授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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尖閣はいかにして日本の領土となったか

●「授業づくりJAPAN YOKOHAMA プライマリー」代表:安達弘さんの授業(中学生向け)です。
安達弘さんのブログはこちらです。
授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー

●メインの資料である琉球切手は服部剛さんが教材開発したものです。こちらを参照してください。
幻の尖閣切手- 琉球政府郵政庁職員たちの気概の物語




「尖閣はいかにして日本の領土となったか」を教える


◆ 領土教育の授業づくり3つのポイント

昨年は北方領土、そして今年は尖閣諸島の授業を提案させていただいた。
この2つの授業づくり及び「授業づくりプロジェクト」でのアドバイスをふまえて、次の3点を「領土教育の授業づくり3つのポイント」として提案したい。

I .興味がもてる導入を工夫する
II. 「事実」を自分で調べさせる
III. そこに生きた人の姿を教える

この Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ.の学習を生徒側から捉えると次のようになる。

「この勉強は面白そうだな」と〈身〉を乗り出す
「ここはわが国の領土だ」という「正義を〈頭〉で理解する
そこに生きたご先祖様の姿を思い浮かべて〈心〉で感じる




◆ 授業の展開(対象は中学生)


【1】1枚の琉球切手


とくに前置きはしないで、次の資料を黒板に貼る。

琉球切手
先覚

資料はアホウドリが図案になった琉球切手である。そして、次のように指示する。

この写真を見て気づいたことや、わかったことをノートに箇条書きで書き出してみましょう。

作業の時間を約3分〜4分間与えた後に発表させる。

生徒から出てきた気づきを、おおよそ以下の3つのカテゴリーに分けて板書する。

(1)海、島、絶壁などの地形に関すること
(2)鳥に関すること
(3)「琉球」等の表記に関すること


生徒の発表が終わったら、以下の順番で生徒の気づきを取り上げる。そして、資料等を見せながら説明をしていく。


(1)「地形」を取り上げる

まず、この切手の図案はいま問題になっている「尖閣諸島」であることを教える。そして、3つの地図を順に示して尖閣諸島の正確な位置、近隣諸国との距離、島の名前も確認させる。

日本列島における位置
尖閣2

近隣諸国との距離
尖閣3

5つの島と3つの岩礁
尖閣4

また、島の写真を見せて、5つの島と3つの岩礁から成っていること、現在は個人の所有になっていることなどを教える。尖閣諸島のアウトラインをここでチェックする。

尖閣諸島
尖閣5


(2)「鳥」を取り上げる

この図案に描かれている鳥はアホウドリであることを教える。アホウドリは絶滅危惧種である。世界広しといえども、尖閣諸島と伊豆諸島でしか繁殖しない。この事実は生徒を驚かせるはずである。

アホウドリの大きさ
アホウドリの大きさ

アホウドリの群れ
アホウドリの群れ

センカクモグラ
センカクもぐら

ちなみにアホウドリは全長約92センチ、翼長2.4メートルの大型の海鳥である。その飛ぶ姿はたいへん優雅で、古名には「沖の大夫」(海の沖を飛ぶりっぱな鳥)という名前もあるほどである。この鳥がなぜアホウドリと呼ばれているかと言うと確かに空では優雅な飛行を見せるが、地上ではヨタヨタと歩き、簡単に人間に捕まってしまうかららしい。

さらに時間があれば尖閣諸島に棲息する動植物の固有種の多さにもぜひ触れたい。


(3)「表記」について取り上げる

おそらく生徒は「琉球郵便」と「5セント」という表示には必ず気付くはずである。しかし、ここではその気づきだけはほめて「琉球」が「沖縄」のことであることのみを説明する。

この気づきは次の学習で明確になることを予告して次に進みたい。
謎を残して興味を引っ張るのである。

(なお、授業の最後にこの琉球切手の話題を再度取り上げる。なぜ図案に「尖閣諸島」を取り上げようと考えたのか?当時の人の考えを予想してみる、という学習をしてみたい)


【2】年表を読み取る

「尖閣諸島の歴史」年表「尖閣諸島の歴史」年表(右図)を配布し、以下のように発問する。
年表「尖閣諸島の歴史」
尖閣諸島の歴史年表

この年表を見ると尖閣諸島は間違いなく日本の領土だ、という証拠がたくさん見つかります。
探して線を引いてみましょう

ここは作業の時間を十分に取る。

机間巡視しながら生徒の様子を見て、発表させる。

生徒に気づいて欲しいのは以下の5つの事実である。生徒の発表を受けて、追加資料を示しながら説明をする。

(1)我が国は約200年も前に尖閣諸島を領有する意志を示していた
 「先占」という考え方を教える。民法239条に「無主の、すなわち、現在所有者のいない動産を、所有の意思をもって占有することをいい、これにより、その動産の所有権を取得することができる」とある。国際法上の領土問題にもこの考え方が適用されている。つまり、どの国家のものでもない土地に対し、ある国家が他の国家よりも先に「ここは私たちの領土です」と意思表示し、行動することでそこは自国の領土と認められる。
##当時の明治政府は、入念な事前調査をしている。他国がこの島に対してどんな行動を取っているかを確認しているのだ。用意周到に下調べをして無用なトラブルが起きないように気を配っている。


