授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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シナ事変(日中戦争)の真実

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●本授業は齋藤武夫さん(授業づくりJAPAN)の授業案です。


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№59
世界の中の日本 6  【 昭和 2 】
「目を覚ませ日本人!シナ事変(日中戦争)の真実」


【授業の意図】
・日本は列強の一つとしてシナに進出していたが、最後はシナと手を組んで白人中心の世界支配を終わらせたいと願っていた。軍人も一般国民もアジア人として最後はシナと組めると考えていた。そのために孫文たちの辛亥革命を応援したのだから。
・しかし清朝を滅ぼした孫文が、あれほど世話になった日本(頭山満など)を裏切って共産主義ソ連と手を組んだ。孫文の後継者だった蒋介石も共産主義と手を組んだ。蒋介石はソ連だけでなく英・米とも手を組んで日本を倒そうとした。明治以来の発展をとげた大国日本の存在が中華思想・華夷秩序の中国には許せなかったのだ。中国は昔からてっぺんで無ければ気がすまない国だった。
・この授業は、戦勝国(アメリカ)が書いた虚偽の歴史を見直し、シナ事変と大日本帝国陸軍の真実を教えるものです。政府が言えなくても国民だけは真実が言える日本をめざしましょう。

【授業の流れ】

1 中国との戦争イメージ
・中国とタンクー停戦協定を結んだ日本は、満州国の発展に力を注ぎました。これで中国と距離を置ければ、ソ連の侵略は満洲で防げるし、日本の安全は盤石でした。しかし、4年後に中国(国民党と共産党が手を組んだ)と戦争になってしまいます。
 中国の戦争では、戦後70年もたっているのに「南京大虐殺」ということが言われ、帝国陸軍が30万人の女性や子供を虐殺したと言われ、いまだに日本が残虐な国のように非難されています。中国の戦争の最大の話題はこれなので、最初にこの話から行きます。

┌──────────────────────────────────────┐
日本軍が首都南京を占領したとき(1937年12月)何が起きたかは、国や研究者に
│よって意見が分かれています。どれが正しいと思いますか?

│  A 一般市民30万人を虐殺した(中国政府と日本の学者A)。
│  B 一般市民10万人を虐殺した(日本の学者B)。
│  C 一般市民数千人を虐殺した。(日本の学者C)
│  D 一般市民の殺害はほとんど無かった。(日本の学者D )
└──────────────────────────────────────┘

・挙手で意見分布を確認し、理由があれば発表させる。(戦死と捕虜の処刑は含まない)
『この時代から、日本について言われていることは学者であっても信用できなくなります。その理由はまたあとで勉強しますが、南京事件について事実を見ておきます。いくつか参考になること事実を教えましょう』・資料を配付する

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「南京大事件」をめぐる参考になる事実

【事実1】 虐殺があったとされる12月から3月の写真(日本や外国の新聞に載ったもの)

南京g
●戦禍の終わったことを知り、防空壕から出てきた南京の女性たちを庇護する日本兵ら(南京陥落の翌日12月14日。朝日新聞 1937.12.16付)

南京あ
●中国兵たちの悪行にうんざりしていた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。(イギリス系新聞「ノース・チャイナ)これは日本軍の入城式の日(1937年12月17日)に、食糧やタバコの配給を受け、 歓声をもって迎える南京市民ら。市民がつけている日の丸の腕章は、民間人に化けた中国兵ではないことを証明するために、日本軍が南京市民全員に配ったものである(毎日版支那事変画報 1938.1.11発行) │
(注)兵士が市民に化けるのは戦争犯罪であり、処刑されても仕方がない。

南京●南京市民に食糧等を配る日本兵たち。デイリー・ニュース」1937.12.24付 南京占領の11日後)

南京3
●南京市民と楽しく会話する日本兵ら(1937. 12.20撮影 南京占領の7日後 支那事変 写真全集1938年刊)

南京6
●中国負傷兵を看護する日本の衛生兵(南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影朝日版支那事変画報1938.1. 刊)

南京い
● 安全区で南京市民に食糧や菓子を配る日本兵ら(南京占領の5日後 1937.12.18付東京日日新聞より)

南京c
●疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵(南京占領の7日後 1937.12.20 林特派員撮影 朝日グラフ 1938.1.19刊)│

南京b
● 日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族(1937.12.20撮影 朝日版支那事変画報 1938.1.27刊)

