授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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日中戦争

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■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
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誰でも成果が出せる授業であり、誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 

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日中戦争

 授業が始まる前に「日本の宿命」及び「課題」を黒板に掲示しておく。
 授業は前回の確認から入る。

『今日は戦争の原因の学習の2回目です。前回のキーワードは満州国でした。日本は満州国を作りました。国際連盟は調査団を送り、日本人が中国大陸で危険な目に遭い、安全が脅かされていたことは認めてくれました。しかし、満州は他の国も共同で管理した方がいい、と報告しました。しかし、すでに満州国を作っていた日本はこれに反対しました・・・ここまで学習しましたね。では、今日は戦争の原因の学習、2回目です』
 
 今日のワークシートを配布する。
 ワークに日付とタイトルを書く。タイトルは<日中戦争>である。
 ここで以下のことを確認し、導入とする。

『おさらいを兼ねて確認します。日清戦争と言ったら日本と清の戦争でしたね。日露戦争と言ったら日本とロシアの戦争でしたね。では・・・日中戦争と言ったら?』

「日本と中国です」
『そうです。日中戦争と言ったら・・・日本と中国の戦争・・・のはずですよね?・・・ではワークシートを見てみましょう』 
 ここでさらに付け加える。

『日中戦争と言ったら日本と中国が戦争をしているはずなんですが、ここの3枚の写真を見ると「あれ?へんだなあ」「日本と中国の戦争のはずなのにおかしいな?」と思うところがあります。それを見つけて下さい』


<ワークシート・第1ページ>
★下の写真は日中戦争のときのものです。 3枚の写真を見て気づいたことを書き出してみましょう。
シナ1
日本軍歓迎1

シナ2
日本軍と中国の子ども1

シナ3
日本軍と中国の子ども2

 2分ほどの短い時間だが、子どもたちはいくつかのことに気づく。

「中国の人が日本の旗を持っている」

「日本の兵隊と中国の子どもが遊んでいる」

「戦争をしている雰囲気じゃない」

「日本軍を中国の人が歓迎している感じがする」

『そうですね。日本と中国が戦争をしているはずなのに・・・中国人が日の丸を振って町に入ってきた日本軍を歓迎しています。それに日本の兵隊さんと中国の子どもたちが手をつないで遊んでいたり、おもちゃで遊んでいます・・・・違う写真も見てみましょう』

シナ4
日本軍歓迎2

中国人の女の子が日の丸を自分の家の前に飾っています。ニコニコしています。

シナ5
日本軍と中国の先生
ここにいるのは中国の女の先生です。日本の兵隊さんに校長先生になってもらっています。


シナ6
日本軍の治療1
この衛生兵は戦った相手である中国兵の治療をしています。

シナ7
日本軍の治療2

この人たちは日本軍の衛生兵です。中国の子どもたちの治療をしています。

シナ8
日本軍の礼儀

「中国無名戦士の墓」と書かれています。戦って亡くなった敵である中国兵のお墓を作り、深々とお辞儀をして弔ってあげています。


『それにしても、日本と中国は戦争をしているはずなのに・・・へんですよね。その理由を調べてみましょう』

ワークシートの2ページ目の①を読み、その後に以下の説明を加える。

『つまり、内乱状態ですから、そこにはいろいろな政府や軍閥、盗賊もいます。その中には、ひどい奴もいるんです。そんな人に町を支配されたら自分たちの安全が守られません。そこに日本軍が来て、そんな奴を追い払い、しっかりした政治をしてくれれば自分たちの生活の安全が保障されます。だから、しっかりした政治をしてくれて親切で優しい日本軍を歓迎してくれているんです』



<ワークシート・第2ページ>
★日中戦争のころの中国大陸

①混乱する中国大陸

 中国には清がほろんだ後に、中華民国という国ができましたが、すぐに分裂してしまいました。そして、各地に武装した「軍閥」と呼ばれるグループがそれぞれ「政府」を作って「自分たちが中国の代表だ」と言っていました。これらの「軍閥」「政府」が互いに絶え間なく戦い合う混乱の時代だったのです。また、満州族は日本の力を借りて満州国を作り、モンゴル族やチベット族も独立を宣言していました。

 この混乱した中国には、西洋の国も日本もすでに自分の国の人間が住み、生活をしていました。ですから、国民とその生活を守るために軍隊を派遣し、「政府」の中の有力なグループと話し合ったり、仲良くしようとしていました。アメリカ・イギリスは南京政府と、ソ連は延安政府と仲良くしようとしていました。
 日本もここまでは南京政府と話し合ってきました。


②日中戦争の経過を見てみよう
┌───┬──────────────────────────────────┐
│1933年│*停戦(戦争をやめる)協定が結ばれて日本と南京政府の戦争が終わる。
├───┼──────────────────────────────────┤
│1934年│*南京政府は満州国と鉄道・郵便・電信をつなげる。
│     │*南京政府と延安政府の戦争が激しくなる。延安政府は敗走。
├───┼──────────────────────────────────┤
│1935年│*南京政府と約束して日本が中国北部に入ることになる。
│     │*北部の各地で日本と仲良くしようとするリーダーが小さな政府をあちこちに
│     │ 作り始める。南京政府はそれを見て警戒。
├───┼──────────────────────────────────┤
│1936年│*日本のことをよく思わない人たちの反日デモが増え始める。
│     │*四川省で日本人記者2人が殺される。 │
│     │*広東省で日本人商店が襲撃され店主殺害・日本人の警官射殺される。
├───┼──────────────────────────────────┤
│1937年│*延安政府がわざと日本軍に鉄砲を撃ち込み、南京政府と日本が戦争に
│     │ なる(7月7日)。
│     │*停戦協定が結ばれたが、南京政府は攻撃を続けた(7月9日)。
│     │*再び停戦協定を結んだが、また南京政府が攻撃したので日本も応戦した
│     │ (7月11日)。
│     │*通州で日本人117名と朝鮮人106名が殺される。
│     │*南京政府は休戦協定を破り、日本への攻撃をくり返した(8月11日)。
│     │*南京政府が日本艦隊へ空襲(8月14日)。
│     │*日本は南京と上海へ爆撃を開始(8月15日)。
│     │*日本はドイツを通して和平交渉を申し込んだが、南京政府に拒否された
│     │ (11月2日)。
│     │*日本はアメリカに「間に入って和平交渉を進めてほしい」と頼んだが、断られ
│     │ る(11月15日)。
│     │*日本は南京政府を追い、首都・南京まで攻め込み占領する(12月13日)。 
│     │   南京政府は重慶へ逃げて重慶政府となる。
└───┴──────────────────────────────────┘
※最初は南京政府とうまくいっていたのに、いつから関係がおかしくなったのだろ う?



<ワークシート・第3ページ>
★不拡大方針のはずが・・・どうやって戦争をやめればよいか?

