授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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板垣退助

■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
「板垣退助」は明治維新の授業(全5時間)の3時間目です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとです。
 全国の先生方、ぜひ追試してみてください!


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           板垣退助

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明治維新の授業はこれが4時間目。
 人物は3人目となる。取りあげるのは板垣退助である。
 まず、肖像写真を掲示する。

板垣退助肖像
板垣1


 次に昔懐かしい100円札を掲示する。子どもたちは興味を示す。

100円札
板垣2


ここで、大久保利通と伊藤博文の出身藩と現在の県名を確認する。そして、板垣退助の出身藩が土佐藩であることを教える。
「坂本龍馬と同じだ」
質問が出る。
「龍馬とは知り合いだったんですか?」
 互いに知っていたかもしれないが、幕末当時は下級武士の龍馬に対して板垣退助は上級武士であり、身分がかなり違ったことに触れる。


<ワークシート・第1ページ>

★下の絵を見て、気づいたことを箇条書きで書きだしてみましょう。

演説会
板垣3


 この絵は「明治会堂演説の図」という。
 中央に弁士がいて大勢の人が演説を聴いている。会場も文明開化らしい雰囲気が漂う。
「建物が洋風」
「電灯がある」
「着ているものが和風なので一般の人なのではないかと思う」
「国会?」
「中心の人が何か発言している」
「大勢の人が集まっている」
「2階にも多くの人がいる」

 これは図の中にある文字でもわかるように「演説会」であることを教える。
 今日学習する板垣退助と演説会には関係があることを伝えて次の学習へ進む。


<ワークシート・第2ページ>

★自由民権運動と板垣退助

①国会(議会)を開け!
 板垣退助は、坂本龍馬と同じ土佐藩(いまの高知県)の出身です。
 退助は、明治新政府の中で大事な仕事をしていましたが、大久保利通たちと意見が対立し、政府から去ってしまいました。
 地元の土佐に戻ると「立志社」をつくり「国民が選んだ議員に政治を任せるべきだ」と主張して、1874年に「民選議員設立の建白書」を政府に提出しました。
 この建白書には「いまの政治は、天皇も国民も関係ないところで政府の役人たちが自分たちの考えだけで進めている。これではいけない。すぐに国民による選挙で選ばれた人たちが話し合う国会を作って、役人が自分たちの考えだけで政治を進めるのをやめさせなければいけない」と書かれています。
 この「建白書」の提出が自由民権運動のはじまりと言われています。なお、「建白書」というのは身分を問わずにだれでもが政府に意見を述べることができる制度のことです。
 
②板垣死すとも自由は死せず
 この自由民権運動の影響もあって、政府は1881年に「国会開設開設の詔(みことのり)」を出しました。10年後にの国会を開くことを約束したのです。退助たち自由民権運動を進めていた人たちの思いが政府に届いたのです。
 新しい政治を進めるためには政党が必要だと考えた退助たちは、国会開設にそなえて,自由党(じゆうとう)を結成し、大隈重信たちは立憲改進党(りっけんかいしんとう)を結成しました。
 退助は自由党の考え方を広めるために全国で演説を行いました。
 岐阜県に行ったときのことです。
 演説を終えて、会場の玄関でくつをはいているときに突然、若い男が短刀で退助の左胸を刺したのです。退助は深手を負いましたが、この男をにらんで「板垣死すとも自由は死せず!」といったと言われています。

板垣遭難図
板垣4
 
③憲法と国会ができた
 自由民権運動は、武力ではなく言論の力で政府を動かそうとして始まったものでした。ところが、この運動にかかわった者の中には役所を襲ったたり、全国各地で事件を起こす者も現れました。こうして運動が過激になることで、運動から離れる人も増え始め、自由党は解散しました。
 その後、1889年に「大日本帝国憲法」が発布され、1890年には第1回の選挙が行われて国会が開かれました。「日本の未来を作ろう!」と自由民権運動を進めた人たちの努力が実ったのです。


<ワークシート・第3ページ>

★あなたも「民選議院設立の建白書」の論争に参加しよう!

 板垣退助たちが出した「建白書」が新聞にのると、民選議院を作ることについて大きな論争が巻き起こりました。下の2つの意見を読んでみましょう。
┌──────────────────────────────────────┐
A:民選議院を作るのはまだ早すぎる!

│ 日本がひとつの国として安定するためには民選による国会が必要なのは言うまでも
│ ありません。
│ しかし、日本は明治という新しい世の中に変わったばかりです。
│  国民は、国を動かすしくみや日本を取り巻く世界のようすを理解しているとは言えませ
│ ん。そんな状態で、日本の将来を決める議員をいきなり選挙で選ぶことができるので
│ しょうか?
│  それよりも、まずは日本の教育を充実させて国民のレベルを上げることが大事でしょう。
└──────────────────────────────────────┘
┌──────────────────────────────────────┐
B:民選議院はすぐに作るべきだ!

│  国民のレベルを上げるためにこそ民選議院が必要なのです。
│  民選議院ができれば国民は自分から進んで国のしくみや世界のようすを知ろうとす
│ るはずです。大事な日本の将来を決める議員を選ぶのですから真剣になるのはま
│ ちがいありません。
│  また、立候補する議員たちは自分から進んで学問をして知識を身につけた人たち
│ ですから心配することはありません。 
└──────────────────────────────────────┘

◇あなたはAとBのどちらに賛成しますか?明治時代の国民になって考えてみましょ う。
後で、みんなで話し合ってみましょう。

 話し合いの開始前と終了後に意見分布を取った。

*A・・・1組 9人→12人  2組 8人→ 5人
*B・・・1組21人→18人  2組18人→21人

 人数分布的にはBが優位なのは変わらないが、話し合い終了後の人数変更には大きな違いが起こった。
 これはA派の「よくわかっていないのに選挙をしたらへんな議員を選んだり、悪い議員に騙されて選んでしまうかもしれない」という意見への理解と共感の違いのようである。
 1組ではこの意見への賛同者が多く、2組ではそれほどでもなかった。

 では、主な意見を見てみよう。

◆A派
「日本は明治という新しい国になったばかりで、新しい日本にまだなれていないかもしれないから、教育を充実させてから民選議院を作った方がよい」

「もし、立候補した人が元武士だったら、まだ頭の中に江戸時代の考え方があるので、危ない。まずは教育を充実させた方がよい」

「いきなり選挙をしたら国が混乱する。悪質な議員が無理矢理自分に投票させるかもしれない。まだ選挙は早い」

「何事にも順序がある。まずは文明開化のことなどをみんながよく理解するためには、日本の教育を充実させて国民のレベルを上げてから金銭議院を作った方がいい。口先だけの議員が出てくるかもしれないから」

「日本はまだまだ外国とつきあいを始めたばかりの国だから、すぐに選挙をしては国民の混乱をまねく可能性もある。でも、自由民権運動の人々も何かを起こすかもしれないから今すぐではなくても早いうちに選挙をしたほうがいいかもしれない」

「新しい世の中ができたばかりなのでそんなに急ぐ必要はない。教育を充実させて、将来日本の役に立てる人たちを創っていければいい」


◆B派
「民選議院ができれば、議員に選ばれようとして演説をして、国民に自分がどんな議員か知ってもらえるし、国民も日本の将来を決められる。明治政府の考え方も変わるかもしれない」

「民選議院ができれば、日本を動かす力が大きくなり、議員の活動も活発になる。また、頼りにできる議員なら国民に苦しくない生活にしてくれるかもしれない。日本を大きく動かす力が今は必要だ」

「だれでも身分を問わずに意見を言えるようになれば、今までは取り上げれなかった国民の意見も聞けるから、いい意見もたくさん出てくるかもしれない。国民の意見を最優先するべきだと思う。国民のレベルが上がってくるまで待っていたらすごい年月がかかってしまうので、待つよりも実戦あるのみ」

「今、立候補する議員は、知識を身につけた人たちなので心配はないと思う。その議員たちを見て次の予備軍を育てればいい」
「新しい日本になったからこそ、新しい民選議院が必要でしょう。心配している暇はないです。早く新しい日本を動かしていかなければ」


<ワークシート・第4ページ>

★言論によって政治を進める

 板垣退助たち自由民権運動を進めていた人たちはBの意見でした。しかし、Aの意見の人たちとどこがちがうのでしょうか?
 じつはAとBの考え方をくらべてみても、ちがいはほとんどありません。
 どちらも、これからの日本は憲法を作り、国会を開くことが必要であることは認めていました。
 ちがいは国会を開く時期だけです。

A派の人たちは「あわてずにじっくりと」作るべきだと考えていました。それに対してB派の人たちは「いますぐに」作るべきだと主張しました。
 結局、政府は10年後に国会を開くことを約束したわけですから、A派・B派どちらの意見も取り入れられたと考えていいでしょう。

自由民権運動は「言論」(げんろん:話し合いや議論すること)によって政治をよりより方向に進めようとする雰囲気を日本に広める役割をはたしました。
 現在の日本では多くの国民が、新聞やテレビ・インターネットなどで政治家の意見を聞いていますが、明治時代の自由民権運動のころから新聞や演説会で政治に関する意見を知る機会が増えてきた、と言ってよいでしょう。

 明治時代に次のような言葉が残されています。

「一枚の紙、数行の字であっても、場合によっては百万の兵隊にもまさる力がある」

「演説は、人の心を励まし、自分の意見を主張したいという気持ちにさせてくれる。それは百万の兵隊と同じような力がある」



子どもたちの感想を紹介する。

「板垣退助の日本のよりより未来を作りたいと言う気持ちが伝わってきました。板垣死すとも・・・はきっと運動する人々に勇気をあたえただろうと思いました」

「板垣退助たち自由民権運動を進めていた人たちは国と国民のことをとても考えていたと思いました。板垣退助の言葉が心に残りました」

「明治時代はほんとうにいろいろあって奥の深い時代だと思った」
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伊藤博文

■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
「大久保利通」は明治維新の授業(全5時間)の2時間目です。
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         伊藤博文

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 明治維新の人物学習2人目は伊藤博文を取りあげる。
 導入は現在の国会議事堂と伊藤の銅像にまつわるエピソードである。
 まずは肖像写真を見せる。
 旧千円札の図案になった有名なものと若い下級武士の頃のものである。

伊藤博文肖像
伊藤1

伊藤博文肖像2
伊藤2


<ワークシート・第1ページ>

★国会議事堂には伊藤博文の銅像が3つあると言われています。

銅像1
議事堂内
伊藤3


銅像2
参議院中庭
伊藤4

銅像3
議事堂のてっぺん?
伊藤5

台座
神戸・大倉山公園台座
伊藤6

※国会議事堂を設計した人は神戸市・大倉山公園の台座をヒントにしてデザインしたので はないか?と言われています。この台座にはもともと伊藤博文の銅像がありました。

◇日本でもっとも重要な話し合いの場である国会議事堂に3つ?も銅像がある のはなぜだと思いますか?

