授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

原敬

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 大正時代の人物学習の一人目は政治家として原敬を取り上げる。
 原の肖像写真を見せる。
2015112814242377b.jpg
原敬肖像

 その後、ワークシートを配って、タイトルを書く。

<ワークシート・第1ページ>
★下の表は初代から19代までの日本の総理大臣一覧表です。これを見て気づいたことを箇条書きで書き出してみましょう。

│ 1  │ 伊藤博文(山口県)    │幕末志士 │ 11│ 桂 太郎(山口県)     │ 陸軍 │
├──┼───────────┼────┼──┼───────────┼───┤
│ 2  │ 黒田清隆(鹿児島県)   │幕末志士│ 12 │ 西園寺公望(京都府)   │ 公家 │
├──┼───────────┼────┼──┼───────────┼───┤
│ 3  │ 山県有朋(山口県)    │幕末志士 │ 13│ 桂 太郎(山口県)     │ 陸軍 │
├──┼───────────┼────┼──┼───────────┼───┤
│ 4  │ 松方正義(鹿児島県)   │幕末志士│ 14 │ 西園寺公望(京都府)  │ 公家  │
├──┼───────────┼────┼──┼───────────┼───┤
│ 5  │ 伊藤博文(山口県)     │幕末志士│ 15│ 桂 太郎(山口県)     │ 陸軍 │
├──┼───────────┼────┼──┼───────────┼───┤
│ 6  │ 松方正義(鹿児島県)   │幕末志士│ 16 │ 山本権兵衞(鹿児島県) │ 海軍 │
├──┼───────────┼────┼──┼───────────┼───┤
│ 7  │ 伊藤博文(山口県)     │幕末志士│ 17│ 大隈重信(佐賀県)     │幕末志士│
├──┼───────────┼────┼──┼───────────┼───┤
│ 8  │ 大隈重信(佐賀県)    │幕末志士 │ 18│ 寺内正毅(山口県)     │ 陸軍 │
├──┼───────────┼────┼──┼───────────┼───┤
│ 9  │ 山県有朋(山口県)     │幕末志士│ 19│ 原  敬(岩手県)     │新聞会社│
└──┴───────────┴────┴──┴───────────┴───┘

 児童から出された気づきは以下のようなものである。①伊藤博文は4回も総理大臣になっている。
②その他、何回も同じ人がなっているがいる・・・大隈重信2回、松方正義2回、山県有朋2回、西園寺公望2回、桂太郎3回
③初代から10代まで出身が幕末志士が続いている。
④山口県出身が多い。次に多いのは鹿児島県。
⑤原さんだけが岩手県で東北で東日本出身。
⑥出身が原さんだけ新聞会社になっていて一般人っぽい。後は幕末志士、公家、軍隊の人。

 こうした気づきをとらえて以下のような話をする。
『幕末志士が多いのは明治維新を成し遂げたのが幕末のこうした志士たちだからですよね。でもなぜ山口県や鹿児島県が多いのだろう?』
 なかなか出てこなければ次の質問をする。
『山口県と鹿児島県は江戸時代はなに藩だったかな?』
「長州藩と薩摩藩」
 これで児童は納得する。
『倒幕を成し遂げたのはこの2つの藩の力が大きかったんだよね』
 もう一つ気づいた欲しいのは岩手県と新聞会社という原敬の出身である。それまでとは大きく違うことに気づくはずである。



<ワークシート・第2、3ページ>

★平民宰相・原敬

総理大臣一覧表を見て山口県・鹿児島県出身の人が多いことに気づきましたか?
 山口県はもと長州藩、鹿児島県はもと薩摩藩です。つまり、幕府を倒すためにもっとも活躍した2つの藩出身の志士たちが交互に総理大臣になっています。
明治政府の中でもこの2つの藩の力がとくに強かったので、これを「藩閥政治」と呼んだりします。混乱した新しい明治時代にとって「藩閥政治」はよい面もありましたが、その後は政治について同じ考え方の人たちが集まって作った政党を中心にした「政党政治」に変わるべきだという意見が増えていきました。