 日中戦争が始まると日本はすぐに「不拡大方針」を発表しました。
 つまり、これ以上戦闘を続けたり、騒ぎが大きくならないようにするという方針です。
 しかし、こうした方針を決めたのになかなか戦闘を止めることができませんでした。
 では、どうすればよいか?当時の日本政府になって考えてみましょう。

この時に、中国大陸には3つの有力な「政府」がありました。
┌──────────────────────────────────────┐
│  ①もと南京政府が重慶に逃げて作った重慶政府。アメリカ・イギリスが応援して
│   います。日本もこれまではここと仲良くしようと考えていました。。

│  ②もと南京政府から分かれてできた新しい南京政府。日本と仲良くしたいと考え
│  ています。

│  ③延安政府。ソ連が応援しています。
└──────────────────────────────────────┘
当時、下の2つの考え方があったとします。あなたが、当時の日本政府ならどちらの考え方を選びますか?

A:新しい南京政府と話し合おう

 本当は重慶政府と仲良くしたいのですが、いくら話し合いを望んでも、重慶政府は応じてくれません。これ以上、こちらから歩み寄ってもムダです。それにアメリカ・イギリスは東南アジア側から山にルートを作って武器を重慶政府に売っています。これは日本に対して戦争を仕掛けているのと同じです。こんな状況で仲良くなれるのでしょうか? 
 新しい南京政府は日本と仲良くした方がこれからの中国のためになると言う考え方です。だったら日本は希望を持てる新しい南京政府と話し合うべきでしょう。


B:重慶政府と話し合おう
 新しい南京政府はまだ小さくて力があまりありません。ここと仲良くなったからといって戦闘が止まるのでしょうか? 結局は力のある重慶政府と話し合うしかありません。それに重慶政府との関係をあきらめたら、アメリカ・イギリスを完全に敵にすることになります。
 日本に不利な条件を要求してくるかもしれませんが、ここはがまんにがまんを重ねて重慶政府の要求をできるだけ受け入れましょう。今後のことを考えると、アメリカやイギリスとの関係が悪くなるのは避けたいです。

◆どちらかを選んであなたの考えを書きましょう。後で話し合ってみましょう。

児童の意見分布は以下のようになった。矢印の前の数字が討論前、後の数字が討論後の人数である。

1組・・・A 15人→19人  B 12人→ 8人
2組・・・A 15人→17人  B 15人→13人 

主な意見を見てみる。

<A派>

「新しい南京政府は日本と仲良くしたいと思っているので、南京政府の方が仲良くしやすくて希望が持てる」

「Bの意見ももっともだけど、戦争から逃げると世界から、日本は弱くなったな・・・と思われてしまう。新南京政府と組めば中国にもメリットはあるんだからその方がいい。重慶政府は話を聞いてくれないし攻撃してくるんだからデメリットばかりだ」

「日本は強いのでその武器を新南京政府に送ればそれなりの力になると思う」

「新南京政府が力がないというのなら、その政府と話し合って日本の信頼をもらって日本と組んで大きな政府にすればいい」

「何回も停戦協定を結んだのに、無視して攻撃を続けてくる相手と組んでもうまくやっていけるわけがない」

「話し合いを断られているし、重慶政府の要求を受け入れるのは日本にとって不利だと思います。アメリカやイギリスが武器を売っているのに仲良くなれるとは思わない」

「重慶政府と話し合って不利な条件を受け入れてしまったら、後からどうやって改正するんですか?昔に逆戻りです」

「重慶政府と仲良くなったら、日本と仲良くしたいはずの新南京政府が攻撃してくるかもしれません」

「新しい南京政府と仲良くして、混乱している中国を一緒に安全にする」



<B派>

「新南京政府の方が話し合いは楽に進みそうだけど、アメリカからは日本が国際連盟を脱退してからというものなめられているので、ここは信頼を取り戻すチャンスになる。そもそも、もともとやっていない罪を延安政府になすりつけられているんだから、互いに謝れば大丈夫だと思う。延安政府を全滅させればいい」

「どうしてもアメリカ・イギリスを敵に回すのは絶対に避けなければいけないから、ここは重慶政府を仲良くして、その後に南京政府とも仲良くすればいい」

「アメリカやイギリスは大切な学ぶべき相手だし、貿易をしているから」

「力の弱い新南京政府と話し合っても戦争は終わらないし、アメリカやイギリスを敵に回すと他の西洋の国々とも仲が悪くなる」



<ワークシート・第4ページ>
★日本は重慶政府をあきらめて、新しい南京政府を選んだ

日本が選んだのはAの「新しい南京政府と話し合う」でした。

 そのころ中国大陸には、日本と関係の深い産業がたくさんありました。
 茶・清涼飲料水・自動車・木材・セメント・マッチ・電球・ゴムなどの中小工場、製糸・製粉・造船などの巨大工場などです。そして、そこで働き、生活している日本人がたくさんいたのです。中国は内乱状態でしたから、日本人を守るための軍隊も必要でした。中国大陸は日本の経済と生活に深く結びついていたのです。
 もし、重慶政府と意見を一致させようとすれば、日本はそこに住む日本人も、苦労してそこに起こした産業も、軍隊もすべて撤退しなければなりません。これは国民の気持ちを考えると、たいへん難しいことでした。

しかし、この決断はアメリカ・イギリスとの関係を悪くしてしまいます。もしかしたら戦争になるかもしれません。中国大陸での問題も解決していないのに、アメリカ・イギリスと戦争をすることはなんとしても避けなければなりません。

ですから、政府内でもくり返し話し合いが行わました。そして、日本政府が決断したのがAだったのです。こうして、日本は新しい南京政府との間で条約を結びました。これに反対するアメリカ・イギリスは重慶政府への応援をさらに広げていくようになり、対立が深まっていきました。


 児童の感想を紹介する。

*今回の決断はとても難しかったです。当時の人も大変だったと思います。しかし、アメリカ・イギリスと仲が悪くなったのは残念です。でも、しょうがないことなんですよね。

*重慶政府は、日本の軍隊と停戦協定を結んだのに攻撃を続けるのはどうかと思うし、それを非難しないアメリカやイギリスもどうかと思う。

*ただ強いからという理由でアメリカ・イギリスが応援する重慶政府ではなくて、中国大陸に住む日本人を思って新しい南京政府と条約を結んだ当時の日本人は、アメリカ・イギリスとの関係を悪くしてしまうリスクを背負いながらも、すごいと思いました。

