授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戦争犯罪と日本の敗戦

◆御礼◆
『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(授業づくりJAPANさいたま)をご注文いただきありがとうございました。
7月4日の発行以来1ヶ月で、北は北海道から南は沖縄石垣島まで、およそ400冊を発送させていただきました。その中にはたくさんの小中高校の教職員の方が含まれていました。これほどたくさんの先生方が歴史教育のことを真剣に考えていらっしゃることがわかり大変勇気づけられました。
学習指導要領の目標を実現できる歴史教育が、全国の義務教育学校に広がっていきますことを願ってやみません。
少しでも前進できますよう、たくさんの力を合わせて参りたいと思います。
またほんしょについてのご意見ご感想をお寄せいただけますよう心よりお願い申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
★メルマガ
 「授業づくりJAPANの『日本人を育てる授業』」
  の購読申し込みをお願いします。
★メルマガ授業づくりJAPAN★
授業づくりJAPANの日本人を育てる授業 
     ↑クリックしてアドレスを入れてください。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

教育・学校 ブログランキングへ
クリックお願いします!


№65
世界の中の日本 12  【 昭和 8 】
「戦争犯罪と日本の敗戦」


【授業の意図】
・用語「戦争犯罪」を教え、第二次世界大戦中最悪の戦争犯罪が、日本の全国諸都市への無差別爆撃(東京大空襲など)と2発の原子爆弾投下だったことを教える。シベリア抑留の捕虜虐待も取り上げたいがここでは省略した。
・日本がポツダム宣言を受け入れて降伏し、停戦協定が結ばれたことを教える。
・この授業は、服部剛先生(横浜)の3つの授業「東京大空襲」「日本が降伏しなかったから原爆を落とされた?」「戦争犯罪」(自由主義史観研究会HP)に基づいています。

【授業の流れ】

1 戦争犯罪

『昔は(ある意味では今も))政治的な紛争が外交交渉で解決しない場合は、最後の手段として戦争で解決する、というのが国際社会のルールでした。戦争とは国と国とが正々堂々と戦う決闘でした。しかし、それがヨーロッパではどんどん堕落していきました。そこでルール(戦時国際法)が作られ、それを違反したら「戦争犯罪」として裁くことになりました』

 戦争でやってはいけないこととは何でしょうか? 
書き出してみましょう。


・発表させる。
・板書して説明する。

・板書:戦争犯罪
 ・捕虜は虐待してはならない。
 ・民間人を殺害してはならない。
 ・民間人ではないとわかる制服を着て、指揮官の命令で戦わなければならない。
 ・民間人のふりをして攻撃した者は死刑にしてもよい。
 ・非人道的な兵器の使用を禁止する(毒ガスなど)。


国家の命令で行われる戦争は国際社会において犯罪ではない。戦死は殺人事件ではなく、国のために戦った軍人は殺人者ではない》という世界の約束を教える。

『しかし、戦場の混乱や異常な精神状態の中で、戦争犯罪はしばしば起こりました。』
・「資料:チャールズ・リンドバーグの証言」を読ませる。
****************************************

【資料】チャールズ・リンドバーグの証言

・アメリカ軍の兵士たちは、投降した日本兵や捕虜を射殺することを何とも思っていない。彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱っている。

・オーストラリア軍もっとひどい。捕虜を機上から突き落とし、ジャップは途中でハラキリ(切腹)をやっちまったと報告した。

・一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は殺された。

・捕虜にしたがらない理由は、殺す楽しみもさる事ながらお土産を取るためであった。アメリカ兵は金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り、面白半分に見せびらかすか、乾燥させて持ち帰る、中には頭蓋骨まで持ち帰る者もいた。
images.jpg
*雑誌ライフの表紙

・日本人を動物以下に取扱い、それが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線
を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなる。

・リンドバーグがナチスの集団虐殺現場を見学した時の感想。
「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」      
(『リンドバーグ第二次大戦日記』より要約)

