授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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「公民とは何か」~世界と日本を比べて


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●今回も服部剛先生の公民導入の授業です。前回の発展です。
「公民とは何か」~世界と日本を比べて

本日の授業は、
「公民」は、自国に対してどのような感情を持っているのかを理解する一つの試みです。

世界基準で、我が国と比較して考えさせることが大切です。

◆ 発問 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
 
 1.あなたは日本に誇りを持っていますか?
     [ はい ・ いいえ ]

 2.もし戦争が起こったら、国のために戦いますか?
    [ はい ・ いいえ ・ わからない ]

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

『次のグラフは、イギリスのある機関が世界各地で調査した結果です。』

▽英国経済誌「エコノミスト」の調査 2009年
自国に対する誇りが最も高い国 英誌エコノミスト
公民とは(2)

『解説の記事を読みましょう』

【解説】------------------
英誌エコノミスト(The Economist)が発表した調査結果によると、世界33か国中、自国に対する誇りが最も高い国はオーストラリア。最も低い国は日本であることが分かった。

オーストラリアが自国に付けた点数は100点中90点前後と最も高かった。

最低点を付けたのは日本で、およそ56点だった。

自国に対する誇りにおいて世界基準とされている米国は11位で、自国に付けた点数はおよそ70点だった。

----------------------

『世界33カ国中、自国に対して誇りを感じている人の割合が一番低いのはどこでしたか?』

「日本」

『なぜ、このような結果になるのでしょうか? 自分の考えを述べなさい』

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

『「もし戦争が起こったら国のために戦うかどうか」の調査もあります』

▽もし戦争が起こったら国のために戦うか
 (世界価値観調査)各国18歳以上の男女約1000名を対象
公民とは(2)2

『これは、世界数十か国の研究グループが参加して5年毎に行う意識調査です。国のために「戦う」と答えた者の割合が一番低いのは、どこの国ですか』

「日本」

『この結果について次のような論評があります』

【解説】------------------

約15%で最下位の日本は、すぐ上のドイツが約30%だから、日本は図抜けて低いといえる。

自国が攻められた場合に戦う、というのはごく自然で当然の行動である。
自分の家に賊が侵入し老父母や子供達に手をかけようとしたらどんな平和主義者でも戦おうとするからだ。

「戦わない」とする日本とドイツの現象は、実に不思議な、そして歴史的にも稀有のものである。

----------- (藤原正彦「管見妄語」より)


『この結果を知ってどう思いましたか? 自分の考えを述べなさい』

ここでは、世界標準で考えさせることがポイントです。

・なぜ諸国の青年は国のために「戦う」ことを選ぶのか
・どうして戦ってまでもこの共同体を守りたいのか
・自分が犠牲になってでも守りたい、この共同体の価値とは何なのか

発問の切り口は、たくさんあると思います。

個人には「私」と「公」との2面があります。(なきゃ困ります)
後者の「公民」としての国民は、どのように行動することが世界標準なのか、ということを問います。

平和ボケにどっぷりつかっている日本国民には、なかなかこの辺が理解されてきませんでした。

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

『単純化して言うと、

  自国に誇りを感じない
      ↓
  自国のために戦わない(=逃げる)

ということは、言えると思いますよ。

改めて自分自身の問題として、もう一度、最初の質問に答えてください』

1.あなたは日本に誇りを持っていますか?
2.もし戦争が起こったら、国のために戦いますか?

◆ 生徒に自分の考えを書かせて、授業を終わります。
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「日本はどんな国か」~公民の導入


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●今回は、服部剛先生の公民導入の授業です。画像たっぷりで、楽しく日本の独自性が学べます。

「日本はどんな国か」~公民の導入

* 以下、授業の流れと使用した資料を簡単に紹介する。
   〔  〕や(  )には適宜言葉を当てはめる。

◆-----------------------
問)日本はどんな国か? 「○○な国」と答えてみよう。
◆-----------------------
 ↓
 ◎日本は 〔  豊 か  〕 な国

◆-----------------------
問)日本は、なにが豊かな国か?
◆-----------------------
 ↓
例)自然 文化 人情 物質 などが豊かな国である。

