授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

栗林中将と硫黄島の戦い(小学校)

●この授業は安達 弘さんの実践です。

《はじめに》


 栗林忠道中将と硫黄島の戦い」を六年生に授業した。小学校の歴史学習(2時間扱い)である。
            
■目標
硫黄島の戦いについて調べ、栗林中将の考え方や思いを想像する学習を通して、祖国を守るために戦争で命を失った人々を敬う気持ちをもつことができる。


第1時 栗林中将


(1)硫黄島を知る


『これを見て下さい』 
パソコンを使い、プロジェクターで「硫黄島全景写真」の画像を見せる。
硫黄島全景


『これは島です。何という島か知っていますか?』

二人の子が手を挙げた。       
「硫黄島だと思う」          

『よく知っていますね。どうして知っているの?』                
「硫黄島からの手紙でしょ」       
「映画になっているから知っているよ」                      

硫黄島がわかる小学生がいるのは驚きである。さすがに映画の影響は大きい。  

『この硫黄島が映画になっているのを知っている人?』

五~六人の手を挙がり、「ドラマでもやっていたよ」など声が聞こえる。        
授業のタイトルとして〈硫黄島の戦い〉と板書し、続けて「硫黄島周辺図」を見せる。
硫黄島の位置

『硫黄島は小笠原諸島の近く、日本本土とサイパン島のちょうど中間地点です』



(2)戦場になった理由を考える


『じつはこの小さな硫黄島は日本とアメリカの戦争の中で一番激しい戦いが行われたところなんです』
『ところで、なぜこの小さな島が戦場にな ったのでしょうか?』

「日本とサイパンのちょうど真ん中にあるから(どっちにも役に立つ)」
「日本から見るとそこが爆撃を防ぐ場所になっているから」

アメリカから見ると硫黄島は日本本土を攻撃するためになくてはならない重要な島なのです。なぜなら、

①B29の基地・サイパンと日本本土を結ぶ線のちょうど中間にある
②硫黄島の日本軍戦闘機によりサイパン基地は攻撃を受けかなり損害があった
③これを避けるために回り道をしなければならず燃料を余分に使い、しかも爆弾の量を減らさなければならなかった
④本土爆撃を硫黄島の日本軍にキャッチされ、警報を出されてしまう
⑤戦闘機の護衛をつけるための基地にしたい(サイパンでは遠すぎる)
⑥日本軍にやられたときに不時着できる場所が欲しい。

日本から見ればこの裏返しとなり、硫黄島は小さいが日本本土を守るための重要な島だということになるわけです。
この硫黄島をアメリカ軍に取られれば日本本土はさらに空襲の恐怖にさらされることになってしまいます。家族も友だちも恋人も大勢の日本人が空襲で死ぬことになるでしょう。なんとしてもここを守り抜いてから、

『ですから、これが硫黄島を守る日本軍の目的になります』

板書する。
〈ここを守り抜いてアメリカ軍の本土空襲を阻止する〉


(3)栗林中将の考えを追体験する

『この硫黄島を守る日本軍守備隊のリーダーが栗林忠道中将です。』
「栗林中将の写真①正面」と「写真②指揮する栗林中将」を見せる。
栗林中将正面
栗林中将指揮

『資料を読んでみましょう』

【資料:硫黄島と栗林中将】を配布して読ませる。
******************************************
 硫黄島は東京から1250㎞離れた火山島です。小さな島ですが、アメリカ軍から見ると安全に日本を空襲するために絶対にほしい場所でした。逆に日本軍にとってはなんとしても守り抜かなければならない大事な場所だったのです。このときの日本とアメリカの戦力を比較してみると、圧倒的にアメリカ軍が有利です。 

 硫黄島はその名の通り硫黄ガスが吹き出し、地熱のため地中は高温で40~60度もあります。地形は、高さ169mの摺鉢山があるだけで、全体は平坦になっています。この島を守る兵士にとって何よりも困るのは水がないことです。島には池も川もありません。井戸を掘っても硫黄分多く塩辛い水しか出てきません。そこで、飲料水は雨水にたよるしかありませんが、雨はめったに降らないのです。その貴重な雨水も、ためておくとボウフラがわいてしまい、飲むと下痢をしてしまいます。しかし、飲み水はこれしかないのです。

栗林忠道中将は守備隊のリーダーとしてこの硫黄島に降り立ちました。栗林中将とはどんな人だったのでしょうか?


