授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

さくらを愛でる日本人 ー桜に託された日本人の心

●飯島利一(高校)さんの「歴史と文化の授業」です。これは、前に紹介した服部剛さんお中学道徳の授業「日本人の心・さくら」の原作です。
 私たちはオリジナルな教材開発を生かして、他の校種の授業をつくったり、さらに発展させる追試をしたりして、研究を深めています。研究方法の一端を知っていただくともに、教師の個性によって教材が多様に生かされることを味わっていただきたいと思い、原作を紹介します。


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高等学校 歴史と文化の授業
さくらを愛でる日本人------桜に託された日本人の心.



☆はじめに

⒈日本人はさくらをどのように愛でてきたのか。生徒がよく知っている、さくらのヒット曲を手がかりに、和歌などの史料からさくらに対する日本人の心情を探るのが、この授業のねらいである。

⒉「さくらの散りゆくさま」が、もののあはれをはじめ、日本人の鋭い感性をあらわしてきたことを学び、さくらは日本人の心であり、日本を象徴する花であることを学習する。

桜1

☆授業の展開 (以下の○は生徒の発言である)


1.授業のテーマは何でしょうか?

今日は新学期にふさわしい授業です。

まず問題です。今日のテーマを当ててみてください。次の〔  〕のなかに入る言葉は何でしょう。

「世のなかに絶えて〔  〕のなかりせば
    春の心はのどけからまし」   『古今集』五三



これは『伊勢物語』の主人公として有名な在原業平の歌です。世の中に、これがなかったら、春はさぞかしのどかに過ごすことができだろうに、ということです。何がなかったら、春はのどかなのでしょうか。

○・・・?分からない。

それではヒントをだしましょう。次キーワードから連想される言葉が[ ]の答えです。
(次の語句を一つずつ生徒に提示する。

①遠山の金さん ②上野公園・靖国神社 ③森山直太朗・ケツメイシの歌 ④入学式・新入生など。)

○あっ、わかった。さくらだ。

そう、正解。みなさんは、さくらからどのような連想をしますか。今日は、わたしたち日本人が、どのような想いでさくらを見てきたのか、そしてさくらは日本人にとってどのような存在なのか、みなさんといっしょに探っていこうと思います。



2.現代若者のさくらのイメージ

まず、現代の私たちの場合。最近見られる「さくら」に関するヒット曲から考えてみましょう。最近のJポップで「桜・さくら」のつくものにどんなものがあるでしょうか。

○コブクロのさくら

○さくら(森山直太朗)
○サクラドロップス(宇多田ヒカル)
○サクラ咲ケ(嵐)
○桜坂(福山雅治)

こうしてあげていくと、意外に「さくら」の曲はいっぱいありますね。しかも誰もが知っている大ヒット曲です。実はこれらの曲の歌詞を読んでみて、面白いことに気づいたのです。


【問題1】 次のヒット曲(抜粋)は、さくらのどのような様子を歌っているでしょうか。共通して言えることは何でしょうか。


1.さくら(森山直太朗)

  「さくら さくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って」
  「さくら さくら ただ舞い落ちる いつか生まれ変わる瞬間を信じ」

2.さくら(ケツメイシ)

  「さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる」
  「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」

3.桜(コブクロ)
  「桜の花びら散るたびに届かぬ思いがまた一つ」

4.SAKURA(いきものがかり)
  「さくら ひらひら舞い降りて落ちて 揺れる想いのたけを抱きしめた」
  「君と春に願いし あの夢は今も見えているよ さくら舞い散る」


○さくらが舞っている? 散っている?