①新聞社の社長に
 原敬は、ペリーが来航して3年後に盛岡藩(いまの岩手県)で家柄の高い武士の子として生まれました。
 明治時代になって新聞社に入社しました。その後、外務省で仕事をするようになった原は陸奥宗光にその才能を認められ、大事な役目を行うようになりました。しかし、再び外務省をやめてちがう新聞社に入社し、社長になりました。

②日本初の本格的政党内閣を作った
 原は、1902年の衆議院議員選挙で、盛岡から立候補して衆議院議員に初当選しました。そして、以後は立憲政友会という政党のリーダーとして政治の世界で活躍し、内務大臣(ないむだいじん)を3回経験しました。
 1918年、原は総理大臣になりました。この原内閣は日本初の本格的政党内閣と言われています。それは、原が日本で初めて衆議院に議席を持つ政党の党首として首相に任命されたことによるものです。また、原は位をもらうことをいっさい断っていたので「平民宰相」と呼ばれました。

③原のめざした日本とは?
 原は次のような方針で政治を進めました。
◇アメリカ・イギリスと仲良くする
◇日本の政治を進める政党の力をもっと強くする
◇4つの方針で日本をよくする
 1)高校や大学を充実させて優秀な人材を育てる
 2)地方にも鉄道をのばして交通機関を整える
 3)国内の産業と外国との貿易をさかんにする
 4)外国の軍隊に負けないように新兵器をそろえて国の守りを固める


★原敬になって大正時代の選挙制度をどう改正すべきか、考えてみよう

 日本で初めての選挙は1889(明治23)年に行われました。このとき選挙権を持っていたのは25才以上の男子で税金を15円以上納めている国民に限られていました。まだまだ、教育が国全体に行き渡らず、情報を得る手段もほとんどない時代ではこのような制限があるのは無理もないことでした。
 しかし、大正時代になると「選挙制度を改正しよう」という声が大きくなり、民衆の中にも演説会や集会などが行われ、盛り上がりを見せていました。
 
 原敬が総理大臣になったころも、これは重要な政治課題でした。この時代の目標は「普通選挙」の実現です。「普通選挙」とは「納める税金や学歴に関係なく選挙権がある」ことです。なお、現在は男女関係なく選挙権を持っているのは当たり前ですが、当時は選挙権が男子にしかないのは普通のことでした。
 
 ここで次のような意見を持っている人がいたとしましょう。あなたが当時の総理大臣・原敬だったとしたらどちらの意見に賛成しますか?
┌──────────────────────────────────────┐
│ A議員:条件なし―すぐ普通選挙を実現すべし!
│  すでに前回の国会で「税金を10円以上納めている25才以上の男子」に改正され
│ ています。それでも選挙できるのは国民全体の2%しかありません。これでは国民の声
│ を聞いて政治をしているとは言えません。明治時代にできた憲法の心を実現するため
│ にも選挙ができる人を増やすべきです。
│  それに民衆の不満が大きくなっていて、暴動が起きそうな勢いです。これを防ぐため
│ にも選挙権を与えて正しい政治参加ができるようにする必要があります。
└──────────────────────────────────────┘
┌──────────────────────────────────────┐
│ B議員:10円を3円に―まだ普通選挙は早すぎる!
│  私も選挙権を持つ人を増やすことには賛成です。10円を3円にすれば選挙できる
│ 人は増えます。しかし、いっきに増やすことには反対です。時間をおいて国民にもしっか
│ り政治を学んでもらい、あわてずに少しずつ選挙権を持つ人を増やしましょう。
│  ところで、普通選挙は暴動を止めるためにあるのですか?それは違うでしょう。大事
│ なのはしっかり考えて、清き一票を入れることができる人を増やすことです。暴動が起こ
│ る可能性があるというのなら、そんな人たちに選挙権を持たせるのはむしろ心配です。
└──────────────────────────────────────┘