南京15
●「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。日本兵や日本人を恐れていなかった」(カメラマン佐藤振寿氏。南京占領の2日後1937.12.15撮影 南京安全区にて)

南京h
●南京の街路で日本兵相手に商売をする中国人(毎日版支那事変画報 1938.2.1刊)

南京j
● 平和の戻った南京で、ジョン・マギー牧師のもと日曜礼拝を持つ中国人クリスチャンら(朝日新聞1937.12.21付の「南京は微笑む」の記事より)

────────────────────────────────────────

【事実2】南京の中国人の人口は占領したとき20万人だった。日本が占領すると南京から逃げていた民衆がたくさんもどってきた。1ヶ月後には25万人になった。

【事実3】中国国民党の総統・蒋介石は、もともと南京にいた人です。しかし彼は、日本軍が攻めてきたことを知ると、南京の防衛はさっさと部下にまかせて、南京を出てしまいました。そののち終戦に至るまで、蒋介石は中国人民向けに何百回ものラジオ演説を行なっています。ところが、その中で彼はただの一度も、「南京で大虐殺があった」と言っていません。

【事実4】南京に住む欧米人による「南京国際委員会」の被害届には、日本兵によるとされる犯罪が425件記されています。その大部分は伝聞です。たとえすべてを事実と仮定しても、そのうち殺人事件は49件です。その49件のうち国際委員会の委員が直接目撃したものはわずか2件でした。また、その2件のうち1件は、ジョン・マギー牧師が目撃したものですが、日本兵が、軍服を脱いで民間人に扮している中国兵を探している中不審な者を見つけて身元を尋ねたとき急に逃げ出したので撃ったというものでした。しかし、これは国際法上合法的なものです。もう1件のほうも合法的なものでした。伝聞は証拠にはなりません。

【事実5】中国軍は日本軍を悪者にする政治宣伝やウソのニュースを大量に計画的に流していた。その中には中国軍がやった非人道的な行為を日本軍のせいにするものが多かった。
南京事件を報道したジャーナリストは中国軍の工作員だった。


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┌──────────────────────────────────────┐
│  最初の質問に戻ります。意見が変わった人はいますか?
└──────────────────────────────────────┘
・挙手で人数分布を確かめ、理由を言わせる。
・あくまで事実に基づいて考えさせ、教師の考えを押しつけない。


2 なぜどのようにしてシナ事変になったか? 

『では、シナ事変(いまは日中戦争とよばれる)がどうして起きたかを確かめましょう。』
┌──────────────────────────────────────┐
│  シナ事変(日中戦争)はどのようにして起きたのでしょうか?
│  一つ選んで理由も書きましょう。
│ A 中国に非はないのに、日本が計画的に中国を奪い取りに行った(侵略戦争)。
│ B 中国と日本の両方に間違いがあって、やむをえず起きた。
│  C 日本は平和を求めたが中国が日本を戦争に引きずり込んだ。
└──────────────────────────────────────┘
・人数分布を確かめ、理由を言わせる。
・年表資料で、経過を知る。

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【資料】年表「日中戦争は、なぜどのように起きたのか」

昭和12(1937)年
◆7/7午後10:40
 日本の駐屯軍(5600名)が対岸から2度にわたって10数発の銃撃を受けた
 「盧溝橋事件」。わが軍は「暗号書なし、鉄帽なし、空包使用の演習中」。

◆7/8午前3:25 再び数発の銃声あり。午前5:30 中国軍の攻撃を受ける。
 「我が軍は7時間にわたって銃撃に耐えた」。日本政府は「不拡大方針」で派兵せず。

◆7/9 現地で停戦のための話し合い。中国軍は協議に違反して撤退しなかった。

◆7/11「現地停戦協定」が結ばれ平和がもどった。
・・・しかし、すぐに中国軍の日本に対する挑発行為が続いた。

・7/13 中国軍が北京で日本軍を襲撃し4名を爆殺した。
・7/14 通州で日本の近藤二等兵が惨殺された。
・7/20 盧溝橋で日本軍が一斉射撃された
・7/25 「廊坊事件」日本軍電信隊が襲撃された
・7/26 「広安門事件」広安門の城壁上から中国軍が乱射を受けた
・・・これらは日本でも報道され、国民の怒りが高まっていった。

◆7/28 日本政府はやむなく陸軍の派兵を決定。開戦を通告し攻撃開始(挑発への反撃は正当防衛・侵略ではない)。
 翌日、北京を占領した。日本は治安を守ってこれ以上戦争を拡大しない方針を固めた。

