授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

中2授業「世界列強になった日本」

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●授業づくりJAPANさいたま「学校でまなびたい歴史」(代表・齋藤武夫)の「世界列強になった日本」をお届けします。


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№55
世界の中の日本 2 「世界列強になった日本」

【授業の意図】
・不平等条約の完全改正が果たされ、明治日本の国家目標がようやく達成された翌年に、明治天皇が崩御された。
 大正時代が始まる。
 世界中が白色人種に支配され搾取されていた時代に、有色人種国で唯一日本だけが彼らと同じテーブルについた。
 つまり日本も列強の一員となり、第一次世界大戦後は五大国(米英仏日伊、露はソ連になり、独墺は敗戦国)にのし
 上る。
 もし日本が白人国だったら、あるいは列強の植民地にされていたら、その後の日本の運命はなかっただろう。
 第一次世界大戦は次時にまわし、ここでは大正時代の意味をかいつまんでとらえたい。
 ①列強になったことの意味、
 ②デモクラシーの達成、
 ③共産主義と国民の分裂の3つをとりあげる。

【授業の流れ】

1 明治の終わり
┌──────────────────────────────────────┐
│ 不平等条約の完全改正で明治日本の大目標が達成された翌年、日本中が悲しみに包ま 
│れる出来事がありました。ある人物が亡くなったのです。その人はだれでしょうか      
└──────────────────────────────────────┘
・明治天皇崩御、大正天皇即位。
・板書:偉大な明治時代が終わった。
    大正時代(明治45年=大正元年:1912~26:大正15年=昭和元年)

2 世界列強になった日本

・1898年(明治31年)の世界地図を見せる。日露戦争前であることや以下を説明。
World_1898_empires_colonies_territory.png

・世界の有色人種地域はほとんど白人列強の支配下にあることがわかる。
 日本も6年後の日露戦争に負けていれば、濃い紫色に塗られていただろう。
 アメリカ大陸はスペインから独立しているが、実質アメリカの勢力圏になっている。
 清国は独立国に見えるが、列強の草刈り場。日本だけが孤独なアジアの列強国である。

・プリント資料「ラス・ビハリ・ボースと日本人」を読ませる。

****************************************

【資料】ラス・ビハリ・ボースと日本人(1)

 大正2年宝塚歌劇始まる。
 大正3年国産自動車第一号できる。
 欧州大戦始まる。
 大正4年甲子園野球大会始まる。
 ・・・なんとなく大正時代のイメージが持てましたか。
 歯を食いしばってがんばってきた明治とはかなり違うでしょう。なお欧州大戦というのは第一次世界大戦のことですが、ほとんどの日本人には地球の裏側の戦争でした。
 さて、日露戦争後日本にはたくさんのアジア人がやってきました。その中には、日本に学んでフランスの植民地支配にあえぐ祖国を独立させたいと願うベトナムのクォン・デ候やファン・ボイ・チャウがいました。また、やがて清国を滅亡に追い込む孫文もいました。 

頭山満
【頭山満】

 後に首相となる犬養毅や玄洋社の頭山満など、多くの日本人が彼らを支援しました。なぜなら日本人こそ、彼らと同じ思いで幕末から明治を生き抜いてきたからです。
 大正4年(1915)6月、インド人のラス・ビハリ・ボース(30歳)が日本にやってきました。ボースはインド独立運動の闘士でした。彼は神戸に上陸するとすぐに孫文と会って同志の交友を結びました。そして、上海経由でインドに武器を送るなどの活動を始めました。ところが、イギリス政府は日本政府にボースの逮捕を要請したのです。ボースは、インドで武装蜂起などを企てた独立運動家(死刑に値する)としてイギリス政府から追われる身だったのです。 

ボースと妻俊子
【ビハリ・ボースと妻俊子】

         
****************************************
『ここで問題です』
┌──────────────────────────────────────┐
│ そのとき内閣総理大臣だったらどうしたでしょうか。次から選んで理由をノートに
│ 書きなさい。
│  A 逮捕してイギリス政府に引き渡す。
│   B 国外に退去する命令を出す。
│   C イギリス政府の要請を拒否する。
└──────────────────────────────────────┘
・人数分布を取り、理由を言わせる。