*アメリカ・イギリスはどうしても重慶政府の味方なんですね。アメリカ・イギリスと対立してしまったら、この二国は戦力も圧倒的なのでそれは絶対に避けたいです。

*日本は重慶政府、そしてアメリカ・イギリスを敵に回してしまったけど、時間をかけて作り上げた工業を手放す必要なはいと思った。

*延安政府はひどいと思いました。日本と重慶政府との戦争の原因だから。

*日本はアメリカ・イギリスと対立してしまうことになったけれど、日本人・産業・軍隊のことを考えると仕方がないと思う。

*今日の学習の最初に日中戦争って書いてあるのに、助け合いなんかしてびっくりして「何やってんだよ日本」と思ったけど、理由を知って日本は偉いな、と思いました。でも、これからの日本とアメリカ・イギリスの関係が気になります。

*日中戦争なのに中国の人に喜んでもらえるなんて、日本は本当に優しい国だな。あらためて実感しました。

*国民の気持ちを考えるとAだけど、外交のことを考えるとBだから、どちらにしてもリスクが高いなかでの決断だと思う。でも、米・英との戦争を避けなければならない。
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満州国をどうするか

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満州国をどうするか

 第2時は「戦争の原因を探る」というテーマの学習の1回目となる。
 一つ目のキーワードは満州である。

 最初に上記のようなこの授業の方向性を確認した後に、第1時から続く共通の課題を掲示する。 
 また、「日本の宿命」も大事なヒントとして掲示する。

<ワークシート。第1ページ>

★下の表と地図を見て気づいたことを書き出してみましょう。
┌───┬───────────┐
│ 王朝名│  建国した皇帝
├───┼───────────┤
│ 隋   │ 楊堅(ようけん)
├───┼───────────┤
│ 唐   │ 高祖(こうそ)
├───┼───────────┤
│ 宋   │ 太祖(たいそ)
├───┼───────────┤
│ 元   │ フビライ
├───┼───────────┤
│ 明   │ 洪武帝(こうぶてい)
├───┼───────────┤
│ 清   │ ヌルハチ
├───┼───────────┤
│ ?   │
└───┴───────────┘
満州1
現在の中国地図

 なお、教材として適切な地図が見つからず、余計な情報が入ったものとなってしまっている。そこで事前に着目させる観点を与えるために『地図にはいろいろな線が入っていますね。どんな線があるか、調べてみましょう』と指示しておく。

 ここで児童に気づいて欲しいのは以下の2点である。

 ①表にあるカタカナの人名

 ②地図にある線のうち東西を走るデコボコの線 


①は漢民族以外の民族が中国の王朝となった例である。モンゴル族のフビライと満州族のヌルハチである。
②はその異民族の侵入を防ぐために作った防御用の壁となる万里の長城である。



<ワークシート・第2ページ>
★中国大陸と日

①万里の長城

「万里の長城」は全長は6000kmで千年以上かけて作られました。月からも見えると言われています。これは南に住む漢民族が北から異民族(モンゴル族や満州族など)に侵入されないように作った防御用の壁です。この壁を突破し、漢民族を滅ぼしてできた国が元(モンゴル族)と清(満州族)です。中国大陸にはさまざまな民族が住んでいて戦いをくりかえしてきた長い歴史があるのです。
満州2
万里の長城1
満州3
万里の長城2
満州4
万里の長城3
満州5
万里の長城4


②日本人は満州に住むようになった

 日露戦争後のポーツマス条約により「万里の長城」よりも北の土地である満州はロシアから清に返されました。そこで、日本は南満州鉄道(満鉄)の権利を清からもらい受け、満州の荒れた土地に鉄道を通し、町を作り、産業を起こしました。そして、多くの日本人が満州に住み、農業・商業・工業を営んで生活していました。


③盗賊と軍閥といくつもある政府

1911(明治44)年、ついに清が滅んで中華民国が誕生しました。しかし、中華民国はまとまりが弱く「自分たちが本当の中国政府だ」と名乗る人が何人もあらわれるような状態でした。また、大陸では数え切れないほどの大小さまざまな盗賊が暴れていました。そして、こうした盗賊の中から強い者たちが軍閥を呼ばれるグループを作り、戦争をくりかえしていました。中国大陸は内乱状態だったのです。


④次々と起こる事件

 清が滅び、しっかりした政府もない中国大陸では治安が乱れていました。ほとんどの中国人は日本人と仲良くしていたのですが、なかには日本人を標的にするグループもあって事件が続発しました。日本人の子どもたちに石が投げられたり、日本の会社に勤めている中国人が脅迫されたり、町に日本人の悪口を書いたビラが貼られたりしました。さらにひどくなると町の中で日本人が殺されたり、日本人の経営する会社が爆破されるなどのテロも起きるようになりました。そして、怒った日本人と中国人のなかが険悪になり、衝突することが増えるようになってしまったのです。


⑤ソ連が迫ってきた

革命が起こったロシアは、これまでとはまったくちがう社会主義の国・ソビエト連邦(ソ連)になっていました。ソ連は五か年計画で力をたくわえ、満州の近くに大軍を集め始めました。その力は日露戦争の時よりも強いと考えられていました。



<ワークシート・第3ページ>
★満州を今後どうするか?・・・当時の日本人になって考えてみよう

 では、満州を今後どうすればよいか、当時の日本人になって考えてみましょう。
以下は架空の話し合いです。
 3人の意見を聞いて、あなたならどの意見に賛成するか考えてみてください。

◇Aさん:満州を「日本」にする

この状態では満州に住んでいる日本人の安全が保障できません。満州地域の「政府」に犯罪の取りしまりを頼んでも何もしてくれません。これでは子どもが町の中で遊ぶことさえできないではありませんか。こうなったら満州を日本の植民地にして日本政府が直接治めるしかありません。日本の国の力で安定した政治を進めれば安全な生活ができて満州に住む満州人や漢人たちもみんな喜ぶはずです。
 それにソ連が迫ってきています。満州に進入されたら大変です。日本の軍隊をソ連防衛に専念させるためにも日本の領土にしましょう。


◇Bさん:満州国をつくる

確かに安全な生活ができればみんな喜ぶとは思いますが、日本の植民地にして「日本」の領土ということになったら、満州人や漢人のプライドを傷つけることにならないでしょうか?ここはもともとは満州族の国だったところですから、日本の力を満州人に貸して「満州国」という国にしたらどうでしょう。最初は日本人がリードして安全な国にして、少しずつ満州人に政治をまかせるようにするのです。
 ソ連に対しては、満州国にいろいろな援助をする代わりに日本の軍隊を置かせてもらえるように約束し、ソ連防衛に専念できるようにしましょう。


◇Cさん:協力を頼み、じっと耐える

 その「満州国」は本当の独立国と言えるのでしょうか?アメリカやイギリスから「日本が裏で満州国をあやつっているんだろう」と言われてしまいそうです。確かに満州に住む人の安全も大事ですが、世界中から日本のイメージが悪くなる可能性もあります。ここはじっと耐えるしかありません。いくつもある「政府」に安全を確実にできるようにそれぞれ協力を頼んでみましょう。
 内乱状態の満州でソ連防衛は難しいので、満州にいる日本の軍隊の数を無理をしてでも増やしていくことで対応しましょう。