****************************************

『アメリカ軍が残虐だったことがわかります。しかし日本軍も戦場の混乱中では、捕虜を正しく扱えなかったこともありました。アメリカだけでなく、どの国の軍隊でも、戦場の混乱の中で多かれ少なかれ戦争犯罪はあったと考えた方がいい。ただ、敵兵の骨や頭蓋骨を飾るという趣味は日本にはありませんね。人間がやることは(いいことも悪いことも)その民族や国家の伝統や歴史からくる民族性に縛られています。』

2 アメリカの戦争犯罪

『しかし、大東亜戦争では、アメリカやソ連の指導者や軍隊のトップみずからが計画を立て、確信犯的に、組織的に実行された戦争犯罪がありました。それは戦場の異常な精神状態の中で個々の兵士が犯してしまった戦争犯罪とは、まったく意味の違う戦争犯罪でした』

  それは、どんな戦争犯罪だったでしょうか?

・発表させる。

・「一般市民の大虐殺」として大都市無差別空襲(東京大空襲など)と2発の原子爆弾投下を教える。「捕虜の虐待」としてソ連によるシベリア拉致および強制労働を教える。

(1)東京大空襲

・昭和20(1945)年3月10日、B29(空の要塞)344機により、焼夷弾1667トンが一般住民が集中していた下町一帯に投下された。
死者10万を超える大量虐殺は、1日の虐殺としては、ドイツのドレスデンを爆撃したときの死者3万5000をはるかに上回る史上最大のものだった。

・資料を読ませる。
****************************************

【資料】東京大空襲とは何か

昭和20(1945)年3月10日夜、東京の下町一帯がアメリカ軍B29 (344機)の空襲を受けました。
焼夷弾という新型爆弾(ゼリー状のガソリンが本体)1667トンが落とされました。
空爆が開始されると、おりからの強風で東京の下町はたちまち火の海となりました。
逃げまどう人々を襲う想像を絶する火勢。高熱から発する強力な熱線で、髪毛や衣服が自然に燃え出し、多くの人々は焼け死んでいきました。
街は火の海になり、26万7000戸が灰にされ、約100万人が焼け出され、約10万人の市民が虐殺されました。
これほどの戦時大虐殺は世界の歴史で初めて最悪の戦争犯罪でした。

この大虐殺はアメリカ軍の司令部の命令で計画され、指揮官はカーチス・ルメイ将軍です。
ルメイ

ルメイは日本家屋が木と紙でできていることから大火事にすれば大量に殺せると気づきます。
アリゾナ砂漠で焼夷弾による実験を行い作戦に自信を持ちました。
また江戸時代の大火事が3月上旬の北風の夜に多いことから爆撃の日時を決めました。
3月10日は陸軍記念日で田舎に疎開していた子供たちがみな帰って来ていました。
子供の死者が多いのはそのためでした。

ルメイはこういう作戦を立てます。
1 隅田(すみだ)川や荒川の堤防沿いに焼夷弾を落として炎の壁を作り人々の退路を絶つ(1機あたり24個の集合焼夷弾を15メートル間隔で落とし、X状の火の壁を作る)。
2 隅田川と荒川放水路の南北のラインを火の壁にする。
3 東西のラインも火の壁を作り住民を完全に包囲する。
4 地上を嘗めるように(1800m以下の低空爆撃)焼夷弾を落とし焼き尽くす。

東京大空襲

ルメイはこう言っています。「これでやれば、ジャップ7万人以上を炎の中で昇天させ、約20万戸を全焼させることができよう!」
これを部下に説明したときです。「こんな広い地域に軍事工場がびっしり集まっているのですか?」と質問が出ました。
「イエス。ジャップが固まって住んでいる。人口は120万人を越えるだろう」ルメイの即答に満場が騒然となりました。

****************************************

ルメイの作戦を聞いた将校たちは、なぜ部下たちは騒然となったのでしょう?
A 素晴らしい作戦だと思ったから   
B 難しく不可能な作戦だと思ったから
C やってはいけない作戦だと思ったから


・人数分布を取り、理由を言わせる。
・正解は、Cです。パイロットたちはこれが市民の大量虐殺だとわかったのです。
****************************************
ルメイは部下の質問にこう答えています。

