授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

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大東亜会議とアジアの解放

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●本授業は齋藤武夫さん(授業づくりJAPAN)の授業案です。
 資料など、服部剛さんの授業実践を使わせていただいています。

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№61
世界の中の日本 8  【 昭和 4 】
「大東亜会議とアジアの解放」

【授業の意図】
・大東亜戦争には「自存自衛」だけでなく「植民地アジアの解放」というもう一つの意味があったことを教える。

【授業の流れ】
1 来日したインドのモディ首相
・写真を見せる。
モディ首相と三角佐一郎氏
【インド首相モディ氏と三角佐一郎氏】

『平成26年8月30日、インドの新首相モディさんが来日しました。天皇陛下に拝謁し、安倍首相と会談したのはわかりますが、99歳の男性に会いに行きました。これがそのときの写真です』

モディ首相は忙しい日程の中で、なぜこの人に会いに行ったのでしょうか?想像してみましょう。

・モディ首相のまなざしなどよく観察させて推理させる。

『インドは人口12億人の世界最大の民主主義国です。有権者がなんと8億人もいます。8億人に選ばれたインドの首相が、99歳の日本人の前でひざまづき、彼の手を温かく握りしめながら尊敬のまなざしでじっと見つめています。インド外務省のスポークスマンがツイッターにこう書きました。「感動的な瞬間!インド首相がネタジの古い日本の仲間、99歳の三角佐一郎に手を差し伸べている」。モディ首相はこの日の朝こう言ったのです。「今でもネタジに関するあらゆることを鮮明に覚えている男がいるんだ。さあ三角さんに会いに行こう!」忙しい日程の中でモディ首相が会いに行ったのが、写真の三角佐一郎さん(99)です。会うのは2回目でした。ネタジとは誰なのでしょうか?首相がわざわざ会いに行く意味とは何でしょうか?実は、この出来事がいま勉強している大東亜戦争のもう一つの偉大な意味を教えてくれるのです』
チャンドラ・ボース
 【チャンドラ・ボース】


2 インド国民軍とインパール作戦
『ネタジとは「指導者」という意味で、インドでネタジといえばインド独立の父チャンドラ・ボースのことです。三角佐一郎さんは大東亜戦争で行われたインパール作戦の生き残りです。インパール作戦はチャンドラ・ボース率いるインド国民軍が初めてインド領内にインド国旗を翻した戦いなのです。インパール作戦はインドでは「インド独立戦争」「インパール戦争」と呼ばれています。チャンドラ・ボースを尊敬するモディ首相は、ボースの戦友だった三角さんにどうしても会いたかったのです』
・資料「大東亜戦争とインド国民軍」を読む。

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【資料】大東亜戦争とインド国民軍
チャンドラ・ボース2

 インドの首都デリーの中心部にインド独立の英雄、スバス・チャンドラ・ボースの銅像が建っています。ボースはインド国民軍の指導者です。
1941年12月マレー半島に上陸した日本軍は、猛スピードでイギリスの要塞都市シンガポールに向けて進軍しました。イギリス軍を蹴散らしながら行ったのですが、イギリス軍の多くはインド人の将兵でしたが、彼らがいつの間にか日本軍に加わり、共にイギリス軍と戦うようになりました。長い年月イギリス人に支配されてきたインド人が、日本の戦いによって独立に目覚めたのです。
 彼らはやがてインド国民軍を結成してインドの自由と独立をめざしました。日本軍が彼らを援助したのはいうまでもありません。そして、いつの日かインドの独立戦争を共に戦おうという約束を交わしました。
 昭和19(1944)年3月、日本はインパール作戦を実施しました。この作戦は、日本ではたくさんの日本兵が飢えと病気で死に大敗北を喫した愚かな作戦として批判されています。しかし、この作戦にはもう一つの意味がありました。それは、日本軍約7万8000人とインド国民軍約2万人、日本人とインド人の連合軍による「インド独立戦争」でした。
このときインド国民軍の指導者がネタジ、チャンドラ・ボースだったのです。
事実、インドではインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、イギリスに対する「独立戦争」だったとされています。日本軍はインド独立を助けた解放軍でした。
 元インド国民軍の大尉だったS・S・ヤダバさんは靖国神社でこう書いています。
「われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するためにともに戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場で戦死した日本帝国陸軍将兵に対して、深い敬意を表します。インド国民は大義のために生命をささげた勇敢な日本将兵に対する恩義を、末代にいたるまで決して忘れません。われわれはこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます》
 大東亜戦争後、イギリスはインパール作戦に参加した、  【肩を組む日本とインド】
3人のインド国民軍将校を死刑にしようとしました。これを知ったインド人は全国で反イギリスの大暴動を起こし、これを見たイギリスはやっと植民地支配をあきらめたのです。この結果、1947年8月15日(日本の終戦記念日)にインドは独立しました。
 インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残しています。
「太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」
インド国民軍
【日本兵と肩を組むインド国民軍の兵士】