◆ひとつ選んであなたの考えを書いてみましょう。後で話し合いましょう。

 意見分布は以下のようになった。右の数字は話し合い前、左の数字は話し合い後である。

 1組・・・A 4人→3人   B 18人→21人   C 4人→1人

 2組・・・A 5人→7人   B 17人→17人   C 6人→4人
 

 児童からは以下のような意見が出てきた。

◇A派

「Bさんの最後の話はそんなに都合よくいくわけがないからダメだと思う。Cさんはイメージが悪くなると言うけど耐えてばっかりいるのは満州に手が出せないくらい日本って弱いんだ・・・と見られるからどうどうと植民地にした方が日本も満州も安全になるし、ソ連防衛にもなる」

「元々満州にいる人たちのプライドを傷つけるかもしれませんが、これが一番安全です。堂々と日本に植民地にした方がいい」

「当時の日本は植民地を持たなければ植民地にされるから、ここは日本が直接治めて安全にそしてソ連防衛に専念するべきだ。満州の人たちにはこれは日本の宿命なんだと言うことをわかってもらうしかない」


◇B派

「満州を植民地にしてしまうと満州人のプライドを傷つけてしまう。でも、中国のいろいろな政府に頼んでも互いに仲が悪いから協力してもらえないと思う」

「満州国を独立させたら満州の人も喜ぶし、日本人の安全も守れる。一石二鳥。平和なのが一番いい」

「植民地にしてしまうとプライドを傷つけられて満州で反乱が起きてしまうかもしれない。そこで「裏で操っている」と言われないようにアメリカとイギリスに了解をもらっておけばいい」

「もし植民地にするにしても現地の声をしっかり聞かないと、争いがひどくなる。それに日本は台湾の時のことを見ればわかるけどそんなに冷酷になれないからBがいい」

「植民地にすると朝鮮の時のように相手のプライドを傷つけて反対されてしまうから植民地にはしないで満州人と日本人で仲良く暮らした方がいい。日本政府が軍隊を満州に行かせて盗賊などと取り締まればいいと思う」

「Aは満州人のプライドを傷つけてしまい、もしかすると日本人にいやがらせをするかもしれない。だからといってCのようにずっと耐えることなんて本当にできるんでしょうか?満州国を作り日本が手助けすればよい国になると思う」

「Aだとソ連に満州に攻め込まれたときに直接、日本に攻め込まれたことになる。Cのようにいろいろな政府に協力を頼むとそれぞれが裏切られた!とかなって危険。なのでBがいい」

「日本が台湾のときのように元々住んでいた人のプライドを傷つけずに政治を進めれば、満州人や漢人も満州国を作りたいと思ってくれるはず。それに満州人には軍隊はないと思うので、日本がソ連から守ってあげればいいと思います」


◇C派

「同じ国際連盟に所属する日本のイメージが悪くなると、結局ソ連の方に有利になってしまい相手の思うつぼだと思う。アメリカやイギリスに対してイメージをよくしておけば助けてもらえるかもしれない」

「日本のイメージが悪くなると他国から攻撃を受けるかもしれない。今はソ連のことに集中して軍隊を増やした方がいいと思う」



<ワークシート・第4ページ>
★満州事変から満州国の建国へ
  
◇1931(昭和6)年、満州を警備していた日本の陸軍部隊が満州の奉天(ほうてん)という町の近くで満鉄の線路を爆破し、これを中国のしわざであるとして満鉄の沿線にある都市を占領しました。この陸軍部隊は強引な方法でBの考え方を実行しようとしたのです。
しかし、日本政府と陸軍本部はCの考え方に近かったので「これ以上強引な方法で問題を拡大してはいけない」と不拡大方針の命令を出しましたが、満州の陸軍部隊は命令を聞かずにさらに満州のその他の都市も占領しました。日本政府はどうすることもできずにこの行動を認めてしまいました。これを満州事変と言います。

満州で日本人が受けていた被害を解決することができない政府に対して不満が高まっていた国民の中には、この強引な方法を支持する者も多くいました。
 こうして1932(昭和7)年、満州の陸軍部隊を中心に、清が滅亡したときの皇帝を満州国皇帝の地位につけて満州国を建国しました。

アメリカをはじめ各国は満州事変をおこした日本を非難しました。国際連盟(アメリカは未加盟)は満州にリットン調査団を派遣して調査を行いました。
リットン調査団の報告書にはこう書かれています。
*満州に住む日本人の安全と権利が脅かされる被害にあっていたことは認める。
*しかし、満州国は日本単独ではなく他の国も参加して管理した方がよい。
すでに満州国を建国していた日本はこれに反対して国際連盟を脱退しました。

◇その後、日本と中国の間には停戦協定が結ばれてしばしの平和が訪れました。
満州国は五族共和(満州人・漢人・朝鮮人・日本人・モンゴル人)の理想を掲げ、日本の力を借りて経済を成長させました。政治が安定し、安全が保たれたことで南の中国から多くの中国人が満州に入ってきました。
しかし、満州国のリーダーシップは満州の日本陸軍がにぎっていました。また、日本人を標的にした事件もなかなかなくなりませんでした。

◇当時の満州国の各地のようすを写真で見てみましょう。
満州6
新京駅前
満州7
新京のメインストリート
満州8
西公園(夏はボート遊び、冬はスケートリンクになる)
満州9
キタスカイヤ街1
満州10
キタスカイヤ街2
満州11
牡丹江小学校の運動会
満州12
鞍山製鉄所
満州13
大豊のダム建設
満州14
貿易でにぎわう大連港
満州15
大連の広場(当時の最新の都市デザインだった)
満州16
満鉄あじあ号(蒸気機関ながら今の新幹線こだまと同じスピードが出る)
満州17
あじあ号の食堂車
満州18
あじあ号の展望車



 最後に児童の感想を紹介する。

*満州事変で日本が中国に罪をなすりつけて占領したなんてとてもひどい。でも、その後に満州国を建国して安定させたのはとてもいい。はじめはよくないけれど終わりはととえもよかった。

