授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

勝海舟

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編最後の授業です。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとです。
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            勝海舟

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幕末の5時間目。
 取りあげる人物は4人目となる。勝海舟である。
 ここまで学習してきた人物をおさらいし、出身藩や現在の何県かを確認する。
 そして、今日は勝海舟を取りあげることを伝える。
 なお、前回まで学習した3人とは違い、勝海舟は幕府側の人間であることを話す。


<ワークシート・第1ページ>

上は荒れる海を進む帆船です。下は勝海舟の写真です。
この2つにはどんな関係があると思いますか?
あなたの予想を書いてみましょう。


咸臨丸
咸臨丸

勝海舟肖像
勝海舟

子どもの予想はおおよそ3つである。
「勝海舟がこの船を造った(設計した)」
「この船の持ち主が勝海舟か?」
「勝海舟がこの船でどこか外国へ行った」
他には
「嵐の中で難破して命を落としたのでは?」
といった予想もあった。


<ワークシート・第2ページ>

咸臨丸と勝海舟

①オランダ語の辞書を丸写しして辞書を2冊作った
勝海舟は貧乏な武士の家に生まれました。名は麟太郎と言います。麟太郎はとくに剣術と蘭学を熱心に学びました。
 蘭学はオランダ語で書かれた本を読めるようにしなくてはなりません。外国語を学ぶためには辞書が必要ですが、60両という高価なものだったので買うことができません。そこで、麟太郎は辞書を持っている医者から借りて、1年かけて58巻もある辞書を手で写しました。しかも、2冊分です。1冊は自分のものにして、もう1冊を売って貸出料の10両を払ったのです。

②幕府に意見を出して注目された
大人になった勝海舟は幕府の役人となりました。ペリーが日本へやってきて開港をせまったときに勝は幕府へ意見書を出しました。それは次のようなものでした。

*身分のこだわらずにすぐれた人物を幕府の役人にすること
*日本を守るために軍艦を作ること
*軍艦を作るための費用は開国して貿易によってまかなうこと
*日本を守るための技術研究所や軍隊の訓練をするための学校を作ること

これらの意見は採用され、実現していきました。

③咸臨丸でアメリカへ
幕府もこれからの日本には海軍が必要だと考えるようになりました。そこで、長崎に海軍伝習所という学校を作りました。
実習で使う本物の蒸気船はオランダが寄付してくれました。また、海軍について教えてくれる先生もオランダから招きました。
 勝はここで航海術・造船学・砲術・測量学・算術・機関学などを徹底的に学びました。その後、幕府の命令で咸臨丸に船長として乗り込んでアメリカへ渡り、西洋の科学技術や社会の仕組みを学びました。日本人による初めての太平洋横断です。

④西郷隆盛を説得した
1864年、幕府は薩摩藩をはじめとしていくつかの藩に長州藩への攻撃を命令しました。幕府と長州藩では国づくりの方向に意見のちがいがあり、長州藩は常に幕府を批判していたからです。薩摩藩は幕府とは意見のちがいはあるものの、過激な行動をとりがちな長州藩に対して批判的だったのです。
 長州藩の攻撃をまかされた薩摩の西郷隆盛は「長州藩を壊滅させて京都から遠い、東北地方へ国替えさせるのがいい」と考えていました。ある日、西郷は幕府側の責任者である勝海舟との話し合いでこの意見を述べました。すると、勝はこう言いました。「いまの幕府には新しい日本を作る力はない。私は早くつぶれた方がいいと思っている。そんなときに、新しい日本のためにがんばっている日本人同士が殺し合っている場合だろうか?」
 これ聞いた西郷は驚きました。幕府側の責任者が「幕府はもうだめだ」と言うのです。ものごとを広くとらえ、日本全体のことを考えている勝海舟の考え方に西郷は感動しました。自分がまちがっていたことに気づいた西郷は、長州藩と話し合い、幕府に謝罪させることで実際に戦うことを避けることに成功しました。


<ワークシート・第3ページ>

江戸総攻撃の情報が伝わった~あなたが勝海舟ならどう考える?