 なお、この3つ目の銅像は実際にはない。
 都市伝説として子どもたちに紹介する。子どもたちは興味津々である。

「初代総理大臣だから」

「明治時代に一番偉かった?」

「国会は話し合いの場だから重要な話し合いを解決させたから」

「国会に深い関わりがあった」

「国会議事堂を設計した」

「政治家としてとても厳しい人だったから、後の国会議員を油断させないように作った」



<ワークシート・第2、3ページ>

長州藩出身の伊藤博文はもともとは農民です。下級武士となった博文は吉田松陰の松下村塾に入門しました。ですから、高杉晋作は先輩になります。 
 のちに伊藤博文は明治新政府で重要な仕事をまかされ、日本で最初の総理大臣になっています。


★あなたも伊藤博文になって憲法を作ろう!
 
 新しい日本の政治を進めるためには憲法が必要です。この憲法を作るためにリーダーシップを取ったのが伊藤博文です。伊藤博文になって憲法づくりを体験してみましょう。
 

(1)まずはアドバイスを聞いてみよう!
  明治新政府は、新しい国づくりを進めるためには西洋の国々と同じように憲法が必要であると考えていました。しかし、なにぶんにも初めてのことなのでどこから手をつけていいかわかりません。
そこで、憲法を作るために西洋の国々に学ぶことにしました。伊藤博文をリーダーとしてヨーロッパへ調査団を派遣したのです。伊藤博文は3人?の外国人からアドバイスを受けました。このアドバイスをあなたもいっしょに聞いてみましょう。

①グナイストさん(ドイツの法律専門家)のアドバイス
憲法は外国のものをそのままマネすればいいというものではありません。自分の国の歴史や文化にピッタリしたものでなければうまくいかないのです。
 ところで、日本の憲法に「議会を開く」ということも入れるのですね。それは大事なことですが、議員たちが自分の意見ばかり主張して決めたいこともなかなか決まらなくなります。ですから、外交や予算のことは政府が決めるというルールにすることをおすすめします。

②シュタインさん(オーストリアの法律専門家)のアドバイス
私も同じです。憲法は自分の国の歴史を木の幹にして、そこにヨーロッパで学んだ知識を枝にしていくことが大事です。あわてて西洋のマネをすれば国が混乱することになるでしょう。
ところで、国民が政治に参加するためにも議会は大事ですが、話し合いはどうしても議員の利害や関心に左右されます。すると安定性がなくなるので、国にとって大事なことを安定して進められるように政府の力を強くしたほうがいいでしょう。

③西洋人のひそひそ話
そう言えば、10年ほど前にトルコ人が憲法を作ったけど、うまくいかずに1年間で憲法停止・議会解散になったな。やっぱり西洋人以外には憲法を使った政治はできないんじゃないの?



(2)これからの日本に必要な憲法はどうあるべきなのか?

以下は先生が考えた架空の話し合いです。

 みなさんは自分が憲法制定の責任者である伊藤博文になったつもりで話し合いに参加してみて下さい。伊藤博文は以下の3人の意見を聞いて悩んでいます。
 
*Aさん

歴史を見ると、日本は天皇を中心にまとまってきました。ですから、憲法も天皇を中心にするべきです。いまの日本で責任を持って大事なことを決定できるのは天皇しかいないではありませんか。
 日本はまだ弱い小さな国です。西洋の国々にいつ植民地化されてしまうかわかりません。議会を開いたとしてものんびりと話し合いをしている時間はないのです。議会の力は最小限にして天皇中心のリーダーシップで政府が引っ張っていく憲法にしましょう。


*Bさん

 たしかに、日本の歴史を考えれば天皇中心にまとまっていくのに賛成です。でも、実際の政治は新しい日本を作るために、すぐにでも議会を開き、国民が政治に参加できるようにすることが大事です。 
 Aさんの言うとおり、日本はまだまだ弱い国です。多少の混乱はあっても、西洋と同じように議会を強くしなければいつまでたっても追いつくことはできません。だから、議会で決めたことをを大事にして政府が動くような憲法にしましょう。
 

*Cさん
 
 私も日本の歴史を見れば天皇を中心にまとまるのが大事だと思います。ですから、天皇には日本の代表として<すべてを見ている存在>になってもらいましょう。そして政府と議会が天皇を助けて政治を進めるのです。
あわてて議会の力を強くするのは危険です。西洋の国々は日本の国内が混乱し、争いが起きるのをねらっているのです。まずは政府のリーダーシップで日本の基礎を固め、それから徐々に議会の力を強めて、あわてずに国民中心の政治へと成長していける憲法にしましょう。


◇さて、あなたが伊藤博文ならどの人の意見に賛成しますか?

 児童の意見分布を見てみる。

*1組・・・A 0人  B 5人  C 22人
*2組・・・A 2人  B 5人  C 22人

 この問題の構成上、AとBの折衷になるCが多くなるのは当然ではあるが、
子どもたちの意見を見てみよう。

*A派
「のんびり話し合いなんかしていたら、西洋にやられて植民地にされてしまう」

*B派
「日本は弱い国だけど、ゆっくりしているといつまでたっても西洋に追いつけなくて、置いて行かれてしまう。っこで一気に追いついて西洋と対等に貿易などを行えるようにしたい」

「西洋人より強い国を作るためには、西洋人と同じレベルにならなくてはいけない。今はまだ弱い国だがまずは同じレベルにまで行かなくては強い国になれない。議会で決めたことはすぐに実行しましょう」

「天皇中心はいいと思う。けれど、なんでも天皇だけで決めるのはよくない。国民も政治参加できるようにするのがいいと思う。議会で決めて、それを大事にして政府・天皇が動けば速く西洋に追いついて植民地にならないようにしたい」


*C派
「私も天皇中心にまとまるのが大事だと思います。Cさんと同じようにあわてて議会の力を強くするのは危険で、もしかしたら日本が植民地にされてしまいます。なので、政府と議会が天皇を助けて政治を進め、国民中心の政治へ成長していける憲法になったら、日本も安定すると思います。新政府もできたばかりだから徐々に力を持っていくのがいいと思います」

「やっぱり西洋人は日本国内が混乱して争いが起きるのをねらっていると思うから、そのために少しずつ議会の力を強めて、日本の基礎を固め、不満が出ないようにすることが大切だと思います」

「日本がいきなり議会の力で日本を動かしていったら、みんな自分の意見ばかり主張して混乱してしまう。だから、天皇の助けとして小さな規模から、だんだんと大きく中心に近づけていった方が、きっと安定すると思う」

「Cなら五か条の御誓文を守り、日本を西洋の国から守れる。Cさんの言うとおり、あわてて議会を開くと国が混乱して西洋がもし攻めてきたら団結力が落ちてしまう可能性がある」

「CさんとAさんは似ているけど、政府がリーダーで、天皇は<すべてを見ている存在>は、これからの日本にいいと思う。西洋人の思い通りにはしません」


 じつはAもBもCも背後にある問題意識は同じである。
 それは「対西洋列強を考えたときにいかにして植民地化を回避するか」である。
 述べている意見もほぼ変わらない。天皇中心という主軸は問題文にあるようにA・B・Cともに同じで、あとは天皇・政府・議会の重要性をそれぞれの立ち位置から強調している点のみが相違点である。



<ワークシート・第4ページ>

★伊藤博文たちの憲法づくり

伊藤博文はヨーロッパから帰ると憲法作成に取りかかりました。
 いっしょに作成に参加したのは井上毅・金子堅太郎・伊東己代治の3人です。博文は作成を始める前に3人にこう話したと言われています。
「憲法の作成にあたって、私たち4人はみんな<憲法学者>になったつもりで取り組もう。位は私がいちばん上だが、私がまちがっていると思ったら遠慮なく意見を述べて欲しい」
 4人は神奈川県の夏島で1年間の合宿も行っています。朝起きるとすぐに議論、ご飯を食べながらも議論、夜は12時まで話し合いを続けました。こうして、3年後の1889年に<大日本帝国憲法>が完成しました。