◆-----------------------
問)それは、なぜだろうか?
◆-----------------------
 ↓
 ◎日本は〔 歴 史 〕が途絶えなかったから

◆-----------------------
問)なぜ、歴史が途絶えなかったのだろうか?
------------------------
 ↓
 ◎日本は〔 平 和 〕 が続いたからである。

◆-----------------------
問)その証拠はあるのだろうか?
  次の資料の(    )には何が入るか、考えてみよう。
◆-----------------------

【資料1】アメリカ、ランド研究所の調査より

1.BC3600年から現在まで、292年だけ
 →( 平 和 )だった年(=全体の5.2%)

2.この間、1万4531回も起こった
 →( 戦 争 )の回数
   なんと1年間に2.6回の計算になる。

3.その結果、30億4000万人が…
 →( 戦争による死者 )の数

◆-----------------------
 人類の歴史は「戦争の歴史」と言えますね。
そこで、世界の人々はどのようにして暮らしていたか、
世界の例を見てみよう。

問)以下の「世界の都市」に共通することは何だろう?
◆-----------------------

【資料2】
A.5500年前 メソポタミア南部シュメールのウルク(復元図)
公民導入1

B.紀元前509年のローマの地図
公民導入2

C.270年 アウレリアヌス帝の時のローマ
公民導入3

D.中世イタリア フィレンツェ市
公民導入4

E.唐の都 長安
長安城、明代
公民導入5
公民導入6

F.フランス 中世都市カルカソンヌ
公民導入7

G.朝鮮のソウル
公民導入8

H.スペイン南部 アンダルシア地方コルドバ市
公民導入9

I.1630年 パリ市の地図
フィリップ・オーギュストの城壁が街を取り囲み、左岸にはその外に稜堡式城壁
公民導入10

J.バチカン市国
公民導入11
 
◆-----------------------
問)世界の都市からわかることは?
◆-----------------------
 ↓
 ◎戦争の歴史 → 町を守るために[  城郭都市  ]を築き続けた!

◆-----------------------
問)では、日本の都市はどうだったか?
 「平城京」「平安京」、それから「鎌倉」や「江戸」の町は巨大な壁に囲まれていたか?
◆-----------------------
 ↓
 ◎平城京:形は→( 似ている )。 
        しかし、城壁は→(  ない  )、
             門も→(  ない  )

■まとめ■
 ◎古代から日本は 〔 城 壁 〕が必要なかった
   =すなわち、〔 平 和 〕な国だったことを示している!

 ◎一方、世界の都市に共通することは
   …町がすべて( 城壁で囲まれている )こと

 ◎cityの語源「シテ」(ラテン語)は、
  〔 壁 〕 の内側の人が集まっているところという意味
   → 世界の人々は、壁に囲まれているところでないと、
     安全に生きていくことができなかったのだ!


【発展】 「国王の居城」と「天皇の御所」…比べて、わかること
◆-----------------------
問)次の2つの写真を比べて、大きな違いは何だろう?
◆-----------------------
ヨーロッパの城
公民導入12

京都御所全景
公民導入13

京都御所の壁
公民導入14

◆-----------------------
問)国王は自分を誰から守ろうとしているのだろう ?
◆-----------------------
 ↓ 
 ◎日本の天皇は、どんな武将からも〔 攻 撃 〕される立場になかったことを示している!

今日、学んだことは「日本とは何か」「日本人とは何か」を知る上で重要なポイントになります。
(終わり)

参考
『世界の城塞都市』 2014/11/20
千田嘉博 (監修)
公民導入15

佐久間海軍大尉の遺書


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●本号から授業の紹介にもどりたいと思います。よろしくお願いします。
●今回は、高等学校の地歴科の先生、飯島利一さんの授業実践
「佐久間海軍大尉の遺書」です。

◎どんな人物でしょうか
次の写真の人物を、誰だか知っていますか。日本ではほとんど知れていないのに、欧米をはじめ海外の教科書にでてくるような著名な日本人は結構多いのです。歴史上のどんなことをした人物でしょう。写真からうけた印象を述べて下さい。
(「佐久間勉」と板書、生徒に写真の印象を聞いたあと、次の資料を読む)
佐久間勉

