授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

領土問題をいかにコンパクトに教えるか

今日は2月22日竹島の日です。第10回目の記念日ですね。
領土教育の第3弾をお届けします


●前半は、得能 弘一さんの高校・公民科「現代社会」における領土教育「領土問題をいかにコンパクトに教えるか」、

●後半は、昨年2月22日「母娘親子旅:第9回竹島の日記念式典参加の記録:領土教育の重要性」(山崎ちあき)を掲載します。


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領土問題をいかにコンパクトに教えるか


1.はじめに

高等学校において、領土教育を担当するのに、最も相応しい教科は「公民科」に他ならないと思われる。むろん「地歴科」でも可能ではあるが、より多くの生徒が履修するのが、公民科の科目「現代社会」である。

それでは、現在において、「現代社会」では、どのような領土教育が実施されているのであろうか。現行(平成22年度)の「現代社会」の教科書は、11の出版社から16冊が刊行されている。

16冊のなかで、北方領土・竹島・尖閣諸島の3つの領土問題について、3つともに記載があるのが、9冊であり、北方領土のみ記載があるのが、2冊である。よって、5冊の教科書には、全く領土問題についての記述がない。その5冊の出版社は、実教出版(2冊)・三省堂(1冊)・帝国書院(1冊)・東学(1冊)であるが、筆者の高校「地歴・公民科」教諭としての経験(4半世紀を越える)からも、特に実教出版の教科書は、偏向が著しく何度も憤りを覚えたものである。

日本の領土

日本の領海
日本の領海等概念図
( 海上保安庁 海洋情報部より転載・リンク)

では、3つともに記載のある9冊では、どのような記述がなされているのであろうか。 たとえば、東京書籍の『現代社会』では、「日本の領土については、ロシアとの間で北方領土問題、韓国との間で竹島の問題があり、尖閣諸島については中国がその領有を主張している。」とあり、教科書にしてわずかに2行の記述のうえ、我が国の主張も立場も書かれておらず、どこの国の教科書かと見まがうような書きようである。他の教科書も概ね同様の記述であるが、唯一、第一学習社の『高等学校 改訂版 現代社会』のみ、「日本は、ロシアとの間に北方領土問題という大きな問題を抱えている。また、韓国が不法占拠を続けている竹島(韓国での呼称は独島)や、中国が領有権を主張している尖閣諸島(中国での呼称は釣魚島)も、日本固有の領土であるが、双方の主張は平行線をたどっている。」と書かれており、これが最も領土問題について詳しい教科書といえる。

領土問題が、国家の根幹を揺さぶる重大な問題であることは、次第に国民の認知するところとなりつつあり、今後の教科書の改訂においては、大幅な記述内容の増加があることを期待したいが、現行の教科書においては、触れられてもわずかに数行の嘆かわしい状況である。私見を言えば、領土問題の授業時間は、最低でも、それぞれに1時間として3時間は必要であろう。しかしながら、領土問題の授業に、大胆に3時間を割り当てる勇気と見識を持つ教師は少ないものと思われる。そこで、なんとか1時間の授業で、効率よくコンパクトに領土問題を教えることはできないものか試みてみたい。


2.授業の導入

領土問題の授業は、兵庫県立神戸工業高等学校の1年生3クラス(計70名)と、兵庫県立神戸高等学校の1年生2クラス(計80名)で、平成23年の2月に行ったが、前者は、筆者が教諭として勤務する定時制工業科の高等学校で、家庭状況が不遇であったり、中学校時代に不登校であった者が多い。後者は、筆者が午前中に兼任講師として授業を担当している全日制普通科の高等学校で県下トップクラスの進学校である。

まず、授業の冒頭でアンケートを実施した。アンケートが導入である。この授業の目的は、いかにコンパクトに教えるか、であるから、残念ではあるが発問の余裕はない。生徒たちには、領土問題の授業を行うことは予告していないので、事前学習のない正味の彼らの知識や認識が、アンケートに反映されている。なお、アンケート総数は、前掲両校の生徒の合計150名である。

1.現在、日本にはどのような領土問題が存在しますか。
北方領土 ‥‥‥‥‥‥‥‥145名
尖閣諸島 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥75名
竹島 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥63名
沖縄米軍基地 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥11名
沖ノ鳥島 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥7名
対馬 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5名
樺太 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2名
小笠原諸島 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
千島列島 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
与那国島 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
無回答 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5名


ほとんどの生徒が、北方領土の存在を知っており、半数の生徒が尖閣諸島を知っているが、竹島はやや少ない。沖縄の米軍基地を領土問題と誤解している生徒もいるが、沖ノ鳥島や対馬をあげた生徒は知識が豊富なゆえである。

2.1を答えた生徒は、領土問題の相手国をそれぞれ答えなさい。

北方領土: ロシア‥‥‥‥‥‥‥117名
他国・無回答‥‥‥‥‥28名
竹島: 韓国‥‥‥‥‥‥‥‥‥45名
北朝鮮‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
中国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥9名
他国・無回答‥‥‥‥‥‥8名
尖閣諸島: 中国‥‥‥‥‥‥‥‥‥66名
台湾‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3名
他国・無回答‥‥‥‥‥‥6名
沖縄米軍基地: 米国‥‥‥‥‥‥‥‥‥11名
沖ノ鳥島: 国際社会‥‥‥‥‥‥‥‥4名
中国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3名
対馬: 韓国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5名
樺太: ロシア‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
北朝鮮‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
小笠原諸島: 中国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
千島列島: ロシア‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
与那国島: 中国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名



北方領土が対ロシア、尖閣諸島が対中国であることを生徒はよく知っているが、やはり、竹島についての認知度が低い。沖縄米軍基地の問題については、別単元での授業が必要であり、沖ノ鳥島と対馬については、誤解を招かぬよう領土問題の授業において言及する必要があろう。

3.1を答えた生徒は、それらの領土が現在どのような状況にあるかそれぞれ答えなさい(人数の足らない分は無回答)。

北方領土: ロシアが支配‥‥‥‥‥‥‥78名
日ロ両国で統治‥‥‥‥‥‥15名
日本が支配‥‥‥‥‥‥‥‥‥4名
竹島: 韓国が支配‥‥‥‥‥‥‥‥17名
日本が支配‥‥‥‥‥‥‥‥‥7名
尖閣諸島: 日本が支配‥‥‥‥‥‥‥‥35名
中国が支配‥‥‥‥‥‥‥‥11名
日中両国で統治‥‥‥‥‥‥‥9名
沖縄米軍基地・米国が支配‥‥8名
沖ノ鳥島: 日本が支配‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
国連が統治‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
対馬: 日本が支配‥‥‥‥‥‥‥‥‥4名
樺太: ロシアが支配‥‥‥‥‥‥‥‥1名
小笠原諸島: 日本が支配‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
千島列島: ロシアが支配‥‥‥‥‥‥‥‥1名
与那国島: 日本が支配‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名


領土問題の存在を知っている生徒においても、北方領土が、日ロ両国で統治していると答えたり、日本の支配下にあると答える者もいる。尖閣諸島も、日中両国で統治していると答えたり、中国の支配下にあると答える者もいる。竹島が日本の支配下にあると答える者もあり、その知識は必ずしも正確ではない。

北方領土は、ロシアの支配下にあるとの知識を有していた者は78名で、全体(150名)の52%であり、尖閣諸島は、中国が圧力をかけているが日本の支配下にあるとの知識を有していた者は35名で、23%にすぎず、竹島にいたっては、韓国の支配下にあるとの知識を有していた者はわずかに17名であり、たった11%である。

すなわち、北方領土は約5割、尖閣諸島は約2割、竹島は約1割の生徒しか知識を持っていなかったといえる。

4.1を答えた生徒は、それらの領土問題について、日本と相手国のどちらが正しいと思いますか。
北方領土:
日本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥87名
ロシア‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3名
わからない‥‥‥‥‥‥‥‥‥55名

竹島:
日本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥42名
韓国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥7名
わからない‥‥‥‥‥‥‥‥‥14名

尖閣諸島:
日本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥64名
中国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1名
わからない‥‥‥‥‥‥‥‥‥10名

3つの領土問題の存在を知っていた生徒ののべ合計が283名であるが、その中で、日本の主張が正しいと思っている者が193名であり、領土問題を知っていても、約3割近くの生徒が、日本が正しいと答えられなかったのである。これらのアンケート結果を見るだけでも、領土教育の必要性を痛感せずにはいられない。


3.授業の展開

アンケートの実施後は、その結果を横目に見つつ授業を展開しなければならない。理想を言えば、前時の最後にアンケートを行っておけば、結果を踏まえた授業ができる。また、丁寧な板書をしていては、1時間で領土問題を教えることはできないので、板書事項を厳選したうえで、それを穴埋め式の授業プリントとして作成した。(末掲)


4.授業のまとめ

授業では、できるかぎり歴史的事実や法的な事実を冷静に話すように心掛けた。また、時間があれば相手国の主張も取り上げて反論を加えたいものである。

授業のまとめも、授業の導入と同様にアンケートを実施した。在日韓国人や華僑の生徒もいることから、日本は思想信条が自由な国であり、どのように答えてもよいことを念押ししてから、導入でのアンケート「4」と同じ質問をしてみる。

1.それぞれの領土問題について、日本と相手国のどちらが正しいと思いますか。

北方領土:
日本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥145名
ロシア‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥0名
わからない‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5名
竹島: 日本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥138名
韓国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4名
わからない‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥8名
尖閣諸島: 日本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥143名
中国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥0名
わからない‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥7名


単純にこの回答結果をもって満足するものではないが、少なくとも、領土問題の存在を知らなかったり、知識が不充分で「わからない」と答えた生徒が大幅に減少したことは、領土教育の成果と捉えてもよいのではなかろうか。次いで、自由に自分の意見を書かせてみた。

2.それぞれの領土問題について、その解決のために日本はどのような行動をとればよいと思いますか。自分の考えを自由に述べなさい。
この質問への文章による回答から、要点を分類してみると次のようになる。

北方領土:
政府によるもっと強気の交渉‥‥144名
国際社会への積極的な働きかけ‥‥68名
学校でもっと領土教育をすべき‥‥46名
妥協案による返還交渉‥‥‥‥‥‥20名
軍事力の増強‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6名

竹島:
政府によるもっと強気の交渉‥‥116名
国際社会への積極的な働きかけ‥116名
学校でもっと領土教育をすべき‥‥64名
平和的な交渉の継続または静観‥‥12名
軍事力の増強‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥10名

尖閣諸島:
政府によるもっと強気の抗議‥‥126名
国際社会への積極的な働きかけ‥‥82名
自衛隊による防衛‥‥‥‥‥‥‥‥62名
学校でもっと領土教育をすべき‥‥44名
早急に資源を開発‥‥‥‥‥‥‥‥34名

多くの生徒が、日本政府の積極的な取り組みを望んでいることがわかる。すなわち、相手国に対しては強気の交渉・抗議を、国際社会に対しては日本の主張をアピールし、学校教育において領土問題をきちんと教えること、である。まさに、生徒たちの望むことは、心ある日本国民が望むことと同じではなかろうか。


5.おわりに

たった、50分1コマ(授業の導入に5分、展開に30分、まとめに15分)の急ぎ足で領土問題の授業を行ったが、教育的効果は充分にあったものと思われる。今後、少なくとも、小学校・中学校・高等学校(それぞれに一度は必ず)において、発達段階に応じた領土教育が、全国的に実施されることを切に願うものである。

最後に、生徒の意見(まとめのアンケート「2」)をピックアップしてご紹介したい。結果として、県立神戸高等学校の生徒に偏ってしまったが、女子生徒に頼もしい意見が多かったことは意外であった。それだけ、近隣国の重圧と政府の無策を感じとって危機感を募らせているのであろう。


■ 北方領土

•今までに取り返すチャンスがあったろうに、いっこうに取り返すことができていないのは、日本のリーダーに信念に基づく主張がないからだと思う。特に最近は大きくなめられているので、もっと、国際社会に訴えなければならない。私は一度、北方領土が見えるところまで行ったことがあるが、国民全員がもっと知識を持つべきだし、一致団結すべきである。(女子)
•領土を分けるという解決案が出ているようだけれど、それで納得してしまってはいけないと思う。ロシアが返してくれそうにないからといって、妥協してしまったら最後だと思うので、日本はこれからもねばり強く北方領土の返還を要求すべきだと思う。元々は日本の領土であるということを忘れてはいけない。(女子)
•日本の主張をもっと強くロシアや国際社会に伝えるべきだ。日本の首相が非力だから日本の国力も低下しているので、国民全体で問題を考えるためにも、学校教育でもっとしっかりこの問題を取り上げることが必要だと思う。(女子)
•ロシアに日本と友好的な関係を結ぼうとする気があるなら、不正に持っている物を返してからでないと結ぶ権利はあちらにはない。ロシアが4島を一括返還してこないなら、日本はこれから先、百年でも2百年でも、友好的な条約など結ぶべきではないと思う。(女子)


■ 竹島

•国際司法裁判所にこの問題を訴える案を再提案し、拒否されたら、その理由を粘り強く聞き出すべきで、理由に納得がいかなければ、日本の主張を強く正確に伝えるべきです。また、国連に対して、どちらか1国の訴えで裁判できるように働きかけなければならないと思います。(男子)
•韓国では幼い時から「独島は自分たちのもの」と教えられ、今後そう教えられた人たちが国を動かしていくので、取り戻すのは時間が経つにつれ難しくなると思う。日本では、私が今回初めて竹島を知ったぐらいで、意識の違いが大きすぎる。日本でも小学生の時からこの問題をしっかりと取り上げ、知識を持って大人になる必要がある。韓国に返す気がなくても、日本は竹島が日本領であることを世界に発信していく必要があると思う。(女子)
•不当に竹島を奪った韓国をこのまま許しておくべきではないと思う。今、韓国が北朝鮮に手を取られている間に、政府は竹島問題の詳細な経過を発表して、もっと国民に関心をもってもらうべきである。韓国がごねるなら、日本領である証拠資料を日韓首相会談等の際に突きつけるべきだ。それでもごねるなら、アメリカなどの国々にも協力してもらうべきである。たかが島1つ、されど島1つ、不当に取られたものを黙って見ているだけは、絶対にしたくはないし、してもいけない。(女子)
•日本人があまりにもこの問題に関して知らな過ぎると思います。あちら側は徹底的に韓国に有利なように子供たちに教育しています。日本としては、もっと子供たちに教えて、国民の関心を向上させるべきだと思います。島根県が制定した「竹島の日」がこの間ありましたが、北方領土の日のように新聞に大きく載ったりしませんでした。これでは島根県の人たちも浮かばれませんし、この問題を「知らない」日本人がいるということは情けないことだと思います。(女子)
•韓国は小さい子供に「竹島は韓国領だ」と教え込んでいるらしいが、日本では領土の勉強を小さい頃からしていないので、世代が変わるごとに不利になっていくと思う。だから韓国に負けないように、日本は正しいのだからもっと教育の場で教えるべきだ。(男子)


■ 尖閣諸島

•先に相手国の軍隊に上陸されてしまっては、外交に弱腰の現在の日本にとって、対策案を作り出すこともできず、既成事実化されてしまうので、早く灯台を作り、自衛隊を派遣するべきだと思います。(男子)
•日本の領土なのだから早急に資源開発に着手すべき。海上保安庁はしっかり仕事をしているのに政治家が弱すぎる。やはりもっと賢明な人が出てくるべき。武力ではなく、賢さと意志の強さが必要だと思う。(女子)
•中国は対チベットといい対台湾といい、横暴すぎる。全国民がそうであるとは限らないがそのように思えてならない。日本が武力で対抗できないのなら、何としてでも言論で明確に主張する必要がある。中国との貿易がなんだかんだという前に、もっと国内を固めて全力で中国にぶつかるべきだ。先手を打たれる前に防御をしっかりして、国を守ってほしい。(女子)
•日本は決して弱腰にならず、堂々かつ冷静に対処し、相手のやりすぎな行動に関しては世界にうったえる必要がある。世界を味方につけられるように、説得力のある主張をはっきりしていくべきだ。力を持ち出した中国になめられだすと、日本はだめになってくる。他の領土も無理やりとられるかもしれない。(男子)