 ★井上和彦「中韓と異なるインドの歴史観と「インパール戦争」の評価」にもとづく
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・数名に感想を言わせる。

3 大東亜会議と大東亜宣言

・日本軍はものすごく強かったことを教える。
・占領した地域を地図で見せる。

日本最大版図

・日本が東南アジアで戦ったのは、植民地支配をするイギリス・アメリカ・オランダの軍隊であることをおさえる。
・次の写真を見せて発問する。
大東亜会議
【大東亜会議】

この記念写真は国会議事堂の前 で撮影されました。1943年、11月、大東亜戦争の最中です。

どんな集まりの記念だったので しょうか?

・発表させる。

・大東亜会議に参加した各国首脳。 左からバー・モウ(ビルマ)、張景恵(満州国)、汪兆銘(中華民国南京政府)、東條英機(日本)、ワンワイタヤーコーン(タイ)、ホセ・ラウレル(フィリピン)、スバス・チャンドラ・ボース(自由インド仮政府)

『これは大東亜会議の記念写真です。日本に解放されて独立した国々の代表が東京に集まりました。右端がさっき勉強したボースですね。中村屋カリーのボースとは別人ですよ。2人は独立運動の友人です。この大東亜会議は、わが国が大東亜戦争の意味を世界に教えた重要な会議です。』

「大東亜宣言」を読んで(     )の中に言葉を入れてみましょう。

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【資料】大東亜会議共同宣言(現代語)  昭和18(1943)年11月6日

 世界各国が、民族毎に自分たちの土地を持ち、お互いにたすけあって、ともに国家として発展し、みんなで明るく楽しみをともにするためには、まず世界(  A  )の確立がその根本です。
 けれども米英は、自国の繁栄のためには、他国や他の民族を無理矢理押さえつけ、とくに東亜諸国に対してはあくなき侵略と搾取を行い、東亜諸国の人々を奴隷にするという野望をむきだしにし、ついには東亜諸国の安定そのものをくつがえそうとしています。
 つまり、東亜諸国の戦争の原因は、そこにその本質があるのです。
 そこで東亜の各国は、手を取り合って大東亜戦争を戦い抜き、東亜諸国を米英の押さえつけから解放し、その自存自衛をまっとうするために、次の綱領にもとづいて、大東亜を建設して世界の平和の確立に寄与します。

1 東亜諸国は、協同して東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設します。
2 東亜諸国は、相互に自主(  B  )を尊重し、互いに助け合い、東亜諸国の親睦を確立します。
3 東亜諸国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、東亜諸国それぞれの文化を高めあいます。
4 東亜諸国は、互いに緊密に連携することで、それぞれの国家の経済の発展を遂げるとともに、東亜諸国の繁栄を推進します。
5 東亜諸国は、世界各国との交流を深め、(  C  )を撤廃し、互いによく文化を交流し、すすんで資源を解放して、世界の発展に貢献していきます。
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・考えを発表させる。