そう、そのとおり。詩の内容から共通していえることは、いずれも、さくらが散りゆく情景を描写していることです。友人や恋人との出会いや別れ、せつなく美しい思い出など、想いはいろいろだけれど、すべてさくらの散る様子に託してうたっているのです。咲きはじめや満開ではなく、何故さくらの散りゆくさまに、その心情をこめるのでしょうか。



3.「さくらの散りゆくさま」を日本人はどのように見たのか

わたしたち日本人が散りゆくさくらに魅了され、想いを込めるのは、歴史をさかのぼって確かめることができます。そこで私たちにとって「さくらの散りゆくさま」は何を表現しているのか、和歌などから分析してみましょう。


【問題2】 つぎの和歌の〔  〕に入る言葉は何でしょうか。さくらが咲いては散っていく様子にもっともふさわしい言葉はこれ以外にないと言っています。(あ)〜(え)のどれが適切だと思いますか。
    〔  〕をほかにもいはじ桜花
     咲きては散りぬあはれ世の中  (藤原実定『新古今集』)

    (あ)かなしさ   (い)せつなさ   (う)はかなさ   (え)うれしさ



○「せつなさ」か、「はかなさ」だと思う。

○「うれしさ」はないと思う。

なかなかいいですね。日本的な感性だと思いますよ。正解は(う)です。これは、貴族から武士の世にかわり、時代の移ろいを嘆く、大徳寺左大臣藤原実定の歌です。
満開のさくらが散っていくさまは、諸行無常・盛者必衰などの仏教的な無常観を表現しているといわれます。この無常観は、やがて、「もののあはれ」という日本人的な、独特の情緒につながっていきます。「もののあはれ」とは、人間のはかなさや悠久の自然の中で、移ろいゆくものを美しいと感じる感性を言います。散りゆくさくらが美しいと思うのは、まさにこれにあたるといえるでしょう。

「もののあはれ」から、さくらを最も愛した歴史人物、さくらを詠んだ歌人といえば西行法師の名があがるでしょう。西行は『山家集』のなかで、さくらの和歌を140首も詠んでいます。


【問題3】 西行は『山家集』に載るある和歌で、「願わくば」と詠んで、さくらの花の下で「あること」を叶えたいと思っていました。その「あること」とは何でしょうか。
     (あ)酒がのみたい   (い)踊りたい   (う)死にたい   (え)眠りたい



○(あ)だったら、お花見になる。

○(う)かな。たしか桜の下に死体が埋まっているというのを、何かで聞いたことがある 。

よく知ってますね。そういう小説もあります。この和歌は、西行がとてもさくらに憧れていたことを物語るものとしてよく知られています。正解は(う)。
「ねがはくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」。実際に、この歌の通り、西行はさくらの季節満月のもとで生涯を閉じたということです。西行はさくらとの一体化を望むほど、その美しさ・はかなさ「もののあはれ」にのめり込んでいたのではないでしょうか。

散りゆくさくらを美しいと思う気持ち、いわゆる「もののあはれ」という情緒は、日本人がとりわけ鋭いと指摘するのが、藤原正彦氏です。 近年話題のベストセラー『国家の品格』のなかで、「情緒と形の国、日本」と題して、すぐれた日本人の感性について述べています。資料を一読してください 。

【資料1】

悠久の自然と儚い人生との対比の中に美を発見する感性、このような「もののあはれ」の感性は、日本人がとりわけ鋭い。(中略)
この一例が桜の花に対するものです。桜の花はご存知のように本当に綺麗なのはたったの三、四日です。しかも、その時をじっと狙っていたかのように、毎年風や嵐が吹きまくる。それで「アアア」と思っているうちに散ってしまう。日本人はたった三、四日の美しさのために、あの木偶の棒のような木を日本中に植えているのです。
桜の木なんて、毛虫はつきやすいし、むやみに太いうえにねじれていて、肌はがさがさしているし、花でも咲かなければ引っこ抜きたくなる木です。しかし、日本人は桜の花が咲くこの三、四日に無常の価値を置く。たった三、四日に命をかけて潔く散っていく桜に、人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。だからこそ桜をことのほか大事にし、「花は桜木、人は武士」とまで持ち上げ、ついには国花にまでしたのです。(中略)
アメリカ・ワシントンのポトマック川沿いにも、荒川堤から持って行った美しい桜が咲きます。日本の桜より美しいかもしれない。しかしアメリカ人にとってそれは、「オーワンダフル」「オービューティフル」と眺める対象に過ぎない。そこに儚い人生を投影しつつ、美しさに長嘆息するようなヒマ人はいません。