 薩長同盟が成立すると「幕府から離れて自立しよう」「そして藩同士が協力して新しい政府を作ろう」と考える武士が増えはじめました。
 なぜなら、いまの幕府ではあまりにも策がなく日本の危機を乗り越えることはできないと感じていたからです。しかし、いまの朝廷にも政治を進める能力はないのです。

江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜は土佐藩などからの忠告を受けて、政権を朝廷へ返すことを決めました。<大政奉還>です。さらに<王政復古の大号令>が出されて新しい政府の誕生が宣言されたのです。
 しかし、江戸幕府の中にはこれに従わない勢力もありました。また、東北地方を中心に「あくまでも徳川家中心に新しい政府を作るべきだ」という藩がまだたくさん残っていました。
 また、西洋の国々は自分の国から軍艦を呼び寄せて、自分の国の兵士を日本に集めていると言います。
 そんなとき、京都の鳥羽・伏見で新政府軍と旧幕府軍の間で戦いが起こりました。そこで新政府は薩摩藩の西郷隆盛をリーダーにした新政府軍を江戸へ送り、江戸総攻撃を計画したのです。

江戸にいた勝海舟は悩んでいました。

「たしかに役に立たない幕府はなくなってしまった方がよい。しかし、日本の中心地である江戸が戦場になったら、そして日本人同士が真っ二つに分かれて戦ったら、新しい日本にとって困ることにはならないか・・・」


◇あなたが勝海舟ならどんなことを心配しますか?
いろいろなことが考えられます。
あなたの考えを書いて下さい。あとで話し合ってみましょう。


子どもたちからは大別して3つの意見が出た。

①巻き添えになって多くの民が死ぬ
②多くの人材を失ったり、町の復興に多くの時間がかかる
③日本が2つになることで勢力が弱まり、西洋につけいる隙を与える。そして植民地にされる。

「日本という国が日本ではなくなる。二つに分かれてしまい、別々の国になってしまう」

「一つにならなければいけないはずなの日本が中心地である江戸を戦場にして戦争をしたら、関係がくずれてしまう。そして、戦争をすることで日本は弱くなってしまう」

「お互いに勢力が弱まり、西洋の植民地になってしまう。攻撃されても対等に戦えなくなってしまう。西洋の植民地になってしまったら、また悪いことが起きる」

「多くの国民が亡くなってしまう。それに江戸が焼け野原になって住めなくなる。そのすきに西洋の国につぶされてしまう」

「もし、江戸が戦場になり、江戸が火の海になってしまうと、外国に攻めるすきを与えることになってしまう。さらに、江戸にはたくさんの人が住んでいるのだから攻撃されると罪のない江戸住民まで逃げることになる」

「戦うとお互いに日本の力を弱めあうことになって、そこを外国人につけ込まれて植民地になってしまうかも」

「日本の大都市・江戸が戦場になったら、西洋との貿易もできなくなるかもしれない。日本が二つになったら江戸もボロボロになってしまう。江戸に住む西洋人も巻き添えで死んだら、西洋から攻めてくるかもしれない」

 内戦→日本が弱まる→西洋による植民地化、という論理を立てている児童は2クラスともに約3分の1である。これは興味深い結果だ。


<ワークシート・第4ページ>

実現した江戸無血開城

勝海舟はこう考えていたのではないでしょうか。
「この江戸には大勢の民が住んでいる。江戸が戦場になれば民の命と住まいが危険になる。日本の中心地・江戸をいくさの火で壊滅させてはならない。それに、日本人同士が戦う内戦となれば、互いに傷つき力が弱まるだろう。日本をインドや清国のように植民地にしようとねらっている西洋の国々につけいるスキを与えることになってしまう」