【そのときの大隈重信内閣の選択はB:国外退去命令】

・既習事項の日英同盟を理由にできた児童をしっかりほめる。

・大隈のコメントを紹介する。
「インド人を扇動してイギリス政府に反抗する者を、日英同盟の友人である日本が守る、ということはありえない」

『日露戦争後の日本は、欧米諸国から「日本はアジアの植民地独立運動を支援するのではないかと疑われていました。強いアジア人は彼らにとって大きな恐怖だったからです。日本政府は列強と対等な地位を守るために、列強諸国の疑いを晴らさなければならなかったのです』

・11月28日に国外退去命令が出る。期限は12月2日。退去しなければ当然日本の警察はボースを逮捕しなければならない。

┌──────────────────────────────────────┐
│ 次はクイズです。どうなったでしょうか?
│ A ボースは急いで横浜から船に乗った。
│  B ボースは国外退去しなかったので、逮捕されてイギリスに引き渡された。
│ C その他
└──────────────────────────────────────┘
・人数分布を取り、Cの子には具体例を聞いてみる。

『では、どうなったかをプリントで読んでみましょう』

****************************************

【資料】ラス・ビハリ・ボースと日本人(2) 

 ボースの国外退去命令のニュースは日本国民にとって大きな衝撃でした。
なぜなら「ボースが船に乗ったらイギリスの官憲が逮捕する」と書かれていたからです。
その日のうちに各方面から大量の抗議文と命令の撤回要求が届けられました。
しかし、外務省は撤回するわけにはいきません。そんなことをすれば日本の命綱である日英同盟にひびが入るからです。
 孫文からボースの救出を頼まれた頭山満はこう言いました。
「インド独立に奔走している志士を敵の手に渡して殺させることは、情においても、国の名誉にかけても、断じて許すことはできない」
頭山はまず親しくしている相馬愛蔵・黒光夫妻(新宿中村屋店主) にボースの保護を頼みました。相馬夫妻は快く引き受けました。夫妻も政府の決定に心から怒っていたからです。

相馬夫妻
 【相馬夫妻】

 頭山は期限の前日12月1日に自宅でボースの送別会を開きました。
インド人に変装した仲間を何人も使って日本の警察やイギリスの追跡の目をくらまし、ボースを新宿中村屋に逃がしました。
 イギリスの追及は4年間も続きましたが、相馬夫妻は隠れ家を17回も変えてボースを守りました。
 大勢の日本人がそれを応援しました。
 イギリスは1918年第一次世界大戦が終わったとき、とうとうボースの逮捕をあきらめました。
 ボースはその後、相馬夫妻の娘俊子と結婚して日本に帰化し、チャンドラ・ボースなどとも協力しながらインドの独立運動を推進しました。
 そのお話はまた昭和の日本の勉強でやりましょう。
 ちなみに、有名な新宿中村屋のカレーは、このビハリ・ボースの「日本のカレーはイギリス式でダメだ。インドのおいしいカレーを教えましょう」ということで中村屋のメニューになり、いまも人気を保っています。こんど新宿に行ったらボースさんをしのんでぜひ食べてみてください。

中村屋のカレー
【新宿中村屋】
****************************************

・政府は欧米列強の仲間として生きなければ日本の独立と安全は守れないと考えている。
 国民の多くもそれはわかっているが、犬飼や頭山や相馬などと同じように「虐げられているアジア人を応援したい」という気持ちが強い。
 このように現実と理想に引き裂かれている状態が当時の日本でした。
 いまの私たちにこの時の苦しい日本の立場がわかるでしょうか?


3 2つの変化
『大正時代の日本は軍事や経済で列強に肩を並べただけではありません。明治になって本格的に取り入れた西洋の自然科学でも世界レベルの研究を生み出すようになっていました。野口英世、北里柴三郎、志賀潔等々です。これは自分で調べてみましょう』
『最後に、大正時代の2つの変化を学びましょう』

(1)デモクラシー(民主主義)の確立

・一つ目は大日本帝国憲法の下で、日本は本格的な民主主義の政治を進めたことです。

・板書:民主主義=選挙で多数を得た政党の代表が内閣総理大臣に選ばれる。
    1924年(大正13年)加藤高明内閣から1931年(昭和6年)犬養毅内閣まで

・当時はこれを民主主義とは言わないで、吉野作造の提案で民本主義と言いました。

吉野作造
【吉野作造】

君主制度の下での民主主義という意味で「民本」と呼んだわけです。
「民主」だと王様を殺した共和制みたいだからです。
そして納税額で選挙権を決めるやり方も原敬内閣の時に2円まで下がり、大正14年についに普通選挙法が成立しました。25歳以上の男子全員に選挙権が与えられたのです。