日本人のさくらに対する気持ちが、面白く理解することができます(傍線部を中心に説明する)。朽ちゆくもの・枯れゆくもの・滅びゆくものに、美しさを感じる心は、欧米人には、およそ理解できないのかもしれませんね 。



4.さくらのイメージ 日本人の心

藤原正彦氏が説くように、私たちの先人は、さくらを「国花」と考えるようになりました。さくらは、日本を象徴する花と位置づけられるようになったのです。


【問題4】 次の歌は国学者本居宣長の詠んだもの。〔   〕に入る言葉を考えましょう。宣長は何をたとえて「朝日ににほふ山桜花」と言ったのでしょうか。

   敷島の 〔   〕を 人とはば
 朝日ににほふ 山桜花



○朝日だから、日出ずる国のようなことかな?
○日本のこころのような言葉じゃない?
○大和魂みないな。

答えは、ずばり「大和心」です。日本人の心を指して、大和心(やまとごころ)と表現しています。その心は、清々しい「朝日ににほふ山桜花」であると詠んでいるわけです。


本居宣長の思想は、幕末・明治維新前後から、日本人のナショナリズムに大きな影響を与え、宣長のこの歌によって「桜=国花」というイメージが定着するようになったといいます。
明治時代になると、桜のなかでも、ソメイヨシノ(染井吉野、江戸末期の新種)が人気を呼び、城跡や公園・堤防や学校に盛んに植栽され、さくらのイメージが日本人の間に普及していきました。

それでは、本居宣長が、さくらに喩えた「大和心」(日本人の心)とは、何を表しているのでしょうか。 次の資料にあげた新渡戸稲造の『武士道』(奈良本辰也訳)を読んでいきましょう。


【資料2】

たしかに、サクラは私たち日本人が古来から最も愛した花である。そしてわが国民性の象徴であった。宣長が用いた「朝日ににほふ山ざくらばな」という下の句に特に注目されたい。
大和魂とは、ひ弱な人工栽培の植物ではない。自然に生じた、という意味では野生のものである。それは日本の風土に固有のものである。その性質のあるものは偶然、他の国土の花と同じような性質を有しているかもしれない。だが、本質において、これは日本の風土固有に発生した自然の所産である。
また私たち日本人のサクラを好む心情は、それがわが国固有の産物である、という理由によるものでない。サクラの花の美しさには気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。私たちはヨーロッパ人と、バラの花を愛でる心情をわかちあうことはできない。バラには桜花のもつ純真さが欠けている。それのみならず、バラはその甘美さの陰にとげを隠している。バラの花いつとなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。その生への執着は死を厭い、恐れているようでもある。しかもこの花にはあでやかな色合いや、濃厚な香りがある。これらはすべて日本のサクラにはない特性である。
私たち日本の花、サクラは、その美しい粧いの下にとげや毒を隠しもってはいない。自然のおもむくままに、いつでもその生命を棄てる用意がある。その色合いは決して華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。(中略)
太陽は東方から昇り、まず最初に極東のこの列島に光を注ぐ。そしてサクラの芳香が朝の空気をいきいきとさせる。このとき、このうるわしい息吹きを胸一杯に吸うことほど、気分を清澄、爽快にするものはないであろう。

新渡戸は、日本の武士道を世界に紹介するために、英文でこの本を書きました。その中で、「武士道」という日本人の精神を、さくらにたとえている。とりわけ、さくらのぱっと咲いて、ぱっと散るさまに、日本人の高潔さ・いさぎよさという美徳を見出しているのです(傍線部を説明する)。