参考文献•下條正男『竹島は日韓どちらのものか』(文春新書・平成16年)
•山田吉彦『日本の国境』(新潮新書・平成17年)
•『別冊宝島 ニッポン人なら読んでおきたい 竹島・尖閣諸島の本』(宝島社・平成17年)
•斎藤勉・内藤泰朗『北方領土は泣いている』(産経新聞出版・平成19年)
•寺澤元一「竹島問題を理解する10のポイント」『歴史と地理』628(山川出版社・平成21年)
•芹田健太郎『日本の領土』(中公文庫・平成22年)
•伊藤隆監修・百瀬孝著『史料検証 日本の領土』(河出書房新社・平成22年)
•水間政憲『いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実』(PHP研究所・平成22年)
•藤岡信勝・加瀬英明編『中国はなぜ尖閣を取りに来るのか』(自由社・平成22年)






母娘親子旅
第9回竹島の日記念式典参加記
領土教育の重要性


(山﨑ちあき)

メチのいた島
杉原由美子著『メチのいた島』

2月21日から2泊3日で島根県松江市を訪問した。島根県が2005年に、2月22日を「竹島の日」と制定し、今年で第9回目となる記念式典に参加するための島根旅行だった。

松江に到着した日は例年通りに竹島資料室に直行した。今年の特別展示は地図であり、長久保赤水の地図をはじめ、韓国が主張する独島が韓国領でないことが明らかな証拠が数多く展示されていた。その裏の資料展示スペースには山陰中央新報より発売された『メチのいた島』が置かれていた。この絵本は、隠岐出身の杉原由美子さんが昨年自費出版で出されたものを山陰中央新報が全国に発売していた。「メチ」とはニホンアシカを指し、隠岐の島の子どもたちとニホンアシカとのふれあいの様子が分かりやすく描かれている絵本だ。また、巻末には竹島の歴史が書かれているため、小さい子でもとっつきやすい竹島問題導入本としても最適だと感じた。

今年は大韓民国独島郷友会会長、崔在翼氏の「竹島の日記念式典」抗議活動がメディアで取り上げられていたが、私がいた頃は何社かのマスコミのみだった。

今年は聯合ニュースの東京支社からインタビューを受けたが、彼は東京に来て、1年ちょっとという割には腰の低い記者であった。

質問内容は

① 日本での竹島に関する関心度

② 竹島問題についてどう思うか

③ この問題はどうやったら解決するか

という内容だった。

① に関しては、「李明博元大統領が竹島に上陸したことで、高まりましたね」と答えると、記者は苦笑いだったが、納得した様子だった。

結局、注目していた崔氏が資料室を訪れたのは、私が帰ってから約1時間後のことだった。私は夕方のニュースでひと悶着の場面を目にしたのだった。

式典当日は静かな朝を迎えたが、早くから会場付近の主要道路には警官が配備され、交通規制を行っていた。毎年の光景であるので見慣れたものであったが、今年は例年にも増して街宣車は増えるのではないかと密かに思っていた。

母と早い昼食をとっていると、外が騒がしくなってきた。どこから音が聞こえてきているのか分からなかったが、資料室前まで行くと謎が解けた。街宣行動が始まっていたのだ。


街宣車と警察の攻防県民会館前にて 街宣車と警察官の攻防戦

県庁、資料室、県民会館へと続く大きな道路への街宣車の侵入を拒否していた警察と街宣車の攻防戦が行われていて、多くの報道陣が押し寄せていた。現場では東京で目にする街宣車とは比較にならない位の爆音が響いており、隣の人との会話ができない程だった。この日は、崔氏が県民館前で抗議活動を行うという情報を事前に見ていたので、10分ほど街宣行動を見学し、会場に向かった。結局、県庁付近に多くの保守系団体が崔氏を迎えうったため、警察や機動隊に護衛された崔氏は抗議活動を行えないまま、数10メートル歩いただけで、乗ってきたマイクロバスに押し戻される形となったようで、私は彼の姿を直接確認することはできなかった。

今年の式典には亀岡政務官が出席し、昨年に続き政府代表が出席したのは2回目である。

政務官、溝口県知事のあいさつは例年通りであったが、島根県議会五百川純寿議長の挨拶が始まると、会場から一斉に「売国奴!」「帰れ!」「県議会解散しろ!」などといったヤジが飛んだ。ここまでの多さは、私が式典に参加した中では最大級であり、祝辞を述べても聞き取るのが困難な程であった。はじめは、なぜここまで県議長に対しヤジが多いのか不思議であったが、慰安婦問題について失態を犯してしまったことを思い出した。

島根県議会は、2013年6月26日に日本軍「慰安婦」問題への誠実な対応を求める意見書を政府に提出した。

この中で、

1.日本政府は「河野談話」を踏まえ、その内容を誠実に実行すること

2.被害女性とされる方々が2次被害を被ることがないよう努め、その名誉と尊厳を守るべく、真摯な対応を行うこと

と明記している。この内容に国民が怒りを表していたのである。

司会者も「静粛に」という声を何度も発するが、県議長の挨拶が終わるまで、ヤジが続いた。あまりの多さに、今年は誰か会場から連れ出されるかも?と思って会場を見ていたが、県議長以外の人に対しては静かにしているとのことだったからか、誰も会場から連れ出されることはなかった。


竹島100問100答
『竹島100問100答』

第2部では、2月に発売された『竹島100問100答』に関する紹介であった。この本は難易度が3段階に分かれていて、尚且つ竹島とは何かというところから記載されているため、どんな世代にも対応した1冊である。また、最後の章では実際に島根県で行われている竹島の授業案が紹介されているため、領土教育の参考にして欲しいとのことであった。


来年は式典も10年を迎える。この竹島の式典が北方領土と同じ道を辿らないためにも、島根県のみでなく全国規模の領土教育を徹底していく必要がある。さらに、学校教育で補えない世代に如何にして竹島について認知してもらうかが今後の課題ではないかと感じる次第である。
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愛知県一宮市教育委員会事件を問う

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 愛知県一宮市教育委員会事件とは次に示す大事件です。

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●愛知県一宮市の中学校校長が建国記念の日に先立つ9日の朝礼で、
 仁徳天皇などのお話をし、その内容をブログに掲載しました。

●これについて、匿名の投書が教育委員会にあり、教育委員会は校長に注意し
 ました。

●そのため、ブログの文章は削除されました。


★以下、引用関係が複雑なので、整理し、

(1)2月18日中日新聞記事、

(2)佐藤基裕宝塚市議の投稿、

(3)校長の文章、

(4)授業づくりJAPANからの呼びかけ、

の順に掲載します。


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       (1)2月18日中日新聞記事

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 愛知県一宮市の中学校長(57)が勤務する学校のホームページ内のブログ
に「古代から日本は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた」などと
する原稿を掲載し、市教委から口頭で注意を受けていたことがわかった。
 市教委などによると、校長は建国記念の日を前にした九日の朝礼で、「日
本の起源」というテーマであいさつし、その元となった原稿をブログに掲載
した。

 ブログでは十六代の仁徳天皇が、民家から煮炊きする煙が少ないことから
困窮する人々を思い、徴税をやめて自らもつつましく暮らしたとする「民の
かまど」の話を紹介。「こうした神話こそが、国柄を示しているともいえる」
などと強調し「長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ってほし
い」と呼び掛けていた。

 校長は十二日に市教委から注意を受け、ブログ原稿を削除した。
 取材に対し、校長は「子どもたちに、和の心を大切にしてほしいという
思いを伝えたかった」と説明。市学校教育課の担当者は「断定的な書き方で、
個人の考え方を押しつけかねないと判断した。慎重さを持つように指導した」
と話している。

 ブログについて「偏向教育だ」との匿名の手紙が一通届いたという。
 市教組も十八日、教育長宛ての抗議文を提出する予定。

 (2.18中日朝刊30面)


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       (2)佐藤基裕宝塚市議の投稿

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 愛知県一宮市の中学校長が、建国記念の日の前の朝礼で、「日本は昔から
天皇陛下と国民が心を一つにして暮らしてきた国です。」というお話をされ
たそうです。仁徳天皇の「民の竃」の話を紹介し、「長い歴史と素晴らしい
伝統をもつこの国に誇りを持ってほしい」と。

 素晴らしい校長先生だと思います。

 が、後日この挨拶の原稿をブログにアップされたところ、「偏向教育だ」
という匿名の手紙を受けた教育委員会が口頭注意をし、そのブログが削除さ
れたとのことです。

 普通、行政は、具体的な苦情や抗議でもない匿名の手紙で動きません。
 ここからしてまずおかしい。
 「どっちが偏向教育だ!」と言いたいのですが、このマスコミの記事はま
るで校長先生が悪いかのような書き振り。正しいことをいう方が悪者扱いで
す。いつまでこんなことが続くのやら。本当に憤りを感じます。




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(3)問題にされたブログの「校長室便り」の文章(現在は削除された) 

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 2月11日は建国記念日です。
 そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思い
ます。
 日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が
即位した日が始まりです。
 世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登っ
て遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために
煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。

 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くもの
がないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と
仰せられ、三年間、税を免除されました。

 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。
 天皇は衣を新調されず、茅(かや)葦(ぶき)屋根が破れ、雨漏りがして、
星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。

 三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度
は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、
仁徳天皇がこのように言われたということです。

 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

 そして、一緒におられた皇后に

「私は豊かになった。喜ばしいことだ」

とおっしゃったということです。

 皇后はそれを聞いて

「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れて
 いるのに、どうして豊かになったといえるのですか」

 すると

「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かという
 ことだ」

と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しになら
ず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりまし
た。
 すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、ま
たたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。
 しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるの
です。
 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありま
せん。
 敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしま
した。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したの
です。

 「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを
罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の
餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室
財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほし
い」

と述べたのでした。

 それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと
考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、
陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、

「私は初めて神のごとき帝王を見た」

と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼
を取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主
主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だから
といってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。
 また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもあり
ません。
 古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らし
てきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。
 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。
 皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、
世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思い
ます。
             【校長室から】 2015-02-09 14:36 up! 



▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
 
      (4)授業づくりJAPANからの呼びかけ

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 無知で左巻きの教育委員会が、せっかく子供たちに日本のすばらしい国柄
を、教えようとした校長に注意し、校長はその原稿をブログから削除したと
いうのです。

 こんなバカな教育委員会がいるから、子どもたちは日本のことを何も知ら
ず、誇りも持てないのです。海外に行っても何一つ日本の歴史伝統文化のこ
とを話すことができないのです。

 文部科学省(03-5253-4111)教育課程科歴史係に電話で確認したところ、
小6学習指導要領に「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」と書い
てあり、「神話・伝承」については、古事記、日本書紀、風土記の中から適
切なものを取り上げること、と書かれているとのこと。

 この教育委員会は、何の根拠があって、断定的な書き方で、個人の考え方
を押しつけかねないなどという判断をしたのでしょうか。この教育委員会こ
そ、学習指導要領に反して、個人の考えを押しつけ、子どもたちの知る権利
を奪っています。日教組のサヨク教師たちも、教育長に抗議したらしいので
すが、こんな教師に学ぶ子どもたちが可哀想でなりません。
 こんなバカ教師の横行を許してはなりません。
 皆さん、一宮市教育委員会に抗議してください。

 抗議とともにこの立派な校長を激励してください。

 どこの中学かわからないので、教育委員会に、
 「校長を支持する。これからも頑張るよう必ず伝えるように」

と電話してください。(横浜・服部剛)


◆◇一宮市教育委員会◇◆

〒491-8501
住所:愛知県一宮市本町2丁目5番6号

TEL:0586-85-7073

FAX:0586-73-9211

MAIL k-somu@city.ichinomiya.lg.jp


●みなさま、一宮市教育委員会に抗議してください!
校長先生には賛同と激励の声を届けましょう!

 教育委員会がシナと朝鮮に乗っ取られています。
 これを放置すれば今度こそ日本の教育は死んでしまいます。
 どうぞよろしくお願いします!

◇授業づくりJAPAN(日本の誇りと歴史を伝える授業づくりの会)
 ブログ:「授業づくりJAPANの日本人を育てる授業」
      http://jdjpan.blog.fc2.com/
 メルマガ「授業づくりJAPANの日本人を育てる授業」
     http://melma.com/backnumber_198666/

「幻の尖閣切手」 琉球政府郵政庁職員たちの知られざる気概の物語

領土教育「幻の尖閣切手」
琉球政府郵政庁職員たちの
      知られざる気概の物語


 私たちの本部である【授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」】で、
横浜の小学校教諭・安達先生の授業「尖閣はいかにして日本の領土となったか」が紹介されています。
(→リンク先をどうぞ)
授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

今回は、この素晴らしい授業を補足する資料編を掲載します。読み物資料です。
工夫すれば「道徳」の授業にもなると思います。
「愛国心・愛郷心」の徳目でいかがでしょうか。

では、尖閣諸島をめぐる沖縄男児の感動の物語をどうぞ。

■ 不思議な切手 ■

尖閣切手
海洋シリーズ第3集切手『海と海鳥と島』

◎ 発問 ◎
切手に注目してください。
1.何が描かれていますか?
  疑問に思うことはありますか?
2.どんな場所ですか?
3.鳥の名前は何だと思いますか?


『この切手は、1972年4月14日、祖国復帰直前の沖縄で発行された海洋シリーズ第3集の『海と海鳥と島』という切手です。
切手にはこの島がどこなのか、海鳥の名前は何なのかまったく示されていません。
どうしてでしょうか???』


【読み物資料】

この島がどこなのか長年の謎でしたが、沖縄県石垣市の尖閣諸島を研究する国吉真古(まさふる)氏の聞き取り調査によって、尖閣諸島と判明しました。

実をいうと、描かれている鳥は「アホウドリ」です。
アホウドリは伊豆諸島の鳥島と沖縄の尖閣諸島でのみ繁殖が確認されている鳥なのです。
アホウドリ
沖縄の尖閣諸島と伊豆諸島の鳥島でのみ繁殖が確認されているアホウドリ

沖縄の海でアホウドリが生息する島といえば、尖閣諸島以外にあり得ません。
この琉球切手は、わが国固有の領土である尖閣諸島をテーマにした唯一の切手です。

切手の発行は国家の意思を表すことがあります。

青く美しい海に浮かぶ尖閣諸島。
その南小島の切り立った断崖でアホウドリが飛翔し、戯れている姿を描いた「尖閣切手」。
この切手は、尖閣諸島が日本の沖縄に属していることを明確に主張しています。

尖閣切手は、沖縄の祖国復帰(5月15日)の目前、昭和47年(1972年)4月14日に発行されました。
琉球政府郵政庁の職員たちが、この時期に発行に踏み切った理由は何だったのでしょうか。
この切手が日の目を見るまでには、職員たちの知られざる苦労とそれをはねのける強い意志が存在したのです。
わが国の領土を守らんとする揺るぎない決心で極秘のプロジェクトを遂行した職員たちの気概の物語を紹介しましょう。
            ◆◆◆

昭和20年(1945年)、大東亜戦争に敗れた日本は連合国(GHQ)に占領されました。
苦難の占領期を終え、昭和27年(1952年)4月28日にわが国は独立を回復しますが、沖縄県はアメリカの直接統治下に置かれました。
当然、尖閣諸島も沖縄の1部としてアメリカの施政権下にあります。

沖縄の郵政事業は昭和23年(1948年)に始まります。
はじめは無料だった郵便配達が有料制になり、「琉球郵便切手」が生まれました。
沖縄の名だたる画家たちが原画を描き、南国風のデザインと鮮やかな色彩で切手コレクターの間で人気を博します。
「沖縄美術の珠玉」と称されたほどです。
日本への復帰で琉球郵便が廃止になるまで、261種を発行しました。

■ 台湾・中国、突如の領有権主張 ■
1960年代、折から石油資源の枯渇が危惧されるようになりました。
そこで、世界各地で新たな油田を発見しようと調査が進められていました。
昭和44年(1969年)のことです。
国際連合のアジア極東経済委員会による海洋調査で、尖閣諸島の周辺にはイラクの埋蔵量に匹敵するほどの大量の石油が存在すると報告されたのです。

尖閣諸島は、明治28年(1895年)1月14日に正式にわが国の領土に編入されました。
明治18年(1885年)以降、日本政府が綿密な現地調査を行なった結果、無人島であり、かつ、清国(中国)の支配が及んでいないことを確認した上での閣議決定です。
尖閣諸島がわが国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いようがありません。