普通選挙
【普選ポスター】

・内閣の決め方と選挙権(女性の選挙権はまだでしたが)で、現在とほぼ同じ民主主義の政治が「大日本帝国憲法」のあるべき姿として成立したのです。
 ですから「日本人は民主主義は戦後アメリカから教わった」というのは明白な間違いです。


(2)共産主義革命とコミンテルン

・第一次世界大戦中にロシアで共産主義(社会主義とも言う)が起きました。

・板書:1917年(大正6年)ロシア革命→ソビエト連邦(ソ連)
    貧富の差を無くそうとして、暴力革命で権力を握った。

レーニン
【ロシア革命の独裁者レーニン】

ロマノフ一家
【レーニンの命令で銃殺されたロマノフ家】

・ロシアのロマノフ王朝の家族は全員皆殺しにされ、たくさんの国民が殺された。
『ここで問題です』
┌──────────────────────────────────────┐
│  共産主義の政治はどれに一番近いでしょうか?
│ A 王様のいる民主主義(イギリスや日本)
│  B 王様のいない民主主義(フランスやアメリカ)
│  C ナチスドイツ(ヒトラー)の独裁政治
└──────────────────────────────────────┘
【正解はCの独裁政治】

・共産主義には世界中がだまされましたが、実はファシズム(全体主義)と同じでした。
 共産党の独裁政治で反対意見の人は皆殺されてしまいます。
 いまの中国や北朝鮮が共産主義ですね。共産主義で殺された人の数は第二次世界大戦で死んだ人の数よりも多いの です。

・しかし、大正時代の日本人(頭のいい人)はこれは民主主義の進歩した姿(理想の国)ではないかと思い込み、明治の日本にあった国民の団結を分裂させていきました。

・板書:コミンテルン(国際共産主義)世界中にたくさんスパイを送り、各国で暴力革命を起こそうとした。
1922年(大正11年)日本共産党結成(コミンテルン日本支部)

スターリン
【ソ連の独裁者スターリン】

・コミンテルン(国際共産主義)というソ連の命令で動く組織が作られ、その日本支部として日本共産党ができました。
 多くの大学生がこの新しい宗教に染まりました。
 赤旗を振ったので良識のある日本人はこれを「アカ」と呼んで嫌いました。
 日本の歴史で初めて天皇陛下を殺すことを目標にしていたからです。
ありえない!
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日韓併合と朝鮮の近代化

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●授業づくりJAPANさいたま「学校でまなびたい歴史」(代表・齋藤武夫)の「日韓併合と朝鮮の近代化」をお届けします。
●この授業は、服部剛『先生、日本のこと教えて』(扶桑社)の第2章「朝鮮国王高宗と首相李完用」~日韓併合までの流れを追う~に学んでつくられています。


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№54
世界の中の日本 1   「韓国併合と朝鮮の近代化」

【授業の意図】
・日露戦争後、わが国は「列強と対等な独立国になる」という幕末以来の悲願を達成したが、同時に新たな運命を引き受けざるを得なかった。それは安全保障上やむなく韓国を併合しなければならなかったことだ。あわせて、わが国は多くの犠牲を払っても朝鮮の近代化に努めたことを共感的に理解させたい。これは、韓国とその反日運動に同調する一部の日本人による虚偽の政治宣伝から、わが国の青少年を救出するための授業である。

【授業の流れ】


┌────────────────────────────┐
│   日露戦争の戦争目的は何でしたか?         │
└────────────────────────────┘
・発表させる。ロシアの侵略から日本を防衛すること。直接には、朝鮮半島をロシアに支配させないこと。日本海をロシアの海ではなく日本の海にしておくこと、でした。

『その結果、ポーツマス条約で韓国のことは日本に任せる(ロシアは手を出さない)ことになり、1905年(明治38年)に日韓保護条約が結ばれました。ソウルに統監府を置き、初代統監として伊藤博文が指導に当たりました。まずやったことは、今の貨幣価値で3兆円にのぼる巨額の援助でした』

・板書:1905(明治38)韓国が日本の保護国になった
    初代統監:伊藤博文、3兆円の援助

・プリント資料「韓国首相:李完用の言葉」を読む。
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韓国首相:李完用の言葉