◆7/29 「通州事件」が起きた。・・・むごたらしい挑発!
 ・北京東方の通州で中国保安隊が日本人居留民(一般市民)を襲撃した。日本守備隊が守ったが150名全員が戦死した。日本の民間人380名中260名が虐殺された。女性や子供や老人が中国人のあまりにもむごたらしいやり方(ここには書けないので大人になったら調べてください)で殺されたので、日本国民の怒りは頂点に達した。不拡大方針をで平和を守ろうとする日本政府と軍部を非難する声が全国にあふれた。

◆8/7中国国民党の総統:蔣介石は「日本と全面的に戦う」ことを決定した。

◆8/9日本は平和を求めて、「船津(辰一郎)和平案」にもとづき、平和会談を進めた。 ・平和会談の最中に大山勇夫海軍中尉と部下が虐殺された。会談はつぶされた。

◆8/13 「上海事変」が起きた。国民党軍による一方的攻撃が始まった。中国軍約3万人、日本軍は上海防衛の約4000人にすぎなかった。
 ・蔣介石は、国際都市・上海に国民党軍を入れ無差別攻撃した。日本艦船、日本領事館、その他上海市街を空襲し、外国人・中国人を含め多数の死者が出た。
 ・ついにわが軍も派兵しこのとき本格的な全面戦争になった。完全に準備を整え、近代的なトーチかをつくって中国軍は日本軍を迎え撃った。激戦でわが軍の死傷者は4万3672名(戦死9150名)。中国軍は首都南京に退却しわが軍はこれを追撃した。

◆12/13 日本軍、首都・南京(ナンキン)を占領。
・両軍あわせて10余万の戦死者を出す激戦だったが、蒋介石も南京防衛の大将も逃げてしまったので中国兵はやぶれかぶれの規律のない戦い方をした。20万の南京市民は全員市内の「安全区」に避難していた。日本軍は南京の一般市民を保護した。

◆蒋介石は首都を「重慶」に移し(重慶政府)、いつまでも降参しなかった。

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・解説しながら読んでいく。
・両国の指導者を教える。蒋介石(上)、近衛文麿首相(下)
蒋介石
近衛文麿

『こうして日中の全面戦争になりました』

・はじめの発問に戻り、意見を変えた者がいるかどうかを確かめ、改めて人数分布を確認する。意見を変えた者に理由を言わせる。

・児童には、年表資料による思考と判断にゆだね、教師の考えを押しつけない。     



3 大日本帝国陸軍は「全体として」どんな戦いをしたか?

・まず次の写真を見せる。
南京f

  ┌─────────────────┐
この写真を見て、気づいたことを発表しましょう。
└─────────────────┘

・中国無名戦士の墓
・最敬礼している日本軍将校
・お参りする人々。
・敵の死者にも敬意を払う日本軍
・武士道の伝統

『現代の戦争はまことに悲惨で残酷な戦いでした。戦場ではどんな兵士も平常な精神状態ではいられません。ですから戦場の混乱や狂気じみた精神であり得ない行動に出た人もたくさんあったことでしょう。それは日本人だけでなく各国の兵士も同じでした。でも、この写真のようなことを自発的にやった軍隊は日本軍だけでした。これは悲しい現実の中の一筋の希望です』

・ほかにも南京郊外の孫文の墓をけんめいに守った話など、武士道精神にもとづいて、他国の軍隊では考えられない数々の人道的な行為を大日本帝国陸軍の将兵はやっている。

・次に、こうした日本精神に連なるもうひとつのエピソードを教える。

・以下の資料を読む。

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【資料】黄河を決壊させた蒋介石と日本軍

 1938年(昭和13年)6月に黄河の堤防が決壊し、津波のように流れ出した大量の水が周囲の都市や田畑を襲い多くの人々が死亡する大災害が起こりました。この災害は自然災害ではなく、とんでもない人災でした。
 1937年(昭和12年)盧溝橋事件から支那事変がはじまり、その後日本軍は進撃し翌年6月には河南省の中心地である開封(かいほう)という町を占領します。このままだと国民党政府にとって重要な都市である武漢が危うくなります。そこで蒋介石は、日本軍の進撃を阻止するために黄河の堤防の爆破を命じたのです。大河の水はものすごい勢いで町や村を襲いました。
 氾濫は3つの省にまたがる54,000平方kmの領域に及び、水没範囲は11都市と4000村。3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人という大惨事になってしまいました。
 54,000平方kmといっても広すぎてなかなかピンとこないのだが、日本の近畿地方と四国を合わせたよりも広い面積です。