  兵力        大砲(陸)   戦車(陸)        艦砲(海)       航空力(空)
日 本 軍   2万1152名  23門   1個連隊     なし          75機
アメリカ軍   6万1000名 168門    3個連隊   14250トン 4000機以上



①部下である兵士を大事にした栗林中将は硫黄島に来ると部下と同じ食事をしました。リーダーであっても普通の兵士と同じ食事をして部下の栄養状態に気を配っていたのです。1日にアルミのコップ一杯の水で洗面・手洗いするのも兵士と同じでした。当時の軍隊でこのようなことは普通はありえないことでした。また、たまに新鮮な野菜や水が届けられると部下を呼んで分け合ったといいます。部下と苦労をともにする人だったのです。

②命をそまつにすることを嫌い最後まで戦おうとした当時の日本軍は敗色が濃厚になると「いさぎよく死のう」と考えて刀を抜いて敵に向かって突撃することが多かったのですが、栗林中将はこれを許しませんでした。日頃から「最後の一人になっても相手を悩ませろ」と兵士に言って聞かせていました。

③アメリカに留学したことがある栗林中将はアメリカに約2年間、軍事研究のために留学したことがあります。ですから、アメリカの事情にもとてもくわしくなっていました。車を買ってドライブをしたり、アメリカ人の友だちもたくさんいました。    

④家族思いのお父さんだった栗林中将は、このアメリカ留学中にまだ字が読めない自分の子どもにたくさんの絵手紙を出しています。また、硫黄島からも空襲にさらされている東京の家族宛になんと41通も手紙を出しています。どの手紙も奥さんや子どもの健康を心配するなど、家族思いであることがわかる内容のものばかりです。
*******************************************

教師が音読しながら説明を加えていく。
説明の中で「アメリカから息子に送った絵手紙」
「硫黄島から家族宛に送った手紙」を画像で見せた。

『資料を読んで栗林中将のことはだいたいわかりましたね。今日の学習は人物学習です。今日はこの栗林中将になったつもりで考えてもらいます』          

課題を板書する。
〈栗林中将はどうやって硫黄島を守ろうとしたのだろうか?〉


『襲撃を阻止しなければなりません。
じつはこのとき、硫黄島での戦い方として二つの考え方がありました。「お話」に
もあるように一つは水際作戦、もう一つ はモグラ作戦です。栗林中将は目的を
達成するためにどちらの作戦を選んだと思いますか?あなたの考えをプリントに書きましょう。』

7分後に発表させて、話し合いをした。
まず、人数分布を取った。

Aの水際作戦派は9人。
Bのモグラ作戦派は15人だった。

子どもたちに意見を求めて話し合いをした。
「ぼくはAです。モグラ作戦だと掘っている最中に攻めてこられたらもうどうしようもないと思う」
「ぼくもAだと思います。硫黄島は地中の温度が四十~六十度なんだから暑すぎて掘れないと思う」

「ぼくはBです。こっちは人数が少ないんだから海岸に集中したら大砲とかで一気にやられてしまう。それに栗林中将は最後の一人になっても相手を悩ませろ、と言っているんだからBの方が目的に合っている」
「ぼくもBです。一人になっても相手を悩ませろと言っていて、Bなら一人でも地下トンネルを使って相手を欺くことができるはず」

「Aです。さっき人数が少ないから、って言っていたけど少ないからこそ長期戦に持ち込むのはまずいと思う。一気にカタをつけないとダメだと思う。で、一人になってもというのは「あきらめるな」ということを言いたいのであって実際に一人で戦えるわけはない」
「Aです。長期戦になると日本はモノがなくなってきて絶対に不利だと思う」

「私はBです。Aだと相手との距離が近すぎるように思う。もともと戦力の弱い日本は近すぎる戦いは不利だと思う」
「ここは平坦で、相手は空からも攻撃してきますよね。ということは日本軍は丸見えということになる。そのままじゃあやられてしまうので地下に隠れる必要があると思う。だからBです」

「ぼくはBです。栗林中将は命を粗末にすることを嫌ったと書いてあるので、地下から攻撃した方が兵士の安全性が高くて戦いやすいと思う」
「私もBです。同じで硫黄島は平坦だからそのまま歩いていたりしたらやられてしまうから地下に潜って戦ったほうがいい」
「私もBです。海岸線に集中してしまうと島の真ん中を取られた場合はさみうちになってしまう」

こうして約10分間話し合ったあと再び人数分布を取ってみると、Aは3人。Bは21人となった。

『栗林中将が取った作戦は「モグラ作戦」です。島中に地下トンネルを掘り、洞窟や山を結び地下に要塞を作ったのです。そして、この地下要塞を使ってできるだけ長くアメリカ軍を硫黄島に釘付けにする作戦をとりました。これによって「こんな小さな島は五日で占領できる」と考えていたアメリカ軍の目論見は崩れ、なんと三十六日間も戦闘は続きました。最期は硫黄島の日本軍は全滅してしまいましたが、死傷者の数は負けた日本軍よりも勝ったアメリカ軍の方が多くなってしまったほどです。』