 もともと幕府の役人だった勝は旧幕府の代表として新政府軍と話し合うことになりました。新政府軍の代表は西郷隆盛です。
 新政府軍はすでに江戸の一歩手前にあるいまの川崎付近まで軍隊を進めていました。話し合いに失敗は許されません。
 勝の考えは西郷もよくわかっていたのでしょう。会談は成功し、江戸城は血を流すことなく新政府軍に明け渡されました。こうして「江戸無血開城」が実現したのです。新しい日本にとって最悪の事態は回避されました。

 しかし、戦いがまったく行われなかったわけではありません。江戸では小規模ではありましたが戦闘が行われ、東北でも新政府軍と旧幕府側の戦いが行われました。
 これを<戊辰戦争>と言います。
 どちらも新政府軍が圧勝し、旧幕府勢力は完全になくなりました。

 授業後の子どもの感想文を見てみよう。

*今日の授業では勝海舟という人はとてもすばらしい人だと知りました。勝さんが新政府軍と旧幕府軍の戦いを止めたのはすばらしいことで、日本を救ったと言ってもまちがいではないと思いました。

*勝海舟は幕府の役人だからといって幕府側ではなく、今後の日本のために公平な立場で話し合ったのがすごいな、と思いました。

*勝海舟は幕府の役人なのに、わざわざ新政府のために江戸城を明け渡したのがすごいと思いました。勝海舟の行動こそが、江戸時代以降の日本の国づくり役立ったのだと思いました。

*昔の日本は西洋の国々に植民地にされないようにするために知恵を出し合っていたんだなと思いました。

*勝海舟のおかげで、日本の未来が守れたんですね。もし、勝がいなかったら、今、日本は日本でなかったかもしれないですね。


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坂本龍馬

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                  坂本龍馬

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幕末人物学習の3人目は坂本龍馬である。
 ふところに手を入れて斜め前方を見つめる有名な写真を提示する。

<ワークシート・第1ページ>

坂本龍馬の写真を見て気づいたことを箇条書きで書き出してみよう。

坂本龍馬肖像
20151030223211597.jpg


 子どもの気づきを見てみよう。

「何かを見つめているみたい」

「目を細めていて、まぶしい?」

「台によっかかっている」

「髪の毛がもじゃもじゃで丁髷がない?」

「刀を差しているけど短いので脇差?」

「険しい顔をしている」

「靴を履いている?」

「服の中に手を入れている」

 以上のような意見が出てきた。これらに教師の知っているエピソードを付け加える。
*昔の写真は写すのに時間がかかるので、台に寄りかかってる。
*龍馬は近眼だったので、目を細めているらしい。
*龍馬はブーツを履いていた。
*龍馬はくせ毛だった。丁髷が結いにくい。
*檜垣源之介との龍馬の持ち物エピソード・・・小刀→ピストル→法律の本(万国公法)
*なお、ピストルは高杉晋作に清国に行ったときのお土産としてもらったらしい。

『では、龍馬はどんなことをした人なのか?調べてみよう』



<ワークシート・第2、3ページ

海援隊を作った坂本龍馬

①少年時代は泣き虫だった
龍馬は土佐藩(いまの高知県)の身分の低い武士の家に生まれました。龍馬のお父さんは才谷屋というお店を経営するお金持ちの商人でしたが、武士の資格を得ていたのです。子ども時代の龍馬は人前に出るのが苦手な性格で泣き虫だったと言われています。しかし、剣術に打ち込むようになると自分に自身が持てるようになりました。18才のときにはさらに剣術の腕をみがくために江戸で修行することになり、江戸の道場で北辰一刀流を学びました。この江戸修行中に黒船が来航したのです。

②勝海舟の弟子
若いころの龍馬は「剣の腕さえあえば西洋人などたいしたことはない」と考えていたようです。ある日「開国して西洋から学ぶべきだ」と考えている勝海舟に興味を持ち、訪ねました。龍馬はアメリカに行った経験のある勝の話を聞けば聞くほど自分の考えがいかに小さいものだったか気づかされました。感動した龍馬は「新しい日本を自分の手で作りたい」と勝海舟の弟子になりました。