「今更、何を迷い事を言うか。先刻、答えたとおりだ。この際はっきり言っておこう。ジャップの民間人は男はもちろんのこと、女・子供まで我々を殺す兵器を造っているのだ。それに、女性どもも武装し、少年らも軍服に似た学童服を着て学校で軍事訓練を受け、戦う軍人を目指して成長しつつあるのだ。これは明らかに戦力ではないか。蟻(あり)の如(ごと)き勤勉性と集団性をもって、我々に刃向かって来るジャップは皆、敵である。焼いてしまうに限る!」
ルメイの勢いに、もはや誰も反論しませんでした。
東京大空襲2

東京大空襲の大成功に喜んだルメイは、攻撃の手をゆるめませんでした。
3月12日名古屋、
13日大阪、
17日神戸、
19日名古屋と、それぞれ300機以上のB29で夜間無差別爆撃を行いました。
東京大空襲4

このわずか10日間で、58万戸が焼き払われ、200万人以上が焼き出され、死傷者は20数万人にものぼりました。
さらに東京の他地域や全国66都市が焦土と化したのです。
その後、ルメイは原爆投下をも直接指揮しました。

****************************************

(2)原子爆弾の投下

・原子爆弾はアメリカ大統領の指揮下で秘密裏に開発され、トルーマン大統領が日本に投下することを命令しました。

・8月6日、広島に「ウラニウム型核爆弾・リトルボーイ」投下。原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。
火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
人口35万人中死者約14万人、負傷者・放射線被害など数知れず。

・8月10日、長崎に「プルトニウム型核爆弾・ファットマン」投下。この一発の兵器により当時の長崎市の人口24万人中約7万4千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊した。

・日本は世界で唯一の核爆弾の被爆国になりました。
日本人は人類で唯一核戦争の被害を受けた民族になりました。


『ところで、日本の教科書(帝国書院)にはこう書いてあります』
《しかし、ポツダム宣言を日本が黙殺したため、戦争の早期終結を望むアメリカは、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾を投下しました。》
『この教科書は原爆が落とされたのは、さっさと降参しなかった日本のせいだと書いています。本当でしょうか?貴方の考えを選びなさい』

  A 原爆投下は日本が悪い。  B 原爆投下はアメリカが悪い。


・人数分布を取り、理由を言わせる。
『では真実を確かめてみましょう』

・資料「ポツダム宣言の策略と日本の降伏」を読む。

****************************************
【資料】ポツダム宣言の策略と日本の降伏

 5月31日、アメリカは次の3つを決定しました。
1 できるだけ早く日本に対して原爆を使用する。
2 目標は都市とする。
3 事前警告はしない。

 7月16日、アメリカはとうとう原爆実験に成功しました。

 7月17日、ポツダム会談(米英ソ)が予定より2日遅れて始まります。

トルーマン大統領(4月ルーズベルト大統領が急死)は、ソ連のスターリンから直接「対日参戦は8月15日前後」と聞き出しました。

彼は思いました。
「これでソ連の参戦前に原爆が落とせるぞ!」
そして妻に手紙を書きました。
「これで日本はおしまいだ」

7月24日、トルーマンは日本に原爆投下する命令書を書きました。

7月26日、「ポツダム宣言」が発表されました。
これは、日本に降伏の条件を示したものです。
ところがこの宣言には次のような奇妙なところがありました。

1 ソ連は会議に参加するが宣言には署名しなかった。
2 第12項にあった「天皇の地位は保持する」を丸ごと削除した。
3 公式の外交文書として日本に渡すことをせず、ラジオで発表だけだった。

この3つは「原爆を落とすまで、日本に降伏させないようにするため」でした。

1は、日本が終戦のために頼っていたソ連(日ソ中立条約)が、まだ頼れると思わせておくためでした。
2は、正式な要求ではないと見せかけて日本がまじめに考えないようにするためでした。
いちばん重要なのは2の「天皇の地位は保持する」を削除したことでした。