 では伊藤博文たちが作ったは憲法はどんな内容になったのでしょう?さっきの話し合いと関係する所を見てみましょう。

*第4条  天皇は日本の元首であり、そのすべてを見ている存在である。なお、この憲法の条文に合わせて必要なことを行う。

*第37条 すべての法律は帝国議会の承認がなければならない。

*第55条 大臣は天皇を助ける責任を持っている。また、法律や国の大事な決まり事は大臣のサインが必要である。

 これを見ると、天皇中心ではあるが天皇が何でも勝手に決められるわけではなく、大臣のサインや議会の承認も必要です。このように君主(日本では天皇)を国の中心にしながらも憲法に決められた約束で政府や議会が政治をするしくみを「立憲君主制」と言います。

 伊藤博文たちは西洋人のアドバイスを大事にしながらも、日本人の能力と志の高さを信じて議会の力も決して弱くない理想の憲法を作ったと言っていいでしょう。

 読み上げながら、前時と同じくA・B・Cに「1票」を入れていく。
 第4条はCに1票である。第37条はBに1票。第55条はAに1票となる。

 すべてに1票ずつ入ったわけだが、天皇の位置づけとAの考えもBの考えも含み込んでいるCの考え方で明治憲法ができていることを話す。


 子どもの感想を紹介する。

*伊藤博文は外国人の意見も大切にして、それに手を加えて日本の大日本帝国憲法を作ることができたから、国の混乱を防いで納得を得られたのだと思いました。

*やっぱり、西洋の国をもとにして作っているのだと思った。4人で憲法を作るのがすごいなと思った。西洋に負けない憲法を作ったのがすごい。

*伊藤博文は西洋人の話を聞きながら日本独自の憲法を作ったことがわかりました。農民から一番偉くなるのが豊臣秀吉みたいだなと思いました。

大久保利通

■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
「大久保利通」は明治維新の授業(全5時間)の2時間目です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。
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         大久保利通

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 明治維新の人物学習、一人目は大久保利通を取りあげる。
 大久保が新しい日本の基礎を作った功労者でるあることをテーマとする授業である。
 なお、大久保はたいへん誤解されることの多い人物であるが、この視点にも触れる展開にしたいと考えた。


<ワークシート・第1ページ>

写真を見て気づいたことを箇条書きで書き出しましょう。

 右の写真が大久保利通です。左の5人の中にもいます。探してみましょう。

大久保肖像
大久保1

岩倉使節団
大久保2


 まず使節団5人の中でどれが大久保か当てさせる。
 次に気づいたことを発表させた。
「髭がすごい」
「みんなスーツを着ている」
「全員シルクハットを持っている」
「真ん中の人だけ日本風で、偉そうにしている」
「真ん中の人がリーダーなのか?」

『では、大久保利通がどんな人物なのか調べてみましょう』


<ワークシート・第2、3ページ>

★ある人が大久保利通についてこんな風に言っています。読んでみましょう。

①島田一良さん
「大久保さんは勝手な人だ。みんなの意見を聞かないで、日本の政治を自分の都合のいいように動かしている。しかも、自分も武士だったはずなのに、士族を困らせることばかり実行するから国内の内乱をまねいている。だから、私がこらしめてやるつもりだ」

②小野梓さん
「大久保さんは誤解されやすい人だ。彼は日本のために必要なことをしている。府や県に地方議会を開くなど、国民が政治に参加するきっかけを作った人だ。政治を自分の都合のいいように動かすような人が、こうした自由な制度を作るはずがない」

③中江兆民さん
「大久保さんはすごい人だ。新しい日本の法律・経済・道徳についての方針を立て、それを実行した。こうした大事な仕事を彼ほどしっかりやった人はいない」

④山本権兵衛さん
「大久保さんはあまりしゃべらない人だ。いつもこわい顔をしているので、こっちも言いたいことがなかなか言い出せない。西郷さんにくらべると人気がない」

⑤馬場辰猪さん
「大久保さんはとても用心深い人だ。どんなに犠牲をはらっても日本の平和を守ろうと努力していた。予想外のことが起こっても冷静に対応していた」

※5人の意見を聞いて大久保利通はどんな人だと思いましたか?

 数人に感想を求める。
 子どもたちからは
「本当はいい人なのだが、誤解されやすい?」
「冷静で静かな人では?」
などの感想が出てくる。


★海外視察した大久保利通が最も影響を受けたのは?

 1871(明治4)年、明治新政府は<廃藩置県>を行いました。
 これはそれぞれバラバラに存在していた「藩」をなくし、かわりに中央政府のもとに「県」を置くというものです。これにより武士というものがなくなることになりました。ですから、新政府は武士の反乱を恐れていました。しかし、予想に反して大きな混乱は起こりませんでした。
 当時の武士たちのほとんどはこれが新しい日本に必要な改革であると理解していたからです。各藩の年貢は新政府のもとに集まることになり、これでようやく新しい日本を作るための資金ができたのです。

 さて、同じ年に新政府はアメリカ・イギリスなど西洋の12の国々を視察することにしました。岩倉具視をリーダーとしたこの使節団を「岩倉使節団」と言います。

 この使節団の目的は次の2つです。
 ①不平等条約改正の予備交渉をする
 ②西洋文明を実地に学び取る

大久保利通もこの使節団に入ることを希望しました。新しい日本を作るためには広く西洋の制度や文化、施設を研究する必要があったからです。

(1)各国の視察のようすを写真で見てみましょう。

 まず廃藩置県について当時の地図を見せる。今、日本にある「県」という制度は明治時代に始まることを説明する。ただし、今とは「県」の区分や名称が異なることに着目させて、改正されて現在に至っていることを教える。

 次に冒頭に見せた5人の写真は岩倉使節団がアメリカで撮ったものであることを説明し、さらに他の画像を見せる。

横浜港出発
大久保3
横浜港から出発


津田梅子
大久保4
使節団には8才の少女・津田梅子がいた


大統領会見
大久保5
アメリカ大統領・グラントと会見


晩餐会
大久保6
一行は各地で大歓待を受ける

 次はこの授業のメインの課題である。



(2)大久保利通にいちばん影響を与えたのはどのアドバイスだろう?

 あなたが大久保利通なら、その後の行動にもっとも有益なのは下の誰のアドバイスだと思いますか?

<イギリスさん>
私たちの国の工場は見ましたか?
 造船所、製鉄所、製紙工場、ガラス工場、木綿工場など各地の都市には必ず工場があります。これが世界一豊かな国である秘密です。私たちの国の資源は鉄と石炭ぐらいです。原料は他国から輸入して製品を作り、輸出するのです。また、工場を成功させるためにはものと人を運ぶための道路・橋・鉄道が国中に通っていることが重要です。

<フランスさん>
もし政府の考え方に反対するものがいたらどうするか?
それは自信をもって排除することですよ。いろいろな考え方があるのは大事ですが、話し合うばかりで何も決まらなければ実行できません。この間もフランスではパリ・コミューンというグループが政府の方針に反対して一揆を起こしたので、徹底的に取りしまりました。おかげでいまのフランスは平和です。

<ドイツさん>
西洋の国々とどうつきあっていけばよいか?
世界中の国は、親しくそして礼儀正しくつきあっていますが、それは表向きのことですよ。自分の国の利益が守られれば礼儀正しいのですが、不利と見れば巨大な軍事力を平気で使います。これがきれいごとではない現実です。日本のような小さな国が独立を守るためには軍隊の力が必要です。私たちの国も陸軍に力を入れています。

◇ひとつ選んでその理由を書いてください。

 意見分布は以下のようになった。

*1組・・・イギリス11人 フランス5人 ドイツ9人
*2組・・・イギリス22人 フランス4人 ドイツ3人

(なお、1組のみ討論終了後にもう一度意見分布を取ったところイギリスから4人移動してイギリス7人 ドイツ13人と逆転した。フランスは変わらず)

次のような意見が出された。

*イギリス派
「イギリスみたいに原料を輸入して製品を作り、輸出すれば利益を上げられる」

「日本はたしか生糸がたくさんあるからこういう工場を造って輸出すれば儲かるし、他の工場の原料もこのお金で手に入れればいい。鉄道や道路が全国に行き渡れば国中の人がいろいろなところにいきやすくなる」

「世界でもトップクラスの工場を持てば、日本のような小さな国でも西洋とつきあえる。利益が上がれば政府に反対する人もいなくなる」

「イギリスのように工場がたくさんあれば豊かで何かと生活の上で必要なものが不足しないと思う。また、他国と輸入・輸出をすれば外国との仲がよくなり、争いが起きなくなると思う」

「日本はイギリスと同じで資源が少ないから、原料を輸入して工場をいっぱい造って、道路を造り、鉄道を通せば日本も巨大な軍事力を持って西洋と対等につきあえる」

「陸軍などの武器を作るには工場が必要だから、軍事力を高めようとしてもどっちみち工場がないとダメ」

 イギリス派が増えることは予想されたが、軍事力を伸ばすというなら工場が必要だ、という意見は説得力がある。


*フランス派
「ドイツにそんなことを言われても、それは西洋の国のことであって、今の日本に必要なのは「一つになる」ことだから、そのためのアドバイスを教えてくれているのはフランスだと思う」
 
フランス派は混乱や内乱が国の発展の阻害になるという意見である。


*ドイツ派
「今は西洋と仲良くやっているけれど、もしかしたら裏の顔があるかもしれないし、軍隊の力があれば何かと安心だから。攻めるのではなくて守る軍隊を作る」

「日本では五か条の御誓文が発表されて、その一つに強い国にしようというものがある。それは軍隊を作ろうと言っているのだから軍隊に力を入れているドイツさんが日本にとって一番有益だと思う」

「日本はとても小さい国だから日本を守るためにはたしかに軍隊の力が必要だ。うまくつきあっていくとしても、もしものために強い軍隊も用意しておくことが大切だ」

「日本は他の国よりも小さい国なので、もっと強くしないと、日本も植民地にされてしまう」

 1組では「植民地化」についての意見が複数出されていた。これが最終的にドイツ派の増加につながったと思われる。



<ワークシート・第4ページ>

★大久保利通の活躍

 西洋の国々から学んだ大久保は大きなショックを受けました。
「西洋の国々の発展の理由はよくわかった。しかし、はたして日本は同じようになれるのだろうか?」
 しかし、弱音ばかりを吐いているわけにはいきません。
「この世界に日本が独立した国を建てるには<富国強兵>の国づくりが必要だ。そして、これを実行するためには<殖産興業>に力をつくし、着実に進歩させることだ。さらに、これらを実行するためには強力なリーダーシップが必要だ」
と考えたにちがいありません。では、帰国した大久保はどんなことをしたのでしょう?