*少し強引だったけれど、日本は満州国を豊かな国にしていたことがわかりました。いろいろな国の人や文化が違う人と一緒に住むのは大変だろうなと思いました。

*満州国が独立して中国と日本も平和になったけれど、日本人を標的にした事件がなくならなかったのは悲しいです。

*満州国が安定したのはいいと思いますが、国際連盟を脱退したのはよくないと思います。もとどおりになってほしいです。

*満州事変で日本のチームワークが少しずつなくなってきているような気がする。国際連盟を脱退してちょっと不安があるけどへいわになったてよかった。

*中国ではたくさんの日本人が殺されていたということがわかりました。日本政府はいまのままではダメだと思いました。もっとしっかりしないと。

*結局、満州は平和になったのでしょうか?経済成長できたなら満州国もうれしかったでしょうね。満州は近代的な街だったんですね。

*陸軍部隊は満州を安全ににようとしたのはわかるけど、やり方は強引で日本のイメージを悪くすることにしかならなかったような気がする。 

昭和時代 導入

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 昭和の学習に入る。

 <昭和時代>とタイトルを書く。

 『今日からは昭和時代を学習します。これまで日本は日清戦争・日露戦争と大きな戦争をしてきましたが、それよりも大きな戦争を7経験しました。これからはその戦争について学習していきましょう』


(1)課題を確認する
 『学習に入る前に、次のことを確認しておきましょう』
 
<日本の宿命>というタイトルの画用紙を黒板に掲示する。ここには以下のように書かれている。
  
  ①植民地になりたくなければ植民地を持つしかなかった。(当時の世界のルール)

  ②資源がほとんど取れない。
 

 『この2つの宿命がこの戦争と大きく関係します』

 さらに、この単元の課題を掲示する。

<戦争の原因、経過を調べ、当時の日本人の考え、気持ちを追求しよう>



(2)大東亜戦争の展開をつかむ
 一枚の地図をスクリーンに提示する。
昭和前1
大東亜戦争展開図

 『この地図を見るとその戦争のことをおおよそつかむことができます。この地図を見て気づいたことをノートに書きましょう』

 4分ほど時間を与えて観察させた後に発表させる。

 児童からは以下のような気づきが出された。これを大きく

 ○戦争の相手国に関係するもの
 ○場所に関係するもの
 ○時間に関係するもの
 ○その他
 に分類して板書する。

①相手国に関係するもの

*連合国と戦った
*いろいろな国と戦っている
*敵が10カ国ぐらいありそう
*日本のまわりの国と戦っている


②場所に関係するもの

*戦う範囲が広い
*いろいろな場所で戦っている
*島での戦いが多い
*海戦がほとんど
*東南アジア、南太平洋、中国大陸などが戦場になっている
*相手はハワイから沖縄へと向かっている感じがする
*大東亜戦争という名前が付いている
*太平洋で戦ったから太平洋戦争という名前も付いている

『日本ではこの戦争を東アジアの広い範囲で戦ったので大東亜戦争と呼んでいました。アメリカは太平洋を中心に戦ったので太平洋戦争と呼んでいます』


③時間に関係するもの

*1941年から1945年の4年間の戦い
*1941年12月に始まった
*1945年8月に終戦になっている


④その他

*原爆が落とされている
*たぶんだけど日本は負けたっぽい


 これらの気づきをほめた後に以下の点を確認する

◇日本が戦った相手は?

  アメリカ(ハワイに基地がある)
  オーストラリア
  イギリス(マレー半島がイギリスの植民地)
  オランダ(現在のインドネシアはオランダの植民地)
  ソ連(満州に攻め込んできている)
  中国(この当時は正式な中国政府はないけれど、いくつかあるうちのある政府と戦っている)


(3)教科書の本文を読む
 児童に教科書の該当箇所を数人に音読させる。


(4)画像で戦争の経過を調べる

  画像を見せながら以下のような解説を加えていった。

真珠湾攻撃地図
sinnjyu.jpg
アメリカ軍は軍隊をハワイに移していた。日本軍はここを奇襲攻撃する作戦を立てた。

航空母艦
空母
日本軍は航空母艦を出撃させて密かにハワイに近づいていた

甲板のゼロ戦
零戦
航空母艦からゼロ戦が出撃する

上空から見た真珠湾
真珠湾
ハワイの真珠湾を空から見たところ。ここにアメリカ軍の基地がある。

ゼロ戦の攻撃
零戦攻撃
ゼロ戦が真珠湾に攻撃を開始する

真珠湾炎上1
真珠湾炎上1
ゼロ戦による爆撃で炎上するアメリカ軍の軍艦

真珠湾炎上2
真珠湾炎上2
次々と炎上するアメリカ軍軍艦

真珠湾炎上3
真珠湾炎上3
アメリカ軍の戦闘機が飛び立つ前に叩いてしまう

油田攻略
油田攻略
日本軍はオランダの植民地になっていた東南アジアの油田地帯に進撃した

シンガポール攻略
シンガポール攻略
イギリスの植民地だったシンガポールにも進撃

ビルマの声援
ビルマの

西洋の国に植民地にされていた東南アジアの人たちは日本軍を大歓迎した

インドとの握手
ビルマの声援
イギリスの植民地になっていたインド人も日本軍と協力を誓って握手をする

マレー沖海戦
マレー沖海戦
マレー沖海戦では当時最強と言われていたイギリスの戦艦2隻を飛行機による空からの攻撃で撃沈する

ミッドウェイ海戦
ミッドウエー
しかし、このミッドウェイ海戦で大事な航空母艦を4隻も失い、負けてしまう。これで形勢が逆転。

マリアナ沖海戦
マリアナ沖海戦
続くマリアナ沖海戦でも敗北

沖縄への艦砲射撃
沖縄艦砲射撃
ついにアメリカ軍は沖縄に迫ってきた。アメリカの戦艦が沖縄に向かって艦砲射撃をしている

アメリカ軍上陸
米軍沖縄上陸
すごい人数のアメリカ軍が沖縄に上陸

アメリカ軍戦車
米軍戦車
大事な田んぼの中を平気で進むアメリカ軍戦車

アメリカ軍火炎放射器
火炎放射器
火炎放射器で沖縄を火の海にするアメリカ軍

戦艦大和
戦艦大和
沖縄を救うために戦艦大和が出撃する

攻撃される大和
攻撃される大和
しかし、世界最強の大和も空からのアメリカ軍の攻撃を受けて苦戦する

大和撃沈
大和撃沈
ついに大和撃沈

硫黄島占領
硫黄島占領
日本本土のすぐそばにある硫黄島も占領される

空襲
空襲
日本の各都市はアメリカ軍の空襲を受けるようになる

原爆
原爆
広島と長崎にも原爆が落とされた

終戦1
終戦
ついに終戦。日本は負けた。負けたくやしさで顔を上げられない日本兵。

終戦2
終戦2

日本各地で女の人も日本の敗戦を悲しんでいる


(5)教科書の穴埋めプリントをする

野口英世

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■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
誰でも成果が出せる授業であり、誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 

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 大正の人物学習の最後は野口英世を取り上げる。
 この時代に日本の文化が飛躍的に進歩し、世界中から認められたその代表として医学者・野口英世を学習させる。