ところが、尖閣諸島周辺に大量の石油が埋蔵されていることが判明すると、海域を接する台湾の国民党政府と中国は、突如、領有権を主張しはじめたのです。
明けて、昭和45年(1970年)、尖閣諸島をめぐる状況はますます緊迫していきました。
200以上もの市町村や経済団体によって「尖閣を守る会」が組織され、大規模な運動がはじまりました。

これを受けて、琉球政府は尖閣諸島の「領土宣言」を発し、琉球立法院も「尖閣防衛」の決議をしています。
琉球政府通産局の砂川局長は、琉球政府が権限を持っている間に尖閣周辺の石油鉱業権を許可したいと、「尖閣開発KK」の創設に奔走しました。

一方、沖縄返還にむけての日米協議は、尖閣諸島の帰属をめぐって紛糾しました。
なぜなら、米国政府が尖閣を返還協定内に含めることを渋ったからです。
日本側は米国の態度に怒りました。
沖縄開発庁の山中定則長官らが尽力して、最終的には無事に返還されることになりました。

そして、ついに昭和46年(1971年)6月、「沖縄返還協定」が調印の運びとなり、翌年5月に沖縄県が祖国に復帰することが決定しました。
ところが、この協定調印を挟んで、4月には台湾の国民政府が、12月には中国が尖閣諸島の領有権を正式に表明したのです。

■ 尖閣切手を発行せよ! ■

中・台の理不尽な領有権主張は、国民の怒りを招きました。
なかでも沖縄県民の危機感は尋常ではありません。
琉球切手の発行を職務とする琉球郵政庁の職員たちも思いは同様でした。

「琉球郵政庁が切手発行の権能を有している間に、尖閣諸島を題材にした切手を発行したい」

切手の発行によって、尖閣諸島がまぎれもなく日本の領土であるということを刻印したいとの強い思いが湧き上がってきたのです。
そこで、琉球郵政庁は、尖閣諸島の1つである魚釣島の「地図切手」の発行を計画します。
原画を滞りなく作成し、大蔵省(現・財務省)印刷局に切手の印刷を依頼しました。
印刷も仕上がり、あとは琉球郵政庁に向けて発送を待つばかりという時、その地図切手の存在が外務省の知るところとなりました。
すると、何と外務省は
「中国や台湾などを刺激する」
として、発行禁止を強く要求してきたのです。

この時期、中・台は不当な領有権主張をますます強めており、日米両政府は両国を刺激しないように神経質になっていました。
「こんな時に尖閣諸島を描いた切手などとてもじゃないが発行できない。
これで外交がこじれてしまったら一大事だ」
ということでしょう。

沖縄はまだ返還されておらず、米国統治下にあったのですから、琉球政府に対する外務省の要求は米国への内政干渉にあたります。
しかし、順調な沖縄返還を望んでいた米国政府が目くじらを立てなかったため、琉球政府は切手の発行を断念せざるを得ませんでした。

これに切歯扼腕したのが、郵券課長の浜元暁男氏でした。
「尖閣をテーマとした切手発行を、なぜ日本政府は嫌がるのか。
長い目で見るなら、ここで尖閣の領有権を明確にしておく方が得策ではないか!」

浜元暁男
琉球郵政庁郵券家鳥(当時)浜元暁男

海軍予科練出身で剛胆な性格だった浜元課長は、
「それならば、せめて尖閣を舞台にした『海洋シリーズ切手』を発行したい」
と思いました。

折しも復帰3年後の昭和50年(1975年)に「沖縄国際海洋博覧会」の開催が決定されていました。
この海洋博記念を名目にして海洋シリーズを企画し、これに尖閣諸島を盛り込めば、復帰直前の混乱の中で当局のチェックをごまかせるのではないか、と考えたのです。

「日本政府が尖閣切手を認めないというなら、巧妙にカムフラージュして、推し進めるだけだ。
政府は『琉球政府が勝手に発行した』とすればよい」
と浜元課長は強気です。
こうして、郵政庁首脳幹部だけの「極秘プロジェクト」による尖閣切手の発行計画がスタートしました。

ただし、万一、情報が洩れて日本政府の知ることになったら、すべては水泡に帰してしまいます。
プロジェクトの遂行には、細心の注意が必要でした。

海洋シリーズ切手は、次の3つで構成されることになりました。
•第1集:「島と海」(昭和47年3月21日発行)
•第2集:「珊瑚礁」(同年3月30日発行)
•第3集:「海と海鳥と島」(同年4月14日発行)

第1集「島と海」は、実は「魚釣島と尖閣の海」の図柄を計画しました。

「海上にまっすぐ突き出た岩石の島だけでは、どこの島なのか誰も分からない。
何か言われたら、最後まで知らぬ存ぜぬで押し通すぞ」
と浜元課長。
切手の原画を描くためには写真が必要です。
そこで、峻険な岸壁が鋸立する魚釣島の雄姿を撮影するために、2人の部下を2週間の出張に出しました。

しかし、天候不順で部下たちは尖閣諸島までたどり着けず、写真を撮ることができませんでした。
この秘策は失敗…、やむをえず第1集の題材は「慶良間諸島の海と島」に変更となりました。

切手の図案を思案しているところに大ニュースが飛び込んできました。
昭和46年(1971年)、琉球大学調査団が、国指定の特別天然記念物で絶滅危惧種のアホウドリが尖閣諸島の南小島で生息しているのを発見したのです。
この種は地球上で、伊豆諸島の鳥島(東京都)にしか生息していないとされていたので、沖縄中が沸きました。

そこで、浜元課長は
「アホウドリを描いた切手を発行することで間接的に尖閣諸島が沖縄に属していることを主張できる」
と考えました。


浜元課長は第3集の原画を画家の安次富(あしとみ)長昭氏(現・琉球大名誉教授)に依頼します。
そして、描く島は「尖閣諸島の南小島」、描く鳥は「アホウドリなり」と注文をつけました。

安次富長昭
安次富長昭(現・琉球大名誉教授)

しかし、珍しい鳥なので安次富画伯は実物を見たことがありません。
そこで、郵政庁長だった渡嘉敷真球(しんきゅう)氏がじきじきにアトリエまでアホウドリの剥製を届けにきます。
さらに、アホウドリを発見した琉球大調査団団長の池原貞雄教授から、この時に撮った写真を借り、調査団メンバーの新納(にいろ)義馬教授から尖閣諸島の情景を詳細に聞き取りました。

尖閣諸島の紺青の海、波洗う峻険な南小島の断崖、その上空を舞い、岩場で戯れるアホウドリ。
安次富画伯は資料を元に描いていきます。
完成した「海と海鳥と島」、すなわち「尖閣の海とアホウドリと南小島」の原画は、目が覚めるような鮮やかさで素晴らしい出来映えでした。

第3集の極秘プロジェクトは着々と進展しました。
切手審議会を問題なくパスし、大蔵省印刷局へ送付、日本政府からのクレームもなく250万部が印刷されました。
尖閣切手は、誰もが一般的な「海と鳥と島」が描かれていると疑いませんでした。
浜元課長の作戦は功を奏しました。

そして、4月14日、尖閣切手は予定通り発行されました。
それは沖縄の祖国復帰、すなわち琉球郵政庁消滅の1ヶ月前のことでした。

尖閣諸島の研究者・国吉真古(まさふる)氏は次のように述べています。
「現政府の尖閣への対応は期待外れ。
当時の職員は領土に対する強い思いがあったはずだ。
多くの人々に認識を深めてほしい」

身の危険も顧みず、尖閣諸島を守るために極秘プロジェクトを成功させた浜元氏をはじめとする琉球郵政庁の職員たち。その愛国心・愛郷心の確かさに心打たれます。
南国風の色鮮やかな尖閣切手は、尖閣諸島の日本領有を主張し続けているのです。
《終わり》

切手説明書
切手の説明書。海洋シリーズ第3集『海と海鳥と島』


〈参考資料〉
◆尖閣諸島文献資料編纂会
『尖閣研究ー高良学術調査団資料集上下』(データム・レキオス)2007年
◆読売新聞2012年5月11日
「『尖閣』秘した琉球切手」
◆琉球新報 2010年11月1日
論壇「尖閣諸島の琉球政府切手 日本政府の〝干渉〟で幻に」
琉球新報記事


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尖閣はいかにして日本の領土となったか

●「授業づくりJAPAN YOKOHAMA プライマリー」代表:安達弘さんの授業(中学生向け)です。
安達弘さんのブログはこちらです。
授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー

●メインの資料である琉球切手は服部剛さんが教材開発したものです。こちらを参照してください。
幻の尖閣切手- 琉球政府郵政庁職員たちの気概の物語




「尖閣はいかにして日本の領土となったか」を教える


◆ 領土教育の授業づくり3つのポイント

昨年は北方領土、そして今年は尖閣諸島の授業を提案させていただいた。
この2つの授業づくり及び「授業づくりプロジェクト」でのアドバイスをふまえて、次の3点を「領土教育の授業づくり3つのポイント」として提案したい。

I .興味がもてる導入を工夫する
II. 「事実」を自分で調べさせる
III. そこに生きた人の姿を教える

この Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ.の学習を生徒側から捉えると次のようになる。

「この勉強は面白そうだな」と〈身〉を乗り出す
「ここはわが国の領土だ」という「正義を〈頭〉で理解する
そこに生きたご先祖様の姿を思い浮かべて〈心〉で感じる




◆ 授業の展開(対象は中学生)


【1】1枚の琉球切手


とくに前置きはしないで、次の資料を黒板に貼る。

琉球切手
先覚

資料はアホウドリが図案になった琉球切手である。そして、次のように指示する。

この写真を見て気づいたことや、わかったことをノートに箇条書きで書き出してみましょう。

作業の時間を約3分〜4分間与えた後に発表させる。

生徒から出てきた気づきを、おおよそ以下の3つのカテゴリーに分けて板書する。

(1)海、島、絶壁などの地形に関すること
(2)鳥に関すること
(3)「琉球」等の表記に関すること


生徒の発表が終わったら、以下の順番で生徒の気づきを取り上げる。そして、資料等を見せながら説明をしていく。


(1)「地形」を取り上げる

まず、この切手の図案はいま問題になっている「尖閣諸島」であることを教える。そして、3つの地図を順に示して尖閣諸島の正確な位置、近隣諸国との距離、島の名前も確認させる。

日本列島における位置
尖閣2

近隣諸国との距離
尖閣3

5つの島と3つの岩礁
尖閣4

また、島の写真を見せて、5つの島と3つの岩礁から成っていること、現在は個人の所有になっていることなどを教える。尖閣諸島のアウトラインをここでチェックする。

尖閣諸島
尖閣5


(2)「鳥」を取り上げる

この図案に描かれている鳥はアホウドリであることを教える。アホウドリは絶滅危惧種である。世界広しといえども、尖閣諸島と伊豆諸島でしか繁殖しない。この事実は生徒を驚かせるはずである。

アホウドリの大きさ
アホウドリの大きさ

アホウドリの群れ
アホウドリの群れ

センカクモグラ
センカクもぐら

ちなみにアホウドリは全長約92センチ、翼長2.4メートルの大型の海鳥である。その飛ぶ姿はたいへん優雅で、古名には「沖の大夫」(海の沖を飛ぶりっぱな鳥)という名前もあるほどである。この鳥がなぜアホウドリと呼ばれているかと言うと確かに空では優雅な飛行を見せるが、地上ではヨタヨタと歩き、簡単に人間に捕まってしまうかららしい。

さらに時間があれば尖閣諸島に棲息する動植物の固有種の多さにもぜひ触れたい。


(3)「表記」について取り上げる

おそらく生徒は「琉球郵便」と「5セント」という表示には必ず気付くはずである。しかし、ここではその気づきだけはほめて「琉球」が「沖縄」のことであることのみを説明する。

この気づきは次の学習で明確になることを予告して次に進みたい。
謎を残して興味を引っ張るのである。

(なお、授業の最後にこの琉球切手の話題を再度取り上げる。なぜ図案に「尖閣諸島」を取り上げようと考えたのか?当時の人の考えを予想してみる、という学習をしてみたい)


【2】年表を読み取る

「尖閣諸島の歴史」年表「尖閣諸島の歴史」年表(右図)を配布し、以下のように発問する。
年表「尖閣諸島の歴史」
尖閣諸島の歴史年表

この年表を見ると尖閣諸島は間違いなく日本の領土だ、という証拠がたくさん見つかります。
探して線を引いてみましょう

ここは作業の時間を十分に取る。

机間巡視しながら生徒の様子を見て、発表させる。

生徒に気づいて欲しいのは以下の5つの事実である。生徒の発表を受けて、追加資料を示しながら説明をする。

(1)我が国は約200年も前に尖閣諸島を領有する意志を示していた
 「先占」という考え方を教える。民法239条に「無主の、すなわち、現在所有者のいない動産を、所有の意思をもって占有することをいい、これにより、その動産の所有権を取得することができる」とある。国際法上の領土問題にもこの考え方が適用されている。つまり、どの国家のものでもない土地に対し、ある国家が他の国家よりも先に「ここは私たちの領土です」と意思表示し、行動することでそこは自国の領土と認められる。
##当時の明治政府は、入念な事前調査をしている。他国がこの島に対してどんな行動を取っているかを確認しているのだ。用意周到に下調べをして無用なトラブルが起きないように気を配っている。


(2)私たち日本人のご先祖様がこの島で実際に生活を営んでいた
尖閣諸島にはその豊富な海産物に目を付けたさまざまな人々が開拓にチャレンジしている。が、その中で本格的な開拓に挑み、成功したと言えるのは古賀辰四郎だけのようである。

中央の白い帽子が古賀さん
中央白帽子が古賀さん

カツオブシ工場
鰹節工場

 辰四郎は福岡県の農家の出身で一民間人である。尖閣諸島の調査を独自に進め、開拓許可の申請を出している。この辰四郎の許可申請が政府による調査のきっかけになったらしい。こうした名もない一日本人の行動力が自国の領土を広げたのであり、これによって現在の私たちは豊かな資源を手にするという恩恵に預かろうとしているのだ。生徒にもこうした過去と現在・未来のつながりを実感して欲しい。
  また、辰四郎がさまざまな事業を展開し、島に工場や労働者の住居・食堂・浴場などの施設があったことも話題にしたい。生徒たちに当時の生活の匂いを教室で感じさせたい。


(3)中国政府自身が「尖閣諸島は日本の領土だ」と認める感謝状を贈ってきている
感謝状1919年に中国福建省の漁民31名が魚釣島付近で遭難した。この頃すでに、尖閣諸島の開拓事業は古賀辰四郎から息子の善次に引き継がれていた。この遭難者を発見した善次らは八重山県庁、石垣島村役場とも協力して救助し、中国へ送り返したと言う。この行動に対して、長崎の中国領事が感謝状を贈呈している。そこに「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と書かれている。なお、この和洋島とは魚釣島のことである。
 この感謝状は、いまも沖縄県石垣市役所に保管されている。
中国政府の感謝状


(4)尖閣諸島はアメリカから返還されている。

人民日報
中国発行「人民日報」1953年1月8日 尖閣諸島を琉球群島と明記している
地図
人民日報

台湾が1959年に発行した地図(台湾と尖閣の間に国境線がある)
台湾発行地図

中国が1960年に発行した地図(尖閣が国境線より日本側にある)
中国発行地図

 日本がかつてアメリカを含む連合軍に占領された歴史があることは小学生でも知っている。尖閣諸島は1972年の沖縄返還時に同時に日本に返還されている。日本の領土だったからこそ「占領」されたのであり、もともと日本の領土なのだから「返還」されたのである。
この事実は尖閣諸島が、日本のもの→占領されてアメリカのもの→再び日本のもの、というルートをたどったことを証明している。小学生でも理解できる単純明快な論理だ。

 導入の時に残していた「琉球」について触れる。まず、沖縄はかつて「琉球王国」という独立国であり、「琉球」という言葉が、いまも残っている理由はここに由来することを教える。次に、切手にある「琉球政府」というのはアメリカ占領時の沖縄統治機構の名称であることを教える。つまり、この切手はアメリカ占領時に発行されたものであることがわかる。単位が円でなくセントである理由もこれで理解できる。

(5)中国・台湾の領有権主張は国連の海底調査以降である。

 年表を見ると1968年に国連のアジア極東経済委員会が東シナ海を調査している。この調査の結果、尖閣諸島近海の海底に豊富な埋蔵量の油田があることがわかった。つまり、中国と台湾はこの事実を知ってから領有権を主張し始めたのだ。百年以上前から、尖閣諸島を開発してきた歴史をもつ我が国とは比較にならない「軽さ」である。