◇あなたの意見を書いてみましょう。後で話し合ってみましょう。

 意見分布は以下のようになった。

 1組・・・A 9人  B17人
 2組・・・A 5人  B25人

 2クラスで出た意見を見てみよう。

<A派>

*意見を言いたいと思っている人たちが言える場がないから暴動になっているのではないか?だから普通選挙にすべきだ。

*選挙をする権利は納税額では決められない。

*納税額で選挙権のあるなしが決められたら平等とは言えない。

*身分が低くて税金が納められなくても政治について意見が言える勉強をしている人はいるかもしれない。

*暴動が起きてしまったら国が危なくなるので、選挙権を与えるべき。

*国民の声をより多く聴くことが大切だと思う。

*選挙権を制限しているとちゃんと考えている人も爆発してしまうかもしれない。



<B派>

*まずは政治をしっかり学んでもらうことが大切。

*B議員が言っているように選挙は暴動を止めるためにあるのではない。

*まだまだ情報もないのに正しい選挙ができるはずがない。

*形だけ作っても7中身が伴わないと意味がない。

*何事も徐々に進めることが大事で、徐々にでも納税額を減らしていけば不満は抑えられる。

*政治のことを何もわかっていないのに選挙をするなんて許されない。

*B議員が言うように暴動を起こすような人に選挙権を与えるべきではない。

*もし、不満を持っている人が選挙をしたとしてそれで自分が票を入れた人が当選しなかったら結局その人は不満が高まるだけな のであまり意味がない。



<ワークシート・第4ページ>

★普通選挙と原敬の死

 1919年に原内閣は「3円以上税金を納めている25才以上の男子」という改正を行っています。しかし、普通選挙の実施については反対していました。
 
 原はこう言っています。  
「普通選挙の実現は世界的な動きであって、日本がこの影響を受けないということはありえないだろう。日本もこれまでの考え方の上に海外から来る進歩的な考え方を調和させなければいけない」
こうして税金の条件を10円から3円に引き下げることに賛成しました。つまり、あわてずに少しずつ普通選挙を実現すべきだ、という考え方だったのです。

その後、原は1921年に東京駅で暗殺されてしまいました。再び、普通選挙を実現しようとする動きが高まったのは1922年のことです。
 もし、原が生きていれば世の中の動きを敏感に感じ取り、原首相みずからが中心となって普通選挙を実現していただろう、と言われています。

普通選挙法が国会で決まったのはその3年後の1925年です。日本は男子のみと言う限定はありますが、普通選挙を実現させたアジアで初めての国となりました。  当時の先進国であるイギリスでさえ男子のみの普通選挙が実現したのは1918年です。日本とさほど変わりません。日本は驚くほどの速さで西洋に追いつき、立憲政治を実現したと言ってよいでしょう。

原敬暗殺現場
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(原敬の暗殺現場プレート)



児童の感想を見てみよう。

*原敬さんは深く考えていたのですね。一般人だからこそ一般人の思いがわかったのでしょう。本格的政党内閣によって西洋に追いついたのはいいですね。

*西洋にとても早く追いついた日本はすごいと思った。きっともっとすばらしい日本にしたかったと原敬は思ったと思う。だから、暗殺されてしまったのは残念だと思う。

*アジア初というのがすごいと思いました。イギリスとの差がだんだん縮まっていることを感じました。

*原首相はゆっくりと普通選挙実現へと動いていたことがわかりました。イギリスと7年の違いで普通選挙が行われたのはすごいと思いました。1900年代だと思うと、100年以内の最近のことなんだなあと思いました。

*今では、お母さんもお父さんも選挙で投票していますが、昔は選挙権が厳しかったんですね。日本がこんなにも早く、西洋に追いつくとは日本、さすがです。
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