このさくらのイメージは、日本人の美徳を示すものとして、日本人(とくに軍人)のあるべき姿として、とらえられるようになりました。「同期の桜」をはじめ、軍歌などにも盛んにさくらがうたわれています。兵隊さんたちは、散りゆくさくらに自分を重ね合わせていたのです。


【資料3】

①いざさらば 我は御国の 山桜
 母の御元に かえり咲かなむ  (海軍中尉、緒方襄)

②散る花の いさぎよきをば めでつつも
 母のこころは かなしかりけり

③蕾にて 散るも又よし 桜木の
 根のたゆことの なきを思へは  (海軍少尉、滝沢光雄)


①を詠んだ緒方中尉は、関西大学在学中に学徒出陣し、パイロットになり、志願して神風特別攻撃隊の桜花隊に入いりました。この歌で息子の思いを知った母、三和代さんは②の歌を詠みました。中尉の歌は、祖国日本のために命を捧げる高潔さ・いさぎよさが、散りゆくさくらに託されています。

③を詠んだ滝沢少尉(当時は一飛曹)は、甲種飛行予科練習生に志願し、昭和19年、第一神風特別攻撃隊山桜隊の隊員としてレイテ湾にて戦死を遂げました。 蕾のままでもよいと歌った滝沢少尉は、当時何歳だったと思いますか。実は、みなさんとほぼ同じ18歳だったということです。



5.日本人にとって桜とは?〈まとめ〉

今日は、わたしたち日本人のさくらへの想いを考えてきました。やはり、わたしたちにとって花とは、菊でも、チューリップでも、バラでもなく、さくらなのだなという実感が湧いてきませんか。


歴史的に見ていくと、日本人は、その時代の心情を、さくらに託してきたということです。
「さくらの散りゆくさま」は、「もののあはれ」という日本人の独特の情緒をあらわし、やがて日本人の心となって、とくに高潔さ・いさぎよさを表現してきたことがわかります。

まさに、さくらは私たち日本人を代表する、日本を象徴する花と言えるでしょう。そして、日本人がうけついできた桜のイメージは現代のヒット曲のなかにも通じるものがあるのではないでしょうか。



☆生徒のおもな感想

○桜はぼくの大好きな花です。日本人にふさわしい花だと思います。派手すぎず、そして早いうちに散ってしまう、いさぎよさがぴったりです。小学校のときに桜の詩を書いて先生にすごくほめられたことが今でも心に残るさくらの思い出です。

○桜の季節になると、なぜ天気予報とか、みんなで取りつかれたように騒ぐのだろうと思っていたけれど、今日の授業で、さくらと日本人の深いかかわりを知ることができた。

○わたしは、満開のさくら道を歩くのが好きです。それから、外国の人はさくらをあまり好きでないというのを聞いたことがあります。でも日本人ならではの、その良さを共感しえることは、うれしいことだと思いました。

○さくらはどの時代でも人々から愛されている花だなと思った。日本人は感受性が豊かなので、その時代、その歌を詠んだ人の心情を知ると、とても奥が深いものだなとおもった。

○散るさくらに対する日本人のイメージは今も昔も変わっていない部分があるのだなと思った。昔の和歌からいろいろ情景とか心情とかを考えられて勉強になった 。


☆参考文献
①牧野和春 『新桜の精神史』 中公叢書

②小川和佑 『桜の文学史』 文春新書 2004

③田中秀明 『桜信仰と日本人』 青春出版社 2003

④白幡洋三郎 『花見と桜』 PHP新書 2000

⑤藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005

⑥新渡戸稲造・奈良本辰也訳『武士道』 三笠書房 1993

⑦靖国神社編 『いざさらば我はみくにの山桜』 展転社 1994

⑧靖国神社編 『散華の心と鎮魂の誠』 展転社 1995
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文字を工夫する日本人 ーかな発達の意義

