後、許されて獄を出た松陰は松下村塾を開き、のちに日本を支える優秀な弟子たちを育てました。なお、松陰は一方的に自分が弟子に教えるだけではなく、弟子といっしょにに意見を出し合いました。「キミ」「ボク」という言葉も松陰が使い始めました。

松下村塾①
松蔭3

松下村塾②
松蔭4


⑤松陰の最期
 その後、松陰は再び幕府の考え方を批判しました。
 その結果、松陰は幕府に捕らえられ、江戸に送られて斬首刑となりました。30才でした。

 子どもたちは、幕府の手により30才で斬首されたことに大きな衝撃を受けていた。これはのちの意見形成に大きな影響を与えることになる。




<ワークシート・3ページ目>

★松下村塾の話し合いに参加してみよう

以下は先生の考えた架空の話し合いです。

 松下村塾では毎日のように松陰の弟子たちが「これからの日本はどうすればよいか?」について熱心に話し合っていました。
今日の話し合いは、松陰が次のように投げかけることで始まりました。

『アメリカ・イギリス・ロシア・・・どこの国も「国」としてひとつにまとまり、巨大な力をもってこの日本に迫っている。ボクが思うには、このままでは日本は西洋の植民地にされてしまう。ところが、わが国はいまだに「オレは長州藩だ」「私は薩摩藩だ」と自分の「藩」にこだわっている。とても「国」としてまとまっているとは言えない。キミたちはどうすればいいと思いますか?』

<弟子Aさん>
とにかく今はオールジャパンでこの危機を乗り越えなければなりません。それにはリーダーが必要です。いくら「だらしがない」と言ってもいまだに日本でいちばん大きな力を持っているのは幕府です。しっかりした考えを持った人が幕府にもいるはずだから、その人たちに働きかけて幕府を改革してリーダーを続けてもらいましょう。そして、いまのまま幕府のリードで開国を推進するのです。貿易でもうけたお金と「敵」である西洋から学んだ知識で西洋に負けない国づくりを進めるしかありません。

<弟子Bさん>
オールジャパンは私も賛成です。しかし、いまの幕府に改革などできるのでしょうか。それよりも天皇にリーダーになってもらいましょう。昔から日本は天皇を中心にまとまってきました。こんな危機だからこそ天皇中心の国づくりが必要です。この意見に賛成の武士たちが集まって幕府に代わる新しい政府を作るのです。そして、新政府がリードして開国を推進します。Aさんの言うとおり西洋に負けない国づくりを進めましょう。

<弟子Cさん>
 もちろん私もオールジャパンが必要だと思います。Bさんと同じくリーダーは天皇になってもらうことに賛成です。しかし、そうカンタンに開国を進めてよいのでしょうか?貿易を始めれば、あっという間に日本は西洋に飲み込まれてしまうでしょう。すでに物価が上がり、民は生活が苦しくなっています。生活が西洋化することで日本の伝統文化も消えてしまう可能性もあります。まだまだ西洋人を日本で自由に行動させるのは制限するべきです。あせってはいけません。


◆あなたはどの意見に賛成ですか? A・B・Cからひとつ選んでその理由を書いて下さい。
児童の意見分布を見てみよう。

A・・・1組 1人  2組 0人
B・・・1組 14人 2組13人
C・・・1組 11人 2組16人

主な意見を見てみよう。

A派
「これまで頑張ってきた幕府を倒すのはよくない」


B派
「昔から日本は天皇中心の国づくりをしたきたのだし、Cさんのような小攘夷をしていると国と国との争いが起きて、結局負けて植民地にされる。それなら、人が死なない開国の方がよい」
(なお、この児童は話し合いの中で「今のままでは幕府がリーダーの日本は弱いと思われているので、新しい政府を作ってイメージチェンジすれば西洋の国も見方が変わるのではないか」という意見を出していた)

「もう幕府はダメだと思います。だから、昔のように天皇中心でいきましょう。開国もした方がいいと思います。今は西洋人から色々と技術を教えてもらって、仲間になり、物価を下げられるようにすればいいと思います」