◎アメリカの教科書に登場した佐久間勉

「ニューヨークタイムズ」の記者で、ピュリッツアー賞を受賞したハンセン・ボールドウィン(Hanson Baldwin)という作家がいます。

氏は、軍事評論家でもあり、一九五六年に『海戦と海難―七つの海の真実の物語』(SEA FIGHTS AND SHIPWRECKS)を著しました。その本のなかで、佐久間勉という日本人を紹介し、全米で話題となりました。これがきっかけとなり、佐久間勉のエピソードが、カリフォルニア州の高校教科書「リーダーシップ」で取り上げられたのです。

佐久間勉は、明治十二(一八七九)年九月十三日、福井県若狭町に生まれました。明治二七(一八九四)年に日清戦争が起こり、中学三年だった佐久間は海軍に憧れ、海軍兵学校への志望をかためます。その後、中くらいだった成績を向上させ、懸命に勉強して、難関の海軍兵学校に入りました。

海軍の将校となった佐久間は、戦艦「吾妻」などに乗艦して、日露戦争に従軍しました。その後、佐久間は当時最新の兵器として開発に期待がかかっていた潜水艇を研究することになりました。大尉に昇進すると、国産初の第六号潜水艇の艇長に任命され、潜航実験・訓練に取りくむ毎日を送ります。

そして、明治四十三年四月十五日、佐久間は運命の日を迎えるのです。



◎第六号潜水艇の事故
佐久間勉はじめ十四名の乗組員は、この日もいつものように、第六号潜水艇に乗り込み、潜航実験のため、瀬戸内海の新湊沖へ出ました。

第六号潜水艇

第六号艇は、米英製にくらべて形も小さく、性能も貧弱で、波に耐える力が弱く、「ドン亀」と呼ばれていました。そのため操作が難しく、乗組員はみなベテランばかりでした。

午前十時頃から、現場では半潜航という訓練に入りました。半潜航というのは、潜水艇を水中に入れ、通風筒の先だけを海面上に出して、海上航走します。ところが、その時どうしたことか、突然通風筒から、どっと海水が入ってきたのです。佐久間は、ただちに通風筒のバルブを閉じるように命じましたが、悪いことが重なります。開閉バルブのチェーンがはずれてしまったのです。佐久間はすぐに手動で閉めるように言いましたが、チェーンほど速くはいかず、海水が容赦なく艇内に入ってきました。

必死で閉め終わったときには、すでにかなりの海水が艇の後部に入りこみ、配電盤もショートして、艇内は真っ暗になってしまいました。その上、ショートによって絶縁体のゴムが焼け、悪臭のガスが発生して、乗組員の呼吸を困難にしていきました。

その間、第六号艇はどんどん海の中へ沈んでいきました。艇内に侵入した海水が予想以上に多かったのです。佐久間以下乗組員は、手動ポンプによる排水を代わる代わる懸命に試みました。しかし、一向に艇は浮上する気配を見せません。焦る乗組員を、佐久間は大声で励ましながら、少しでも潜水艇を軽くしようとガソリンの輩出にあたります。が、そのパイプは無惨にも破れ、裂け目からガソリンが床に広がり、鼻を突く臭気が息苦しい機関室に立ちこめました。

苦しい呼吸の中で乗組員は、パイプに布をあてガソリンの流入を止めようし、別の者は手動ポンプで排水作業を続け、みな懸命に力をふりしぼりました。しかし無念にも、潜水艇は海底に沈んで止まってしまいました。深水計は五十二フィート(約十六メートル)を示し、全く動きません。空気はしだいに薄くなってきます。乗組員十四名は全員、死を覚悟しなければなりませんでした。


〈問題1〉
「このとき、乗組員たちは、どのような行動をとったでしょうか、考えたことを書いてください。もしあなたが彼の立場だったら、どうするかということでもかまいません。

(以下、○印は生徒のおもな回答)
○冷静ではいられず取り乱してしまう。乗組員たちを励ますが、だんだん絶望してパニックになっていく。平常心は保っていられない。焦って何もできない。