③海援隊を作った
勝海舟の影響を受けた龍馬は、海に囲まれた日本が西洋に立ち向かうためには海を移動しながら戦える海軍が必要だと考えました。そこで、神戸にできた海軍操練所で航海術を学んだのです。その後、海と船に関する知識と技術を利用して亀山社中を作りました。亀山社中は貿易などで資金を作り、必要があれば戦いに参加する会社+軍隊のようなグループです。この亀山社中がのちに海援隊となりました。

④船中八策
龍馬は新しい日本の姿を八ヶ条にまとめています。これは船の中で作られたので「船中八策」と呼ばれています。ここには、天皇中心にすること・憲法と国会を作ること・条約を整えて外国と対等につきあうこと・日本が不利にならないように外国とお金の交換をすること・強い海軍を持つこと、などが書かれています。
 

ここで龍馬に「なってみる」学習に入る。


あなたが龍馬なら、どう説得しますか?~龍馬になって考えよう!

 龍馬は、日本の将来のためには幕府を倒し、新しい政府を作るしかないと考えていました。それを実行するためには、強大な幕府に対抗できる力が必要です。
 それを可能にするには長州藩と薩摩藩の二つが一つになって対抗するしかありません。しかし、どちらも「自分からは協力しようなんて言えない」と言うのです。どうしてなのでしょう。二つの藩の人たちの意見を聞いてみましょう。

<長州藩(ちょうしゅうはん)さん>
 とにかく西洋の侵略をはねのけて日本の独立を守らなければいけない。西洋人に侮られてはいけないんだ。だから、われわれ長州藩は「馬関戦争」では勇気を出して単独でイギリス・フランス・アメリカ・オランダの四カ国と戦ったのさ。たしかに、こてんぱんにやられて、今の力では西洋にかなわないことがわかった。西洋から学んで強くなる必要があることに気づいたよ。そこは、薩摩藩と同じ考えだ。
 でも、薩摩とは協力したくないね。あいつらは幕府と相談して、われわれを裏切った。「禁門の変」のときは京都で薩摩藩に俺たちの仲間がたくさん殺されているんだ。
 それに今は幕府ににらまれているから自由に貿易もできない。船や鉄砲を買いたいのに長州の名前では買えないんだ。
 俺たちが日本を天皇中心の国にしたいと思っているのは知っているだろ。それなのに幕府の計略で天皇にも誤解され、悪者扱いされている。正直に言うといま苦しいよ。

<薩摩藩(さつまはん)さん>
私たちも「薩英戦争」のときに単独でイギリスと戦い、こてんぱんにやられた。これからは西洋という敵から学んで強くなって西洋の侵略から日本の独立を守るしかない。そこは長州藩と考えていることは同じだね。
 でも、長州藩は深く考えずにすぐに行動しようとして周りの仲間に迷惑をかけていると思う。「禁門の変」のときはとても仲間としていっしょにはやっていけないと思ったから、幕府側の味方になったのさ。俺たちの仲間だって長州藩に殺されたやつはいるんだよ。
私たちの藩は今とてもうまくいっている。幕府を助けてやったから、幕府に対して強く意見も言えるし、天皇の信頼も得ている。
貿易も好調だ。蒸気船を9隻も買いそろえてあちこちと商売をしている。外国とも取引しているから最新式の鉄砲だってかんたんに買うことができるよ。


◇あなたが龍馬なら長州藩と薩摩藩のどちらから「協力しよう」と言わせますか? また、どんな言葉で2つの藩を説得しますか?