(2)私たち日本人のご先祖様がこの島で実際に生活を営んでいた
尖閣諸島にはその豊富な海産物に目を付けたさまざまな人々が開拓にチャレンジしている。が、その中で本格的な開拓に挑み、成功したと言えるのは古賀辰四郎だけのようである。

中央の白い帽子が古賀さん
中央白帽子が古賀さん

カツオブシ工場
鰹節工場

 辰四郎は福岡県の農家の出身で一民間人である。尖閣諸島の調査を独自に進め、開拓許可の申請を出している。この辰四郎の許可申請が政府による調査のきっかけになったらしい。こうした名もない一日本人の行動力が自国の領土を広げたのであり、これによって現在の私たちは豊かな資源を手にするという恩恵に預かろうとしているのだ。生徒にもこうした過去と現在・未来のつながりを実感して欲しい。
  また、辰四郎がさまざまな事業を展開し、島に工場や労働者の住居・食堂・浴場などの施設があったことも話題にしたい。生徒たちに当時の生活の匂いを教室で感じさせたい。


(3)中国政府自身が「尖閣諸島は日本の領土だ」と認める感謝状を贈ってきている
感謝状1919年に中国福建省の漁民31名が魚釣島付近で遭難した。この頃すでに、尖閣諸島の開拓事業は古賀辰四郎から息子の善次に引き継がれていた。この遭難者を発見した善次らは八重山県庁、石垣島村役場とも協力して救助し、中国へ送り返したと言う。この行動に対して、長崎の中国領事が感謝状を贈呈している。そこに「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と書かれている。なお、この和洋島とは魚釣島のことである。
 この感謝状は、いまも沖縄県石垣市役所に保管されている。
中国政府の感謝状


(4)尖閣諸島はアメリカから返還されている。

人民日報
中国発行「人民日報」1953年1月8日 尖閣諸島を琉球群島と明記している
地図
人民日報

台湾が1959年に発行した地図(台湾と尖閣の間に国境線がある)
台湾発行地図

中国が1960年に発行した地図(尖閣が国境線より日本側にある)
中国発行地図

 日本がかつてアメリカを含む連合軍に占領された歴史があることは小学生でも知っている。尖閣諸島は1972年の沖縄返還時に同時に日本に返還されている。日本の領土だったからこそ「占領」されたのであり、もともと日本の領土なのだから「返還」されたのである。
この事実は尖閣諸島が、日本のもの→占領されてアメリカのもの→再び日本のもの、というルートをたどったことを証明している。小学生でも理解できる単純明快な論理だ。

 導入の時に残していた「琉球」について触れる。まず、沖縄はかつて「琉球王国」という独立国であり、「琉球」という言葉が、いまも残っている理由はここに由来することを教える。次に、切手にある「琉球政府」というのはアメリカ占領時の沖縄統治機構の名称であることを教える。つまり、この切手はアメリカ占領時に発行されたものであることがわかる。単位が円でなくセントである理由もこれで理解できる。

(5)中国・台湾の領有権主張は国連の海底調査以降である。

 年表を見ると1968年に国連のアジア極東経済委員会が東シナ海を調査している。この調査の結果、尖閣諸島近海の海底に豊富な埋蔵量の油田があることがわかった。つまり、中国と台湾はこの事実を知ってから領有権を主張し始めたのだ。百年以上前から、尖閣諸島を開発してきた歴史をもつ我が国とは比較にならない「軽さ」である。


【3】古賀辰四郎の「お話」を読む

最後は生徒に尖閣諸島に生きた日本人の姿を知ってもらう。

この場合は「お話」教材を自作するのがよい。「北方領土」の授業化では元島民の方の生の証言を扱ったが、尖閣諸島の場合は教材にうってつけの人物がいる。古賀辰四郎である。

辰四郎は実際に島で生活を営んだ人物であり、尖閣諸島領有化のきっかけを作った人物である。

以下の教材を先生が読み聞かせる。

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尖閣諸島を開発した古賀辰四郎


 みなさんは尖閣諸島を知っていますか。尖閣諸島は沖縄県の石垣島よりもさらに東の海に浮かぶ小さな島々です。最近、テレビのニュースや新聞記事に取り上げられることも多いので関心を持っている人もたくさんいることでしょう。この島々は明治時代から正式に日本の領土です。ところが、1968年以降、近隣国が領有権を主張し始めました。

「おやじが探検してから90年近く、私が払い下げを受けてから40年にもなります。にもかかわらず中国が何かをいい始めたのは、やっとここ2、3年のことじゃないですか。何をいっているんですかねえ」(1972年週刊誌のインタビュー)