【3】古賀辰四郎の「お話」を読む

最後は生徒に尖閣諸島に生きた日本人の姿を知ってもらう。

この場合は「お話」教材を自作するのがよい。「北方領土」の授業化では元島民の方の生の証言を扱ったが、尖閣諸島の場合は教材にうってつけの人物がいる。古賀辰四郎である。

辰四郎は実際に島で生活を営んだ人物であり、尖閣諸島領有化のきっかけを作った人物である。

以下の教材を先生が読み聞かせる。

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尖閣諸島を開発した古賀辰四郎


 みなさんは尖閣諸島を知っていますか。尖閣諸島は沖縄県の石垣島よりもさらに東の海に浮かぶ小さな島々です。最近、テレビのニュースや新聞記事に取り上げられることも多いので関心を持っている人もたくさんいることでしょう。この島々は明治時代から正式に日本の領土です。ところが、1968年以降、近隣国が領有権を主張し始めました。

「おやじが探検してから90年近く、私が払い下げを受けてから40年にもなります。にもかかわらず中国が何かをいい始めたのは、やっとここ2、3年のことじゃないですか。何をいっているんですかねえ」(1972年週刊誌のインタビュー)

インタビューに答える古賀善次さん
古賀善次さん


こう話すのは古賀善次さんです。善次さんは実際に尖閣諸島で生活した経験をお持ちです。島でカツオブシ工場を営んでいました。じつはこの善次さんのお父さんである辰四郎さんこそが尖閣諸島を開発した人なのです。

辰四郎さんは江戸時代の終わり頃の1856(安政3)年に福岡県の八女市(やめし)に生まれました。八女市はお茶の栽培で有名なところです。

辰四郎さんは何事にも失敗を怖れずに取り組もうとする行動力がありました。それは、お茶の販路拡大をめざして沖縄に渡ったときに、別の新しい事業に挑戦したことでもわかります。それは夜光貝の採集と加工・販売です。夜光貝はサザエに似た貝で内面に真珠のような光沢がある美しい貝です。当時、沖縄の人たちは中身だけ食べて貝そのものは捨てていました。辰四郎さんは捨てられている貝殻を高級ボタンの材料としてアメリカやイギリス、フランスに輸出して大成功したのです。

辰四郎さんは、1884(明治17)年ごろから大東島、ラサ島、鳥島などさまざまな島を探検していました。その中に尖閣諸島も入っていたのです。

息子の善次さんは次のように言っています。

「鳥の多い面白い島だという話が伝わっておりまして、漁に出た若者が魚をとるのを忘れて鳥を追っていたというような話がよくあったそうです。おやじもそんな話を聞いたんですね。そこで、生来冒険心が強い人間なものだから、ひとつ探検に行こうということになったんです」

南小島に乱舞するアホウドリの群れ
南小島アホウドリ

10年かけて作った船着き場
船着き場

カツオ節工場の前で記念写真
鰹節工場2


この島の豊富な海産物に目を付けた辰四郎は政府へこの島の開発を申請しました。

申請書には「アホウドリの羽毛はヨーロッパへの重要な輸出品になる。だが、島をこのままにしておくと乱獲されてしまう恐れがある。きちんと管理しながら事業を進めることが大事だ」という意味のことが書かれています。しかし、当時の政府は島の所属が不明であることを理由に認めませんでした。その後、日清戦争後の1896年についに政府の許可がおりて本格的な尖閣諸島の開発が始まりました。

まず、専門家を派遣して島の風土病、伝染病の有無、ハブやイノシシなどの動物の生態、飲料水の適否などを調べさせました。大きな問題はないことがわかると、技術者のアドバイスを受けて防波堤を築き、水をためるタンクや住居を作って人が住める環境を整備しました。そして、50人を引き連れて島に移住しさまざまな産業を起こしました。アホウドリの羽毛はドイツなどへ輸出。グアノと呼ばれる鳥の糞を含んだサンゴは肥料として台湾へ売りました。その他フカヒレ、貝類、べっ甲などの採集、カツオブシの製造、みかんの栽培なども手がけました。出稼ぎの人たちも島を訪れて島はさらに活気づき、最盛期には284人の島民が島に定住し、「古賀村」と呼ばれるほどでした。

その後、辰四郎さんは採取した海産物をセントルイス万国博覧会に出品して金賞を受賞しました。金賞の受賞は日本製品のよさをアピールし、輸出産業の活性化につながったに違いありません。また、御木本幸吉氏と共同で沖縄に真珠の養殖事業を起こして政府からも表彰されています。

辰四郎さんは明治期の殖産興業を進め、私たちの国を西洋諸国に負けない国へと発展させた人物と言っても過言ではありません。日本の発展に尽くした辰四郎さんは1918(大正7)年に63歳で亡くなり、事業は息子の善次さんに引き継がれました。

辰四郎さんの無人島を開発してそこに産業を興すという勇気ある行動によって、いま私たちは「尖閣諸島は日本の領土である」と力強く証明することができるのです。

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読み終わったら、数人の生徒に感想を求めたい。



【4】なぜ尖閣を図案にしたのか

最後に次の発問をする。

『もう一度、この琉球切手を見てみましょう』

当時の琉球郵政庁の浜元暁雄さんは「尖閣諸島を図案にした切手を発行したい」と強く希望していました。
なぜ、尖閣諸島の図案にこだわったのでしょう。
なお、「この切手が発行されたのは1972年です」というヒントを用意しておく。

中国・台湾の領有権の主張が始まる時期と切手の発行年、沖縄の祖国復帰がほぼ重なっていることに気付かせる。

当時の琉球郵政庁の職員が「尖閣諸島は日本の領土である、ということを自分たちの力でアピールしたい」という強い気持をもっていたことを伝える。

この最後のエピソードの紹介を通して生徒に自国の領土を守ろうとする気概を伝えたい。

なお、この最後のエピソードについては大会2日目に発表された服部剛氏のレポート「幻の尖閣切手〜琉球政府郵政庁職員たちの気概の物語」に詳しい。
幻の尖閣切手-琉球政府郵政庁職員たちの気概の物語


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栗林中将と硫黄島の戦い(小学校)

●この授業は安達 弘さんの実践です。

《はじめに》


 栗林忠道中将と硫黄島の戦い」を六年生に授業した。小学校の歴史学習(2時間扱い)である。
            
■目標
硫黄島の戦いについて調べ、栗林中将の考え方や思いを想像する学習を通して、祖国を守るために戦争で命を失った人々を敬う気持ちをもつことができる。


第1時 栗林中将


(1)硫黄島を知る


『これを見て下さい』 
パソコンを使い、プロジェクターで「硫黄島全景写真」の画像を見せる。
硫黄島全景


『これは島です。何という島か知っていますか?』

二人の子が手を挙げた。       
「硫黄島だと思う」          

『よく知っていますね。どうして知っているの?』                
「硫黄島からの手紙でしょ」       
「映画になっているから知っているよ」                      

硫黄島がわかる小学生がいるのは驚きである。さすがに映画の影響は大きい。  

『この硫黄島が映画になっているのを知っている人?』

五~六人の手を挙がり、「ドラマでもやっていたよ」など声が聞こえる。        
授業のタイトルとして〈硫黄島の戦い〉と板書し、続けて「硫黄島周辺図」を見せる。
硫黄島の位置

『硫黄島は小笠原諸島の近く、日本本土とサイパン島のちょうど中間地点です』



(2)戦場になった理由を考える


『じつはこの小さな硫黄島は日本とアメリカの戦争の中で一番激しい戦いが行われたところなんです』
『ところで、なぜこの小さな島が戦場にな ったのでしょうか?』

「日本とサイパンのちょうど真ん中にあるから(どっちにも役に立つ)」
「日本から見るとそこが爆撃を防ぐ場所になっているから」

アメリカから見ると硫黄島は日本本土を攻撃するためになくてはならない重要な島なのです。なぜなら、

①B29の基地・サイパンと日本本土を結ぶ線のちょうど中間にある
②硫黄島の日本軍戦闘機によりサイパン基地は攻撃を受けかなり損害があった
③これを避けるために回り道をしなければならず燃料を余分に使い、しかも爆弾の量を減らさなければならなかった
④本土爆撃を硫黄島の日本軍にキャッチされ、警報を出されてしまう
⑤戦闘機の護衛をつけるための基地にしたい(サイパンでは遠すぎる)
⑥日本軍にやられたときに不時着できる場所が欲しい。

日本から見ればこの裏返しとなり、硫黄島は小さいが日本本土を守るための重要な島だということになるわけです。
この硫黄島をアメリカ軍に取られれば日本本土はさらに空襲の恐怖にさらされることになってしまいます。家族も友だちも恋人も大勢の日本人が空襲で死ぬことになるでしょう。なんとしてもここを守り抜いてから、

『ですから、これが硫黄島を守る日本軍の目的になります』

板書する。
〈ここを守り抜いてアメリカ軍の本土空襲を阻止する〉


(3)栗林中将の考えを追体験する

『この硫黄島を守る日本軍守備隊のリーダーが栗林忠道中将です。』
「栗林中将の写真①正面」と「写真②指揮する栗林中将」を見せる。
栗林中将正面
栗林中将指揮

『資料を読んでみましょう』

【資料:硫黄島と栗林中将】を配布して読ませる。
******************************************
 硫黄島は東京から1250㎞離れた火山島です。小さな島ですが、アメリカ軍から見ると安全に日本を空襲するために絶対にほしい場所でした。逆に日本軍にとってはなんとしても守り抜かなければならない大事な場所だったのです。このときの日本とアメリカの戦力を比較してみると、圧倒的にアメリカ軍が有利です。 

 硫黄島はその名の通り硫黄ガスが吹き出し、地熱のため地中は高温で40~60度もあります。地形は、高さ169mの摺鉢山があるだけで、全体は平坦になっています。この島を守る兵士にとって何よりも困るのは水がないことです。島には池も川もありません。井戸を掘っても硫黄分多く塩辛い水しか出てきません。そこで、飲料水は雨水にたよるしかありませんが、雨はめったに降らないのです。その貴重な雨水も、ためておくとボウフラがわいてしまい、飲むと下痢をしてしまいます。しかし、飲み水はこれしかないのです。

栗林忠道中将は守備隊のリーダーとしてこの硫黄島に降り立ちました。栗林中将とはどんな人だったのでしょうか?


  兵力        大砲(陸)   戦車(陸)        艦砲(海)       航空力(空)
日 本 軍   2万1152名  23門   1個連隊     なし          75機
アメリカ軍   6万1000名 168門    3個連隊   14250トン 4000機以上



①部下である兵士を大事にした栗林中将は硫黄島に来ると部下と同じ食事をしました。リーダーであっても普通の兵士と同じ食事をして部下の栄養状態に気を配っていたのです。1日にアルミのコップ一杯の水で洗面・手洗いするのも兵士と同じでした。当時の軍隊でこのようなことは普通はありえないことでした。また、たまに新鮮な野菜や水が届けられると部下を呼んで分け合ったといいます。部下と苦労をともにする人だったのです。

②命をそまつにすることを嫌い最後まで戦おうとした当時の日本軍は敗色が濃厚になると「いさぎよく死のう」と考えて刀を抜いて敵に向かって突撃することが多かったのですが、栗林中将はこれを許しませんでした。日頃から「最後の一人になっても相手を悩ませろ」と兵士に言って聞かせていました。

③アメリカに留学したことがある栗林中将はアメリカに約2年間、軍事研究のために留学したことがあります。ですから、アメリカの事情にもとてもくわしくなっていました。車を買ってドライブをしたり、アメリカ人の友だちもたくさんいました。    

④家族思いのお父さんだった栗林中将は、このアメリカ留学中にまだ字が読めない自分の子どもにたくさんの絵手紙を出しています。また、硫黄島からも空襲にさらされている東京の家族宛になんと41通も手紙を出しています。どの手紙も奥さんや子どもの健康を心配するなど、家族思いであることがわかる内容のものばかりです。
*******************************************

教師が音読しながら説明を加えていく。
説明の中で「アメリカから息子に送った絵手紙」
「硫黄島から家族宛に送った手紙」を画像で見せた。

『資料を読んで栗林中将のことはだいたいわかりましたね。今日の学習は人物学習です。今日はこの栗林中将になったつもりで考えてもらいます』          

課題を板書する。
〈栗林中将はどうやって硫黄島を守ろうとしたのだろうか?〉


『襲撃を阻止しなければなりません。
じつはこのとき、硫黄島での戦い方として二つの考え方がありました。「お話」に
もあるように一つは水際作戦、もう一つ はモグラ作戦です。栗林中将は目的を
達成するためにどちらの作戦を選んだと思いますか?あなたの考えをプリントに書きましょう。』

7分後に発表させて、話し合いをした。
まず、人数分布を取った。

Aの水際作戦派は9人。
Bのモグラ作戦派は15人だった。

子どもたちに意見を求めて話し合いをした。
「ぼくはAです。モグラ作戦だと掘っている最中に攻めてこられたらもうどうしようもないと思う」
「ぼくもAだと思います。硫黄島は地中の温度が四十~六十度なんだから暑すぎて掘れないと思う」

「ぼくはBです。こっちは人数が少ないんだから海岸に集中したら大砲とかで一気にやられてしまう。それに栗林中将は最後の一人になっても相手を悩ませろ、と言っているんだからBの方が目的に合っている」
「ぼくもBです。一人になっても相手を悩ませろと言っていて、Bなら一人でも地下トンネルを使って相手を欺くことができるはず」

「Aです。さっき人数が少ないから、って言っていたけど少ないからこそ長期戦に持ち込むのはまずいと思う。一気にカタをつけないとダメだと思う。で、一人になってもというのは「あきらめるな」ということを言いたいのであって実際に一人で戦えるわけはない」
「Aです。長期戦になると日本はモノがなくなってきて絶対に不利だと思う」

「私はBです。Aだと相手との距離が近すぎるように思う。もともと戦力の弱い日本は近すぎる戦いは不利だと思う」
「ここは平坦で、相手は空からも攻撃してきますよね。ということは日本軍は丸見えということになる。そのままじゃあやられてしまうので地下に隠れる必要があると思う。だからBです」

「ぼくはBです。栗林中将は命を粗末にすることを嫌ったと書いてあるので、地下から攻撃した方が兵士の安全性が高くて戦いやすいと思う」
「私もBです。同じで硫黄島は平坦だからそのまま歩いていたりしたらやられてしまうから地下に潜って戦ったほうがいい」
「私もBです。海岸線に集中してしまうと島の真ん中を取られた場合はさみうちになってしまう」

こうして約10分間話し合ったあと再び人数分布を取ってみると、Aは3人。Bは21人となった。

『栗林中将が取った作戦は「モグラ作戦」です。島中に地下トンネルを掘り、洞窟や山を結び地下に要塞を作ったのです。そして、この地下要塞を使ってできるだけ長くアメリカ軍を硫黄島に釘付けにする作戦をとりました。これによって「こんな小さな島は五日で占領できる」と考えていたアメリカ軍の目論見は崩れ、なんと三十六日間も戦闘は続きました。最期は硫黄島の日本軍は全滅してしまいましたが、死傷者の数は負けた日本軍よりも勝ったアメリカ軍の方が多くなってしまったほどです。』


(4)硫黄島の戦いと栗林中将の歌


『では、最後に硫黄島の戦いの様子を写真で見てみましょう』
再びパソコンで画像を見せながら説明を加える。
①硫黄島周辺に集結するアメリカ艦隊
②硫黄島への爆撃・・・爆撃された鉄量は硫黄島を厚さ一mの鉄板で覆えるほど。もし、モグラ作戦をとっていなかったら戦う前に全滅していたかもしれない。
硫黄島1
③硫黄島に押し寄せる米軍上陸艇
硫黄島2
④砂浜で釘付けの米軍海兵隊・・・なぜか?日本軍は地下にいた!
硫黄島3
⑤日本軍要塞 ・・・モグラ作戦で圧倒的に有利な米軍を苦しめる
⑥地下トンネル
硫黄島4
⑦地下トンネルを造る日本軍兵士
⑧地下で隠れる日本軍
⑨戦車もカモフラージュ・・・しかし、しだいにやられていく
⑩洞窟への米軍の火炎放射器
⑪米軍のロケット砲・圧倒的な物量差
⑫星条旗が立つ                             
硫黄島5

『最後まで戦い抜いた栗林中将はこの戦闘で死ぬ間際に短歌を作っています』  
短歌を黒板に書いた。

国の為 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

一回だけ音読させた。
この短歌の最後にある「悲しき」には栗林中将のどんな気持ちがこめられていると思いますか?