 『では、最初に長州藩・薩摩藩のどちらから「協力しよう」と言わせた方がうまくいくと思うか決めて下さい』
 1分ほど時間を与えて立場を決める。
 
 以下のような人数分布となった。

*A:長州藩から言わせる・・・1組  9人  2組  6人

*B:薩摩藩から言わせる・・・1組 16人  2組 22人

 理由を聞いてみた。

*A
「薩摩藩の方がうまくいっているので、長州から言った方が受け止めてくれやすい」
「薩摩は1回裏切っているので、自分からは言いにくいのではないかと思う」

*B
「薩摩藩は貿易などがうまくいっているので、鉄砲などを売ってあげるから・・・など仲良くすればいいことがあるよと言える」
「薩摩は天皇の信頼があるから言いやすい。長州も天皇に認めてもらいたいはずだから」



『長州藩代表は桂小五郎。薩摩藩代表は西郷隆盛です。ようやく2人は顔を合わせることができた、としましょう。しかし、まだ自分からは言い出せないようです。その真ん中に龍馬がいます。さて、どんなセリフで2人を説得したでしょうか?考えてみましょう』

 数分後、話し合いをする。
「2つの藩が協力すれば長州は武器や船が買えるようになるし、薩摩藩は味方が増えて幕府を倒せる・・・とどちらも得することがある」

「日本はいま独立しなかればいけない。2つの藩とも同じ意見だ。日本のことを考えているならぜひとも虚力すべきだ」

「西洋から学んで日本の独立を守ろうという共通点はあるのだから、その考えを中心にして協力して仲間直りして幕府を倒し、新しい政府を作るべき」

「長州・薩摩とも単独で幕府に戦いを仕掛けたら、きっと以前のイギリスなど西洋との戦争と同じになってしまう。手を組んで新しい政府を作り、西洋に負けない国づくりをしていくべき」

「いまは日本が危ないんだ。日本がつぶれたらどちらの藩もつぶれてしまう。協力して日本を強くすべきだ」

「みんなで力を合わせなければ西洋には勝てない」

「自分たちの違う部分、共通していない部分ばかり強く感じてしまっている。逆に共通している部分、同じ考えを生かせばいい。長州も薩摩も日本の独立を守りたいのだから、それは協力すればかなう。協力して日本をこの手で作り、夢をかなえよう」

「同じ考えだし、同じ日本人なんだし、幕府を倒せばどちらももっと強くなれる。そうすれば西洋と同じになれる。日本ことをもっと考えてほしい」

「幕府を倒して、この日本を変えるぜよ!」

「西洋人たちに対抗するには日本という国で立ち向かうのが一番いい。それに幕府を倒せば、幕府の持っているものがすべて手に入って力にすることができる」


<ワークシート・第4ページ>

薩長同盟を成功させた龍馬の活躍

1866年に薩摩と長州は「薩長同盟」を結びました。
 これによって幕府と対等に戦う力が生まれ、倒幕が可能になったと言っても言い過ぎではありません。
しかし、この同盟を結ぶ話し合いはそう簡単には進みませんでした。薩摩藩も長州藩もそれまでのいきさつからなかなか自分から同盟を結ぼうと言い出せなかったのです。
 しかし、憎しみを乗り越えて、大きな目的のために協力しなければ歴史はかえられないのです。
長州の桂小五郎の回想によれば、龍馬は次のように話したと言われています。

「自分が長州と薩摩のためにがんばってきたのは、薩摩のためでもないし長州のためでもない。日本のことを思うからだ。日本の将来を考えると夜も眠れない。せっかく薩摩と長州の両方のリーダーが顔を合わせているのに何も決められないというのは理解できない。わだかまりを捨てて日本の将来のために深く話し合ってほしい」

龍馬は苦しい立場にある長州の気持ちを考えて「薩摩の方から話を切り出してほしい」と西郷隆盛に頼んだようです。
薩長同盟の第6条にはこう書かれています。
「開国以来、危険が増している日本を建て直し、西洋の力に対抗して日本の独立を守るために薩摩藩も長州藩も力を合わせて全力でがんばろう」