①内務省を作った
 大久保は「内務省」という新しい省を作りました。これは日本の産業をさかんにするための殖産興業、警察、地方政治、戸籍作成、土地の測量と土木工事など国としての基礎を作るための仕事をすべて行うものです。日本国民の力を養成することを大事な目標にしていました。

②殖産興業
  大久保は、民が豊かになることが国が豊かになることにつながると考えました。最初は政府が手伝いますが、その後は民間が自分たちで工業を推進すれば国は豊かになるはずです。世界遺産になった「富岡製糸場」などはこの考え方で作られました。

③外国との問題を一気に解決した
 まず、ロシアと千島樺太交換条約を決めて、北の国境をはっきりさせました。次に台湾との問題でこじれていた清国と直接話し合い、これを解決しました。さらに「征韓論」に反対して国内の問題を優先させました。

④元武士のたちの反乱にきびしく対応した
 佐賀、熊本、福岡、山口などで新政府の方針に反対する士族の反乱があいついで起こりましたが、大久保はきびしく対応しました。また、親友である西郷隆盛も鹿児島で大規模な反乱を起こしましたが、これも鎮圧しました。自分の方針が親友にも理解してもらえないのはつらいことだったでしょう。

 大久保は海外視察で学んだことをすべて生かした政治をしたと言えるでしょう。

 大久保の「したこと」4つを読み上げながら板書のイギリス派・フランス派・ドイツ派に「1票」ずつ入れていく。
 
①②はイギリスへ1票、
③はドイツとイギリスへ1票、
④はフランスへ1票。

 つまり、大久保はすべての国のアドバイスを生かしたわけである。だが、大久保はまずは国内問題を優先し、国の基礎を作ることに力を注いだ・・・と言う意味でイギリス派へおおめの3票となっている。

 子どもたちの感想を紹介する。

*大久保利通は国のためにたくさんのことを考えている。すごく頭が良くて、国のために何かをしよう!という国思いな人なんだと思いました。

*大久保さんは自分勝手な人なんかじゃないです。新しい日本をつくるために精一杯力を尽くしたすばらしい人だと私は思います。(中江兆民さんと同じ)

*大久保利通は親友にも理解してもらえない方針をもって立ち向かって。自分の考えを信じ、政治に取り組んでいたからすごいと思いました。

*大久保の方針は、元武士だった人たちには不評だったかもしれないけど、現代の方向に向いている。これからの時代にはいい方針だと思う。

*大久保利通は日本のために生きて、日本のために死んでいったのですごいと思いました。

明治維新の導入

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」明治維新の授業(全5時間中の1時間目)です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとです。
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     明治維新の導入

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 明治維新は以下の4人を取り上げる。

 ①大久保利通・・・富国強兵と殖産興業
 ②伊藤博文 ・・・明治憲法制定
 ③板垣退助 ・・・自由民権運動
 ④福沢諭吉 ・・・学問のすすめ

 しかし、この4人を取り上げる前に言わばオリエンテーションとして次のような授業を行う。

(1)明治維新 

 まず、次の2点を確認する。

*江戸幕府が滅びた。そして新しい明治新政府ができた。この時代を「明治維新」」と呼ぶ。
*明治時代の生活と文化が大きく変化した。これを「文明開化」と呼ぶ。
 そして、授業のタイトルに「明治維新と文明開化」と板書する。この時に次のようにガイドする。

「タイトルの明治維新も文明開化も四字熟語ですね。これから明治の学習を進める中でこうした大事なキーワードが四字熟語でたくさんでてきます」


(2)明治時代になって日本の生活に変化が起こった

 以下の写真を掲示して気づいたことをノートに書かせて発表させる。

文明開化・日本橋付近
明治の東京

 
意見の発表の後に、明治時代の様子をいろいろな画像で見せる。



3)明治新政府の大方針を知る

「新しい明治時代の様子がつかめましたね。では、今度は明治新政府の政治の方針を確認しましょう」

 教科書に掲載されている「五か条の御誓文」を読み、ポイントを解説する。
 そして、5つのキーワードを板書する。
 
 ①話し合う 
 ②強い国にする
 ③願いをかなえる
 ④よくないしきたりをやめる
 ⑤世界と天皇中心 


(4)教科書の関連個所を読み、ワークシートに重要用語を書き込む

 教科書を読みながら「富国強兵」「殖産興業」「四民平等」「廃藩置県」など四字熟語が出てきたらチェックさせる。


勝海舟

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編最後の授業です。
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            勝海舟

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幕末の5時間目。
 取りあげる人物は4人目となる。勝海舟である。
 ここまで学習してきた人物をおさらいし、出身藩や現在の何県かを確認する。
 そして、今日は勝海舟を取りあげることを伝える。
 なお、前回まで学習した3人とは違い、勝海舟は幕府側の人間であることを話す。


<ワークシート・第1ページ>

上は荒れる海を進む帆船です。下は勝海舟の写真です。
この2つにはどんな関係があると思いますか?
あなたの予想を書いてみましょう。


咸臨丸
咸臨丸

勝海舟肖像
勝海舟

子どもの予想はおおよそ3つである。
「勝海舟がこの船を造った(設計した)」
「この船の持ち主が勝海舟か?」
「勝海舟がこの船でどこか外国へ行った」
他には
「嵐の中で難破して命を落としたのでは?」
といった予想もあった。


<ワークシート・第2ページ>

咸臨丸と勝海舟

①オランダ語の辞書を丸写しして辞書を2冊作った
勝海舟は貧乏な武士の家に生まれました。名は麟太郎と言います。麟太郎はとくに剣術と蘭学を熱心に学びました。
 蘭学はオランダ語で書かれた本を読めるようにしなくてはなりません。外国語を学ぶためには辞書が必要ですが、60両という高価なものだったので買うことができません。そこで、麟太郎は辞書を持っている医者から借りて、1年かけて58巻もある辞書を手で写しました。しかも、2冊分です。1冊は自分のものにして、もう1冊を売って貸出料の10両を払ったのです。

②幕府に意見を出して注目された
大人になった勝海舟は幕府の役人となりました。ペリーが日本へやってきて開港をせまったときに勝は幕府へ意見書を出しました。それは次のようなものでした。

*身分のこだわらずにすぐれた人物を幕府の役人にすること
*日本を守るために軍艦を作ること
*軍艦を作るための費用は開国して貿易によってまかなうこと
*日本を守るための技術研究所や軍隊の訓練をするための学校を作ること

これらの意見は採用され、実現していきました。

③咸臨丸でアメリカへ
幕府もこれからの日本には海軍が必要だと考えるようになりました。そこで、長崎に海軍伝習所という学校を作りました。
実習で使う本物の蒸気船はオランダが寄付してくれました。また、海軍について教えてくれる先生もオランダから招きました。
 勝はここで航海術・造船学・砲術・測量学・算術・機関学などを徹底的に学びました。その後、幕府の命令で咸臨丸に船長として乗り込んでアメリカへ渡り、西洋の科学技術や社会の仕組みを学びました。日本人による初めての太平洋横断です。

④西郷隆盛を説得した
1864年、幕府は薩摩藩をはじめとしていくつかの藩に長州藩への攻撃を命令しました。幕府と長州藩では国づくりの方向に意見のちがいがあり、長州藩は常に幕府を批判していたからです。薩摩藩は幕府とは意見のちがいはあるものの、過激な行動をとりがちな長州藩に対して批判的だったのです。
 長州藩の攻撃をまかされた薩摩の西郷隆盛は「長州藩を壊滅させて京都から遠い、東北地方へ国替えさせるのがいい」と考えていました。ある日、西郷は幕府側の責任者である勝海舟との話し合いでこの意見を述べました。すると、勝はこう言いました。「いまの幕府には新しい日本を作る力はない。私は早くつぶれた方がいいと思っている。そんなときに、新しい日本のためにがんばっている日本人同士が殺し合っている場合だろうか?」
 これ聞いた西郷は驚きました。幕府側の責任者が「幕府はもうだめだ」と言うのです。ものごとを広くとらえ、日本全体のことを考えている勝海舟の考え方に西郷は感動しました。自分がまちがっていたことに気づいた西郷は、長州藩と話し合い、幕府に謝罪させることで実際に戦うことを避けることに成功しました。


<ワークシート・第3ページ>

江戸総攻撃の情報が伝わった~あなたが勝海舟ならどう考える?