「がんばったのに自分の手で家族を守れなかった、という気持ちだと思う」
「今の意見に似ているんだけど、もっと全体に自分の国を守れなかったという気持ち」

最後にお話をした。
『そうですね。いまの二人が言ってくれたように「悲しき」というのは無念の意味が込められているのだと思います。また、多くの部下を亡くしたり、大切な家族にももう会えないという気持ちもそこに込められているかもしれませんね』



第2時 硫黄島での再会

(1)なぜアメリカ人が映画を作ったのか

映画のパンフレットを見せる。
硫黄島6

『みなさんも知っているようにこの硫黄島の戦いは映画になりました。アメリカ人の映画監督が日本人・栗林中将を主役にした映画を作ったのです。監督はクリント・イーストウッドで、製作はスティーブン・スピルバーグです。主演は渡辺謙です。』

なぜ、アメリカ人のC・イーストウッドさんは日本人である栗林中将を主役にしたこの硫黄島の戦いを映画にしようと考えたのでしょうか?自分の考えをノートに書きましょう。

数分後、発表させた。
「アメリカ人が監督することで日本とアメリカの両方の戦っている時の気持ちを伝えたいと思った」
「日本とアメリカの両方の視点で映画を作れば平等になると思ったのではないか」
「栗林中将の姿に感動したんだと思う」
「アメリカ軍に三十六日間も耐えた栗林中将のねばり強さを世界中に伝えたかったから」
「栗林中将のあきらめない姿に感動した」
「栗林中将の作戦に手間取ったアメリカ人はこの戦法のすごさをもう一度見直して世界に伝えようと思ったのではないか」
「日本人とアメリカ人の両方に戦争の恐ろしさを伝えたかった」
「昔は戦争をしていたけど、今は仲がいいんだということを知らせたいと思った」

最後にC・イーストウッドの「日本の皆様へ」を読み、それぞれの意見とクリント・イーストウッドの言葉の中で一致する点を確認していく。              

絶対に有利と思われた硫黄島の戦いでアメリカ軍は死傷者の数で日本を上回る損害を受けました。しかし、アメリカ軍をここまで苦しめた栗林中将を尊敬しているアメリカ人は多いのです。

『ところで、クリント・イーストウッドはこう言っているね。「日米両軍の若者たちに共通して見られた姿勢にとても興味を持ちました」って。共通した姿勢って何だろう?』 

難しい質問だったようで、ずいぶん経ってから一人の子が答えた。

「自分の国を守るために戦ったところ・・・」

『そうですね。日本の兵隊さんもアメリカの兵隊さんも自分の国を守りたい、家族を守りたい、友だちや恋人を守りたい、そういう気持ちで命をかけて戦っていたんです。それは日本もアメリカも同じです』


(2)硫黄島慰霊祭

さらに以下の点について紹介する。

『じつは五十年後に日本側の呼びかけで硫黄島で日米合同の追悼慰霊祭が行われました。激しい戦闘をくり広げた日本の兵士とアメリカの兵士が硫黄島で会うことになったのです。どんな気持ちだっただろうね』

*DVD【鎮魂硫黄島】を見せる。     
見せたのはチャプター4・米軍の上陸~5・黒い死の島(途中まで)の戦闘シーンとチャプター12・平和への祈りの合同慰霊祭のシーンである(計十五分程度)。

感想を求めた。
「友だちとかも死んでいるしきっと複雑な気持ちだったと思う」          
「戦闘をしたもの同士でもわかりあえるんだなと思った」             
「すごく生々しくて怖かった」      
「同じなんだけど生々しくてうまく言葉にできない」               


■授業を終えての子どもたちの感想

○第一時を終えての児童の感想

*硫黄島というちっぽけな島で、こんなにも悲しい戦いがあったと思うとかわいそうです。栗林中将はこの三十六日間の中で、どんなことを思っていたのか、ということをもっと調べてみたいです。

*ぼくはこの学習で、栗林中将の事を知り、少し感動しました。栗林中将の部下を大切にする気持ちにとても感動すると同時に、栗林中将をとてもかっこいいと思い、あこがれを持ちました。

*とても小さな硫黄島がアメリカにとっても日本にとっても大事な島ということがわかった。戦力は圧倒的にアメリカが有利なのに三十六日間も耐え、死傷者は日本よりもアメリカの方が多いことがわかりました。栗林中将は国のためにがんばったと思った。

*アメリカは硫黄島を五日で手に入れることができると思っていた。たしかに、兵力・攻撃力・武器の性能・航空力、どれをとってもアメリカの方が上だった。でも、日本は作戦一つで五日で終わると言われていたのを三十六日間もの日数を守り抜いたのはすごいと思った。

*栗林中将はとても勇敢でかっこいいと思いました。けれど、もっとすごいのは五日で全滅すると思っていたアメリカを三十六日間も守り抜いたことはすごいと思いました。

*栗林中将は最初から勝てるとは思っていなかったと思います。だから、あんなにたくさん家族に手紙を出したのだと思います。そして、最後に改めて思うとやっぱり悲しくなってきて短歌を作ったのだと思う。

*やっぱり日本軍はアメリカにはかなわなかったんだなと思いました。でも、硫黄島は協力があったからこそここまで長期戦で耐えられたんだなと思った。やっぱり栗林中将はリーダーとして果たせなかったという気持ちと家族への気持ちが大きかったと思う。でも、戦争って勝った方も負けた方も心に大きな傷ができるんだなと思った。生き残った人は一生忘れないと思う。

*栗林忠道中将はとてもすごい人だと感じました。家族・部下を大事に思っていたし、日本本土を守ろうと思う気持ち、最後まであきらめずにやろうと思うことがすごいと思いました。

*聞いた話だけど、栗林中将はとてもいい人だったと聞いていたのでどんなところがいい人なのかなと思っていたけれど、今日の勉強して部下を大切にし、家族のことを愛していたことがわかってよかったです。この栗林中将
がいたおかげで少しは日本にいる人の命が助かったのだと思います。


○第二時を終えての児童の感想

*戦争をしてどちらも嫌っているはずなのになぜ映画を作ったのかと思いました。やっぱりどちらも戦争をしたくなかったのだと思った。クリント・イーストウッドさんは栗林中将をはじめ両国の若い兵士に感動して映画を作ったんだなと思った。

*とても生々しくて何も言えないぐらいでした。だけど、戦争はとても怖いなあと思いました。戦争の時、戦っていたけれどやっぱり同じ気持ちで戦っていたことを知りました。

*硫黄島にはたくさんの歴史があるんだなと思いました。硫黄島の戦いでたくさんの人が亡くなってしまって少し怖かったけど、五十年後にアメリカ人と日本人が仲良くなっていたことで時が過ぎると人と人の仲も変わるんだなと思いました。

*私はこの授業で戦争の恐ろしさを知りました。また、たくさん死んでいった日米の兵士はどのように考えて死んでいったのかなと思いました。

*DVDを見て戦争はすごく残酷だと思った。あんまり言葉にすることができないんだけど当時の人は死ぬ覚悟でがんばっていたんだなと思った。戦っていた時は「相手」だけど、今は一人の人間として見ることが出来るんじゃないかと思った。

*最後にDVDを見ているうちに言葉にならなくなってとても見ていられなくなりました。栗林中将の遺骨が見つかっていないと聞いてびっくりしました。私はもうそれは土の中にずっと埋まっていていいと思いました。もっと戦争のことを知りたいです(少し怖いけど・・・)。

*いままで戦争は歴史の中や映画の中だけのものだったけど、DVDを見て生々しく、だけど身近に感じることができました。でも、お互いに戦争はやりたくないものなのにどうして戦争が起こるのか不思議です。

*自分の国の為にがんばってくれた兵士たちの多くは本当なら亡くならなくてもよかったのに、すごくかわいそうだなと思いました。遺骨が見つからない人はがんばって命をかけて戦ったのに骨が見つからず自分の国に帰ることもできなくて残念だしかわいそうだと何度も思ってしまいました。でも、六十年後にアメリカの兵士たちと分かり合えているし、亡くなっていった人たちもアメリカとわかりあっているのがうれしいだろうなと思いました。


《授業を終えて》

以下、この授業実践を終えて「硫黄島の戦いと栗林中将」の小学校歴史教材としての価値について私がいま感じていることを書きたいと思う。

〈栗林中将と人物学習〉
 感想をご覧頂くとわかるが、子どもたちは私の想像以上に「硫黄島の戦いと栗林中将」を真正面から受け止めてくれている。現代の子どもたちがここまで真摯に受け止めるてくれたのは驚きでもあった。

 当然といえば当然ではあるが、感想の中には「感動した」「あこがれを持ちました」「国のためにがんばった」「勇敢でかっこいい」「いち ばん最後まで粘るという精神がすごい」「よくモグラ作戦を思いついたな」「家族思い」「自分のことだけじゃなくて兵士みんなのことを考えるいい人だな」など栗林中将に関するものが多い。

 これら子どもたちの感想に目を通してわかるのことは、栗林中将は小学校の歴史人物学習で取り上げる価値のある人物だ、ということである。

 栗林中将の「教材」としての価値はいくつかある。
 まず、人柄である。部下思い、家族思いである点に子どもたちも惹かれている。
 次にその決断力。圧倒的に巨大なアメリカ軍と戦うためにモグラ戦法を選択したその決断力と知略に子どもたちも感動している。
 さらにアメリカに留学経験があるという数奇な運命である。仲良くなったアメリカ人と戦わなくてはならなくなった、その運命がこの「教材」をより深みのあるものにしている。

 栗林中将の人生と生き方から子どもたちは多くのものを学ぶことが出来る。

〈前線の戦闘と銃後の生活〉
 じつはこの「硫黄島」の授業の前時は「東京大空襲」の学習をしている(ちなみにこの戦争の学習は全部で九時間である。「硫黄島」は六・七時間目にあたる)。
 この前時の空襲の学習が「硫黄島」の学習にとって重要なのである。
 「東京大空襲」の学習で子どもたちは空襲の恐ろしさを学んでいる。あの恐ろしい空襲を阻止しようと命をかけて戦ったのが硫黄島の日本軍である。この空襲に関する学習内容が次時の硫黄島の学習で思考するときのもとになるのである。

 これまでの戦争の学習では「前線での戦争」の学習と「銃後の生活」の学習はあまり関連性がなくややもすると切れたような形で進められることが多かったように思う。

 だが、空襲と硫黄島をセットにして学習計画を立てることで「前線と銃後」は深く関わっていることが理解できるようになるはずである。

 兵隊さんたちはただそこに敵がいるから銃を撃っていたのではない。国を守るため、家族を守るため、友人や恋人を守るために銃を手にして戦ったのである。それをリアルに感じさせるために「空襲」+「硫黄島」の学習は重要である。

《授業づくりのための参考文献》
・梯久美子『散るぞ悲しき』(新潮社)
・R・F・ニューカム『硫黄島』(光人社NF文庫)
・秋草鶴次『十七歳の硫黄島』(文春新書)
・吉田津由子編『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(小学館文庫)
・柘植久慶『栗林忠道』(PHP文庫)
・小室直樹「硫黄島と栗林中将の真実」(『WILL』二○○七年二月号ワック・マガジンズ)・渡辺謙+梯久美子「硫黄島 栗林中将の士魂」(『文藝春秋』二○○七年一月号文藝春秋)
・梯久美子「検証栗林中将衝撃の最期」(『文藝春秋』二○○七年二月号文藝春秋)
・池田清編『図説太平洋戦争』(河出書房新社)
・太平洋戦争研究会『硫黄島とバロン西』(ビジネス社)


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廃藩置県の授業

廃藩置県の授業

●これは齋藤武夫さんの実践です。『学校でまなびたい歴史』(産経新聞社)所収。

◆授業づくりの話◆

 
 黒船来航から王政復古の大号令までの授業には、安部正弘、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、勝海舟、徳川慶喜、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通など、きら星のごとき英雄たちが次々と登場する。幕末の史実をていねいに教えるのは、その後の変革の理由がすべてそこにあるからだ。幕末がわかれば明治がわかる。逆に、ペリー来航以後十数年の日本人がわからなければ、明治の日本はわからないのである。
 王政復古を教えた後、「明治の国づくりの大方針を考える」という授業をする。子供たちが明治政府の一員となって、どんな方針で国づくりを進めるべきかを考える学習である。このテーマで書かせてみれば、幕末の学習で何をどう理解できたのかが表れる。
 子供たちが考えた「国づくりの大方針」は次の四つにまとまった。
 
第一、西洋列強と対等につきあえる国をつくる。
第二、天皇中心に一つにまとまる国をつくる。
第三、西洋の学問や技術のすぐれたところに学び、日本の伝統文化も守る。
第四、西洋の大砲や軍艦をつくり、西洋に負けない強い軍隊をつくる。

 八つの学習班に分かれてプランをつくり、共通するものを取り上げて検討するという授業である。時間が許せばもう少し増えるのだが、各班の方針案を多い順に検討していくと、明治の国づくりの重要な柱はほとんど立っていた。おそるべき子供たちである
 このほかにも、「藩でバラバラになっている国を一つにまとめる」「身分ではなく、実力のある人をリーダーにする」「身分を平等にする」「工業を発展させる」「新しい国のきまりを作る」などがあった。最後に、各自がノートに箇条書きした方針案を、坂本竜馬の「船中八策」や明治天皇の「五箇条の御誓文」と照らし合わせてみた。「似ている!」「あっ、これも同じだ!」という感動の声があがった。
 授業後の感想文に、数人が聖徳太子の名を挙げていたこともうれしい成果だった。

●「今日の授業では国づくりの大方針パート2をやった。パート1は聖徳太子の時だ」
●「日本を西洋と対等にするためにやる事は、聖徳太子の国づくりの方針とほとんどが似ている事に気づいた。やはり国が一つにまとまることが、いつの時代でも重要なのではないか」
●「聖徳太子の時とほとんどいっしょだった。ちがうのは、相手が中国ではなく西洋だということと、今回はすごく武力の差があるということだ。だから、今回は今まででいちばん大きなピンチだと思う。いちばん真けんにならなくてはならない」

 国の歩みの大きな流れをしっかりとつかみ、先人と共に考えていることがわかる。
 明治の授業づくりは、これらの大方針の中から重要なものを一つ一つ取り上げていけばよいのである。
 ここで紹介するのは、「天皇中心に一つにまとまる国を作る」「藩でバラバラになっている国を一つにまとめる」という政策を考える授業である。
 古代の国づくりでいえば、中大兄皇子の大化改新にあたる。古代では在地豪族の、近代では藩の「私」を廃して、国家という「公」を創出し、中央集権国家をつくるという大改革である。
 教材は明治四年七月の廃藩置県。登場人物は大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允の三人。
 この授業も「仏教伝来」と同様の政策検討型の歴史授業である。授業づくりのポイントは、廃藩置県という政策を、賛成派と反対派の意見を通して示すことにある。
 子供たちはまず、賛成派と反対派の両方の主張を読んで、政策の全体像をとらえる。その上で、どちらかの立場を選んで自分を主張する。資料を検討して考え、意見を言い合いながらまた考える。このようにして、廃藩置県という史実が立体的に理解され、知識としても印象深く定着するのである。
 さて、廃藩置県とはそもそも何のことか。詳細は「授業の実際」をごらんいただくとして、ここでは伊藤博文の言葉を示しておこう。廃藩置県が成功して数ヶ月後の十二月二十三日、アメリカ合衆国サンフランシスコ市で岩倉遣欧使節団の歓迎晩餐会が開かれた。その席上でスピーチに立った伊藤博文は、廃藩置県の成功をこう語ったのである。