・正解を教える。
Aは「平和」、
Bは「独立」、
Cは「人種差別」が入る。
 戦っていたわが国の願いを教える。
とくに人種平等の主張は第一次世界大戦以来わが国が世界に示してきた主張であり、有色人種民族全体の願いだった。


4 大東亜戦争がアジアに残したもの

『最後に、日本が戦争中インドネシアで行ったことを教えましょう』
 団結できるように標準語を決めた。教育を進めた。政府の役人に現地人を採用し政治や 仕事の進め方を教えた。民族の軍隊を作り戦える兵士を育てた。日本精神を教えた。
 日本軍が負けて去るとき武器を与えた。約1000人の日本兵が共にオランダ軍と戦った。
『もちろんいいことばかりではない。日本は戦争に負けたのだから、戦争の終わり頃になると厳しい生活になりました。でも、この戦争で日本はアジアの人々にある重要なことを教えることになりました。教えるつもりで教えたのではありません。彼らが勝手に学んだのです』

『民族の自由と独立は(      )ければ、実現しない』
・(    )にどんな言葉が入るか?考えを発表させる。

『民族の自由と独立は(戦わなければ)実現しない』
・日本が負けて出て行くと、もう一度支配できると思ってイギリスやオランダが軍隊と共にもどってきた。そのまま支配され続ければ戦死する人もいないし平和が続く。しかし、
彼らはそれでいいとは思わなかった。それは「奴隷の平和」だからだ。それで、武器を取って戦ったのだ。インド、インドネシア、ビルマ(ミヤンマー)、ベトナムなど、すべて独立と自由は多くの血を流して実現したのだ。
・その結果、大東亜戦争後は植民地はなくなった。いま世界には200国ちかい独立国があるが、それが当たり前になったのは、日本が戦い、アジアが戦った結果だった。日本が戦う前は独立国は(アメリカ大陸を除けば)欧米の白人国だけだったのだから。

『わが国はこの戦争に敗れます(その勉強は次回やります)。負ける戦争を戦い、多くの人命と財産を失ったことは政治の失敗ですが、大東亜会議の理想は日本が戦争に負けても実りました。東南アジアの国々がこんなふうに日本をほめています』

・資料「東南アジアの指導者の言葉」を読む。

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【資料】東南アジアの指導者たちの言葉

●「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産(なんざん)して体をこわしたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの国々が、西洋と対等につきあえるのは、いったい誰のおかげであるか。それは、身を殺して行動したお母さんがあったためである。12月8日(大東亜戦争開戦の日)は、アジア人はアジア人の力で国を持てと考えた日本が、重大な決意をされた日です。われわれは、この日を忘れてはいけない」(タイの元首相、ククリックド・プラモード)

●「インドはもうすぐ独立する。その独立のきっかけを与えたのは日本である。インドの独立は、日本の戦争のおかげで30年は早くなった。これはインドだけではない。インドネシア・ベトナムをはじめとする東南アジア諸民族すべてにいえることだ。」(インドの法学博士、グラバイ・デサイ)

●「われわれアジア・アフリカの有色人種は、ヨーロッパに対して何度も独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、350年も失敗が続いた。それなのに、日本軍が、アメリカ・イギリス・オランダ・フランスをわれわれの目の前で、徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは、初めて弱い白人を見て、自信を持ち、アジア人全部の独立は近いと知った。一度持った自信は、決してくずれない。日本が戦争に負けたとき、われわれは、今度こそ自力で独立を勝ち取ることを決意し、オランダ軍をインドネシアから追い出すことができたのである」(インドネシアの元情報大臣、ブン・トモ)
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・感想を書いて授業を終える。

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ついに発刊!『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』 | Home | 自存自衛のために!大東亜戦争の開戦

コメント

日本は、アジアの太陽。

2015/12/13 (Sun) 10:29 | 善人 #- | URL | 編集
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2016/02/01 (Mon) 15:09 | # | | 編集

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