 韓国王室は日本と異なり独裁制度を守ろうとして文明開化を拒否してきた。また韓国皇帝は何度も日本との条約を破った。いま改革して立憲君主国にならなければ、ロシアに侵略され、国民に対して責任が果たせない。私は今の実力でわが国の自主独立は無理だと思う。韓国の近代化を成しとげるには日本の力を借りるしかない。わが国は日本に協力すべきだ。それしか韓国の生き残る道はない。
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・ところが1909(明治42)年、伊藤博文が韓国皇帝の暗殺指令を受けたテロリストに暗殺されてしまいました。そのため、一気に韓国を併合するという動きになりました。きっかけは、韓国最大の国民運動がそれを希望したからです。
┌──────────────────────────────────────┐
│ みなさんは当時の日本のリーダーです。どちらかを選び理由をノートに書きなさい。     │
│  A 韓国を併合する(またロシアに取られたら第二次日露戦争になる)         │
│  B 韓国を併合しない(こんな貧しくて道徳のない国では何の利益にもならない)       │  
└──────────────────────────────────────┘
・意見分布を取り、理由を発表させる。

【日本政府はA:併合する、を選びました。】

・プリント資料「一進会の日韓合邦嘆願書」「李成玉の言葉」を読む。
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一進会の日韓合邦請願書

 日本は、日清戦争で韓国を独立させ、日露戦争でロシアの魔の手から救ってくれた。それなのに韓国はロシアに近づいて日本を裏切ろうとした。外交権を奪われることになったのは、自らが招いたことである。劣等国民として保護されて生きるよりは、いっそ日本と合併し、大帝国をつくって世界の一等国民として、日本国民になろうではないか。これが朝鮮民族の生きる道であり李王室を存続できる唯一の道だ。

外交官:李成玉の言葉

 現在の朝鮮民族の力ではとても独立国家にはなれない。必ず国は滅びるだろう。
亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかいない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本人は違う。日本は朝鮮を導き、世界人類の文明に参加させてくれる適任者である。ほかにわが朝鮮民族が幸福になれる道はない。
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・このように、当時の客観情勢は韓国を併合するしかなくなっていました。
・新統監:寺内正毅が朝鮮に入り韓国政府との協議が始まりました。韓国内閣は全員一致で併合を承認しました。

板書:1910年 日韓併合条約(大韓民国滅亡・日本国の朝鮮地方になった)

『こうして、韓国は日韓の話し合いに基づき、国際法にのっとって平和的に日本に合併しました。これを各国(英・米・仏・独・蘭・伊はもとより露・清も)が「自分の力で独立を維持する意志と能力を持たない国は併合されるべきである」とこの併合を認めました。また韓国皇帝純宋は韓国民に「東洋の平和を強固にし幸福を享受するため」と話しました。』

・当時、国と国の併合は、「オーストリア+ハンガリー」「チェコ+スロバキア」などがあった。

・板書:韓国併合の目的①ロシアに朝鮮を支配させないために(日本の国防)


2 現代の反日韓国の実態

・現代韓国の反日写真を見せる。

反日5
反日8

┌──────────────────────────────────────┐
│ これは、つい最近の韓国の写真です。何をしているんですか?          │
└──────────────────────────────────────┘
・日本の国旗を燃やしている。日の丸を踏みつけている。日本をいじめている絵、

『右側の小さな絵は学校の授業の作品だそうです。韓国人はなぜこんなことをしているのでしょうか?』

・日本を恨んでいる。日本を憎んでいる。昔日本が韓国に悪いことをしたから仕返しをしている。

『いま1910年に日本が韓国を併合し、朝鮮人は日本人になったということを学びました。韓国人はいまも併合時代(~1945)について日本を批判し謝罪やお金を要求しています。併合時代のことはすでに条約が結ばれ、高額のお金も渡して解決しているので、こうした行為は国際社会のルールに違反した間違った行いなのです。今日はみなさんが韓国人のお友達ができたときに、尊敬し合える真の友人になれるようにする勉強です』


3 併合時の韓国の現状を知る

『日本が韓国を併合した当時、韓国はどんな国だったのでしょうか。当時の日本人が何を願い、何をしようとしたのかを知るために、まず資料で当時の韓国の様子を読んでみましょう』

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併合したころの韓国はどんな国だったのでしょうか?