 英世の肖像写真を見せる。
野口1
 野口英世肖像


<ワークシート・第1ページ>
★中央で白い服を着ているのが野口英世です。この写真を見て気づいたことを 箇条書きで書き出してみましょう。
野口2
グアヤキルの英世

児童の気づきは以下のようなものだった。

「廻りにいるのはみんな外国人」
「みんな偉そうな感じ」
「緊張している感じにも見える」
「英世は白い服だけど、外国人はみんな黒っぽい服を着ている」
「全員、帽子を被っている」
「全員、革靴を履いている」
「後ろに船が見える」
「ここは港だと思う。桟橋を歩いている」
「これからどこかへ行くぞ!みたいな感じ」
「英世だけ半ズボンかな?」

『英世は半ズボンではなく、長ズボンの裾にゲートルという黒い包帯のような布を巻いています。蚊に刺されないようにするためです。なぜ?それは後でわかります』



<ワークシート・第2、3ページ>
★世界中の人を病気から救った野口英世

①大やけどを負う
 野口英世は1876(明治9)年に福島県の猪苗代の農家に生まれました。
1才の時に火がついた囲炉裏に落ち、左手を大やけどを負いました。その後、先生や友人の募金で左手の手術を受け、不自由ながらも左手の指が動かせるようになりました。
野口3
囲炉裏

野口4
英世の左手


②医学の研究を志す
医師をめざした英世ですが、ふつうのお医者さんではなく医学の研究する道を選びました。北里柴三郎の伝染病研究所に勤めた後、アメリカへ留学してロックフェラー医学研究所で細菌学を研究するようになりました。英世はここで蛇毒や小児マヒ、狂犬病、オロヤ熱など世界中の人を苦しめていた病気の研究で成果を上げ、有名な医学研究者となったのです。
野口5
ロックフェラー研究所



③野口英世は眠らない
 英世は、数多くの実験から得られるデータの収集を重視し、寝る間も惜しんで研究を進めました。思いついた実験はすべて驚異的なスピードで、しかも正確に実行しました。英世の研究を見た海外の医学者たちは「野口英世は眠らない」と驚きの声を上げたと言います。


④黄熱病との戦い
 1918(大正7)年、英世は当時まだワクチンのなかった黄熱病の病原体を発見するため、エクアドルへ渡りました。
 英世は、エクアドルに到着してわずか9日目には病原体を特定することに成功し、世界中から称賛されました。この研究結果によって開発された野口ワクチンにより、南アメリカでの黄熱病の流行は止まり、多くの人の命が助かったのです。
 さらに、黄熱病の研究のためにメキシコやペルーへも行き、ジャマイカで黄熱病研究の発表を行い、アフリカにも出張しました。
 アフリカで黄熱病の研究を続けていたある日、英世自身が黄熱病に感染してしまいました。一時は回復しましたが、その後病状が悪化し51才の生涯を閉じました。


★野口英世のプレート~エクアドルの人になって考えてみよう

 野口英世が戦った黄熱病は、熱帯アフリカと南アメリカ周辺に見られる伝染病です。蚊によって広まり、伝染します。潜伏期間は3~6日で突然の発熱、頭痛、嘔吐などで発症します。死亡率は30~50%と高く、現在も特効薬はありません。

 当時は、実験中に自分自身が黄熱病にかかって死亡するなど黄熱病の研究は過去に何人もの犠牲者を出していました。しかし、英世はこの危険な黄熱病の研究に挑みました。
 1918(大正7)年7月。英世は、船でエクアドルのグアヤキルの町に到着しました。この町で黄熱病が流行し始めたのは1740年です。それから150年以上もの間、この町は黄熱病に苦しんできたのです。しかも、近くの国からは「蚊が多くて汚い町だ」と言われていました。

 なんと、到着して9日目に黄熱病で死亡した患者の血液を培養し、病原体を発見しました。さらに、英世はその後も現地に残ってこの病気のワクチンを製造しました。野口ワクチンのおかげでエクアドルの人たちの多くの命が助かったのです。エクアドルの人たちは喜びました。やがて、英世の帰国が伝わると「エクアドルに立派な研究所を建設してドクターノグチを引き止めよう!」という声が市民の中からわき起こったほどです。
 エクアドル市民によるお別れ会で、英世は「もし、エクアドルが私を必要とするときは、誰よりも先にはせ参じましょう」と挨拶しました。会場の人びとは立ち上がり「グラシアス、ドクターノグチ!(野口博士ありがとう)」と叫びながら拍手を送りました。
 「黄熱病の流行する汚い町」という汚名を消し去ってくれた英世のことをエクアドルの人びとは「英雄だ」と考えたのです。

 1918年7月24日。エクアドルの公衆衛生研究所に野口英世の顔のレリーフが付いたプレートが飾られました。プレートにはこう書かれています。
┌──────────────────────────────────────┐
│  この公衆衛生研究所で、ロックフェラー研究所のメンバーであり、すぐれた細
│ 菌学者である野口英世が黄熱病の病原体を発見した。
└──────────────────────────────────────┘
野口6
エクアドルのプレート


 しかし、その後の研究で英世の発見はまちがいであることがわかりました。英世が発見したのは黄熱病の病原体ではなかったのです(ワイル氏病という別の病原体だったと言われています)。じつは後の時代に黄熱病の病原体は細菌ではなく、細菌よりもさらに小さなウィルスであることがわかりました。しかし、英世の時代の光学顕微鏡ではウイルスを見ることはできません。ウイルスは電子顕微鏡が発明されてから人類が発見した病原体なのです。

 さて、困った問題が起きました。エクアドルの人たちが掛けてくれたプレートに書かれている内容はまちがっています。このままにしておくわけにはいきません。
 どうすればよいでしょうか?
 エクアドルの人たちの気持ちになって考えてみて下さい。



◇あなたの考えを書いてみましょう。後で話し合ってみましょう。

 ここの課題は英世の研究成果がたとえ間違っていてもエクアドルの人々を助けた功績は決して色褪せないことを子どもたちがつかめればよい。日本人が世界に羽ばたいたその姿を学習することが目的である。

 児童からは出された主な意見を紹介したい

「正しい内容に書き換えればいい。作り直す。野口ワクチンが病気に効いたのは事実なのだから、そのことを書けばいい」
「一度、それを取り外して保管し、野口英世は汚名を消し去り、ワクチンを我々のために作ってくれたエクアドルの英雄だ、と新しく作る。そしてその隣にこれを付ける」
「そのままにする。他の国の人は間違っていると言うかもしえないけれど、いくら間違っていたとしてもエクアドルの人たちの病気を治せたんだし、野口英世のおかげで黄熱病の流行する町と言われなくなったのだから、プレートはそのままでいい」
「プレートを作った人に事情を話し、別の正しい内容のものを作ってもらう。別のウイルスであったが、エクアドルの人々をたくさん救ってくれた人だった、というプレートにする」
「このプレートは残して欲しい。エクアドルの黄熱病を研究してくれたし、黄熱病で亡くなってしまったし、町の汚名を消してくれたし、私たちにとっては英雄だ」