●飯島利一さんの高等学校の授業です。
題して「文字を工夫する日本人--かな発達の意義」です。
アレンジすれば、中学校や小学校の授業にもなりますね。
かな文字は日本文化の核心にあるテーマです。

●飯島利一さんのブログを訪問してください。
おもしろくて有益な記事が満載です。
「授業づくりJAPAN TOKIO《高校》 日本人を育てる授業」
http://rekijtokio.blog.fc2.com/


文字を工夫する日本人 ーかな発達の意義
(高等学校 歴史と文化の授業)
           

☆はじめに
 
今日は、私たちが日常あたり前につかっている文字について考えていきます。日本の先人たちが古代に漢字を輸入してから、どのように「かな」文字を発達させていったのでしょうか。その過程を具体的に見ることで、私たちの先人たちが如何に文字を工夫してきたかを学び、外来文化に対する日本人の意識を探って行きたいと思います。


☆授業の展開


1.日本の文字について考えてみよう


 雑誌をひらくと、あらためていろんなタイプの文字が使われていることに気づきませんか。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットもあれば、アラビア文字(数字)さらにフリガナの小さい文字。実に、にぎやかな文章であふれています。普段ほとんど意識することはないが、わたしたちは一つの文章の中でさまざまな種類の文字を使っている。そのため日本人の文字はとても複雑だと言われているのです。

問1「せんこう」と読む漢字を、思いつく限り書いてください。

 いくつ書けたでしょうか。「線香・先攻・専攻」など、さまざまな意味の熟語がありますよね。ほかにも「戦功・選考・先行・閃光・潜行・先公(笑)」と。アクセントの違いはあるけれど、同じ発音の言葉なのに、文字は何種類もあります。私たちは自然に、文脈や会話の中からその漢字を当てはめて理解しているのです。

問2 「十一月三日はちょうど祝日で日曜日です」日の字をそれぞれどう読みますか。

 皆さんは当たり前のように読めますね。みっ「か」、しゅく「じつ」、「に」ちよう「び」。短い一文の中に4回も同じ文字が出てきて、すべて読み方が違います。あらためて考えてみると、私たちは、ほとんど一瞬に判断して読み分けている。かなりすごいと思いませんか。
 このような言語と文字の例は、世界でもきわめて珍しい。そのため、日本人の文字は、風変わりで複雑なものと言われています。どうしてこのように複雑になったのでしょうか。日本人は、文字とどう向き合い、どのようにつきあってきたのか。具体的に探ってみましょう。


2.漢字が入ってきた 

 
まず日本人が最初に出会った文字は、漢字でした。我々の先人が漢字を文字として使用するようになるのは、諸説ありますが遅くとも4〜5世紀のこと、古墳時代にはみとめられます。


問3 漢字には、法律・宗教をはじめ中国文明の学ぶべき情報がたくさん詰まっていた。漢字を学んだ日本人は、しだいにその文字を自分たちの社会に役立てようと考えるようになりました。そこで、当時の日本人はどうしたでしょうか。

ⓐ漢字を正しく使いこなすために、当時の日本語(やまと言葉)をやめて、漢語(中国の言葉)を
  読み書き話す術を身につけようと努めた。

ⓑ自分たちの言葉(やまと言葉)を文字で表そうと、漢字の音(発音)を利用して当時の日本語
 (やまと言葉)を書き表した。

ⓒ漢語(中国の言葉)を話すことはできなくても、文字の意味がわかれば文化は吸収できるので、
  漢字を強引に日本語で読んだ。


 簡単に言うと、
ⓐは自分たちのしゃべっていた言葉を捨てて中国語を話すようにしたということ。
ⓑは厳密言うと違うのだけど、よく暴走族がやる落書きで「ヨロシク」を「夜露四苦」みたいに書いた。
ⓒは現代の私たちのイメージに近づけるために英語に置きかえて言うと、たとえば「DOG」という文字を強引に「いぬ」と読ませたということです。