 韓国は李氏という王朝が支配する独裁国家でした。王朝の力は弱まり、防衛力もなく、財政は破綻し、つぶれる寸前でした。支配者は王族と両班(役人貴族)です。あわせて10%くらいが90%の平民と奴隷を支配していました。日本の武士は滅私奉公というように私利私欲を排して公(国・人民)のために尽くすことを道徳としていましたが、李氏や両班はその正反対でした。労働を軽蔑し額に汗して働く人々をさげすみ、彼らから奪い取るのは当たり前という考えでした。イザベラ・バードというイギリス人はこう書いています。
「朝鮮には二つの階級しか存在しない。盗む側(王族・両班)と盗まれる側(平民・奴隷)だ」(『朝鮮紀行』)
 両班は平民に様々な要求をしました。ことわれば連行され、さまざまな責め具を用いた拷問を受け、ときには殺されました。江戸時代の日本のような公平な法がなく、両班たちの身勝手な乱暴をおさえる仕組みがないからです。
 学問は支配のための学問である朱子学だけ、科学も医学もありません。病院もないので人々は病気になれば怪しげなまじないに頼るばかり。学校もないので平民や奴隷に学ぶ機会はありません。中国の文豪魯迅は「世界一貧しい国」とよびました。働いただけ取られてしまうので人々は最低限しか耕さず、産業も興りません。
 外国人は首都ソウルを「世界一不潔な街」とよびました。街には悪臭が満ち、糞尿を踏まないで道を歩くのが難しいほどです。当時訪れた宣教師は水が汚いので風呂には入れない(かえって汚れてしまう)と嘆いています。
 商売は物々交換が主で、ろくな産業も道路もありません。冬の寒さをしのぐ薪にするため山の木をみな切ってしまうので、いたるところはげ山でした。そのため雨が降ると泥水が洪水となって田畑を襲いました。
 さらにひどいのは、そんな極貧状態で、内乱や強盗や放火泥棒が頻発していたことです。治安は乱れ、政治は混乱し、まさに韓国は滅亡寸前だったのです。
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『国というのはやはりリーダーとなる人々がどんな人物たちかで決まるようですね』

┌──────────────────────────────────────┐
│ 韓国を併合した日本政府は、朝鮮に対してどんな政治を実行したと思いますか。       │
│ 一つ選んで理由をノートに書きましょう。                 │ 
│ A 西洋列強の植民地支配より残酷な政治をした。             │
│  B 西洋列強の植民地と同じ政治をした。              │
│  C その他(具体的に書いてみよう)                │
└──────────────────────────────────────┘
・意見分布をとり、理由を言わせる。Cについてはどんな政治かを発表させる。

『では、実際はどうだったのかを検証してみましょう』


4 日本の朝鮮統治を検証する

(1)写真で考えてみよう。
A 併合前の写真
南大門前
併合時代1

南大門通り
併合時代2

両班のお出かけ
併合時代8




B 併合後の写真

 南大門前
併合時代3

南大門通り
併合時代4

豊水ダム(アジア最大)
併合時代5

女学校
併合時代6

ハングルの授業
併合時代9

両班の家族
併合時代10

『比べてみて思ったことを発表しましょう』


(2)データで考えてみよう

・プリント資料「日本の朝鮮統治がやりとげたこと」を配り、説明する。
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日本の朝鮮統治がやり遂げたこと

■ 奴隷制度を廃止した
 (国民の43%の奴婢は、売買され、家畜扱いされ、殺しても罪には問われなかったが、この制度を廃止した)
■両班の非人道的な特権を奪い、身分制度を廃止して国民は皆平等とした。
■ 個人の自由、私有財産の保障、法の下の平等を確立した。
■ 残虐な拷問の廃止、法にもとづいた裁判の確立、
■ 耕地を耕作者の所有とみなし、全農民(平民)の地位と生活を向上させた
■ 少女キーセンの禁止、呪術的な医療の禁止
■ 教育の普及  ほぼ無し → 小学校5,213校建設、生徒数2,389,135人。
■ 京城帝国大学創設(1924)、旧ソウル師範学校(現ソウル大学)、梨花女子大など1000校 以上建設
■ 朝鮮国民に教育を実施し、就学率を61%まで高めた(1944)。
  (ハングルを体系化して教え、漢字、日本語と共に普及させた)
■ 識字率   8% → 80%
■ 人口    1313万人 → 2,512万人(1944)  ■平均寿命  24歳 → 56歳
■ 鉄道    0 → 3,827km
■ 耕地面積  246万町歩 →449万町歩 ■水田面積 84万町歩 →162万町歩(1928)
■ 米の生産量 約1千万石 →2千万石(1930)
■ ため池(韓国国内のため池の半分は日本時代のもの)
■ 植林      ハゲ山に30年間で5億9千万本を植林
■ 強盗件数 昭和2年(1771件)→ 昭和17年(394件)
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『どうでしたか? 感想を発表しましょう』