インタビューに答える古賀善次さん
古賀善次さん


こう話すのは古賀善次さんです。善次さんは実際に尖閣諸島で生活した経験をお持ちです。島でカツオブシ工場を営んでいました。じつはこの善次さんのお父さんである辰四郎さんこそが尖閣諸島を開発した人なのです。

辰四郎さんは江戸時代の終わり頃の1856(安政3)年に福岡県の八女市(やめし)に生まれました。八女市はお茶の栽培で有名なところです。

辰四郎さんは何事にも失敗を怖れずに取り組もうとする行動力がありました。それは、お茶の販路拡大をめざして沖縄に渡ったときに、別の新しい事業に挑戦したことでもわかります。それは夜光貝の採集と加工・販売です。夜光貝はサザエに似た貝で内面に真珠のような光沢がある美しい貝です。当時、沖縄の人たちは中身だけ食べて貝そのものは捨てていました。辰四郎さんは捨てられている貝殻を高級ボタンの材料としてアメリカやイギリス、フランスに輸出して大成功したのです。

辰四郎さんは、1884(明治17)年ごろから大東島、ラサ島、鳥島などさまざまな島を探検していました。その中に尖閣諸島も入っていたのです。

息子の善次さんは次のように言っています。

「鳥の多い面白い島だという話が伝わっておりまして、漁に出た若者が魚をとるのを忘れて鳥を追っていたというような話がよくあったそうです。おやじもそんな話を聞いたんですね。そこで、生来冒険心が強い人間なものだから、ひとつ探検に行こうということになったんです」

南小島に乱舞するアホウドリの群れ
南小島アホウドリ

10年かけて作った船着き場
船着き場

カツオ節工場の前で記念写真
鰹節工場2


この島の豊富な海産物に目を付けた辰四郎は政府へこの島の開発を申請しました。

申請書には「アホウドリの羽毛はヨーロッパへの重要な輸出品になる。だが、島をこのままにしておくと乱獲されてしまう恐れがある。きちんと管理しながら事業を進めることが大事だ」という意味のことが書かれています。しかし、当時の政府は島の所属が不明であることを理由に認めませんでした。その後、日清戦争後の1896年についに政府の許可がおりて本格的な尖閣諸島の開発が始まりました。

まず、専門家を派遣して島の風土病、伝染病の有無、ハブやイノシシなどの動物の生態、飲料水の適否などを調べさせました。大きな問題はないことがわかると、技術者のアドバイスを受けて防波堤を築き、水をためるタンクや住居を作って人が住める環境を整備しました。そして、50人を引き連れて島に移住しさまざまな産業を起こしました。アホウドリの羽毛はドイツなどへ輸出。グアノと呼ばれる鳥の糞を含んだサンゴは肥料として台湾へ売りました。その他フカヒレ、貝類、べっ甲などの採集、カツオブシの製造、みかんの栽培なども手がけました。出稼ぎの人たちも島を訪れて島はさらに活気づき、最盛期には284人の島民が島に定住し、「古賀村」と呼ばれるほどでした。

その後、辰四郎さんは採取した海産物をセントルイス万国博覧会に出品して金賞を受賞しました。金賞の受賞は日本製品のよさをアピールし、輸出産業の活性化につながったに違いありません。また、御木本幸吉氏と共同で沖縄に真珠の養殖事業を起こして政府からも表彰されています。

辰四郎さんは明治期の殖産興業を進め、私たちの国を西洋諸国に負けない国へと発展させた人物と言っても過言ではありません。日本の発展に尽くした辰四郎さんは1918(大正7)年に63歳で亡くなり、事業は息子の善次さんに引き継がれました。

辰四郎さんの無人島を開発してそこに産業を興すという勇気ある行動によって、いま私たちは「尖閣諸島は日本の領土である」と力強く証明することができるのです。

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読み終わったら、数人の生徒に感想を求めたい。



【4】なぜ尖閣を図案にしたのか

最後に次の発問をする。

『もう一度、この琉球切手を見てみましょう』

当時の琉球郵政庁の浜元暁雄さんは「尖閣諸島を図案にした切手を発行したい」と強く希望していました。
なぜ、尖閣諸島の図案にこだわったのでしょう。
なお、「この切手が発行されたのは1972年です」というヒントを用意しておく。

中国・台湾の領有権の主張が始まる時期と切手の発行年、沖縄の祖国復帰がほぼ重なっていることに気付かせる。

当時の琉球郵政庁の職員が「尖閣諸島は日本の領土である、ということを自分たちの力でアピールしたい」という強い気持をもっていたことを伝える。

この最後のエピソードの紹介を通して生徒に自国の領土を守ろうとする気概を伝えたい。

なお、この最後のエピソードについては大会2日目に発表された服部剛氏のレポート「幻の尖閣切手〜琉球政府郵政庁職員たちの気概の物語」に詳しい。
幻の尖閣切手-琉球政府郵政庁職員たちの気概の物語


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