(4)硫黄島の戦いと栗林中将の歌


『では、最後に硫黄島の戦いの様子を写真で見てみましょう』
再びパソコンで画像を見せながら説明を加える。
①硫黄島周辺に集結するアメリカ艦隊
②硫黄島への爆撃・・・爆撃された鉄量は硫黄島を厚さ一mの鉄板で覆えるほど。もし、モグラ作戦をとっていなかったら戦う前に全滅していたかもしれない。
硫黄島1
③硫黄島に押し寄せる米軍上陸艇
硫黄島2
④砂浜で釘付けの米軍海兵隊・・・なぜか?日本軍は地下にいた!
硫黄島3
⑤日本軍要塞 ・・・モグラ作戦で圧倒的に有利な米軍を苦しめる
⑥地下トンネル
硫黄島4
⑦地下トンネルを造る日本軍兵士
⑧地下で隠れる日本軍
⑨戦車もカモフラージュ・・・しかし、しだいにやられていく
⑩洞窟への米軍の火炎放射器
⑪米軍のロケット砲・圧倒的な物量差
⑫星条旗が立つ                             
硫黄島5

『最後まで戦い抜いた栗林中将はこの戦闘で死ぬ間際に短歌を作っています』  
短歌を黒板に書いた。

国の為 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

一回だけ音読させた。
この短歌の最後にある「悲しき」には栗林中将のどんな気持ちがこめられていると思いますか?

「がんばったのに自分の手で家族を守れなかった、という気持ちだと思う」
「今の意見に似ているんだけど、もっと全体に自分の国を守れなかったという気持ち」

最後にお話をした。
『そうですね。いまの二人が言ってくれたように「悲しき」というのは無念の意味が込められているのだと思います。また、多くの部下を亡くしたり、大切な家族にももう会えないという気持ちもそこに込められているかもしれませんね』



第2時 硫黄島での再会

(1)なぜアメリカ人が映画を作ったのか

映画のパンフレットを見せる。
硫黄島6

『みなさんも知っているようにこの硫黄島の戦いは映画になりました。アメリカ人の映画監督が日本人・栗林中将を主役にした映画を作ったのです。監督はクリント・イーストウッドで、製作はスティーブン・スピルバーグです。主演は渡辺謙です。』

なぜ、アメリカ人のC・イーストウッドさんは日本人である栗林中将を主役にしたこの硫黄島の戦いを映画にしようと考えたのでしょうか?自分の考えをノートに書きましょう。

数分後、発表させた。
「アメリカ人が監督することで日本とアメリカの両方の戦っている時の気持ちを伝えたいと思った」
「日本とアメリカの両方の視点で映画を作れば平等になると思ったのではないか」
「栗林中将の姿に感動したんだと思う」
「アメリカ軍に三十六日間も耐えた栗林中将のねばり強さを世界中に伝えたかったから」
「栗林中将のあきらめない姿に感動した」
「栗林中将の作戦に手間取ったアメリカ人はこの戦法のすごさをもう一度見直して世界に伝えようと思ったのではないか」
「日本人とアメリカ人の両方に戦争の恐ろしさを伝えたかった」
「昔は戦争をしていたけど、今は仲がいいんだということを知らせたいと思った」

最後にC・イーストウッドの「日本の皆様へ」を読み、それぞれの意見とクリント・イーストウッドの言葉の中で一致する点を確認していく。              

絶対に有利と思われた硫黄島の戦いでアメリカ軍は死傷者の数で日本を上回る損害を受けました。しかし、アメリカ軍をここまで苦しめた栗林中将を尊敬しているアメリカ人は多いのです。

『ところで、クリント・イーストウッドはこう言っているね。「日米両軍の若者たちに共通して見られた姿勢にとても興味を持ちました」って。共通した姿勢って何だろう?』 

難しい質問だったようで、ずいぶん経ってから一人の子が答えた。

「自分の国を守るために戦ったところ・・・」

『そうですね。日本の兵隊さんもアメリカの兵隊さんも自分の国を守りたい、家族を守りたい、友だちや恋人を守りたい、そういう気持ちで命をかけて戦っていたんです。それは日本もアメリカも同じです』