 皆さんは、どれが正解だと思いますか。
ⓑⓒの2つが正解です。
まずⓑの場合から具体的な事例を見ていきましょう。

*****************

【資料1】

 ①獲加多支鹵
 ②巷宜有明子  
 ③有麻移刀等已刀弥弥乃弥己等 

*****************
鉄剣銘

 資料1の①〜③はいずれも人名です。
①は稲荷山古墳出土の鉄剣銘に刻まれた文字で「ワカタケル」と読みます。雄略天皇のことです。5世紀の「倭の五王」で学習しましたよ。
②と③は読みづらそうですが…。7世紀はじめ、推古天皇のころの超有名人です。
正解は②が「蘇我馬子」(ソガノウマコ)、③が「聖徳太子」です。聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのみこ)でしたね。
③をしっかり読むと「うまやととよとみみのみこと」となります。

 それでは次にⓒの例を紹介します。
次の資料は有名な文章ですが、読める人はいますか。
『日本書紀』に記録された「十七条憲法」の一節です。

********************************

【資料2】 

 以和為貴、無忤為宗。
(やわらかなる(わ)をもって、とうとしとなし、さかうることなきをむねとせよ。)

********************************
十七条憲法

 聖徳太子の憲法十七条の第一条でしたね。この文章は、漢字ばかり並んでいるので一見漢文風だけど、実はやまと言葉でないと読めない文章なんです。漢字を強引に日本語で読んだ例です。たとえば「和」という字は本来「わ」としか読みようがないのに、「やわらか」という日本語の訳で読ませることにしたということです。

 以上の2つの資料から確認できたことをまとめましょう。

ⓑの表記を音仮名と言います。
ⓒは訓書きという方法です。

漢字による日本語の表記は、音仮名という中国文字の音をつかったものと、訓書きと言って日本語の訓訳をあてるものと2種類あるのです。
中国の文字を学んでも日本の言葉を捨てずに両方を使い分けたということです。
 ここまでいえば、漢字には音読み・訓読みがあることに思い当たるでしょう。音読みは中国語的な発音の読みで、訓読みは日本語で訳した読み方なのです。
 
 とりわけ、訓読み・訓書き方式の発明は画期的だったと言われています。と言っても、みんなは小学生の時から訓読み・音読みを体得させられているから、驚くに値しないかもしれないけれど…。

 例えば「山」を「やま」とよむのは当たり前と思うでしょう。しかし、これは相当奇抜な発想なのですよ。現代の私たちの感覚に近づけて言うと、mountainという英語がありますね。これはマウンテンとよんで「山」のことだと習いますが、英語のmountainを直接「やま」とよむのだ、dogを「いぬ」、catを「ねこ」と読むのだと言われたら、相当戸惑うでしょう。

 私たちの先人たちは、見ようによってはかなり大胆なことをやってのけた。すなわち訓読み・訓書きは、漢語(中国語)としてよむ以外にないものを、自分たちの言葉でよむことし、内容豊かな古代中国の古典などの学習を可能にしたというのです。

 ちなみにⓐの場合をとっていたらどうなっていたでしょうか。
 たしかに当時の日本人は漢語をかなり懸命に勉強したでしょうが、決してやまと言葉(日本語)を捨てようとはしませんでした。もし自分たちの言葉を捨てていたなら、中国文明の影響によって、日本独自の文化形成は阻まれていたかもしれません。たとえば、フランスの植民地だったアフリカの地域では、国の指導者はフランス語を話し、一般の民衆は現地語で会話するので、その国の文化の独自性が阻まれているという例があるのです。