 薩長同盟が成立すると「幕府から離れて自立しよう」「そして藩同士が協力して新しい政府を作ろう」と考える武士が増えはじめました。
 なぜなら、いまの幕府ではあまりにも策がなく日本の危機を乗り越えることはできないと感じていたからです。しかし、いまの朝廷にも政治を進める能力はないのです。

江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜は土佐藩などからの忠告を受けて、政権を朝廷へ返すことを決めました。<大政奉還>です。さらに<王政復古の大号令>が出されて新しい政府の誕生が宣言されたのです。
 しかし、江戸幕府の中にはこれに従わない勢力もありました。また、東北地方を中心に「あくまでも徳川家中心に新しい政府を作るべきだ」という藩がまだたくさん残っていました。
 また、西洋の国々は自分の国から軍艦を呼び寄せて、自分の国の兵士を日本に集めていると言います。
 そんなとき、京都の鳥羽・伏見で新政府軍と旧幕府軍の間で戦いが起こりました。そこで新政府は薩摩藩の西郷隆盛をリーダーにした新政府軍を江戸へ送り、江戸総攻撃を計画したのです。

江戸にいた勝海舟は悩んでいました。

「たしかに役に立たない幕府はなくなってしまった方がよい。しかし、日本の中心地である江戸が戦場になったら、そして日本人同士が真っ二つに分かれて戦ったら、新しい日本にとって困ることにはならないか・・・」


◇あなたが勝海舟ならどんなことを心配しますか?
いろいろなことが考えられます。
あなたの考えを書いて下さい。あとで話し合ってみましょう。


子どもたちからは大別して3つの意見が出た。

①巻き添えになって多くの民が死ぬ
②多くの人材を失ったり、町の復興に多くの時間がかかる
③日本が2つになることで勢力が弱まり、西洋につけいる隙を与える。そして植民地にされる。

「日本という国が日本ではなくなる。二つに分かれてしまい、別々の国になってしまう」

「一つにならなければいけないはずなの日本が中心地である江戸を戦場にして戦争をしたら、関係がくずれてしまう。そして、戦争をすることで日本は弱くなってしまう」

「お互いに勢力が弱まり、西洋の植民地になってしまう。攻撃されても対等に戦えなくなってしまう。西洋の植民地になってしまったら、また悪いことが起きる」

「多くの国民が亡くなってしまう。それに江戸が焼け野原になって住めなくなる。そのすきに西洋の国につぶされてしまう」

「もし、江戸が戦場になり、江戸が火の海になってしまうと、外国に攻めるすきを与えることになってしまう。さらに、江戸にはたくさんの人が住んでいるのだから攻撃されると罪のない江戸住民まで逃げることになる」

「戦うとお互いに日本の力を弱めあうことになって、そこを外国人につけ込まれて植民地になってしまうかも」

「日本の大都市・江戸が戦場になったら、西洋との貿易もできなくなるかもしれない。日本が二つになったら江戸もボロボロになってしまう。江戸に住む西洋人も巻き添えで死んだら、西洋から攻めてくるかもしれない」

 内戦→日本が弱まる→西洋による植民地化、という論理を立てている児童は2クラスともに約3分の1である。これは興味深い結果だ。


<ワークシート・第4ページ>

実現した江戸無血開城

勝海舟はこう考えていたのではないでしょうか。
「この江戸には大勢の民が住んでいる。江戸が戦場になれば民の命と住まいが危険になる。日本の中心地・江戸をいくさの火で壊滅させてはならない。それに、日本人同士が戦う内戦となれば、互いに傷つき力が弱まるだろう。日本をインドや清国のように植民地にしようとねらっている西洋の国々につけいるスキを与えることになってしまう」

 もともと幕府の役人だった勝は旧幕府の代表として新政府軍と話し合うことになりました。新政府軍の代表は西郷隆盛です。
 新政府軍はすでに江戸の一歩手前にあるいまの川崎付近まで軍隊を進めていました。話し合いに失敗は許されません。
 勝の考えは西郷もよくわかっていたのでしょう。会談は成功し、江戸城は血を流すことなく新政府軍に明け渡されました。こうして「江戸無血開城」が実現したのです。新しい日本にとって最悪の事態は回避されました。

 しかし、戦いがまったく行われなかったわけではありません。江戸では小規模ではありましたが戦闘が行われ、東北でも新政府軍と旧幕府側の戦いが行われました。
 これを<戊辰戦争>と言います。
 どちらも新政府軍が圧勝し、旧幕府勢力は完全になくなりました。

 授業後の子どもの感想文を見てみよう。

*今日の授業では勝海舟という人はとてもすばらしい人だと知りました。勝さんが新政府軍と旧幕府軍の戦いを止めたのはすばらしいことで、日本を救ったと言ってもまちがいではないと思いました。

*勝海舟は幕府の役人だからといって幕府側ではなく、今後の日本のために公平な立場で話し合ったのがすごいな、と思いました。

*勝海舟は幕府の役人なのに、わざわざ新政府のために江戸城を明け渡したのがすごいと思いました。勝海舟の行動こそが、江戸時代以降の日本の国づくり役立ったのだと思いました。

*昔の日本は西洋の国々に植民地にされないようにするために知恵を出し合っていたんだなと思いました。

*勝海舟のおかげで、日本の未来が守れたんですね。もし、勝がいなかったら、今、日本は日本でなかったかもしれないですね。


坂本龍馬

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編の第5弾です。
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                  坂本龍馬

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幕末人物学習の3人目は坂本龍馬である。
 ふところに手を入れて斜め前方を見つめる有名な写真を提示する。

<ワークシート・第1ページ>

坂本龍馬の写真を見て気づいたことを箇条書きで書き出してみよう。

坂本龍馬肖像
20151030223211597.jpg


 子どもの気づきを見てみよう。

「何かを見つめているみたい」

「目を細めていて、まぶしい?」

「台によっかかっている」

「髪の毛がもじゃもじゃで丁髷がない?」

「刀を差しているけど短いので脇差?」

「険しい顔をしている」

「靴を履いている?」

「服の中に手を入れている」

 以上のような意見が出てきた。これらに教師の知っているエピソードを付け加える。
*昔の写真は写すのに時間がかかるので、台に寄りかかってる。
*龍馬は近眼だったので、目を細めているらしい。
*龍馬はブーツを履いていた。
*龍馬はくせ毛だった。丁髷が結いにくい。
*檜垣源之介との龍馬の持ち物エピソード・・・小刀→ピストル→法律の本(万国公法)
*なお、ピストルは高杉晋作に清国に行ったときのお土産としてもらったらしい。

『では、龍馬はどんなことをした人なのか?調べてみよう』



<ワークシート・第2、3ページ

海援隊を作った坂本龍馬

①少年時代は泣き虫だった
龍馬は土佐藩(いまの高知県)の身分の低い武士の家に生まれました。龍馬のお父さんは才谷屋というお店を経営するお金持ちの商人でしたが、武士の資格を得ていたのです。子ども時代の龍馬は人前に出るのが苦手な性格で泣き虫だったと言われています。しかし、剣術に打ち込むようになると自分に自身が持てるようになりました。18才のときにはさらに剣術の腕をみがくために江戸で修行することになり、江戸の道場で北辰一刀流を学びました。この江戸修行中に黒船が来航したのです。

②勝海舟の弟子
若いころの龍馬は「剣の腕さえあえば西洋人などたいしたことはない」と考えていたようです。ある日「開国して西洋から学ぶべきだ」と考えている勝海舟に興味を持ち、訪ねました。龍馬はアメリカに行った経験のある勝の話を聞けば聞くほど自分の考えがいかに小さいものだったか気づかされました。感動した龍馬は「新しい日本を自分の手で作りたい」と勝海舟の弟子になりました。

③海援隊を作った
勝海舟の影響を受けた龍馬は、海に囲まれた日本が西洋に立ち向かうためには海を移動しながら戦える海軍が必要だと考えました。そこで、神戸にできた海軍操練所で航海術を学んだのです。その後、海と船に関する知識と技術を利用して亀山社中を作りました。亀山社中は貿易などで資金を作り、必要があれば戦いに参加する会社+軍隊のようなグループです。この亀山社中がのちに海援隊となりました。

④船中八策
龍馬は新しい日本の姿を八ヶ条にまとめています。これは船の中で作られたので「船中八策」と呼ばれています。ここには、天皇中心にすること・憲法と国会を作ること・条約を整えて外国と対等につきあうこと・日本が不利にならないように外国とお金の交換をすること・強い海軍を持つこと、などが書かれています。
 

ここで龍馬に「なってみる」学習に入る。


あなたが龍馬なら、どう説得しますか?~龍馬になって考えよう!

 龍馬は、日本の将来のためには幕府を倒し、新しい政府を作るしかないと考えていました。それを実行するためには、強大な幕府に対抗できる力が必要です。
 それを可能にするには長州藩と薩摩藩の二つが一つになって対抗するしかありません。しかし、どちらも「自分からは協力しようなんて言えない」と言うのです。どうしてなのでしょう。二つの藩の人たちの意見を聞いてみましょう。

<長州藩(ちょうしゅうはん)さん>
 とにかく西洋の侵略をはねのけて日本の独立を守らなければいけない。西洋人に侮られてはいけないんだ。だから、われわれ長州藩は「馬関戦争」では勇気を出して単独でイギリス・フランス・アメリカ・オランダの四カ国と戦ったのさ。たしかに、こてんぱんにやられて、今の力では西洋にかなわないことがわかった。西洋から学んで強くなる必要があることに気づいたよ。そこは、薩摩藩と同じ考えだ。
 でも、薩摩とは協力したくないね。あいつらは幕府と相談して、われわれを裏切った。「禁門の変」のときは京都で薩摩藩に俺たちの仲間がたくさん殺されているんだ。
 それに今は幕府ににらまれているから自由に貿易もできない。船や鉄砲を買いたいのに長州の名前では買えないんだ。
 俺たちが日本を天皇中心の国にしたいと思っているのは知っているだろ。それなのに幕府の計略で天皇にも誤解され、悪者扱いされている。正直に言うといま苦しいよ。

<薩摩藩(さつまはん)さん>
私たちも「薩英戦争」のときに単独でイギリスと戦い、こてんぱんにやられた。これからは西洋という敵から学んで強くなって西洋の侵略から日本の独立を守るしかない。そこは長州藩と考えていることは同じだね。
 でも、長州藩は深く考えずにすぐに行動しようとして周りの仲間に迷惑をかけていると思う。「禁門の変」のときはとても仲間としていっしょにはやっていけないと思ったから、幕府側の味方になったのさ。俺たちの仲間だって長州藩に殺されたやつはいるんだよ。
私たちの藩は今とてもうまくいっている。幕府を助けてやったから、幕府に対して強く意見も言えるし、天皇の信頼も得ている。
貿易も好調だ。蒸気船を9隻も買いそろえてあちこちと商売をしている。外国とも取引しているから最新式の鉄砲だってかんたんに買うことができるよ。


◇あなたが龍馬なら長州藩と薩摩藩のどちらから「協力しよう」と言わせますか? また、どんな言葉で2つの藩を説得しますか?