(2)硫黄島慰霊祭

さらに以下の点について紹介する。

『じつは五十年後に日本側の呼びかけで硫黄島で日米合同の追悼慰霊祭が行われました。激しい戦闘をくり広げた日本の兵士とアメリカの兵士が硫黄島で会うことになったのです。どんな気持ちだっただろうね』

*DVD【鎮魂硫黄島】を見せる。     
見せたのはチャプター4・米軍の上陸~5・黒い死の島(途中まで)の戦闘シーンとチャプター12・平和への祈りの合同慰霊祭のシーンである(計十五分程度)。

感想を求めた。
「友だちとかも死んでいるしきっと複雑な気持ちだったと思う」          
「戦闘をしたもの同士でもわかりあえるんだなと思った」             
「すごく生々しくて怖かった」      
「同じなんだけど生々しくてうまく言葉にできない」               


■授業を終えての子どもたちの感想

○第一時を終えての児童の感想

*硫黄島というちっぽけな島で、こんなにも悲しい戦いがあったと思うとかわいそうです。栗林中将はこの三十六日間の中で、どんなことを思っていたのか、ということをもっと調べてみたいです。

*ぼくはこの学習で、栗林中将の事を知り、少し感動しました。栗林中将の部下を大切にする気持ちにとても感動すると同時に、栗林中将をとてもかっこいいと思い、あこがれを持ちました。

*とても小さな硫黄島がアメリカにとっても日本にとっても大事な島ということがわかった。戦力は圧倒的にアメリカが有利なのに三十六日間も耐え、死傷者は日本よりもアメリカの方が多いことがわかりました。栗林中将は国のためにがんばったと思った。

*アメリカは硫黄島を五日で手に入れることができると思っていた。たしかに、兵力・攻撃力・武器の性能・航空力、どれをとってもアメリカの方が上だった。でも、日本は作戦一つで五日で終わると言われていたのを三十六日間もの日数を守り抜いたのはすごいと思った。

*栗林中将はとても勇敢でかっこいいと思いました。けれど、もっとすごいのは五日で全滅すると思っていたアメリカを三十六日間も守り抜いたことはすごいと思いました。

*栗林中将は最初から勝てるとは思っていなかったと思います。だから、あんなにたくさん家族に手紙を出したのだと思います。そして、最後に改めて思うとやっぱり悲しくなってきて短歌を作ったのだと思う。

*やっぱり日本軍はアメリカにはかなわなかったんだなと思いました。でも、硫黄島は協力があったからこそここまで長期戦で耐えられたんだなと思った。やっぱり栗林中将はリーダーとして果たせなかったという気持ちと家族への気持ちが大きかったと思う。でも、戦争って勝った方も負けた方も心に大きな傷ができるんだなと思った。生き残った人は一生忘れないと思う。

*栗林忠道中将はとてもすごい人だと感じました。家族・部下を大事に思っていたし、日本本土を守ろうと思う気持ち、最後まであきらめずにやろうと思うことがすごいと思いました。

*聞いた話だけど、栗林中将はとてもいい人だったと聞いていたのでどんなところがいい人なのかなと思っていたけれど、今日の勉強して部下を大切にし、家族のことを愛していたことがわかってよかったです。この栗林中将
がいたおかげで少しは日本にいる人の命が助かったのだと思います。


○第二時を終えての児童の感想

*戦争をしてどちらも嫌っているはずなのになぜ映画を作ったのかと思いました。やっぱりどちらも戦争をしたくなかったのだと思った。クリント・イーストウッドさんは栗林中将をはじめ両国の若い兵士に感動して映画を作ったんだなと思った。

*とても生々しくて何も言えないぐらいでした。だけど、戦争はとても怖いなあと思いました。戦争の時、戦っていたけれどやっぱり同じ気持ちで戦っていたことを知りました。

*硫黄島にはたくさんの歴史があるんだなと思いました。硫黄島の戦いでたくさんの人が亡くなってしまって少し怖かったけど、五十年後にアメリカ人と日本人が仲良くなっていたことで時が過ぎると人と人の仲も変わるんだなと思いました。

*私はこの授業で戦争の恐ろしさを知りました。また、たくさん死んでいった日米の兵士はどのように考えて死んでいったのかなと思いました。

*DVDを見て戦争はすごく残酷だと思った。あんまり言葉にすることができないんだけど当時の人は死ぬ覚悟でがんばっていたんだなと思った。戦っていた時は「相手」だけど、今は一人の人間として見ることが出来るんじゃないかと思った。

*最後にDVDを見ているうちに言葉にならなくなってとても見ていられなくなりました。栗林中将の遺骨が見つかっていないと聞いてびっくりしました。私はもうそれは土の中にずっと埋まっていていいと思いました。もっと戦争のことを知りたいです(少し怖いけど・・・)。