3.万葉仮名という方法
 

 漢字を学んだ日本人は、しだいに自分たちの言葉に近づけて文字を表そうと模索します。純粋な日本語を写そうとしたり、声に出して読めるようにするには、語順や助詞などを含め、表記を日本語に適した形にもっていかざるをえない。しかし、そもそも中国語には助詞がなく活用もない、さらに語順も違います。そこで、当時よく使われていたのが万葉仮名です。漢字仮名交じり文ともいい、万葉集で使われていた日本語の表記方法なのです。

問題4 次の文字は暗号のようにみえるが、実は『万葉集』巻第三・318 山部赤人の和歌(日本古典文学大系『萬葉集一』)。訓として読む漢字(訓書き)と音として読む漢字(音仮名)とを区別して解読してみよう。

 田児之浦従 打出而見者 眞白衣 
 不盡能高嶺尓  雪波零家留
 田子の浦
                         

 読めますか。下線部を助詞・活用語尾と判断すると分かりやすいと思います。正解は「田児の浦 打出で(て)見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」となります。意味は、「田子の浦(現在は静岡県富士郡)を通って(眺望のよいところに)でてみると、真っ白に富士山の高嶺に雪が積もっていることだ。」雪化粧をした富士山とは、実に日本的な風景ですね。

 よく間違えてしまうところは、「白衣」を「はくい」「びゃくえ」とよんでしまうことです。やはり「しろいころも」と思ってしまいますよね。でも答えは「真白に」。「衣」の字を助詞として音仮名で読んでいいのか、「ころも」と訓で読んでいいのか、わかりづらいのです。全部漢字で書かれているので、その区別が難しい。和歌のように五七五七七と定められていればそれに合わせて読めばよいが、散文では訓としての漢字と、音として読む漢字としての漢字の区別がよけいに困難になるのです。そこで、ひらがな・カタカナが登場してくることになります。


4.ひらがな・カタカナの発明
 

 日本の文字は、平安時代中期、いわゆる摂関政治の時代に大きな転換期を迎えることになります。すでに9世紀ころから唐の衰退により、その文化の影響力は低下していて、漢字をもとに略したり、部首をとってみたり、独自の「かな」が用いられるようになります。たとえば[ひらがな…安=あ 以=い ][カタカナ…阿=ア 伊=イ]となります。

問題5 当時の日本人が発明したひらかな・カタカナをどのように生み出されたのでしょうか。
 

ⓐ唐に対抗して、日本独自の文化をつくろうという国風文化の風潮のなかで、天皇や摂関家など朝
  廷が中心となり、国家事業として「かな」を制定し日本の文字として推奨した。

ⓑ貴族社会のなかで、日常の細々とした記録や消息、本の書きこみなどから字形の簡略化がすすみ、
  自然発生的に「かな」は生まれてしだいに普及していった。


 平安朝廷が国家事業として「かな」を制定したのか、それとも自然発生的にうまれたものなのか、どちらでしょうか。正解はⓑです。中国の文明の象徴である漢字の威厳にとらわれず、日本では実用性から労力経済が働き、しだいに文字を簡略化する方向にいったと考えられます。

 日本の「かな」は実用性から出発したために、しだいに庶民にも広まります。ところで中国では、文字は支配階級(士大夫)の特権だったらしい。文字は生活に余裕のある者だけが学べるものであり、一般大衆を寄せつけなかった。だから漢字には威厳があり、そのためには必要以上に難しくないといけないという風潮があったようです。その点、情報伝達の手段という実用性からうまれ、やがて広く庶民にも普及した、日本人の文字は中国の場合と対照的ですね。


5.まとめ 日本人の文字


1.「かな」の発明が日本の文化を生んだ

日本人にとって、「かな」が生まれたことはどのような意味があったのでしょう。

********************************

【資料3】 紀貫之「ひらがなの序文」

「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。
よのなかにある人ことわざしげきものなれば、心におもふを見るものきくものに
つけていひいだせるなり」