 『では、最初に長州藩・薩摩藩のどちらから「協力しよう」と言わせた方がうまくいくと思うか決めて下さい』
 1分ほど時間を与えて立場を決める。
 
 以下のような人数分布となった。

*A:長州藩から言わせる・・・1組  9人  2組  6人

*B:薩摩藩から言わせる・・・1組 16人  2組 22人

 理由を聞いてみた。

*A
「薩摩藩の方がうまくいっているので、長州から言った方が受け止めてくれやすい」
「薩摩は1回裏切っているので、自分からは言いにくいのではないかと思う」

*B
「薩摩藩は貿易などがうまくいっているので、鉄砲などを売ってあげるから・・・など仲良くすればいいことがあるよと言える」
「薩摩は天皇の信頼があるから言いやすい。長州も天皇に認めてもらいたいはずだから」



『長州藩代表は桂小五郎。薩摩藩代表は西郷隆盛です。ようやく2人は顔を合わせることができた、としましょう。しかし、まだ自分からは言い出せないようです。その真ん中に龍馬がいます。さて、どんなセリフで2人を説得したでしょうか?考えてみましょう』

 数分後、話し合いをする。
「2つの藩が協力すれば長州は武器や船が買えるようになるし、薩摩藩は味方が増えて幕府を倒せる・・・とどちらも得することがある」

「日本はいま独立しなかればいけない。2つの藩とも同じ意見だ。日本のことを考えているならぜひとも虚力すべきだ」

「西洋から学んで日本の独立を守ろうという共通点はあるのだから、その考えを中心にして協力して仲間直りして幕府を倒し、新しい政府を作るべき」

「長州・薩摩とも単独で幕府に戦いを仕掛けたら、きっと以前のイギリスなど西洋との戦争と同じになってしまう。手を組んで新しい政府を作り、西洋に負けない国づくりをしていくべき」

「いまは日本が危ないんだ。日本がつぶれたらどちらの藩もつぶれてしまう。協力して日本を強くすべきだ」

「みんなで力を合わせなければ西洋には勝てない」

「自分たちの違う部分、共通していない部分ばかり強く感じてしまっている。逆に共通している部分、同じ考えを生かせばいい。長州も薩摩も日本の独立を守りたいのだから、それは協力すればかなう。協力して日本をこの手で作り、夢をかなえよう」

「同じ考えだし、同じ日本人なんだし、幕府を倒せばどちらももっと強くなれる。そうすれば西洋と同じになれる。日本ことをもっと考えてほしい」

「幕府を倒して、この日本を変えるぜよ!」

「西洋人たちに対抗するには日本という国で立ち向かうのが一番いい。それに幕府を倒せば、幕府の持っているものがすべて手に入って力にすることができる」


<ワークシート・第4ページ>

薩長同盟を成功させた龍馬の活躍

1866年に薩摩と長州は「薩長同盟」を結びました。
 これによって幕府と対等に戦う力が生まれ、倒幕が可能になったと言っても言い過ぎではありません。
しかし、この同盟を結ぶ話し合いはそう簡単には進みませんでした。薩摩藩も長州藩もそれまでのいきさつからなかなか自分から同盟を結ぼうと言い出せなかったのです。
 しかし、憎しみを乗り越えて、大きな目的のために協力しなければ歴史はかえられないのです。
長州の桂小五郎の回想によれば、龍馬は次のように話したと言われています。

「自分が長州と薩摩のためにがんばってきたのは、薩摩のためでもないし長州のためでもない。日本のことを思うからだ。日本の将来を考えると夜も眠れない。せっかく薩摩と長州の両方のリーダーが顔を合わせているのに何も決められないというのは理解できない。わだかまりを捨てて日本の将来のために深く話し合ってほしい」

龍馬は苦しい立場にある長州の気持ちを考えて「薩摩の方から話を切り出してほしい」と西郷隆盛に頼んだようです。
薩長同盟の第6条にはこう書かれています。
「開国以来、危険が増している日本を建て直し、西洋の力に対抗して日本の独立を守るために薩摩藩も長州藩も力を合わせて全力でがんばろう」

1867年11月15日。龍馬は京都の近江屋というところに泊まっていました。そこへ、数人の武士が突然現れて二階にいた龍馬に突然襲いかかりました。いきなり斬りつけられた龍馬は刀のさやで防ぐのが精一杯で、高杉晋作にもらっていたピストルを使うひまもなく殺されてしまいました。33才という短い生涯でした。犯人がだれでどんな目的で龍馬をねらったのかは、現在も謎のままです。

 最後に子どもたちの感想文をいくつか紹介する。

*龍馬は2つの藩を説得したすごい人物なんですね。本当に勇気がなければできないと思うので、龍馬の堂々としたところに感心しました。

*日本のために坂本龍馬は努力したことがわかった。殺されてしまったけれど、薩長同盟を結ばせたことで、当時の日本の未来を変えたはずだと思います。きっと長州藩も薩摩藩も倒幕を実現しようと考えただろうな、と強く思います。

*またもや33才で殺されてしまいましたね。龍馬は説得力があって話が上手だったと思います。後は西郷さんと桂さんにまかせるだけですね。

*坂本龍馬が日本を大切にしていたことがわかってよかった。今日も龍馬になってみようで色々考えられて楽しかったです。

*薩長同盟によって幕府がだんだん崩れていくのがわかりました。

*坂本龍馬がいなければ、薩長同盟がなくて、幕府は永遠に続き、西洋人にかなうことができないまま、不平等条約が改正できなかったり、日本が真っ二つに分かれたままだったから、すごいことだと思った。

*龍馬の勇気ある行動!剣術を磨きついに北辰一刀流を身につけたというこの努力!そして何よりも龍馬のセリフ!もう龍馬にしびれます。


高杉晋作

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編の第4弾です。
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                高杉晋作

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幕末の学習の第4時である。
 『では、幕末の人物学習の2回目です』  
  人物学習は吉田松陰に続いて、2人目となる。
  なお、毎回「前時は誰の学習をしたか」「その人物はどこの藩出身か」「その藩は今の何県か」を子どもに確認する。
  また、吉田松陰から勝海舟までの4人の学習は共通の課題を児童に提示している。

 <幕末の武士は日本のためにどのような行動を取ったか調べよう>
というものである。
これも毎回、黒板に掲示して確認する。

<ワークシート・第1ページ>

 ★この2枚の写真はどちらも高杉晋作です。気づいたことはありますか。 
 高杉晋作肖像①
高杉1

高杉晋作肖像②
高杉2

子どもの気づきは以下のようなものである。
「剣道の格好をしている」
「丁髷がある写真とない写真の両方がある」
「刀を差しているので武士だろう」
「服に家紋が付いている」
「まじめそうな感じ」

『高杉晋作は吉田松陰の弟子です。どんな人なのか調べてみましょう』


<ワークシート・第2ページ>

★魔王と呼ばれた高杉晋作

①将来を期待されていた
晋作の生まれた長州藩の高杉家は、戦国時代のむかしから殿様の毛利家に仕えている由緒正しい家柄で、高杉家だけではなく殿様からも将来を期待されていました。
 7歳ごろから藩校の明倫館で学び、12歳ごろからは兵術や弓・槍・剣道に熱中しました。

②負けず嫌いだった
明倫館で学んでいた晋作はこれだけではあきたらず、19才で吉田松陰の「松下村塾」に入門しました。そこには一つ年下の久坂玄瑞がいました。玄瑞は松陰先生も絶賛する秀才です。負けず嫌いの晋作は猛勉強を始め、他の生徒も一目置く存在となりました。
 その後も玄瑞と晋作の二人はよきライバルとして松陰先生を支えていきました。

③幕府との戦いで活躍
 1866年、晋作の長州藩と幕府の間で戦争が始まりました。日本の中で「尊皇攘夷」のリーダーシップを取っていた長州藩が幕府打倒の旗印をかかげたからです。これを「長州戦争」と言います。晋作も船を指揮して幕府軍を打ち破りました。
幕府軍は数ではまさっていましたが、意見が一つにまとまっていませんでした。また、戦国時代からあまり変わらない旧式の装備でした。これに対して長州軍は武士だけでなく民までもが一つにまとまり、西洋から最新式の鉄砲や船を購入していました。

④魔王
 長州藩は自分たちの藩たった一つで無謀にもイギリス・フランス・アメリカ・オランダの四カ国連合艦隊と戦争をしたことがあります。結果は完敗です。
 晋作は、このときの戦争後の話し合いの代表に選ばれました。長州藩は負けた側ではありましたが、晋作は臆することなく相手側と対等に議論しました。このときの晋作のことを相手側の外国人通訳は「まるで魔王のようだった」と記録に残しています。