「どこの国でも強いリーダーが国をまとめています。もう、幕府の力は衰えているので、これからの重要な判断は天皇にまかせ、藩をなくせばさらに国はまとまります」
(この児童は話し合いの中で「藩を作ったのは幕府だから藩をなくして一つにまとめるためには幕府を倒す必要がある」と発言)

「幕府は鎖国をしていたので西洋とつきあうことには賛成はしないだろう。天皇なら昔の日本のやり方で西洋の国とつきあってもいいと許可すると思う。そこで天皇と手を組んで賛成する武士たちで倒幕して新しい国づくりをしたほうがよい」

「天皇中心の国づくりは本当に昔からやってきていることなので、天皇がリーダーになるべき。開国すれば、さらに西洋の国の知識が増えて、海外との親善も深まる」


C派
「リーダーを天皇にするのはよい考えだと思う。でも、日本の文化がすべて西洋風になって消えてしまうのはよくない。キリスト教が入ってくれば、日本の神様がなくなってしまうかもしれない」

「幕府には改革はできない。開国を焦ると民が生活できなくなって、西洋につぶされてしまう。お金がどんどん外国に流れて日本が弱くなってしまう可能性もある」

「日本は昔から天皇中心だったので、天皇中心に賛成です。そして、焦らずにまずは日本をしっかりさせてから開国した方がいいと思います」

「いちばん数が多いのは民です。しかも、何年も続く伝統文化を絶やさないようにするのも今の人の使命です」

「日本なのに時の流れに流されて日本の文化をなくし、西洋の文化を広めるというのはおかしい。自分たちにしかない文化を高めて、日本は西洋に負けないぞ、ということをアピールしたほうがよい」

「藩ではなく国全体でまとまらなければいけない。昔からの日本の考え方ならまとまれる。だから大切。天皇中心でいいと思う。これからも日本らしく行くためには開国はまだ早いかなと思う。日本という国としてまとまるべきだ」


  佐幕派はたった1人となってしまった。前回から比べて大きな変化である。これは松陰を斬首刑にしたのが幕府であることが大きく影響していると思われる。

  話し合いが終わったら
『では、松陰の考え方を見てみましょう』
と言って4ページ目を読む。



<ワークシート・4ページ目>

★吉田松陰の考えた日本の未来

 では、松陰はどう考えたのでしょうか?
 松陰は長州藩の殿様に自分の意見を提出しました。その『将及私言』という本の中でこう書いています。
┌──────────────────────────────────────┐
│  最近、よくこんな意見を聞くことがあります。
│ 「もし、西洋が攻めてきたら、江戸は幕府の土地だから、幕府を守るやくめの旗本と
│ 徳川家の親藩大名、昔から徳川に仕えている譜代大名が守ればいいだろう。
│ そして、私たち長州藩のようにその他の藩はそれぞれの自分の藩を守ればいいはずで、
│ 江戸を守るために幕府に力を貸す必要はない。
│ これは本当に大事なことがわかっていないダメな意見です。
└──────────────────────────────────────┘
 西洋の国々は「国」というまとまりで大きな力をつけています。
ところが、当時の日本人はいまだに「藩」という小さい単位でしか世界を見ていませんでした。
日本という「国」の「日本人」として考え、行動し、まとまらなければ西洋の植民地にされてしまいます。

 そこで、松陰は日本人が一つにまとまるために次のように考えました。

①尊皇(そんのう)
 古来から日本は天皇を中心にまとまってきた。これが他の国にはないわが国の特徴だ。だから、日本が他の国と対抗するためには天皇を中心にまとまるべきだ。

②攘夷(じょうい)
 たしかに西洋の国々はすごいし、学ぶべきこともたくさんある。しかし決してビクビクして侮られてはいけない。言うべきことははっきり言わなければ いけない。すべての国と対等につきあえるように堂々と行動しよう。

 こうした松陰の考え方を「尊皇攘夷」と言います。幕末の武士たちはみんなこの考え方で行動するようになっていきました。
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