 今日わが日本の政府および国民の熱望していることは、欧米文明の最高点に達することであります。この目的のために、わが国ではすでに陸海軍、学校、教育の制度について欧米の方式を採用しており、貿易も盛んになり、文明の知識をすすんで取り入れています。
 しかもわが国の進歩は物質文明だけではありません。国民の精神の進歩はさらにいちじるしいものがあります。
 数百年来の封建制度は、一個の弾丸も放たれず、一滴の血も流されず、一年の内に撤廃されました(廃藩置県のこと)。このような大改革を世界の歴史において、いずれの国が戦争をしないでなしとげたでありましょうか。この驚くべき成果は、わが政府と国民の協力によって成就されたものであり、この一事を見ても、わが国の精神的進歩が物質的進歩を凌駕するものであることがおわかりでしょう。
          (泉三郎『堂々たる日本人 知られざる岩倉使節団』祥伝社)


◆授業の実際◆


1 維新の三傑の不安

 前の時間に「明治の国づくりの大方針」を考えました。みなさんは、明治天皇が神々に誓った「五箇条の御誓文」や、坂本竜馬が書いた「船中八策」とほとんど同じ考えを持てました。すばらしい内容でした。
 これから、その国づくりの大方針に、明治維新のリーダーたちがどう取り組んでいったかを勉強していきます。今日はその第一歩です。
『この三人の人物が主人公です』

大久保利通
西郷隆盛
木戸孝允

 この三人はすでに、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬などを学ぶ中で何度も出てきている。おなじみ顔ぶれだ。
『この三人のことを〈維新の三傑〉と言います。明治維新を成し遂げた三人の英雄という意味です。確かに、この三人がリーダーシップを取って?h摩藩と長州藩を動かせなければ、明治の新しい国づくりは始まらなかったことでしょう』
 いま、二六〇年続いた徳川氏の政府が滅び、明治の新政府ができ、国の首都が東京に移り、明治天皇も江戸城に移ってこられました。最後まで江戸幕府を支持した東北諸藩との戦いも終わりました。
みなさんは、これで国が生まれ変わった、さあ新しい政治が始まるぞ、と期待に胸をふくらませていることでしょう。
 しかし、明治の三傑の思いはそうではありません。
「これはまだ形ばかりの政府だ。徳川幕府を倒しただけでは、国の大きな仕組みは何も変わってはいない。これでは新しい政治を始めることもできない」
 三人はそう考えていたのです。
 「できるだけ早く、国を一つにまとめなければならない」
 それが今日のテーマである「廃藩置県」という政策です。前回の授業でみなさんの中から出ていた「天皇中心に一つにまとまる国」「藩でバラバラになっている国を一つにまとめる」という大改革のことです。
若い志士たちや木戸孝允がプランを立て、大久保利通が強いリーダーシップを発揮して実行し、西郷隆盛がうまくいかなかったときのために政府を守る一万人の軍隊を率いる、という文字通り維新の三傑の共同作業でした。幕府を倒すために協力し合ってきた三人が、今度は、新しい政府のリーダーとして決断したのです。
しかし、三人はその時とてつもない不安の中にいました。
 それは徳川幕府を倒す戦いを進めているときよりもはるかに大きい不安でした。 
 こんどは、数百年続いた武士の国という、日本の国の仕組みをぶちこわして、新しく国民の国に作り直すという大事業です。徳川という一つの敵が相手だったこれまでとは違って、へたをすると、全国の藩の大名とその家来たちすべてを敵に回すことになるかも知れないのです。しかし、古い日本のままでは「西洋と対等につきあえる国」はつくれそうもありません。
「いちかばちか、やるしかない」
 それが、このときの三人の正直な気持ちでした。
『さて、どうなることでしょう』


2 廃藩置県についての意見

『これから、廃藩置県について、二人のリーダーの意見を読んでみます』
 リーダーAは、明治政府の計画に賛成の主張をしています。いわば明治の三傑の宣伝係です。リーダーBは、廃藩置県は日本のためにならないという反対意見です。
 今日みなさんは、先祖代々武士の家に生まれた若者になって、この討論に参加することにしましょう。
『資料をしっかり読んで、どちらの意見に賛成か、自分の考えを決めてください』

【リーダーAの意見】 いますぐ廃藩置県をやりましょう

 徳川幕府が終わり、明治政府ができたのに、新しい政治が行えないのはなぜでしょうか?
 それはいまだに二六〇もの藩がそのまま残っているからです。これは、日本が二六〇の小国に分かれた、バラバラ状態だということです。
 藩にはそれぞれ殿様(大名)がいて、その殿様の家来である武士がいます。こうして明治政府ができたいまも、彼らは、自分の藩の政治は自分たちで進めるのだと考えています。
 彼らが「わが国は・・・」というとき、その国は「日本」であるよりも前に、自分の藩のことなのです。
 そのために、政府の決めたことがなかなか全国にいきわたりません。せっかく明治政府ができたのに、日本がまとまって新しい国づくりを進められないのはそのためです。
 また、税金も江戸時代と同じで藩が集めています。それらのほとんどは、武士の給料になってしまいます。そのため、明治政府の金庫はからっぽです。
 政府にお金がなくては、新しい政治を始められるわけがありません。
このままでは、明治政府とは名ばかりで、「西洋と対等につき合える国づくり」は一歩も前に進めないのです。
 いまこそ、全国の藩をやめて、日本は本当の意味で一つにまとまるべきです。
 そして、日本を新しく県に分け、県のリーダー(県知事)には政府の役人を派遣します。こうして、税金が政府に集まる仕組みを作るのです。
 そうすれば、明治政府は国民の税金を使って新しい政治が行えます。政府が決めたことも、すぐに全国で一斉に実行できるようになるでしょう。
いますぐ廃藩置県をやり、明治政府の強いリーダーシップで日本全体を引っ張っていけるようにすべきです。それをためらっていたら、日本はほろびてしまうでしょう。


【リーダーBの意見】 廃藩置県には反対です


 廃藩置県には反対です。なぜかといえば、これをやると、武士(サムライ)の仕事はなくなり、武士はみんな失業してしまうからです。260の藩の殿様もいらなくなります。税金はみな政府に行ってしまい、かれらの給料が出なくなるからです。
 つまり、廃藩置県とは、武士の身分をいっぺんになくしてしまうという、おそろしい計画なのです。
 徳川幕府を倒して天皇中心の明治政府をつくるために、多くの武士が働きました。武士たちが、命がけで働き、戦ってくれたおかげで、私たちの明治政府ができたのです。
 私たちの考えに賛成していっしょうけんめい戦ってきた武士たちを、やりとげたとたんにクビにするなんて、あんまりひどすぎます。そんなことで、日本がりっぱな国になれるとは思えません。
 私たちの目標は、何よりもまず、日本を西洋に負けない強い国にすることです。そのためにも武士は必要です。
 第一に、武士は戦いの専門家です。戦いの技術を持ち、作戦もわかります。
 第二に、武士たちには、国のために命をかけるという道徳があり、それをやりとげる勇気もあります。
 何百年も戦いとは縁がなかったふつうの国民に、それをもとめるのは無理というものでしょう。武士こそ日本の国を守るいちばん大事な力なのです。
それだけではありません。いま無理して武士をクビにすれば、かならず全国の武士は立ち上がってまた戦争になるでしょう。そんなことになれば、今度こそ本当に国はバラバラになり、きっと日本はほろびてしまうでしょう。


資料を読んだ後、子供たちの意見分布は次のようになった。

 A 賛成派・・・25人
 B 反対派・・・12人

 まず、少数派のBの立場から発言していった。論点はおよそ三つである。
 第一は、手柄のあった人たちを、成功したとたんにクビにするのはおかしいというものだ。確かに、こんなひどい話は世界の歴史にも例がない。
「命がけで明治維新をやりとげたのに、いきなりクビにするのはひどいと思うからです」
「武士が生活ができなくなるのはおかしいと思います。ペリーが来てからめちゃくちゃに なっていた日本を作り直すためにいちばん働いたのは武士の人たちだからです。それに、 これからも武士がリーダーになるのがいいと思います」
「徳川幕府を倒すことに武士たちが賛成して、戦ってきて、明治政府をつくったのは武士 たちだから、それをクビにするのはあんまりひどいと思いました」
第二は、いま内乱が起きて、国内戦争が再開すれば、こんどこそ日本は危ういという意見である。
「いま、無理に武士をクビにしたら、ぜったいに武士はだまっていないと思います。私だ ったらぜったいに反乱を起こすと思います。そんな戦争が起きては困るので、廃藩置県 には反対です」
「せっかく全国の武士が、やりとげたぞ、やったーって喜んでいるときに、いきなりクビ するのはすごく残酷だと思います。さらに、いま戦争になっちゃたら日本は滅びるから。 やめておいたほうがいいです」
「廃藩置県をしたら、全国の武士が明治政府に戦争をしかけてくると思います。そんなこ とになったら、できたばかりの明治政府はもたないと思います。いままで味方だった武 士たちが敵になったら、日本は滅びてしまうかもしれません。だから私は反対です」
「日本の中で意見が分かれていて、戦争になるかもしれないことだとすると、いま急いで やるのは危険だと感じました。西洋と対等な国になることが目的なのだから、国がばら ばらになって争うことはもうやめるべきだと思います」
第三は、西洋に立ち向かおうという時に、戦いのプロ集団をやめさせてどうするんだという意見である。
「日本は今、西洋に負けない強い国をつくろうとしています。それなのに、戦うためにあ る武士をなくすのはおかしいです。戦う専門家がいなくなったら、西洋に攻められたと きに負けちゃうから、ほんとに日本が滅びると思いました」
これで反対派の発言が終わった。
『だいたい3つの理由ですね』と論点を整理した。
①手柄のあった武士がかわいそうだ。
②国内戦争は危険である。
③戦いのプロ集団は必要。
子供たちが、資料をしっかり読み取っていることが分かる。

『では次に、賛成派の意見を聞いてみましょう』
第一は、やはり財源確保論である。
「税金が藩に集まってしまって、明治政府にはお金がないというのが決定的にダメだと思 いました。これから、前話し合った目標に向かっていろんな政治をしなくちゃいけない のに、世の中お金がなくちゃ何もできません。明治政府が国づくりをできないのはまず いので、賛成にしました」
「このまま廃藩置県をやらないで、税金が国に集まらないなら、近代国家になって西洋と 対等につきあうなんて夢のまた夢だと思います。つらいこともがまんしないと、こんど のピンチは乗り切れないと思いました」
第二は中央集権型の統一国家論である。
「ここで戦争になってみんながバラバラになっては危ないと言ったけど、いま何もしない でも二六〇の藩に分かれてしまっていて、それは二六〇の小さな国に日本がバラバラに なってるのといっしょなんだから、まず一つの国としてまとまることが大事だと思いま す。日本はこれから軍隊を強くしていかなくてはいけないんだから、武士は兵として働 くようにすればいいと思いました」
「藩があって、藩の政治は殿様とその家来がやるんだとしたら、明治政府の決めたことが 全国で進められないと思います。Bでは明治の新しい政治ができないんだから、ダメで す。ただ私も武士はかわいそうなので、全国の武士を国の軍隊としてあつめて働くよう にしたらいいと思いました」
賛成派の主張はこの二点にしぼられる。が、これらの意見にも見えるように、賛成派の多くも武士に対する思いはそれなりに切実である。この政策の非情さがわかるだけに、反対派への反論のかたちで、こうすれば武士をやめてもだいじょうぶだいう失業対策や、つらいけれども我慢だという精神論をつけ加える意見が多い。
 しばらく彼らの発言に耳を傾けてみよう。
「もし廃藩置県をやらないと、明治政府の金庫は空っぽで政治ができません。廃藩置県を やれば国は一つにまとまって税金が明治政府に集まり、国づくりができます。藩をなく せば武士がなくなるんだとしたら、それはしょうがないんだし、武士はこれから富国強 兵の強兵になって国の役に立てばいいと思います」
「Bの人たちは武士がかわいそうということだと思うけど、もし廃藩置県をやらなければ いつまでたっても西洋に追いつけないんだから、あきらめてほしいです。リストラでか わいそうというけど、かわいそうかわいそう言ってたら歴史は前に進めないと思いまし た。武士の反乱も必ずあるというわけではないし、武士はそれなりにどこかで活躍して もらえばいいと思います」
「武士はいったん藩からクビになって、それから明治政府が雇えばいい。県の役人とか兵 隊など仕事はあると思う」
「Bの人は武士のことを中心に考えているけど、四民平等で、これからは身分もなくなっ てふつうの人が中心になるんだから、もう武士はいらなくなるんだと思いました」
国家の目標はいわゆる階級の利害に優先すべきだというような主張など、資料の内容を超えた判断も見られる。最後に、次のような「反乱はつぶせる」という意見が出た。
「反乱を恐れては何もできないし、もし反乱が起きても、明治政府は薩摩と長州と土佐が 集まってできてるんだから、日本で一番強いし、反乱はつぶせると思います」
この意見は強力だった。たとえ反乱が起きても大丈夫なら、賛成派はそうとう強気になれる。こうして賛成派の発言が終わった。

 そのとき、反対派の一人がこんなふうに話し出した。
「よくわからないことがあるのでいいですか?」
『どうぞ』
「260の藩に分かれているというのは、お互いに戦争をして分かれているのですか?」
『いやそれは戦国時代の話ですね。江戸時代260年は藩どうしの戦いはまったくありませんでした。江戸幕府が強い権力で藩同士の争いを許さなかったから、江戸時代の長い平和があったわけです。それぞれの藩には殿様がいて自分の藩の政治をやっている。徳川幕府は藩の政治は藩にまかせて、外国とのつきあいのこととか、国内の平和な秩序が乱れないようにするとか、国全体のことをまかされていたわけです』
「だったら、誰かが260の藩に分かれていてどうしようもないみたいなことを言ったけど、全部の藩が集まろうとすればいつでも集まれるわけであって、いま国の中で戦争をすれば、集まれるものも集まれないわけだから、おかしいと思います。日本はいま一つにまとまることが大事なんで、戦争になったらまた戦国時代みたいにバラバラになるんだから、それだと、日本は西洋よりも弱い国になっちゃうんじゃないかなと思いました」
 つまり反乱が起きて混乱する危険があるのなら、藩の地方自治はそのままにして、明治政府も江戸幕府のような連邦政府ではいけないのかという意見なのである。

 あくまで比喩としていうのだが、Bを採用したのがイギリスではないだろうか。イギリスは王制も貴族制度も残して近代化を実現した。ゆっくり時間をかけて着実にやった。一方、フランスは、残虐なまでの大手術をやった。国王一家を殺し、反対派の市民や農民を虐殺し、伝統の制度の全体を暴力的に破壊しつくそうとした。
 日本は天皇制度という伝統を重んじたことはイギリスと同じだが、武士階級はいっぺんに廃止するという決断をした。日本にゆっくり変わるゆとりがなかったのは、西洋列強の圧力によって強いられた近代化であったからである。
 この宿命がわが国の歩みに影を落としていることは確かなことだ。例えば武士階級の廃止によって武士道が失われたために、統治者の質が急落していくという見方がある。もし、武士階級を残した、イギリス流の近代化が可能だったら、どんな日本でありえただろうか。子供たちの話し合いを聞きながら、私はそんなことを考えていた。
 思っても見なかった言い分に、こんどは賛成派が頭をかかえる番だった。しかし、明治政府を連邦政府とする国家構想には誰も反論することができなかった。

『たいへんよい話し合いでした。資料をよく読んで自分なりの考えが持てましたね』
 Aを選んだ人もBを選んだ人も、「西洋と対等につきあえる国をつくる」という目標は同じでした。
西洋列強がアジアに押し寄せてきて、日本は歴史始まって以来の大ピンチです。いまやろうとしている廃藩置県は、人間で言えば心臓を丸ごと切り取って、別の心臓と入れ替えるくらいの大手術です。失敗したら、患者は死んでしまうかもしれない。でも、やらなければ病気は少しずつ悪くなる。どうしたらいいんだという悩みと似ています。
 260年間も平和が続き、それなりに立派な政治をしてきた各藩の大名と全国の武士をまるごとリストラして、藩をなくしてしまおうというわけです。今までリーダーだった人たち、支配者だった人たち全員をクビにするという話ですからね。そう簡単にいくとは誰も思っていません。
 西洋の国々の圧力の中で、日本は必死になって変わろうとしている。変わらなければ、彼らの植民地になってしまうかもしれない。なんとかして国を作りかえて、西洋と対等になりたい。そのためにはこの大改革は避けられない。とにもかくにも、政府に税金が集まらないのでは話は始まらないだろう。これが賛成派の意見でした。
 それに対して反対派の意見は、目標は同じだがもう少しゆっくりやりましょうということかもしれない。ドバーっと血が出るような大手術は避けて、薬でやりましょうという感じです。藩も残して、大名も武士も残して、徳川幕府と同じようなゆるやかな国のまとまり方でも、なんとか西洋に追いつけないかという気持ちです。
 これはそうとう重大な別れ道でした。徳川慶喜はBの可能性を求めて敗れていった一人です。しかし、維新の三傑は、今すぐ、断固とした決意を持って、廃藩置県を実行することを決断しました。
 武士の反乱に備えて、薩摩・長州・土佐の武士たち一万人が集められ、西郷隆盛が指揮をとることになりました。三人はこの改革の「血も涙もない非情さ」をよくわかっていました。自分が逆の立場だったら必ず立つと考えたからこそ、反乱に備えて一万人もの兵力を集めたのです。
 廃藩置県こそが本物の明治維新なのだと考えていたのです。
 

