授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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「満洲事変と満州国の発展」

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●本授業は齋藤武夫さん(授業づくりJAPAN)の授業案です。


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№58
世界の中の日本 5  【 昭和 1 】
「満洲事変と満州国の発展」

【授業の意図】
・戦後の東京裁判で、満洲事変以後の日本がまるごと犯罪国家として裁かれ、被告は全員有罪になりました。この時代の日本が「侵略戦争」と「残虐な戦争犯罪」を犯した犯罪国家として断罪されたのです。しかし国際法の世界では、この裁判はまったく不公正で虚偽と虚構に満ちた裁判だったという結論が出されています。
・現在の日本では、政治的な理由から、このときの検察側の一方的な主張(ウソや誇張でゆがめられた)だけが教えられています。これは日本の歴史教育の失敗です。
・これから先の授業では、一部の日本人が東京裁判史観の政治宣伝の場にしてきた近現代史を、日本人の手に取りもどすことが求められています。自国に誇りを持てる日本人を育てるためには、隠され禁じられてきた真実を教えさえすれいいのです。ということで、まずは「満洲事変」を当時の日本人の理解にもとづいて、共感的に学んでいきます。


【授業の流れ】

1 満州について確認する 
満州の地図を見る。日本は関東州を租借し、南満州鉄道(長春以南)の経営権などを持つ。それらは、日露戦争、ポーツマス条約によって清国が認めた合法的権利である。
 「関東」の「関」が万里の長城を意味すること、満鉄など。20万人の日本国民(朝鮮人を含む)が暮らし、関東軍1万5千人が駐留して国民の生命財産と権利を守っている。
 満州は軍閥張学良の支配下にあり暴政が続き、張学良の指示で条約違反の反日運動が展開されていた。その私兵が26万人いたことを教える。
満洲1
満洲事変地図

2 反日運動が満州で激発した
・2012年の中国における反日暴動をYouTubeの動画で見せる。
2012年中国の反日暴動

日本企業はたいへんな損害を受けたが、この暴動は中国政府が操ったといわれている。日本政府は簡単な抗議はしたが、在留日本人を保護する行動は取らず阻害賠償も請求しなかった。「冷静に!」
・以下の資料で、こんなものではなかった90年前の満洲を想像させ、居留民の苦しみに共感させる。

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【資料】満洲に住む日本人が反日暴動におびやかされていた
・共産主義者による事件が昭和4年までの10年間で108件。昭和5年、間島省で起きた事件では、日本領事館・駅・鉄道が放火され、市街戦となり日本人44人が殺害された。
・関東庁警察が扱った反日事件(鉄道妨害や企業・商店への破壊活動など)。
 昭和5年1年間で1249件起きた。
・日本人、朝鮮人居留民への迫害事件。暴行、傷害、放火、デマ宣伝など多数。
・排日教育政策による被害。児童への投石、暴行、唾の吐きかけ、ナイフによる脅迫など。
・万宝山事件(昭和6年5月)長春付近で朝鮮人が中国人に襲撃され多数の死者が出た。
・中村震太郎大尉虐殺事件(昭和6年8月)。この事件によって、国民の多くが政府の協 調外交に対して激高し、我慢の限界に達していた。
■幣原喜重郎外務大臣は中国との協調外交をめざした。何が起きてもがまんすることを国民に求めた。張学良の条約違反を中国政府に抗議したが、居留民保護などの具体的な軍事行動は禁止していた(いまの日本と似ていますね)。
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3 満州事変起きる
・昭和6年9月、柳条湖事件(鉄道線路爆破)という謀略によって、綿密な計画を立てた関東軍が行動を起こした。「柳条湖事件は張学良軍のしわざ」と宣伝して、自衛のための軍事行動とした。これは命令にもとづく軍隊としてはあってはならないことだが、満洲をおさえれば問題が解決できると考えて立ち上がったのだった。
・中心人物:石原完爾と板垣征四郎の写真を見せて名前を教えます。(マエストロ小澤征爾は二人を尊敬していた父が一文字ずつもらって命名した)
石原完爾
石原完爾
板垣征四郎
板垣征四郎



4 政府か関東軍か?
・政府はただちに戦いの不拡大を指示し、協調外交を維持しようとした。
・関東軍1万5千人は、張学良軍26万人に勝利して、満州全域に治安を確立した。
┌──────────────────────────────────────┐
│   みなさんが当時の国民になってみたら、どちらを支持するでしょうか?
│   政府か関東軍か。選んでノートに理由を書きましょう。
└──────────────────────────────────────┘
・意見分布を取り、理由を発表させる。
・政府は、結局関東軍の行動を認め、この軍事行動に予算を付けました。国民世論(朝日新聞など)が圧倒的に関東軍を支持したので、民主主義の政府としては従わざるをえない面もありました。

5 満州国の建国
・1932(昭和7)年3月、関東軍は日本の傀儡国として満州国を建国しました。アメリカがパナマ運河を取るために、コロンビアからパナマ共和国を独立させたやり方と似ていますが、こちらは孫文に滅ぼされた清朝最後の皇帝溥儀が希望して満州国(故郷)の皇帝になったので大義名分があります。清朝とは満洲族がシナを征服した王朝でしたから。
・溥儀(ふぎ)の自伝『わが半生』に「私は感激がこみ上げてきた」とあります。
溥儀
溥儀

・満州国を承認しなかった犬養毅は5・15事件で暗殺されます。
犬養毅
犬養毅

・やがて日本政府(斎藤実内閣)は「日満議定書」を結び正式に満州国を承認しました。

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資料「日満議定書」
・満州国は日本と中国で結ばれた条約を尊重する。
・日本と満州国は共同で国家を防衛し、満州国に日本陸軍を駐留する
 (いま、日本全国にある米軍基地と似ていますね)。
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6 国際社会の反応と日本
・中国は強く抗議し、最初は日本に肯定的だったアメリカも後に態度を変えて日本を叩きました。国際連盟も一連の日本の行動を批判しました。
・資料で、双方の意見を読む