⑤結核で亡くなる
長州戦争の終わりごろから晋作は体調がすぐれませんでした。肺結核にかかっていたのです。肺結核は当時は不治の病でした。無理な行動をくり返したため、急激に悪化したのです。
晋作は29才という若さで惜しまれながら亡くなりました。

 ここで感想を聞くと
④の馬関戦争のことが話題となる。
 西洋が圧倒的に強い、という情報をここまで与えてきているので長州というたった一藩で四カ国連合艦隊と戦争をしたことに驚いていた。


<ワークシート・第3ページ>

★高杉晋作の日記を読んで考えてみよう

1862年4月。
 晋作は千歳丸という船で清国の上海へ4ヶ月におよぶ海外視察へ出かけました。もちろん、海外へ行くのは初めてのことです。晋作はこのときのことを日記に書きとめ『遊清五録』という本に残しています。
この日記の中から4つのエピソードを読んでみましょう(なお、小学生にもわかりやすくするために言葉や文章を変えたり、付けたしたりしています)。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
   高杉晋作は、下の4つのエピソードの中でどれにいちばん
ショックを受けたと思いますか? 一つ選んで理由を書いて下さい。
また、ショックを受けた晋作はこれからの日本はどうするべきだと考えたでしょうか?

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

①5月6日
 ようやく上海に到着。ここは清(中国)でいちばん大きな港のはずなのだが、泊まっているのはヨーロッパの商船や軍艦ばかりである。船の帆柱がすごい数なのでまるで森のように見える。陸にはこれもヨーロッパの商館の白い壁がえんえんと続いていてまるでお城のようだ。

上海の港
高杉3


②5月13日
 イギリス領事館から少し離れたところにガーデンブリッジという橋がある。この橋は今から7年前に一度こわれたらしい。ところが清国人には橋を直す力がなかったので、イギリス人がこの橋を作り直した。そこで清国人はこの橋を通行するたびにイギリス人にお金を支払わなければならないという。

③5月21日
清国人はことごとく西洋人にこきつかわれている。イギリス人やフランス人が町の中を歩けば、清国人はみんなはじによって道をゆずりビクビクしている。ここは清国の町のはずなのにイギリスやフランスの町のようだ。

④6月17日
午後、イギリス人が守っている砲台を見学し、イギリス製の最新式のアームストロング砲を見た。現在、わが国が使っている大砲はほとんどが筒先から玉薬を入れるが、この大砲は手元から玉薬を入れる。だからとても便利だ。図に書き残しておこう。
 

子どもたちの主な意見を見てみよう。 
なお、人数分布は以下のようになった。

①・・・1組 0人  2組 0人
②・・・1組 4人  2組 4人
③・・・1組15人  2組20人
④・・・1組 4人  2組 6人

②派
「これからの日本は、何か壊れたらすぐに直し、外国人に頼りすぎない方がいい。外国人を自由にしたら清のように通るたびにお金を取られるかもしれない」

「清国人が橋を直せなくて、それをイギリス人が直したのは親切かもしれないと思う。でも、お金を取ることはない。日本は何かを直したらお金を取るケチくさいことはしない国造りをしよう」

「もともとは清の橋なのに、イギリスが直しただけで清の民からお金を取るか?普通に対等に過ごせばいいのに。日本は、こんなことがないようにしたい。全員対等に暮らせる国づくりがしたい」

「清国人が直す力がないということで、イギリスに頼み、作ってもらったとはいえ、通行する人がお金を支払わなければいけないというのはあまりに卑怯だ。日本はこういうことが起きないように自分たちの力を付けなければいけない」


③派
「この頃の日本人は植民地にされたくないと思っている時だったから、植民地にされたらこんなひどいことになるんだって思い知らされている感があってショックで、日本は弱くても堂々と強そうにするべきだと考えたと思う」

「清国人がことごとく西洋人にこきつかわれているところがショックを受けたと思う。もしも、これが日本人だったら耐えられないし、自分の存在を見失う」

「清の人たちはもう、自分たちの居場所がなくなってしまっている。自分の国なのに普通の生活ができない。これからの日本は西洋に負けたとしてもちゃんと自分たちの意見を言うべきだ」

「清国人が簡単にやられてイギリスやフランスの国のようになっているから、これからの日本は清国人と同盟を結んで、イギリス・フランスを倒す」

「日本が開国したらこうなるのではないか、と思った。③から④の日にちが空いているのでショックすぎて他のことを書けなかったのではないか」

「ここは清の国なのにまるでイギリスやフランスの国みたいになったらとてもいやだと思う。これからの日本は外国人に恐れずに立ち向かっていくことが大切だと思う」

「清の土地は清国人のもののはずなのに、西洋の人たちが清を西洋の一部分と勝手に決めつけて住んでいる。これから日本は、聖徳太子と同じように西洋の国とも対等につきあうべきだと思います」

「西洋の植民地になるのはこわい。まるで自分たちの国が他の人々の国のようだ。日本はどうやってでも植民地になるのを防がなければ!日本は日本としてこのまま行きたい。何か方法や対策を練らなければ。独立する!」


④派
「今の日本は、筒先から入れるから時間がかかるのに、イギリスのは手元から入るから負けるのは当たり前だと思う。これからは日本もイギリスから最新式の大砲を買って、研究を重ねるべきだ」

「日本の大砲とは比べものにならないから、戦争を仕掛けても絶対に負けてしまう。これからの日本は、もっと兵術を改良すべきだ!これでは戦争を仕掛けられたら植民地だ」

   ***

 晋作は「これが一番ショックだ」とは書き残していない。
 ここでは自分が晋作だったらという観点で幅広く意見を出してもらう。しかし、どの項目を選んでも子どもたちの意見には「植民地化への恐怖」が述べられている。考えられる対策も具体性のあるものではないが「侮られてはいけない」「軍備の充実」の2点が提案されている。


<ワークシート・第4ページ>

★上海から帰った高杉晋作はどうしたか?

 上海から帰った晋作は次のように言っています。
「清国の上海の状況を調べたり、北京の情報を聞くと、わが国・日本も植民地化されないような策をすぐにでも打たなければ清国と同じようになってしまうだろう」
晋作が言う「策」とはどんなものでしょうか?
┌──────────────────────────────────────┐
日本人が独立の心をもち、西洋に負けない軍備を充実させること
└──────────────────────────────────────┘
 晋作は帰国すると独断でオランダから蒸気船を購入する契約を結びました。また、今回の航海でイギリス人から実地に学んで航海術を身につけ、くわしい日誌をつけています。そして、軍艦や大砲を国内で作ることができるように西洋の技術を学ぶ必要性を訴えました。
 さらに、晋作は奇兵隊(きへいたい)という新しい軍隊を作りました。武士の上下関係よりも、その人の持っている実力を重視し、武士でなくてもやる気のある者は農民でも入隊を許可したのです。 
 外国と戦うためには武士だけでは足りません。人口の90%をしめていた民の力も必要になっていたのです。奇兵隊には入隊希望者が次々と押しかけました。この後、長州藩では、遊撃隊・御楯隊・八幡隊・お相撲さんによる力士隊などさまざまな軍隊が400以上結成され、活躍しました。

 
 学習後の感想文を紹介する。
*晋作の奇兵隊から軍隊が結成されて活躍したと言うことは軍隊のもとは晋作なんですね。晋作の心構えも、軍隊の結成も、勇気がなければできなので晋作はすごい人だとわかりました。

*一番印象に残ったことは、晋作の日記です。西洋人の力が強くて、みんなが怖がっていたことが改めて伝わってきました。そして、「日本人が独立の心を持ち、西洋に負けない軍備を充実させること」・・・この言葉と奇兵隊を作るという考えがすごいと思いました。

*晋作はこんなにも策を練り、日本が植民地になることを誰よりも心配していたはずなのに29才という若さで死んでしまうなんて、どうして大きなことを成し遂げたり、有名になって活躍したりする人は若いうちに死んでしまうのだろう?と歴史の勉強をしていていつも思います。神さまぁ・・・」

吉田松陰

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編の第3弾です。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとですね。
 全国の先生方が追試してくださいますように!