(3)朝鮮人の皆さんの言葉に耳を傾けよう

・日本は、イギリスのようにビルマ王族を滅ぼしてしまうようなことはしませんでした。韓国王族は日本の皇室と同等という厚遇を与え保護しました。
・しかし、両班たち支配者にとって、日本の統治は厳しいものになりました。彼らの特権は奪われ、これまでのような私利私欲の身勝手な生き方はできなくなったからです。ですからこの人たちの日本に対する恨みは深かったことでしょう。ですからはじめのうちは抵抗したり反乱を起こしたりした人も出ました。しかし、両班の中にも、日本の政治は正しいと理解して協力した人もたくさんいました。
・ところが、平民や奴婢だった一般の民衆はちがいました。多くの人々は、日本の政治を歓迎し、日本の道徳的な正しさを肯定していました。いくつか証言を読みましょう。

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   教科書には載らない朝鮮民衆の声

朴承復さん
「学校では日本人生徒たちからも先生からも、差別されたことはありませんでした。……今でも日本人の同期生たちと会うと、彼らは韓国語で話したがります。……今なおそれほど親しくつき合っている日本人の同期生が何人もいます。商業学校の恩師二人は、とても尊敬できる方でした。一人は松尾先生で、国語の先生でした。この先生は韓国人、日本人にかかわりなく尊敬されていました。……卒業後、朝鮮殖産銀行に務めましたが、差別的な扱いを受けたことは全くありません。……行員家族全員で地方の温泉地へ一泊旅行に行ったりもしました。日本人も韓国人も区別なく、みんな仲良く楽しく遊んで過ごしました。
 日帝時代にそんなことあり得ないと言われるかもしれませんが、過激な人や極端な人たちの一部での喧嘩や衝突はあっても、一般の日本人と韓国人のぶつかり合いなんか、見たこともありません。…多くの日本人は、朝鮮人から家をちゃんと借りて住んでいました。日本人が勝手に韓国人の家を奪い取るなど、そんなことはなかったです。当時の日本人は本当に質素でした。……私自身は当時の日本人に対して悪い印象は全く持っていませんでした」

閔圭植さん
「私は個人的には日本人と仲がよくて、悪い感情はありませんでした。日本人が韓国人に恐怖を与えたとか、韓国人が日本人に殴られたとか、何か嫌がらせをやられたとかいったことは、個人的には見たことも聞いたこともありません。……
 日本人が韓国人の家を奪って勝手に使うとか、土地や財産を搾取するとかいうことも、まったくありませんでした。神社参拝については、何かの日には学生全部が連れて行かれました。行かなくても別に厳しい文句は言われませんでしたが」

金洙容さん(日韓共同映画『愛の黙示録』の監督)
「農場の日本人たちはとても勤勉でした。日本人は早くから科学的で先進的な農法を使っていました。……日本人の経営する農場には、韓国人たちもたくさん働いていました。日本人は日当をきちんと計算して渡してくれました。彼らはとても礼儀正しく、日当を支払わないようなことはまずしません」

李萬甲さん
「創氏改名は昭和15年からのことでした。ほとんどの人が変えていましたね。……しかし官庁に務める人でも、変えないからといって首になるようなことはありませんでした。…日本人が韓国人の生活を侵害するとか、略奪するとか、そんな類のことは日本人は全くしませんでした。日本人は法に反することをしないようにと、非常に気をつけていました」
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5 まとめ

『正解はCでしたね。日韓併合後、日本は朝鮮半島を日本本土と同じと考え、日本国民の莫大な税金を注いで朝鮮を近代化(産業・生活・立憲政治)させました。こんなことはハワイを併合したアメリカもやっていません。私たちの先祖は世界に誇れるすばらしい政治をしたのです。いまの韓国の反日は、歴史ではなく政治なのです。誇りを持って正しいことを言い、韓国の友人とも尊敬し合えるおつきあいをして参りましょう』

【参考文献】
杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』(展転社)、
松木国俊『ほんとうは日韓併合が韓国を救った』(WAC)
呉善花『生活者の日本統治時代』(三交社)、
服部剛『先生、日本のこと教えて』(扶桑社)
その他サイト「日韓併合時代の真実」などを参照しました。
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