(意訳)「和歌というものは、人の心の中にある感情を核として生まれた言葉に
よってできている。世の中に生きている人間にはいろんな事が起きて忙しいけ
れども、その忙しさが人間に働きかけて、いろんな感情を生む。その感情があ
るからこそ、人間は何かを見たり聞いたりするにつけて、自分の感情を形にし
た歌を詠むのである。」
********************************
古今集仮名序

 これは和歌について語る文章ですが、人間の感情の発生を語る文章でもあります。そして日本人にとってその心を最もよく表現する道具は、外国語である漢字や漢詩ではなくて、日本製のひらがなであったことを示すものです。

 自分たちの考えや気持ちを自分たちの言葉と自分たちの文字で、何の束縛もなく自由自在に記しうること、そして日本的な感性を育んだこと、この重要性はいくら強調してもしすぎるということはないでしょう。

 さらに言えば、『古事記』『万葉集』から『竹取物語』や『源氏物語』『伊勢物語』『平家物語』、さらに歌集・日記類から随筆『徒然草』に至る膨大な「かな古典文学」とも言えるものが創造されるようになりました。これがなかったら、現代の日本文化はなかったと言えるでしょう。日本人は「かな」をつくり、「かな」が日本の文化をつくったということなのです。

2.漢字を捨てなかった日本人 その理由 

「かな」ができたからと言って日本人は漢字を捨てたわけではありません。むしろ積極的に漢字の良さを自分たちの文化のなかに取り入れようとしました。具体例を紹介しましょう。

**********************

【資料4】

①鰯・鰹など魚片の漢字
②政界・政局・政断など「政」に関わる語句
③「はかる」という日本語
  =「計・図・測・謀・量」の使い分け
④谷川俊太郎
 「このこのこのこ どこのここのこ
  このこのこののこたけのこきれぬ」

**********************

①は日本人が元来の漢字にはない日本製漢字を生み出した例。
②は漢字を組み合わせて、日本人はあらたな造語をつくった例。
③は漢字を使い分けることによって、一つの意味であった和語(日本語)が精密化された例。
⑤漢字によって文字列が読みやすく、かなだけでは理解しづらい例(その面白さを詩に生かした)。

***********************

【資料5】中国の外来語辞典に載る和製漢語

 背景 理想 版画 不動産 領土 理性 

***********************

 これらの語句は、中国の外来語辞典に日本の語として掲載されたものです。驚いたことに、日本人がつくった語句を、現在、中国人たちが使用している例なのです。いわば、ちょうど漢字の「逆輸入」ともいうべき現象がおこっている。それだけ日本人は漢字を自分たちのものに消化したことを示しているのではないでしょうか。


3.日本人の外来文化に対する意識

最後に、山本七平氏の一文を読んで終わりたいと思います。

【資料6】 山本七平「日本人とは何か。」

 日本人は、かなによる自国の世界を生きつつ、同時に漢字という当時の東アジアの「世界文字」につながって生きていたということ。すなわち日本の独自性と世界の普遍性を併せもつことで日本の文化が形成された。その姿勢は多様性を認めるということ。漢字を捨てず平仮名・片仮名など文字や文章に統制を加えず、自然のままにしておく。日本人は、文字をはじめ文化に対して多様性を尊重する民族と言えよう。今日私たちの周りにある衣食住をみても思い当たる節があろう。

問題6 今日の授業を学んで、思ったこと・考えたこと等をまとめて、感想を書きましょう。


[参考文献]
①山本七平「文字の創造」『日本人とは何か。』PHP文庫 1989 
②樺島忠夫「漢字からローマ字まで」『日本語の歴史』大修館書店 1977 
③樺島忠夫『日本の文字』岩波新書 1979 
④小松茂美『かな その成立と変遷』岩波新書 1968 
⑤西尾幹二「日本語確立への苦闘」『国民の歴史』 1999 
⑥高島俊男『漢字と日本人』文春新書 2001 
⑦大野晋『日本語はいかにして成立したか』中公文庫 2002


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