3 武士階級の自己犠牲

 明治四年(一八七一年)七月十四日、明治天皇は廃藩置県の詔を発表されました。
 詔(みことのり)というのは、天皇陛下の名で発表されるた明治政府の命令のことです。この詔によって、明治の三傑の願いが高らかに宣言され実行に移されました。
 思い切ってわかりやすく直すと、それは次のような意味の言葉でした。


廃藩置県の詔

 この変革の時に、国の内では全国民の安全な暮らしを守り、国の外で西洋列強と対等につきあおうとすれば、政府の命令は全国に同じように行われなければならない。
しかし、数百年の古い藩の仕組みがあるために、なかなか政治の実を上げることができない。これでは、とうてい新しい国づくりは前進できない。私はこのことをたいへん残念に思っていた。
 いまここに、これまでの藩をすべて廃止して、県とすることにした。県ごとに政府の役人を派遣して、政府の方針通りの政治が全国で行われるようにするためである。
 どうか、努力して政治のむだをなくし、各地でばらばらな政治が行われるようなことがないようにしていただきたい。全国のリーダーたちは、これをすすんで実行してほしい。


『心配されていた武士の反乱は、このときはまったく起きませんでした』
「えー?」と、まさか信じられないという声が上がった。
『諸藩の大名も武士たちも、黙ってこの大久保さん、木戸さん、西郷さんの政治を受け入れました。それはなぜだったのでしょう?』
ここで、一つの解釈として、次の資料を読むことにした。


【廃藩置県に驚いたアメリカ人・グリフィス】

 当時、日本にいた外国人たちは、こういって大変驚いたそうです。
「ヨーロッパの国で日本の廃藩置県のようなことをしたら、血で血をあらう国内戦争が起きるだろう。それまで数百年もの間、様々な特権を持ち民衆を支配してきた人々が、自分から進んでその身分をすててしまうということはありえないからだ。なぜ、こんなだいたんな改革が、日本では平和のうちに行われたのか。まことに不思議である」
それは、多くの武士たちが、今の日本になぜ廃藩置県が必要なのかをよく理解していたからではないかと考えられています。武士たちの多くは、自分たちの特権や支配者としての身分をすててでも、日本という国全体を救わなければならないと考えたのです。
その実例を一つ見ておくことにしましょう。
このころ、いまの福井県に、若い武士たちを教えていたグリフィスというアメリカ人の先生がいました。
 廃藩置県が行われたとき、ある若い武士がグリフィスに次のように話したそうです。
「これで日本も、あなたの国やイギリスのような国の仲間入りができるでしょう。必ず日本はそうなりますよ。」
 かれもまた、たとえ自分の身分と仕事がなくなっても、国を一つの政府にまとめ、国づくりのための税金を政府に集めなければ、日本が独立した国として生き残ることはできないと考えていたのです。
 グリフィスは生徒達にこう話しました。
「君たちの国日本は、一滴の血も流さずに廃藩置県という大改革をなしとげました。それは君たち武士が国のために自分を犠牲にしてもいいというりっぱな考えを実行したからです。これは、日本が世界に誇れることです。」


『こうして、藩は廃止されて、日本は明治政府のもとに一つにまとまり、政府の命令が全国で一斉に行える仕組みができました。税金も明治政府に集まり、大きな政治が行えるようになりました』
 しかし、藩をなくすことは武士という身分をなくすことでもありました。徳川二六〇年、鎌倉時代からならおよそ千年、多くの特権を持っていた支配階級である武士というグループが消えてなくなりました。武士たちは、それまで支配してきた農民や町人と同じ立場になりました。日本人の中に身分の上下がなくなり、すべての国民が平等な国、近代国民国家が誕生したのです。
ただ、みなさんが一番心配していた武士の給料ですが、武士が自立できるまでの当分の間、明治政府から出すことにしました。生活の補償はしていくことにしたのです。
さて、日本の武士には武士道という道徳がありました。それは藩や国の政治を任されているという誇りにもとづいた道徳です。
 自分たちが、農民の税で暮らし、苗字を持ち、刀を差せるなど、たくさんの特権を持っているのは、リーダーとしての責任を命に替えても果たすという約束があるからだ。国のために命がけで責任を果たすのが武士なのだから、いま国が生まれ変わるために武士がいらなくなるというのであれば、それに従うのが国のために生きる武士の務めである。
 日本のサムライたちの多くが、このような責任感を持っていたからこそ、わが国は、この時代の厳しい運命を乗りこえていくことができたのだと思います。
こうして天皇を中心にすべての国民が平等に一つにまとまり、明治政府の下に県があるという国の大きな仕組みができあがりました。みなさんが考えた重要な方針が実現されていく土台ができたのです。
『しかし、当時の日本の国力では、「西洋と対等につきあえる国」という目標は、はるか彼方の夢のようなものでした。しばらくはまだ、明治の日本人の血のにじむような我慢と努力の歩みが続きます』


◆児童の授業感想文◆


■また今日もなやんだ。これからの日本に大きく影響する問題だったから真剣に考えた。まず何を始めるのにも一つにまとまるのが大事だと思った。それぞれの藩がそれぞれの意見・考えを持ち、他の藩と話し合っていたらきりがない。日本という国を、外からも中からも良くするためには、まとまることが重要だったんじゃないかと思った。武士がリストラされてしまうのはかわいそうだけど、そんな個々の問題よりも、日本という大きなものの問題を解決するのが最優先だと思った。

■今日の授業はかなり頭をひねった。Aの考えもいいところがあるし、Bの考えにもいいところがあったので迷った。武士をクビにするのはかわいそうだし、廃藩置県をやらないとどうなるのだろうと思った。結局、廃藩置県は行われた。でも、やらないで武士をクビにしなかったらどんな日本になっていたのだろう。西洋の植民地だったのか。それがわからない。明治はおもしろいなと今日の授業でますます思えてきた。

■この授業は、今までは絶対にありえないぐらい平和に終わった大問題だった。みんなの考えがまとまらないかぎり、絶対にできないと思った。たぶん武士たちも、ここでバラバラになったら、西洋に支配されてしまうとわかったのだろう。廃藩置県で武士たちを失業させてしまったのだから、絶対に西洋には支配されないでほしいと思った。

■私はBを選んだ。なぜかというと、戦争になってしまうかもしれないからだ。だけど、日本の武士たちはちがった。日本が西洋と対等につきあえるなら、と言ってやめていった。これは、徳川幕府がほとんど戦わないでやめたのとよく似ていた。武士とは、国のためなら何でもできる人たちのことだった。私は日本の武士を誇りに思えた。
■廃藩置県をやるかやらないか。じっさい今、県があるのだから、やるとは思っていたものの、武士が活躍して日本が変われたのに、こんどは一つにまとまるから武士はもういらないなんて、あまりに勝手すぎると思ったから、私はBにした。しかし、武士もえらくて、国のためなら自分がリストラされてもいいなんて、本当におどろいた。こうやって今の日本ができていくんだなあと思っていた。この武士の中に、私のご先祖様はいるのかなあと、授業中ずっと思っていた。

■私は賛成しました。このままずっと藩のままでいくと、新しい国の政治ができないからです。でも、武士をクビにしないでそれができないのかと、ずっと考えていました。活躍した武士は国の軍隊に入れる、その他の武士は商人などになればいいのではないかと考えました。アメリカのグリフィスの話を聞いていると、日本は一つにまとまる面(団結する)
では西洋よりも上だなと思いました。

■廃藩置県がいやなのは武士、喜ぶのは平民だ。武士よりも平民のほうが多いのだから、多数決で決めたらきっと廃藩置県をすることになるだろう。だからといって、今日から殿様も武士もお給料なしっていうのもちょっとひどい。ここが難しかった。しばらく政府から給料が出ると知って安心できた。このことに成功すれば、日本はより近代国家に近づくと思う。 

■今日の授業もむずかしかった。最近討論をやる際に、日本が選んだ道とは反対の考えを選んでしまうことが多い。どうしてなのかはわからない。でも、自分の考えをしっかりもって発表できたし、役に立てたと思う。
 ペリーが来てからずっと、本当にまた聖徳太子や中大兄皇子の時代にもどったようだ。天皇中心に一つにまとまる、外国の文化を学ぶ、強い国と対等になるなど全く同じだ。ぼくたちは授業で、太子たちがどんな方針で国づくりをしたか知っていたけど、木戸・西郷・大久保は知らないはずなのに、同じことを考え、同じ事をやろうとする。これはすごいことだと思った。


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国の守り方を考える・5

服部剛の国防教育」
国の守り方を考える⑤
有事シミュレーション「その時、自衛隊は!」


《続きです》

自衛隊救援活動

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◆ まとめ ◆  

ここまで見てきてわかったこと…。
それは、我が国の軍である自衛隊には、警察や消防隊にすら認められている規定が設けられていないということです。

「自衛隊」自体が憲法に書かれていません。
だから、警察以下の扱いなのでしょうか?
こんな軍隊って、他の国ではあるのでしょうか?
ありません

でも、これって根本的におかしいと思います。
国家・国民を守る任務を負っている軍隊が、任務ができないように手足を縛られたままなのですから。

集団的自衛権」に関して、議論が進んでいますね。
これにはいろいろな考え方があって、
戦争ができる国にしようというのか」という反発を表明する人もいますし、また逆に、
あいまいな規定では、実効性がなく、国民の生命も守れない
と心配する声も上がっています。

政治家の皆さんには、我々国民の生命や財産、自由や権利、それを保障する国家の独立をしっかり守れる法整備をしてもらいたいです。
国会審議を注目してみていきましょう。

《以上、授業おわり》


◆ 補足を一言 ◆

この授業は、決して自衛隊を揶揄しているわけではない。
私の心情は、むしろその反対である。
こんないい加減な法制や不安定な状況の中であっても、常に国防の努力を続けている自衛隊の諸氏には感謝と尊敬の念を持っている。
私は、一旦緩急あれば、たとえ法律で禁じられていても、自衛官は超法規的に行動して国民を守ってくれると信じている。
それは、東日本大震災における自衛官たちの無私の行動から確信している。

でも本当は、自衛官に法律違反をさせてはいけない。
軍人の勇気に報いるのは「名誉」をもってするのが、古今東西の常識だろう。

「自衛隊の勇気ある行動」と
「法的に、これでは国を守れない」
という現実は別の話である。

こうなったのも、政治家を始め、これまでずっと国防に無関心でいた国民の責任ではなかろうか。
自分の国は自分たちで守るという国際常識を日本人が忘却してきたこと。
これが大きな原因である。

********************

◎国防教育について

日本人の多くが自虐史観に絡め取られたままでいて、国民として国への帰属意識が希薄であることが指摘されて久しい。
希薄だから、国を守るという発想が出てこない。
だから、軍事を考えない。
これで何十年も来てしまった。
よく無事だったものだ。
したがって、若者には「国家観」を持てる教育を施し、日本国民としての自覚を持たせなければならない。

一方、国防に関する広報活動の充実が望まれる。
ゆるキャラでも萌えキャラでも、かっこいい映像でも良い。
大震災や救助活動、海外派遣などで、感動的な話が山ほどある。
すべて事実である。
遠慮なく紹介するべきである。
しかも良い動画でやることが大事だ。

********************

◎政治と国防について

国際政治はバランスオブパワーの関係で成り立っている。
軍事は政治の延長線上にある。
したがって、軍事を避ける人は、政治を正しく導けないだろう。

だから、さまざまな政策は軍事の視点からも立案されるべきである。
経済もそうだが、教育もそうあるべきだ。

国防意識が皆無の政治家が、得意になっていられるのは異常だ。
そういう意味で日本は未熟である。

********************

◎重い課題

1日も早く、自衛隊がポジティブリストではなく、ネガティブリストで動ける軍隊になってほしい。
いや、そうならねば日本が危ない。

しかし、どうやったら、自衛隊が警察としての位置づけではなく、軍として位置づけられるのか。
これまでずっとポジでやってきてしまった。
しかも、法律を膨大に積み重ねてきてしまっている。
どのようにして、その転換を図ればいいのか。

自衛隊を「国防軍」と名前を変えただけではダメなんじゃないか。
ネガで動けないなら、それは軍隊ではないからだ。
どんな方法があるのか、勉強したい。

2月7日の産経新聞「産経抄」にたいへん考えさせられる文章が載っていた。
ISILの日本人人質事件に関する考察である。
以下に転載してこの項を終わりたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【産経抄】2015.2.7
わがことながら日本人は、敗戦から70年という歳月をかけて本当に優しくなった。
「イスラム国」という名のならず者集団に空軍パイロットが焼き殺されたヨルダンは、さっそく報復爆撃を始め、指揮官を含む55人以上を殺戮(さつりく)した。
▼ヨルダンでは、「なぜ2人も殺された日本がともに戦わないのか」という声が高まっているという。
日本には憲法の制約があって云々(うんぬん)、と説明してもまず理解されぬだろう。
▼憎しみの連鎖を断たねばならぬ、というご高説は一見もっともらしい。
後藤健二さん自身も数年前、「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」とつぶやいている。
▼だからといって処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか。
助けにいった湯川遥菜さんが斬首されたときの写真を持たされ、家族に脅迫メールを送られ、心ならずも犯人側のメッセージを何度も読まされた後藤さんの心境は想像を絶する。
▼仇(かたき)をとってやらねばならぬ、というのは人間として当たり前の話である。
第一、「日本にとっての悪夢の始まりだ」と脅すならず者集団を放っておけば、第二、第三の後藤さんが明日にも出てこよう。
日本国憲法には、「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して、わが国の「安全と生存を保持しようと決意した」とある。
「イスラム国」のみならず、平和を愛していない諸国民がいかに多いことか。
この一点だけでも現行憲法の世界観が、薄っぺらく、自主独立の精神から遠く離れていることがよくわかる。
護憲信者のみなさんは、テロリストに「憲法を読んでね」とでも言うのだろうか。
命の危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない。



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国の守り方を考える④

服部剛の国防教育
国の守り方を考える④
有事シミュレーション「その時、自衛隊は!」

《続きです》

特殊部隊
自衛官39d18de6

有事シミュレーション解説(2)

問13
武器が使用できるのは
→【正当防衛と緊急避難のみ】
自衛官の武器使用基準は
「明らかな身の危険を感じるまでは、
武器を使ってはならない」(自衛隊法0条)
となっています。
警察官と同様、正当防衛と緊急避難のみに限られます。


ですから、敵兵を発見したからといってすぐさま発砲することはできないのです。
  ↓具体的には、こうです。

[武器使用の手順(4段階)]
(2000年のイラクPKOで適用)
1.口頭で警告 「武器を捨てなさい」
2.銃を構える 「撃っちゃうよ」
3.威嚇射撃  「捨てないと、こうだぞ」(バンッ)
4.危害射撃  (バンッ)
さすがに、敵に銃口を向けられたら、発砲して良いことになっています。
しかし、これでは、いくつがあっても足りません。



問14
【軍医がいても手術はできない】


応急処置以外は、医療設備の基準を満たした正規の病院でなければ手術をしてはいけません(『医療法』)。
その場に医者がいて、器具があっても手術をしたら違法行為なのです。



問15
【安全なところにだけ行けます】


現行法では、自衛隊機は輸送の安全が確保されている場合に派遣できることになっています(自衛隊第84条の3)。
言い換えれば、自衛隊は安全な場所にしか行けません。

また、避難している日本人に空港や港まで来てもらわなくてはなりません。
なぜなら、自衛隊ができのは「輸送」だけで、「救出」ではないからです。
救出は軍事作戦を伴うので、想定されていないのです。
これでは国民を守れません。

しかも、武器が使えるのは、こちらが襲撃されて「正当防衛・緊急避難」の時だけでしたね。
したがって日本人を救出してくれた他国の兵士が襲われたりしても、ただ見ているだけになります。

※最近の動向として、
「在外邦人の陸上輸送可能に 自衛隊法改正案、閣議決定(朝日新聞2013年月19日付)」
とあります。



問16
【敵地先制攻撃は、自衛権の行使】


敵国がミサイルの発射を準備した時、そのミサイル基地を先制攻撃できます。
「敵地先制攻撃」といい何と自衛権の範囲内でできるのです。
これは、政府の統一見解です。
本当ですよ。
  ↓ ほらね
我が国がミサイル攻撃された場合、
「座して死を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだとうふうにはどうしても考えられない」
1956年 鳩山一郎首相の答弁。

しかし、日本から先に攻撃をしないという専守防衛を国是にしている限り、本当に実行できるのか、とても不安です。



問17
ミサイルの迎撃は…
→【確実になるまで待て】


ミサイルが我が国の領土に達する前に撃ち落とさないと、落下物でも甚大な被害が出るでしょう。
しかし、現行法では、飛んでくるミサイルが「確実に日本の領土に落ちる」場合だけ、迎撃できることになています。

ミサイルが、日本上空を飛び越えて、グアムやハワイの米軍基地の方に行くかもしれない場合は、撃ち落とせません。
なぜなら、現在禁じられている「集団的自衛権」の行使になるからです。

となると、ミサイルの目標が明確になった時には、もう遅いかもしれませんね。
そもそも外国には「ミサイル破措置命令」など存在しません。
危険なミサイルから国民を守るのは当然だからです。


■なぜ、こんな事になるんだろう?