 元駐日大使ジョセフ・ グルーは
「日本人が一番大切にしているのは天皇である。これまでのような『無条件降伏』要求では日本人は最後の一人になるまで戦うだろう。天皇の地位さえ保障すれば、日本は必ず降伏を受け入れる」
とトルーマンに説いていました。
グルーの努力の結果、ポツダム宣言に「天皇の地位は保持する」 が書き入れられていたのです。
それを削除したのは日本に宣言を受諾させないためでした。

日本政府は悩みました。戦争は終わらせたい。
しかし「天皇のない日本」など「日本」ではないからです。
日本人が天皇陛下の処刑など受け入れるはずはありません。
まさにグルーが考えたとおりでした。
日本がすぐには受諾できないように仕組んだのです。

こうして時間を得たアメリカは、「原爆を戦争で人間に実験」(マンハッタン研究所発表の言葉)してみることができました。

8月6日 広島に原爆投下。
トルーマンは新聞記者に語りました「今までに一番うれしいことだ。」
原爆

原爆2

これを見たソ連は15日の予定を早めて、8日にあわてて満洲に攻め込みました。
この原爆で日本が降伏してしまったら、ソ連がねらっていた満洲・朝鮮・樺太・千島列島がアメリカに取られてしまうからです(本当は北海道も取りたかった)。

8月9日 長崎に原爆投下。
Nagasaki-urakami.jpg

広島型と長崎型では原爆の作り方が違ったので、両方とも実験する必要があったのです。
トルーマンは満面の笑みで原爆投下発表の記者会見をしました。

トルーマン
【8月6日記者会見する嬉しそうなトルーマン「実験成功だ!」】

8月9日深夜、御前会議が開かれ、天皇陛下のご聖断によってポツダム宣言受諾を決定しました。
日本政府は「天皇の地位を保障する」という条件でポツダム宣言を受諾するとアメリカに伝えました。
8月12日アメリカから「天皇の地位」を暗黙のうちに認める回答がありました。
削除した「天皇の地位は守る」を復活させただけでした。
8月14日再度御前会議が開かれ、日本政府はポツダム宣言を受諾しました。
こうして長かった大東亜戦争が終わりました。

****************************************

・正解は「B」だった。
・トルーマンの計画通り進んでしまったことを確認する。

『こうして日本は大東亜戦争を終結させました。2000年の歴史を持つ世界一伝統のある国がまさに滅亡の寸前でした。国民は天皇陛下のお言葉に従って、秩序正しく戦争に負けたことを受け入れました。』

・終戦の詔勅を読んで授業を終える。

****************************************

【資料】終戦の詔勅(要約)

 私は、日本国政府から米、英、中、ソ連の四国に対して、ポツダム宣言を受諾することを通告させた。
 米英二国に対して宣戦した理由は、日本の自立と東アジア諸国の安定とを願うからであり、他国の領土を侵すようなことは望んでいない。
 戦いは4年続いた。わが将兵の勇敢な戦いも、多くの公職者の努力も、一億国民の無私の尽力もあったが、戦局は好転していない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾を使って無実の人々を殺傷している。
 これ以上戦争を継続するならば、ついにはわが民族の滅亡を招き、ひいては人類の文明をも破滅しかねない。そうなってしまっては多くの愛する国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪することもできない。これが、私が日本国政府に対しポツダム宣言を受諾するように命じた理由である。
 考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並たいていのことではなかろう。
 しかしながら、私は時のめぐり合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗りこえて、未来のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
 ぜひとも子孫にまで語り伝え、誇るべき日本の不滅を確信し、責任は重く復興への道のりは遠いことを覚悟し、すべての力を将来の建設のために使い、正しい道を常に忘れず、日本のあるべき姿を堂々と示して、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動しなさい。
昭和20年8月14日       
御名御璽

****************************************
・感想文を書かせて授業を終える。
終戦
スポンサーサイト
アメリカに占領された日本 | Home | 管理人が25日まで留守になり本の発送が遅れます

コメント

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する

このページのトップへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。