<ワークシート・第4ページ>
★世界から慕われた野口英世

 エクアドル人たちは1918年のもとのプレートははずしませんでした。
 その代わり、その右側に「左の記した野口の発見は誤りであり、のちに修正が加えられた」と書かれた新たなプレートを取りつけました。
野口英世の伝記を書いた人の中にはこんなことを言っている人もいます。
 
 最初の発見が誤りだとわかったら、1枚目のプレートをはずせばすむことかもしれません。しかしエクアドルの人たちは、1枚目をきちんと残したうえで新たに訂正のプレートを加えました。「野口英世に対する当時の評価を消す必要はない」と考えてくれたのではないでしょうか?
野口7
残されたプレート


 エクアドルの首都・キトから離れた村にはノグチ小学校があります。野口英世がこの村を訪れたことがあるのを記念してできた小学校です。学校行事があるときは右のポールに日の丸、中央にはエクアドル国旗、左にはキト市の旗が掲揚されます。
野口8
エクアドルの小学校

 残念ながら受賞はなりませんでしたが、野口英世は4回もノーベル賞候補になっています。しかし、医学への貢献が認められて世界中から表彰されています。

*1913年 スペインとデンマークから勲章授与
*1914年 スウェーデンから勲章授与
*1920年 アメリカ・フィラデルフィア市からメダル名誉章
*1924年 フランスから勲章授与
*1928年 日本から勲章授与

 

 児童の感想を紹介する。

*野口英世の研究結果は間違っていたけれども、エクアドルの人は、野口英世を偉人としてみているのが、日本人としてうれしいと思いました。寝ないで研究したのもすごいと思いました。

*野口英世がノーベル賞を取れなかったのは残念だけど、こんなに世界から勲章をもらって、しかもエクアドルの小学校で名前がノグチ小学校があると言うことは、世界中からその実力が認められたのだと思う。

*野口英世は、多くの人々の命を助けてきた人だからすごい人だと思いました。世界中から親しみを持たれているし、エクアドルの町にプレートを貼られているなんて本当にすごいと思います。ノグチ小学校があるなんて驚きました。

*野口英世のことを僕は心から尊敬します。そして、将来僕が大人になったら野口英世のように日本や外国に貢献したいです。

*エクアドル以外のスペイン、デンマーク、スウェーデン、アメリカ、フランスなどの、昔は日本が学んでいた国から認められたことがすごいなと思いました。

新渡戸稲造

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■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
誰でも成果が出せる授業であり、誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 

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大正の人物学習の二人目は新渡戸稲造である。
 新渡戸は『武士道』の著者や国際連盟の事務局次長として知られているが、当時の「植民地学」の権威であり、台湾農業を改革させたことでも有名である。新渡戸の業績や思想を学習することで日本の植民地経営について考えさせる。

 まず肖像写真を見せる。
新渡戸
新渡戸稲造肖像



<ワークシート・第1ページ>
★新渡戸稲造の肖像画は旧5千円札に使われていました。
  その下の2枚の写真は稲造とどんな関係があるか予想してみましょう。
5千円
旧五千円札

◇本の表紙
武士道
英語版・武士道

◇ある植物
サトウキビ
サトウキビ

  児童からは以下のような予想が出された。
*このある植物とは「竹」で、竹に関連したことでベストセラーを出したのでは?
*植物について研究した人だろう
*表紙にBUSHIDOと書かれているので「武士道」についての本でhないか?
*英語で書かれているので英語で書いた人なのか?
*この本で外国から認められた
*これは竹ではなくてサトウキビだと思うので、サトウキビの本を書いたのか?

 『みなさんの予想は当たらずとも遠からずといったところでしょうか。なかなかいい点を見抜いています』



<ワークシート・第2、3ページ>
★太平洋のかけ橋になりたい~新渡戸稲造

①農業学を志す
新渡戸稲造は、岩手県の武士の家に生まれました。
 明治時代になって東京で英語の勉強をしているころ「これからの日本に必要なのは科学技術だ。この分野で西洋の国々におくれを取っていてはいけない」と考えて農業学を学ぼうと考え、北海道の札幌農学校へ進学しました。

②『武士道』を英語で出版
日本とアメリカをつなぐ「太平洋のかけ橋になりたい」とアメリカの大学へ留学した稲造は、キリスト教の信者となり、アメリカ人の女性と結婚しました。稲造は日本に戻って札幌農学校の先生になりましたが、再びアメリカへ渡り1900(明治33)年『武士道』という本を英語で出版しました。
 この本は「日本人の考え方や行動」のもとになるものが「武士道」にあることを説明した本です。この本は英語からドイツ語・フランス語・ロシア語にも訳されて世界中で読まれました。当時、まだ日本のことをよく知らなかった世界の人たちはこの本を読むことで日本人を理解してくれるようになったと言われています。この『武士道』を読んで感動したアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、すぐに数十冊を購入して「ぜひ読んでほしい」と配って歩いたそうです。

③国際連盟事務局次長になる
1920(大正9)年に稲造は新しくできた国際連盟の事務局次長の仕事につきました。スイスのジュネーブ本部を中心に世界中をかけまわる日々が始まりました。スピーチのうまかった稲造は、ヨーロッパを中心に講演活動を行い、世界中にその名を知られるようになりました。


★新渡戸稲造になって台湾の農業を立て直してみよう!

 さて、稲造は『武士道』を出版した次の年に台湾の農業を立て直す仕事をまかされました。当時の台湾は日清戦争後に日本の国土となっていたからです。
 稲造は、遅れている台湾の農業の中からサトウキビに目をつけました。サトウキビから取れる砂糖を中心にして台湾農業を立て直そうと考えたのです。さっそく、台湾のサトウキビ農業の長所と短所を調査しました。


◇長所:台湾にサトウキビ農業が適している理由

①台湾の気候は1年中暖かく、雨の量もちょうどよい。しかし、植え付け時期にもう少 し水があればさらに収穫が増えるだろう。
②サトウキビは重いので運搬がたいへんだ。その点、広い平野がある台湾は適して いる。また、人工的に水の調節をすることができれば平野なら調節しやすい。
③台湾の近くにある日本や中国では砂糖を使う量が年々増えているので、たくさん 売れるはずである。また、スエズ運河も開通したのでヨーロッパへ売れるかもしれ ない。


◇短所:現在のサトウキビ農業の問題点

①農業をすすめるために必要なお金を持っている人たちが清国に帰ってしまった。
②山賊がたくさんいて農家の家を焼かれたり、農民が殺されたりしている。
③伝染病の流行でたくさんの人が死んでしまい、農業をする人が減ってしまった。
④農業よりもお金がもらえる仕事へ変わってしまう人が多い。
⑤気候は適していても、それを生かすための機械・肥料・運搬設備がない。