○最期まで排水したりしてあきらめない。艇長としてみんなを励まし続けると思う。何か起こることを期待して最期まで頑張る。無理とわかっていても死ぬまで懸命に排水作業を続ける。乗組員を励まして最期まであきらめないように言い聞かす。

○自分だったら海底に沈む前に潜水艇から脱出する。どうにか外にでられるようにもがく。死を覚悟して外に出て助けを求める。助かる方法を考え試してみる。十六メートルなら脱出しても助かるかも。

○無用に死ぬくらいならせめて最期までかっこよく死にたいと自殺した。酸欠は苦しいので自ら死ぬ。苦しんで死ぬより自分で命を絶とうとする。楽に死ねる方法を探す。

○死を覚悟して大切な人に手紙を書いた。家族や世話になった人に、いつか発見されることを考えて何かにメッセージを残す。遺書を書く。潜水艇の事故の様子をメモに遺す。

○なるべく長く生きられるように静かにする。寝る。海軍にいるのは本望だからそのまま死を覚悟して待つ。落ちついて今までの人生をふり返る。

○最後に奇跡がおこらないか祈る。極力動かないようにして救援を待つ

○不安を紛らわすためにおしゃべりする。のこり時間を好きなように使う。


◎乗組員たちの最期
(生徒の発言を内容別にいくつか板書し、次の資料を読む。問題1の答えとなる所に線を引くように指示する)


六号艇の近くにいて、訓練を監督していた歴山丸の担当者が、不安に駆られて事態を通報したのは、夕方になってからでした。この時点から大がかりな捜索、救援活動が始まりましたが、沈んだ場所を特定できず発見が遅れました。見つかったのは、翌日の十五時半頃でした。さらに、潜水艇の回収作業が困難をきわめ、ようやく引きあげに成功したのは、事故発生の二日後、十七日の午前十時四五分のことでした。



引き上げられた潜水艇の中へ、捜索を担当した吉川中佐らが、検分のために入りました。駆けつけてきた家族には、陸にあがった潜水艇に近づくことは許されず、ごく一部の関係者以外は立ち入り禁止となりました。潜水艇の事故は、これまで諸外国でも事例があり、いずれも内部は悲惨なありさまだったのです。アメリカとイギリスの事故の場合では、ハッチが開かれると、そこに脱出しようと乗組員が、出口に殺到して争った形跡がみられたそうです。乗組員は皆、空気を求め苦しみもがき、のどをかきむしった跡を残して、恐ろしい形相で息絶えていたということです。そのような姿を遺族に見せることはできないと、吉川中佐らは考えたのです。



意を決して吉川中佐はハッチを開けました。しかし、ハッチ周辺には誰の姿もありません。さらに艇内に足を踏み入れ、奥に入ったところ、吉川中佐ら関係者たちは思わず息をのみました。佐久間艇長は司令塔にいて厳然と指揮するまま、生きているような表情で息絶えていました。機関中尉は電動機の前に、舵手はハンドルを握ったまま目をつむり、その他の乗組員もそれぞれの持ち場を離れることなく死んでいたのです。最期に至るまで潜水艇の修復に全力を尽くしたまま死んでいった仲間の姿を見て、吉川中佐は胸に迫る想いをおさえることができず、泣き崩れてしまったといいます。



その夜、遺留品の整理に、佐久間の小浜中学の後輩、倉賀野明が手助けに現場にやってきました。倉賀野が遺留品係を補助しているときに、佐久間の手帖を見つけました。もしかしたら、最期の決心を書き残しているのではないかと思って、手帖を開きます。最初の方のページはみな白紙でした。無念に思って手当たり次第中間のページを開くと、そこに乱れた筆の遺書があらわれたのです。