◆ポジティブリストとネガティブリスト

日本の防衛法制は「ポジリスト」方式です(警察法の体系はこれ)。
この方式では、行動は原則禁止で
「○○の場合は××できる」
と、平時では法律で定められた行動以外は禁止されています。
しかも、いちいち厳しい手続きが必要です。

したがって、目の前で敵軍が破壊活動をしていても防衛出動命令が出なければ、一発の弾も撃つことはできないのです。

一方、諸外国の軍隊は「ネガリスト」方式です。
行動は原則自由で、国際法で「○○をしてはならない」と、
禁止されていること以外は、何でもできます。

世界で唯一、国際法で動けない軍隊である自衛隊は、どのようにして国家国民を守るというのでしょうか!?


◆命令待って、国滅ぶ?

どこまでが「平時」で、どこからが「有事(戦争状態)」なのでしょうか?
日本は「平時」と「有事」を次のように分けていましたね。(→問2の解説)

防衛出動命令
防衛出動

このような規定になっていることを国民の多くは知らないようです。
したがって、突然、敵軍が上陸してきたら自衛隊は、先のシミュレーションのような行動しかとれないのです。

防衛出動命令さえ出れば、各問いの多くのことは対処できるはずです。
(ただし、一部は知事の承認などが必要)

しかし、防衛出動発令には国会の承認が必要で、時間がかかります。
緊急の場合は、防衛出動の下命後、直ちに国会の承認を求めることも可能なのですが、果たして間に合うんでしょうか?

〔防衛出動命令が出るまでの流れ〕
1.首相が「対処方針案」を作成
2.安全保障会議に諮問する
3.安保会議内に事態対処専門委員会を開いて専門家の意見を聞く
4.安保会議の答申を受けて、対処方針を閣議で決定する
5.国会を開いて承認を得る(衆参)
6.自衛隊に防衛出動の命令を発する
7.自衛隊出動
8.武器の使用については別に「武器使用命令」が必要

外国には「防衛出動の発令」などというものはありません。
現地司令官の判断で対応します。
国家の主権と人命が脅かされる緊急事態だから当然です。
もたもたしていたら時すでに遅し、ということになります。

◆「交戦規定」がない

諸外国は、相手の敵対行為の程度に応じて、軍隊がどのように対応するか、段階的に定めています。
この行動基準を交戦規定(ROE)といいます。
定められた規定に従って対応するので、軍の先走りを防ぐ役割も果たしているのです。

日本はポジリストゆえに、さぞ綿密な規定が定められているかと思いきや、さにあらず。
日本には交戦規定はありません。
憲法で「交戦権」自体を否定しているからです。

我が国の防衛体制は、「こと」がおきるたびに法律を整備してきました。
しかし、「100の事態に対応する100の法律があっても、101番目の事態には対応できない」という名言があります。
想定外のことが起きたらアウトです。

ポジリストで、防衛出動命令が出ない限り「自衛権」さえ行使できない日本。
これでは、国を守れません。
自衛隊と赤ちゃん

《続きます。あと一回》


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国の守り方を考える③

服部剛の国防教育
国の守り方を考える③
有事シミュレーション「その時、自衛隊は!」

《続きです》

ヘリコプター
ヘリ

有事シミュレーション解説


問1
領空に「国籍不明機接近」
→【諸外国並の対応ができる!(ことになっている)】


領空侵犯機に対して、我が自衛隊機の規則は諸外国並の手順になっています。
以下参照。

[国籍不明機を領空近くで発見したら]
1.スクランブルをかける。
2.領空に近づいたら、警告する。
3.領空に侵入したら警告射撃をする。
 この時、武器使用命令を出すのは、方面司令官。
 これで反転したら、領空を出るまで追尾する。
4.侵入を続けて、領土上空に達したら、強制着陸させる。
5.これに従わず、人命や建物に被害が出ると思われる時には、撃墜できる。

※我が国は、侵入機を撃墜したことがありません。一度だけ警告射撃をしたことがあります。その時の司令官はずいぶん逡巡し、結局、領空を出たところでやっと射撃を許可しただけでした。

※今後、果たして空自が撃墜できるかどうかは、まったくわかりません。



問2
自衛隊機が、攻撃を受けている海保の巡視船に遭遇
→【海保を救出できない】


平時では、空自による救出を許可する法律がありません。
ということは、空自は見ていることしかできません。

自衛隊の最高指揮官たる首相から
「防衛出動」が命じられると「戦時」になります。
そうでない限り、自衛隊は個別的自衛権すら行使できないのです。
これは国際常識上、驚くべき事です。

防衛出動命令
防衛出動

したがって、「もう見ていられない」と、勇敢なパイロットが外国船を攻撃したら、法律違反で処罰される可能性があります(傷害罪か殺人罪でしょうね?)。



問3
警告を無視して挑発する不審船を目の前に、海上自衛隊は
→【臨検ができない】


「海上警備行動」とは、海保では対応できなくなった時、防衛大臣が発令します。
その行動は「警察官職務執行法」の範囲内です。
この場合、以下の手順を踏んで、臨検することになります。

[船舶検査活動法(平成12年)による臨検]
1.船の航行を監視する
2.呼びかけや信号弾で自己の存在を示す
  ※各国は信号弾が1〜2発で、残りは実弾。
    日本はすべて信号弾!
3.相手の船の名称、船籍、出発地、目的地、積み荷など必要事項を問い合わせる
   「あなたは誰? 工作員? どこ行くの?」
4.停船を求め、船長の同意を得て乗り移り、検査する
     「停まりなさい。臨検するよ」
5.停船しない場合、船長に目的地の変更を求める
      「あっちに行きなさい」
6.目的地変更に応じない場合、説得する
        「えーかげんにしなさいよー」
7.説得に応じない場合、接近して追尾する
          「待てェ〜」

となります。
これで、まともな臨検ができるのでしょうか???

※実を言うと、海保は相手が民間船でなければ実力行使できないことになっています(海上保安庁法20条)。
だから、尖閣を脅かす中国公船に対して「警告と退去要求」しかしないのですね。

【有事への流れ】
海保が対応できない
  ↓
海上警備行動(防衛大臣が発令)
  ↓
防衛出動(首相が発令)=有事



問4
横にいる海上保安庁の巡視船がロケット砲攻撃を受けた
→【見てるだけ】


海保の巡視船を武力で守るためには、例によって防衛出動命令が出されていなければなりませんでしたね。
ですから、海上警備行動では、弾ひとつ撃てません。
ほとんど何もできないのです。
現行法を守っていたら、海保を見殺しにすることになりかねません。
自衛官は、交戦権のない状態で、命をかけて現場に出動しているのです。
これでは国を守れません。



問5
反撃するにしても
→【死傷者は出してはならない】


向こうから攻撃してくれば、武器を使えます。
正当防衛です。
こてんぱんにやっつけてやりたいところですが、現行法では「人に危害を加えてはならない」とされています。
相手が軍人でも工作員でも海賊であっても、死傷させてはならないのです。
人命尊重ですね。

※最近の動向として、「領域警備法」の制定が議論されています。今後、どうなるでしょうか。



問6・7
緊急事態で現場に向かう時にも
→【自衛隊は信号を守る】


我が自衛隊の車両は、緊急事態でも信号を守ります。
何せ、まだ平時ですから(←防衛出動命令が出ていない)。

『道路交通法』で、一般車両に優先できるのはパトカー、救急車、消防車などの緊急車両だけです。
喫緊の場合、軍隊がパトカーに先導してもらうことになるでしょう。

また、停電で信号が作動しない時、交通整理をするのは警察です。
自衛隊には権限がないのです。
渋滞にはまっていて、敵に上陸を許してしまうなんて…。
これでは国は守れません。



問8
原発の警備
→【お巡りさんの仕事】


現行法では、原発の警備は警察と海上保安庁が担当します。
これで対応できなくなり、首相が「治安出動」を発令したら、自衛隊も警備に加わることができます。
しかし、治安出動は、国会の承認が必要です。

承認されるの待っていたら、緊急事態に間に合わず、甚大な被害が発生する可能性が大です。

※最近の動向として、
「原発警護に自衛隊出動 政府、月内にも改正案提出(産経新聞2013年4月8日付)」
とありますが、話は進んでいないようです。



問9
武装工作員に対して
→【警察で対処できるのか】


武装工作員が不法行為をした場合、第1に対処するのは警察です。
この時の自衛隊の任務は
「状況の把握」
「自衛隊施設の警備強化」
「警察官の輸送」
なのです。
(平成22年度防衛白書「武装工作員などへの対処の基本的考え方」)

このように
「日本に侵入しても武力行使されないし、せいぜい警察に捕まる程度」
ですから、日本は工作員の天国ですね。



問10
【私有地に入ってはいけない】


私有地は緊急時であっても、地主の許可なく立ち入れません。
防衛出動の発令下でなければ平時ですから、住居不法侵入です。
侵略軍は何の制約もなく行動できるのに、自衛隊は私有地を避けて回り道をすることになりそうです。
ちなみに消防隊員は、火事の時、どこでも通行が可能です(『消防法』)。
これでは国を守れません。



問11・12
【スムーズに陣地が作れない】


敵の侵攻が予想されていても、『海岸法』『河川法』『森林法』『自然公園法』に則り、面倒な手続きをして許可がおりないと陣地すら作れません。

たとえば、海岸は公共地なので、役所に行って使用の申請・許可が必要です。
立ち木などを処分するには、知事の許可が必要ですし、指揮所などの建築物も『建築基準法』で制約を受けます。
場所・高さ・強度などの基準をクリアしなければなりません。
今の規定では、戦況に応じた陣地構築は不可能でしょう。

ちなみに、消防隊はどこに指揮所を作ってもいいことになっています。
これでは国を守れません。

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国の守り方を考える②
服部剛の国防教育
有事シミュレーション「その時、自衛隊は!」

《続きです》

空自2
海自対潜哨戒機P-3C

(各問いの答えを1〜2から選びなさい)

問8 
この混乱の最中、原子力発電所に敵武装工作員がテロを仕掛けるとの情報が入った。
原発が破壊されたら一大事だ。
その時、自衛隊は‥‥。


1.一刻を争う事態だ。直ちに急行し、原発を警備せよ。

2.原発の警備は「警察の仕事」だ。権限がないので何もできないし、行ってはならない。



問9
すると、今度は『武装工作員が町で破壊活動をしている』との通報あり。
その時、自衛隊は‥‥。


1.大至急、現場に隊員を派遣せよ。武装工作員を排除し、住民の安全を確保すべし。

2.武装工作員の不法行為に対処するのは「警察の仕事」と決まっている。お巡りさんにまかせておこう。



問10
ようやく敵の上陸地点に到着した我が精鋭たち。
部隊を展開するには、民家の庭や畑などを通過しなければならない。
その時、自衛隊は‥‥。


1.自衛隊は、敵の虚を突き、民家の庭や畑を突っ切って進撃。散兵戦の花と散れ。

2.地主の許可を得ずに敷地を通行すれば、不法侵入罪に問われるぞ。早く持ち主を探せ。



問11
侵攻が予想される方面に、陣地を作らなければならない。
守るに堅く、攻めるに有利な海岸が見つかった。
その時、自衛隊は‥‥。


1.時間は限られている。すぐに陣地を築いて、敵の襲撃に備えよ。

2.海岸は公共地だ。役所に行って申請せよ。許可がおりたら陣地を作ろう。



問12
戦闘を指揮するために、指揮所を作れ。
急いで、周辺の立ち木を伐採する必要がある。
その時、自衛隊は‥‥。


1.任務遂行の妨げになる立ち木を処分し、早急に指揮所を築くべし。

2.立ち木などを処分するには、知事の許可が必要だ。今すぐ、知事に申請せよ。



問13
索敵中の自衛隊員。
すると、銃を持った敵兵5名と遭遇。
向こうもこちらの存在に気付き、目があった。
その時、自衛隊は‥‥。


1.撃たなければ撃たれる。迷わず引き金を引け。

2.武器を捨てるように警告し、人命を傷つけないように威嚇射撃をせよ。

陸自
陸自



問14
敵の攻撃は猖獗を極め、我が自衛隊にも負傷者が多数発生した。
その時、自衛隊は‥‥。


1.ただちに野戦病院を設置して、資格を持った医官によって手術をするべし。

2.手術は正規の病院でなければしてはならない。『医療法』違反だ。急いで病院を探せ。



問15
この頃、外務省に「C国に居住している日本人が人質にとられる恐れがある」との情報が入った。
敵国に捕らわれている人質を救出できる実力を持った組織は、自衛隊しかあるまい。
その時、自衛隊は‥‥。


1.ことは緊急を要する。自衛隊機をC国に飛ばし、特殊部隊を投入して同胞を救出せよ。

2.C国の国内は安全な状況とは思えない。危ないので、自衛隊を派遣してはならない。



問16
C国を監視する偵察衛星が、弾道ミサイル発射の兆候を探知した。
C国の独裁者は、日頃から
「日本に無慈悲な鉄槌を下し、東京を火の海にする」
と放言してきた。
その時、自衛隊は‥‥。


1.我が国は専守防衛。こちらから先に外国を攻撃することは、決して許されない。

2.敵地のミサイル基地を先制攻撃しなければ、甚大な被害が予測される。空爆して無力化せよ。

ミサイル
イージス艦「ちょうかい」から発射された海上配備型迎撃ミサイル(SM3)=昨年11月(海上自衛隊提供)090125



問17
なかなか決断できない我が政府。
そうこうするうちに、C国は弾道ミサイルを発射した。
飛翔するミサイルを陸上から迎撃するパトリオット3(PAC3)の出番だ。
すでに防衛大臣から「ミサイル破壊措置命令」が発令されている。
その時、自衛隊は‥‥。


1.ミサイルが我が領土に達する前に撃ち落とさないと、落下物でも大きな被害が出る。タイムリミットは10分間だ。即座に撃ち落とせ。

2.こっちの方向に飛んでくるが、ミサイルの目標地点が日本かどうか不明だ。実験かも‥‥。目標地点が明確になるまで発射してはならない。


我が自衛隊は、みごと弾道ミサイルを撃破した。
ここに至って、腰の重い政府も、C国との戦争を決し、「防衛出動命令」を発令。
自衛隊全軍による猛反撃が展開され、さしものC国軍も侵略を断念した。

見よ、東海の空明けて
武勇に勝る自衛隊、ついに敵軍を撃退す! 万歳!
(問題おわり)


陸自2

陸自-20110318


■ 答えは → なんとなんと…すべて「2」
   (ホントにウソじゃないですよ)
《続きます。次回は詳細な解説です》





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