◇稲造は下の目的を達成するためにどんな方法を考えたでしょうか?いろいろなアイデアが考えられます。
 新渡戸稲造になってあなたの考えを書いてみましょう。後でみんなで話し合ってみましょう。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 台湾のサトウキビがたくさん取れるようにする(収穫を上げる)
│ 台湾のサトウキビから作られる砂糖の質を上げる(質のよい砂糖の生産)
│ 台湾のサトウキビから作られる砂糖がたくさん売れるようにする
└──────────────────────────────────────┘

 いろいろなアイデアが出された。
 3つのカテゴリーに分けて板書した。


①収穫
*もっと水がよくわき出てくる場所を見つけてサトウキビ畑にする。
*スプリンクラーなど人工的に水をまく機械を設置する。
*台湾は島国なのでまわりの海の水を真水に換えてまくことができる装置を開発する。
*外国から技術者を招き、指導してもらう。
*水の豊富な日本から水を輸出できないか?
*伝染病を止めて農業ができる人を増やさなければいけないので病院を建てる。
*用水路を造って常に水が保てるようにする。
*山賊を取り締まるために日本の軍隊を派遣する。
*井戸を掘って水源を確保する。
*外国からいい土を輸入したり、肥料を使って土壌改良をする。
*農業用の機械を日本から無料で輸入する。そして台湾のサトウキビ農家が儲かったらお金を返してもらう。
*台湾のサトウキビ農家の給料をアップしてやる気を出してもらう。


②品質
*日本から肥料を援助する。
*品種改良してもっと甘みのあるものをにする。
*地元のベテランや外国の農業技術者をリーダーにして「こだわり」の仕事を徹底させる。


③販売を
*台湾のサトウキビを海外にアピールするためにチラシなどを作る。
*海外へ売るための航路を確保する。
*サトウキビの海外輸出用の船を用意して大量に輸出する。
*台湾国内に鉄道を引いて重いサトウキビを能率的に運搬できるようにする。
*まずは台湾国内で試食会を行い、これをきっかけにして世界に台湾サトウキビを売り出す。
*大きな港を整備する。
*新渡戸稲造はスピーチがうまいので世界中で台湾サトウキビのよさをスピーチする。


 このさまざまなアイデアの出し合いで重要なのは次の2点である。

○台湾農業のためになることを考えること。
○何事も資金が必要であり、それは誰が用意するのかについて考えさせること。
 そこで、児童が自分の意見を書いているときも、発言の合間にもときどきこの点にこだわった質問を入れた。
『それはお金が必要になるけど、誰が出してくれるの?』
 という具合である。
 児童からは「日本から」「日本政府から」「台湾も日本だから政府が出す」などの回答が返ってくる。

『いろいろなアイデアが出ましたね。では新渡戸稲造が取り組んだことを見てみましょう』



<ワークシート・第4ページ>
★日本の植民地・台湾の農業のために力をつくした新渡戸稲造

 稲造は台湾のサトウキビ農業を立て直すためにどんなことをしたのでしょうか?

①種類を改良する
今まで台湾で栽培していた種類とは違うラハイナ種に変える。これは、収穫量が増える・しぼった汁が濃厚で糖分が高い・害虫などに強い、などの長所がある。
②栽培方法の改良をする
新しい栽培方法を台湾の農家にすすめる。そのためにも新しい品種にすることで「よし変えてみよう」という気持ちにすることができる。ただし、化学肥料などを買うお金は最初の5年間だけは政府が無料で配る。
③水を管理する施設を作る
いまの台湾ではおけに水を入れてまいているだけだ。水を人工的に管理することができて、30~40%は確実に収穫が増えるだろう。その証拠に米を作る水田は水を管理しているが、その近くのサトウキビ畑では、他のサトウキビに比べて1.5倍の大きさに成長している。そこで、水田の中でうまくいっていないところだけ、サトウキビ畑に変える。なお、施設を作るために政府が補助金を出す。
④新しい土地を開拓する
サトウキビ畑のための新しい土地を開拓する。そのためには台湾の人たちにサトウキビに適した土地を宣伝したり、開拓に成功したら無料でその土地の権利を与える。さらに、砂糖製造工場を建設したらこれを特別に保護してもうかるように助ける。
⑤砂糖工場に機械を導入する
いまの台湾では水牛と人の力でサトウキビをしぼって砂糖を作っているところが多いが、機械を使えばもっと多くの汁をしぼり出すことができてムダがないし、品質も高くなる。そこで、小さい機械なら政府が貸し出すか、安い値段で売る。大きい機械を使って砂糖工場を経営してみたいという人がいれば、お金を援助する。また、経営に成功したらボーナスを出す。

新渡戸稲造は、植民地の目的について「その土地の文化を進歩させて、それを広げることだ。ただ単にもうけるためにやることではない」と言っています。西洋の国々は植民地を自分の国の利益を上げる場所としか考えていなかったようですが、日本は新渡戸稲造のように自分の国の予算から貴重なお金を出し、道路・鉄道・港・ダム・学校などを作りました。また、衛生状態をよくしたり、匪賊などをとりしまって安心して生活できる環境を整備しました。



 児童の感想を見てみよう。

*新渡戸稲造さんは西洋と違って、自国だけではなく、植民地の人々のことも考えていたのですね。いい人だと思いました。台湾の人も日本の植民地でよかったな、と心のどこかで思ったかもしれません。

*植民地は、ただ利益を上げたりするだけのものだと思っていたが、日本はそんなことをしないで植民地になっている国の人も安心してくらせるように活動していて、心が広いと思った。

*新渡戸さんは西洋とは違って、植民地でもちゃんときれいにしたり暮らしやすい環境を自分から進んで取り組んですごいと思いました。西洋の国より思いやりがあると思いました。

*この新渡戸さんの考え方は世界でも珍しい考え方だ。植民地に道路や鉄道を通すというりっぱな考え方は後に世界に大きな影響をもたらすかもしれない。

*日本政府は植民地をよくしようという気持ちが強いことがわかりました。新渡戸さんの台湾でのサトウキビ作りを見ていると、その土地の文化を進歩させることが大切だと言っていることに納得できる。

*植民地は自分の国の利益を上げる場所なのに、この場合は日本が損をしている。だから、とても優しいと思った。この仕組みは日本の本部と支部みたいだ。稲造のしていることはすばらしいけど反対派の人が日本国内にはいるような気がする。

*新渡戸稲造は、植民地を儲けるためだけには使わないで、その土地の長所を生かし、その国や地域のよさを伸ばしていこうと考えているのがすごいことだと思いました。匪賊を取り締まって安心してくらせるようにしたのも、僕が台湾に住んでいたら「日本はとてもいいことをしてくれtな」と思ったと思います。
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