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           吉田松陰

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 幕末の人物学習である。
  第1回目は、吉田松陰を取りあげる。幕末人物学習の共通課題は「幕末の武士たちは日本のためにどんな行動を取ったか調べよう」であるが、吉田松陰の授業では当時の武士たちの共通の行動指針となった<尊皇攘夷>の考え方を知ることが大きな目的になる。また、同時にその思想を支えていた「国家」意識の芽生えを感じ取らせることも重要な指導事項である。

  ワークシートを配布して氏名等を書かせた後、松陰の2枚の肖像画を見せる。

<ワークシート・1ページ目>

★どちらも吉田松陰の肖像画です。気づいたことを書き出しましょう。

吉田松陰肖像①
松陰1

吉田松陰肖像②
松蔭2

 子どもたちは以下のような気づきが出された。
*本があること
*刀(脇差)があること
*丁髷を結っているので武士であること
 に気づく。その他に松陰の風貌について
*鼻が長い



『では、吉田松陰はどんな人だったのか調べてみましょう』 

<ワークシート・2ページ目>

★アメリカへ渡ろうとした吉田松陰

①11才で殿様に教える
 1830年8月、松陰は長州藩の武士の子として生まれ、幼いときから山鹿流兵学を学びました。なんと松陰は11才で長州藩の殿様にこの兵学の授業をしました。その授業があまりにもすばらしかったので大人たちを驚かせました。

②西洋の兵学を学ぶ
 しかしアヘン戦争で清がイギリスに大敗したことを知って山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感すると、西洋の兵学を学ぶために九州へ行ったり、江戸に出て勉強を続けました。

③アメリカへ密航をくわだてる
 1853年、ペリーが来航すると浦賀へかけつけて黒船を視察し、西洋文明のレベルの高さに驚き、西洋への留学を決意します。しかし、当時は鎖国の時代です。日本人が海外へ行くことできません。そんなことをすれば重い罪になります。
 翌年、再びやって来たペリーの黒船に乗り込むために、弟子の金子重之輔と二人で、海岸につないであった漁民の小舟で黒船にこぎ寄せました。幕府には秘密でアメリカに渡ろうと密航を計画したのです。しかし、ペリーに乗船を断られました。
 ペリーはこのときのことを日記にこう記しています。
『4月25日。午前2時。
 私たちの船に2人の男が近づいた。通訳を出してその男たちの要望を聞いたところ「アメリカへ連れって行ってほしい。世界を見て自分の考えを深めたいのだ」と言う。しかしそれは今の日本では犯罪になるので引き返してもらった。それにしても、知識を求めるためなら命もおしくないというこの2人は道徳的にも知的にも高い能力を持っている。このような若者たちがいるこの国の将来はたいへん有望だ』

④松下村塾
 この事件でとらえられた松陰は、長州へ帰され、野山獄という牢屋に入れられました。その後、許されて獄を出た松陰は松下村塾を開き、のちに日本を支える優秀な弟子たちを育てました。なお、松陰は一方的に自分が弟子に教えるだけではなく、弟子といっしょにに意見を出し合いました。「キミ」「ボク」という言葉も松陰が使い始めました。

松下村塾①
松蔭3

松下村塾②
松蔭4


⑤松陰の最期
 その後、松陰は再び幕府の考え方を批判しました。
 その結果、松陰は幕府に捕らえられ、江戸に送られて斬首刑となりました。30才でした。

 子どもたちは、幕府の手により30才で斬首されたことに大きな衝撃を受けていた。これはのちの意見形成に大きな影響を与えることになる。




<ワークシート・3ページ目>

★松下村塾の話し合いに参加してみよう

以下は先生の考えた架空の話し合いです。

 松下村塾では毎日のように松陰の弟子たちが「これからの日本はどうすればよいか?」について熱心に話し合っていました。
今日の話し合いは、松陰が次のように投げかけることで始まりました。

『アメリカ・イギリス・ロシア・・・どこの国も「国」としてひとつにまとまり、巨大な力をもってこの日本に迫っている。ボクが思うには、このままでは日本は西洋の植民地にされてしまう。ところが、わが国はいまだに「オレは長州藩だ」「私は薩摩藩だ」と自分の「藩」にこだわっている。とても「国」としてまとまっているとは言えない。キミたちはどうすればいいと思いますか?』

<弟子Aさん>
とにかく今はオールジャパンでこの危機を乗り越えなければなりません。それにはリーダーが必要です。いくら「だらしがない」と言ってもいまだに日本でいちばん大きな力を持っているのは幕府です。しっかりした考えを持った人が幕府にもいるはずだから、その人たちに働きかけて幕府を改革してリーダーを続けてもらいましょう。そして、いまのまま幕府のリードで開国を推進するのです。貿易でもうけたお金と「敵」である西洋から学んだ知識で西洋に負けない国づくりを進めるしかありません。

<弟子Bさん>
オールジャパンは私も賛成です。しかし、いまの幕府に改革などできるのでしょうか。それよりも天皇にリーダーになってもらいましょう。昔から日本は天皇を中心にまとまってきました。こんな危機だからこそ天皇中心の国づくりが必要です。この意見に賛成の武士たちが集まって幕府に代わる新しい政府を作るのです。そして、新政府がリードして開国を推進します。Aさんの言うとおり西洋に負けない国づくりを進めましょう。

<弟子Cさん>
 もちろん私もオールジャパンが必要だと思います。Bさんと同じくリーダーは天皇になってもらうことに賛成です。しかし、そうカンタンに開国を進めてよいのでしょうか?貿易を始めれば、あっという間に日本は西洋に飲み込まれてしまうでしょう。すでに物価が上がり、民は生活が苦しくなっています。生活が西洋化することで日本の伝統文化も消えてしまう可能性もあります。まだまだ西洋人を日本で自由に行動させるのは制限するべきです。あせってはいけません。


◆あなたはどの意見に賛成ですか? A・B・Cからひとつ選んでその理由を書いて下さい。
児童の意見分布を見てみよう。

A・・・1組 1人  2組 0人
B・・・1組 14人 2組13人
C・・・1組 11人 2組16人

主な意見を見てみよう。

A派
「これまで頑張ってきた幕府を倒すのはよくない」


B派
「昔から日本は天皇中心の国づくりをしたきたのだし、Cさんのような小攘夷をしていると国と国との争いが起きて、結局負けて植民地にされる。それなら、人が死なない開国の方がよい」
(なお、この児童は話し合いの中で「今のままでは幕府がリーダーの日本は弱いと思われているので、新しい政府を作ってイメージチェンジすれば西洋の国も見方が変わるのではないか」という意見を出していた)

「もう幕府はダメだと思います。だから、昔のように天皇中心でいきましょう。開国もした方がいいと思います。今は西洋人から色々と技術を教えてもらって、仲間になり、物価を下げられるようにすればいいと思います」

「どこの国でも強いリーダーが国をまとめています。もう、幕府の力は衰えているので、これからの重要な判断は天皇にまかせ、藩をなくせばさらに国はまとまります」
(この児童は話し合いの中で「藩を作ったのは幕府だから藩をなくして一つにまとめるためには幕府を倒す必要がある」と発言)

「幕府は鎖国をしていたので西洋とつきあうことには賛成はしないだろう。天皇なら昔の日本のやり方で西洋の国とつきあってもいいと許可すると思う。そこで天皇と手を組んで賛成する武士たちで倒幕して新しい国づくりをしたほうがよい」

「天皇中心の国づくりは本当に昔からやってきていることなので、天皇がリーダーになるべき。開国すれば、さらに西洋の国の知識が増えて、海外との親善も深まる」


C派
「リーダーを天皇にするのはよい考えだと思う。でも、日本の文化がすべて西洋風になって消えてしまうのはよくない。キリスト教が入ってくれば、日本の神様がなくなってしまうかもしれない」

「幕府には改革はできない。開国を焦ると民が生活できなくなって、西洋につぶされてしまう。お金がどんどん外国に流れて日本が弱くなってしまう可能性もある」

「日本は昔から天皇中心だったので、天皇中心に賛成です。そして、焦らずにまずは日本をしっかりさせてから開国した方がいいと思います」

「いちばん数が多いのは民です。しかも、何年も続く伝統文化を絶やさないようにするのも今の人の使命です」

「日本なのに時の流れに流されて日本の文化をなくし、西洋の文化を広めるというのはおかしい。自分たちにしかない文化を高めて、日本は西洋に負けないぞ、ということをアピールしたほうがよい」

「藩ではなく国全体でまとまらなければいけない。昔からの日本の考え方ならまとまれる。だから大切。天皇中心でいいと思う。これからも日本らしく行くためには開国はまだ早いかなと思う。日本という国としてまとまるべきだ」


  佐幕派はたった1人となってしまった。前回から比べて大きな変化である。これは松陰を斬首刑にしたのが幕府であることが大きく影響していると思われる。

  話し合いが終わったら
『では、松陰の考え方を見てみましょう』
と言って4ページ目を読む。



<ワークシート・4ページ目>

★吉田松陰の考えた日本の未来

 では、松陰はどう考えたのでしょうか?
 松陰は長州藩の殿様に自分の意見を提出しました。その『将及私言』という本の中でこう書いています。
┌──────────────────────────────────────┐
│  最近、よくこんな意見を聞くことがあります。
│ 「もし、西洋が攻めてきたら、江戸は幕府の土地だから、幕府を守るやくめの旗本と
│ 徳川家の親藩大名、昔から徳川に仕えている譜代大名が守ればいいだろう。
│ そして、私たち長州藩のようにその他の藩はそれぞれの自分の藩を守ればいいはずで、
│ 江戸を守るために幕府に力を貸す必要はない。
│ これは本当に大事なことがわかっていないダメな意見です。
└──────────────────────────────────────┘
 西洋の国々は「国」というまとまりで大きな力をつけています。
ところが、当時の日本人はいまだに「藩」という小さい単位でしか世界を見ていませんでした。
日本という「国」の「日本人」として考え、行動し、まとまらなければ西洋の植民地にされてしまいます。

 そこで、松陰は日本人が一つにまとまるために次のように考えました。

①尊皇(そんのう)
 古来から日本は天皇を中心にまとまってきた。これが他の国にはないわが国の特徴だ。だから、日本が他の国と対抗するためには天皇を中心にまとまるべきだ。

②攘夷(じょうい)
 たしかに西洋の国々はすごいし、学ぶべきこともたくさんある。しかし決してビクビクして侮られてはいけない。言うべきことははっきり言わなければ いけない。すべての国と対等につきあえるように堂々と行動しよう。

 こうした松陰の考え方を「尊皇攘夷」と言います。幕末の武士たちはみんなこの考え方で行動するようになっていきました。

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齋藤武夫著『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(授業づくりJAPANさいたま)
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 用語の暗記や講義一辺倒の授業と決別し、歴史教育の王道に帰れます。

(小学校)「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」
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