*いままで戦争は歴史の中や映画の中だけのものだったけど、DVDを見て生々しく、だけど身近に感じることができました。でも、お互いに戦争はやりたくないものなのにどうして戦争が起こるのか不思議です。

*自分の国の為にがんばってくれた兵士たちの多くは本当なら亡くならなくてもよかったのに、すごくかわいそうだなと思いました。遺骨が見つからない人はがんばって命をかけて戦ったのに骨が見つからず自分の国に帰ることもできなくて残念だしかわいそうだと何度も思ってしまいました。でも、六十年後にアメリカの兵士たちと分かり合えているし、亡くなっていった人たちもアメリカとわかりあっているのがうれしいだろうなと思いました。


《授業を終えて》

以下、この授業実践を終えて「硫黄島の戦いと栗林中将」の小学校歴史教材としての価値について私がいま感じていることを書きたいと思う。

〈栗林中将と人物学習〉
 感想をご覧頂くとわかるが、子どもたちは私の想像以上に「硫黄島の戦いと栗林中将」を真正面から受け止めてくれている。現代の子どもたちがここまで真摯に受け止めるてくれたのは驚きでもあった。

 当然といえば当然ではあるが、感想の中には「感動した」「あこがれを持ちました」「国のためにがんばった」「勇敢でかっこいい」「いち ばん最後まで粘るという精神がすごい」「よくモグラ作戦を思いついたな」「家族思い」「自分のことだけじゃなくて兵士みんなのことを考えるいい人だな」など栗林中将に関するものが多い。

 これら子どもたちの感想に目を通してわかるのことは、栗林中将は小学校の歴史人物学習で取り上げる価値のある人物だ、ということである。

 栗林中将の「教材」としての価値はいくつかある。
 まず、人柄である。部下思い、家族思いである点に子どもたちも惹かれている。
 次にその決断力。圧倒的に巨大なアメリカ軍と戦うためにモグラ戦法を選択したその決断力と知略に子どもたちも感動している。
 さらにアメリカに留学経験があるという数奇な運命である。仲良くなったアメリカ人と戦わなくてはならなくなった、その運命がこの「教材」をより深みのあるものにしている。

 栗林中将の人生と生き方から子どもたちは多くのものを学ぶことが出来る。

〈前線の戦闘と銃後の生活〉
 じつはこの「硫黄島」の授業の前時は「東京大空襲」の学習をしている(ちなみにこの戦争の学習は全部で九時間である。「硫黄島」は六・七時間目にあたる)。
 この前時の空襲の学習が「硫黄島」の学習にとって重要なのである。
 「東京大空襲」の学習で子どもたちは空襲の恐ろしさを学んでいる。あの恐ろしい空襲を阻止しようと命をかけて戦ったのが硫黄島の日本軍である。この空襲に関する学習内容が次時の硫黄島の学習で思考するときのもとになるのである。

 これまでの戦争の学習では「前線での戦争」の学習と「銃後の生活」の学習はあまり関連性がなくややもすると切れたような形で進められることが多かったように思う。

 だが、空襲と硫黄島をセットにして学習計画を立てることで「前線と銃後」は深く関わっていることが理解できるようになるはずである。

 兵隊さんたちはただそこに敵がいるから銃を撃っていたのではない。国を守るため、家族を守るため、友人や恋人を守るために銃を手にして戦ったのである。それをリアルに感じさせるために「空襲」+「硫黄島」の学習は重要である。

《授業づくりのための参考文献》
・梯久美子『散るぞ悲しき』(新潮社)
・R・F・ニューカム『硫黄島』(光人社NF文庫)
・秋草鶴次『十七歳の硫黄島』(文春新書)
・吉田津由子編『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(小学館文庫)
・柘植久慶『栗林忠道』(PHP文庫)
・小室直樹「硫黄島と栗林中将の真実」(『WILL』二○○七年二月号ワック・マガジンズ)・渡辺謙+梯久美子「硫黄島 栗林中将の士魂」(『文藝春秋』二○○七年一月号文藝春秋)
・梯久美子「検証栗林中将衝撃の最期」(『文藝春秋』二○○七年二月号文藝春秋)
・池田清編『図説太平洋戦争』(河出書房新社)
・太平洋戦争研究会『硫黄島とバロン西』(ビジネス社)


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コメント

素晴らしい

感動しました。
自虐史観を埋め込まれている日本人にとって
とても大切な事だと感じます。
ありがとうございます。

2016/08/30 (Tue) 04:50 | なごみん #/2CD/BNk | URL | 編集

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