(生徒に線を引いた所を発声させ、乗組員が最期に至るまで潜水艇の修復に全力を尽くしたこと、佐久間が「遺書」をのこしていたことを確認する)。 




〈問題2>
遺書にはどんなことが書かれていたのでしょうか。

(以下、○印は生徒の主な回答)
○家族や仲間、今までお世話になった人への感謝の気持ち、別れの言葉や、家族へのメッセージ


○死なねばならないことを無念に思う


○事故の記録。事故の起こった経緯などを書いて、二度とこんなことが起こらないように残した。


○最期まで潜水艇の修復に尽力した乗組員を讃えてほしい。部下たちの努力した功績。


○ずっと憧れていた海軍になれて幸せだった。未練はない本望だ。誇りに思う。最期の決意。


○国がつくった潜水艇を自分たちが沈没させて申し訳ない。部下に申し訳ない。死んでいく部下の遺族への謝罪。


○海軍の未来を託す。自分は死んでしまうが、後のことを任す。自分たちの死を無駄にするな。




◎遺書を読む

それでは、佐久間大尉の遺書にどのようなことが書かれていたのか、確認してみましょう。次の写真は、その遺書の書き出し部分にあたります。


佐久間大尉の遺書


① 佐久間艇長遺言 小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠ニ申シ訳無シ。
サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニコトヲ処セリ。
我等ハ国家ノタメ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハコレヲ誤リ以テ将来潜水艇ノ発展に打撃を与フルニ至ラザルヤヲ憂フルニアリ。
希クバ諸君マスマス勉励以テコノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレンコトヲ。
サスレバ我レ等一モ遺憾トスルトコロナシ。



② 沈没ノ原因 瓦素林潜航ノ際過度深入セシタメ「スルイスバルブ」ヲシメントセシモ途中「チェン」キレ依テ手ニテ之レヲシメタルモ後レ後部ニ満水セリ。
約二十五度ノ傾斜ニテ沈降セリ。
沈据後ノ状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤ツカリタルタメ電灯消エ、電纜燃エ悪瓦斯ヲ発生呼吸ニ困難ヲ感ゼリ。


十五日午前十時沈没ス。
コノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム。
一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ、灯消エゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水シ終ワレルモノト認ム。
電流ハ全ク使用スル能ワズ、電液ハ溢ルモ少々、海水ハ入ラズ「クロリン」ガス発生セズ唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ。

(后十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)
溢入ノ水ニ浸サレ乗員大部謂フ。寒冷ヲ感ズ。
余ハ常ニ潜水艇員ハ沈置細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ、細心ノ余リ萎縮セザランコトヲ戒メタリ。世ノ人ハコノ失敗ヲ以テ或イハ嘲笑スルモノアラン。
サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス。


一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ、コノ辺深度ハ十尋位ナレバ正シキモノナラン。
一、潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス、カカルトキニ困ル故。幸ヒに本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽セリ、満足ニ思フ。



③ 我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期ス。サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出ノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スルコト、イフ必要ナシ、田口、浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)



④ 公遺言 謹ンデ
陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノナカラシメ給ハラワンコトヲ、我ガ念頭ニ懸ルモノ之アルノ。


左ノ諸君ニ宜敷(順序不順) 斉藤大臣 島村中将 藤井中将 名和少将 山下少将 成田少将 (気圧高マリ鼓膜ヲ破ラルル如キ感アリ) 小栗大佐 井出大佐 松村中佐(純一) 松村大佐(竜)(小生ノ兄ナリ) 松村少佐(菊) 船越大佐 成田鋼太郎先生 生田小金次先生
十二時三十分呼吸非常ニクルシイ  瓦素林ヲブローアウトセシシ積モリナレドモ、
ガソリンニヨウタ
中野大佐  
十二時四十分ナリ、


 以上が遺書の全文です。
内容は、
①部下を死なせてしまった責任を自ら負い、部下が最後まで沈着に任務を尽くしたことに感謝している。さらに、この事故が将来、潜水艇の研究発展の妨げにならないことを願っている。

②沈没の原因とその後の処置について。

③私事に関する遺言状について。

④最後に、明治天皇に対し部下の遺族の生活が困窮しないように懇願している、というものでした。

佐久間は死の直前に取り乱さないばかりか、この事故によって研究開発が遅れることすら心配して、後世のために遺書を記していたのです。
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