****************************************
【資料】国際連盟の意見
・日本が満州でやったことは2つの条約に違反している。
1 パリ不戦条約違反・・・満州事変は条約が禁じた「侵略戦争」にあたる。
2 九ヶ国条約違反・・・満州国は条約が禁じた中国の領土変更にあたる。

【資料】日本政府の意見
・日本の行動は次の理由で正当である。
1 満州事変は、中国側や共産主義者の反日暴動やテロ行為に対する正当防衛であり、国 民の生命財産と権利を守る自衛の戦いである。パリ条約は自衛戦争は禁止していない。
2 満州は中国の領土ではなく満洲人の土地である。満州国は、満州民族の独立運動の結 果であり、満洲民族の皇帝溥儀を君主とする満州民族の国家である。
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・国際連盟は日本の主張を受けて、リットン卿(イギリス人)を団長とする調査団を派遣することになりました。日本もこの調査団派遣を歓迎します。
リットン調査団
リットン調査団柳条湖付近の調査

・資料「リットン報告書の要点」を読ませ、以下のようにまとめます。

****************************************
【資料】リットン報告書の要点
1 満州における日本の権利は正当であり、中国人の反日行動は違法である。また、中国 国民党が反日運動をやらせている事実は条約違反の違法行為である。
 (これは、関東軍の行動は正当防衛であり「侵略戦争ではない」と認めたことになる)
2 しかし、満州国建国は認められない。中国の主権を認め、満州に法と秩序を守れる政 権をつくれ。
 (これは九ヶ国条約違反ではないという日本側の主張を否定したものです)
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 7 リットン調査団報告書を受け入れるべきか、拒否すべきか?
┌──────────────────────────────────────┐
│   当時の日本のリーダーの一人として、受け入れるか拒否するかを選び、
│  ノートに理由を書きなさい。
└──────────────────────────────────────┘
・意見分布を取り、理由を言わせる。

【日本は、リットン報告書を受け入れなかった】
・1933(昭和8年)日本は、満州国を承認しない国際連盟で孤立し、国際連盟を脱退 した(松岡洋右代表)。
(日本が世界中から孤立してしまったととらえる考えと、大国アメリカのいない連盟を脱退しても、まだ十分日本の外交は成り立ったという考えと、両方あることを教えます。)
・同年5月、日本と中国はタンクー停戦協定を結んだ。
(これは、実質的に、中国が満州国の成立を認めたものであると教えます)
満洲2
満洲国旗
満州国国旗


8 満州国の繁栄と滅亡
・次の資料で、満州国の繁栄を教え、授業を終える。

***************************************
【資料】繁栄した満洲帝国
 満州国は「五族協和」のスローガンのもと「王道楽土」の理想を持って発展していきました。EUの父と言われたクーデンホーフ・カレルギーはこう言います。
「今日において満州はシナ全体で最も繁栄し最も発展している。人口は増え、各種工業が発展して経済上の中心地になっている。日本は何十億円という巨費を投資し、シナ革命によって混乱をきわめているシナで治安の良い別天地を作った。シナ全土から移住してくる数百万のシナ人移民に安住の場所を与えたのである」
 ラルフ・タウンゼント(1931年上海アメリカ副領事)はこう言う。
「そこに暮らす三千万の中国人には満州国は天国である。中国の領土保全、門戸開放、機会均等を説いたいわゆる『九か国条約』が結ばれてから十年、一体全体その条約が誰かの役に立ったか。役に立っていない。逆説的な言い方になるが、いくら『条約が破られた』と嘆いたとしても、その結果、満州に暮らす人に安寧と繁栄がもたらされたのである」
満洲の町並み
満洲の町並み
満洲アジア号
アジア号

 昭和11年(1936年)4月に第一次産業開発5か年計画が定められ、満州は繁栄期に入ります。電力、鉄鋼、石炭、液体燃料、アルミニウム、鉛、亜鉛、石綿、塩、ソーダ灰、パルプ、畜産加工、兵器、飛行機、自動車、車両の増産が図られていきました。満州の熱気を象徴するものに豊満ダムがあります。このダムは吉林省の上流20キロの地点に作られました。貯水面積は620平方キロで琵琶湖大の人造湖が忽然と満州の中央に出現しました。多目的ダムであり、洪水防止、灌漑、飲料水、工業用水、航運、発電に利用されました。このダムの完成後、視察に訪れたフィリピンの外相はその規模と効用の大きさに驚嘆し、「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカの支配下で40年が経過している。だが住民の生活向上に役立つものは一つも作っていない。満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか」と歓声を発したといいます。
豊満ダム
豊満ダム

 満州の人口は1915年には2000万人でしたが、昭和16年には4300万人になっています。年間百万人前後の人間が安住の地、天国、満州めざしてなだれ込んでいったのです。
(参考)ラルフ・タウンゼント「暗黒大陸中国」(芙蓉書房出版)、宮脇淳子「世界史のなかの満州帝国」(PHP新書)ほか
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・1945(昭和20)年、8月、日ソ中立条約を一方的に破ったソ連軍の暴虐によって、満州国は滅びたことを教えます。12年間の「幻の帝国」に終わりました。
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シナ事変(日中戦争)の真実 | Home | 「松江豊寿陸軍大佐と『武士の情け』」

コメント

No title

支援太字の文斜体の文

2015/08/20 (Thu) 22:35 | #- | URL | 編集
No title

失敗しました・・・

2015/08/20 (Thu) 22:36 | #- | URL | 編集

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