 中国軍はいつものように、これも日本軍がやったと宣伝しましたが今度ばかりは世界はだまされませんでした。
 決壊地点がまだ日本軍が到達していない地点だったからです。

 このように、中国は自分がやった残虐行為をすべて日本軍の仕業と宣伝し続けていました。
 戦争中はこの中国のウソ作戦は成功しませんでしたが、戦争に負けて日本がアメリカに支配されると、中国の「日本軍は残虐だった」というウソ作戦はアメリカ軍の支配の下で成功し、今では日本人までが信じ込むようになってしまったのです。

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┌──────────────────────────────────────┐
ここで問題です。これを見た日本軍はどうしたでしょうか。
│  A 武漢を攻撃するために水没地帯を大きく迂回した。
│  B 急ぐ戦いでもないので、水が引くまで待つことにした。
│  C 攻撃はいったんやめて、中国民衆の命を救う作戦を展開した。
└──────────────────────────────────────┘

・意見分布を確認し、理由を言わせる。
・次の写真を見せ、解説文を説明し、正解はC:救助であることを確認する。

黄河決壊事件3

・中国軍はこの救助活動を行う日本軍医攻撃を加えただけでなかった。仲小路彰さんはこう書いている。「修理を為さんとする良民に対し、支那兵は悪鬼の如く機関銃を猛射せるなり。」(西尾幹二『GHQ焚書図書開封5』)

・英・仏・米・スペインなど各国がこの事件と日本軍の救助活動を伝えている。

・また、中国民衆も日本軍に協力していることを次の資料で読む。

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【資料】日本軍の救助活動と中国民衆

 河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は数え切れない程だった。

 1944年春、日本軍は河南省の掃討を決定した(一号作戦)。そのための兵力は約6万人であった。
 この時、河南戦区の蒋鼎文司令官は河南省の主席とともに農民から彼らの生産手段である耕牛さえ徴発して運送手段にあてることを強行しはじめた。これは農民に耐え難いことであった。

 農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で自らを武装すると兵士の武器を取りあげはじめ、最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した。
 推定では、河南の戦闘において数週間の内に、約5万人の中国兵士が自らの中国農民に武装解除させられた。すべての農村において武装暴動が起きていた。

 日本軍に敗れた中国兵がいたるところで民衆によって襲撃、惨殺、あるいは掠奪され、武器は勿論、衣服までも剥ぎ取られた。
 3週間以内で日本軍はすべての目標を占領し、南方への鉄道も日本軍の手に落ちた。この結果30万の中国軍は全滅した。

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・中国との戦争については、これまで言われてきたことが見直されている。

『昨年も、朝日新聞が韓国と日本の歴史について、20年間もウソの報道をしていたことを認め謝罪したが、朝日新聞が報道してきた「日本が一方的に悪く、中国は一方的に正しい」というシナ事変についての見方もきわめて怪しいことがわかってきた。
 とくに「南京事件」は朝日新聞が言い始め、それから後に中国も騒ぎ始めたたことであり、それまでは中国もこの件で日本を攻撃したことはなかった。
 これらのことから、朝日新聞が、中国や韓国のために日本を攻撃する材料を創作してきた疑いが濃くなっている。
 朝日新聞などこれまで中国に味方してきたマスコミや学者、教師たちが、中国共産党の利益のために宣伝活動をしてきた疑いが高まっているのだ。
 実際に現在、中国・北朝鮮・韓国のスパイがたくさん日本国内に入りこんでいると言われている。
 よい子のみなさんは、誇りある日本国民としてくれぐれも用心して、日本を守るための真実を見極めていかなければいけないね』

 
 こう解説して授業を終える。


【参考】
劉震雲『温故一九四二』(中国出版)、
西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封』(新潮社)、
田中秀雄『日本はいかにして中国との戦争に引きずり込まれたか』(草思社)
東中野修道『南京虐殺の徹底検証』(展転社)『再現 南京戦』(草思社)
北村稔・林思雲『日中戦争 戦争を望んだ中国・望まなかった日本』(PHP研究所)
ブログ「しばやんの日々」、
サイト「南京事件の真実」
ほか
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