1867年11月15日。龍馬は京都の近江屋というところに泊まっていました。そこへ、数人の武士が突然現れて二階にいた龍馬に突然襲いかかりました。いきなり斬りつけられた龍馬は刀のさやで防ぐのが精一杯で、高杉晋作にもらっていたピストルを使うひまもなく殺されてしまいました。33才という短い生涯でした。犯人がだれでどんな目的で龍馬をねらったのかは、現在も謎のままです。

 最後に子どもたちの感想文をいくつか紹介する。

*龍馬は2つの藩を説得したすごい人物なんですね。本当に勇気がなければできないと思うので、龍馬の堂々としたところに感心しました。

*日本のために坂本龍馬は努力したことがわかった。殺されてしまったけれど、薩長同盟を結ばせたことで、当時の日本の未来を変えたはずだと思います。きっと長州藩も薩摩藩も倒幕を実現しようと考えただろうな、と強く思います。

*またもや33才で殺されてしまいましたね。龍馬は説得力があって話が上手だったと思います。後は西郷さんと桂さんにまかせるだけですね。

*坂本龍馬が日本を大切にしていたことがわかってよかった。今日も龍馬になってみようで色々考えられて楽しかったです。

*薩長同盟によって幕府がだんだん崩れていくのがわかりました。

*坂本龍馬がいなければ、薩長同盟がなくて、幕府は永遠に続き、西洋人にかなうことができないまま、不平等条約が改正できなかったり、日本が真っ二つに分かれたままだったから、すごいことだと思った。

*龍馬の勇気ある行動!剣術を磨きついに北辰一刀流を身につけたというこの努力!そして何よりも龍馬のセリフ!もう龍馬にしびれます。


高杉晋作

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編の第4弾です。
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                高杉晋作

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幕末の学習の第4時である。
 『では、幕末の人物学習の2回目です』  
  人物学習は吉田松陰に続いて、2人目となる。
  なお、毎回「前時は誰の学習をしたか」「その人物はどこの藩出身か」「その藩は今の何県か」を子どもに確認する。
  また、吉田松陰から勝海舟までの4人の学習は共通の課題を児童に提示している。

 <幕末の武士は日本のためにどのような行動を取ったか調べよう>
というものである。
これも毎回、黒板に掲示して確認する。

<ワークシート・第1ページ>

 ★この2枚の写真はどちらも高杉晋作です。気づいたことはありますか。 
 高杉晋作肖像①
高杉1

高杉晋作肖像②
高杉2

子どもの気づきは以下のようなものである。
「剣道の格好をしている」
「丁髷がある写真とない写真の両方がある」
「刀を差しているので武士だろう」
「服に家紋が付いている」
「まじめそうな感じ」

『高杉晋作は吉田松陰の弟子です。どんな人なのか調べてみましょう』


<ワークシート・第2ページ>

★魔王と呼ばれた高杉晋作

①将来を期待されていた
晋作の生まれた長州藩の高杉家は、戦国時代のむかしから殿様の毛利家に仕えている由緒正しい家柄で、高杉家だけではなく殿様からも将来を期待されていました。
 7歳ごろから藩校の明倫館で学び、12歳ごろからは兵術や弓・槍・剣道に熱中しました。

②負けず嫌いだった
明倫館で学んでいた晋作はこれだけではあきたらず、19才で吉田松陰の「松下村塾」に入門しました。そこには一つ年下の久坂玄瑞がいました。玄瑞は松陰先生も絶賛する秀才です。負けず嫌いの晋作は猛勉強を始め、他の生徒も一目置く存在となりました。
 その後も玄瑞と晋作の二人はよきライバルとして松陰先生を支えていきました。

③幕府との戦いで活躍
 1866年、晋作の長州藩と幕府の間で戦争が始まりました。日本の中で「尊皇攘夷」のリーダーシップを取っていた長州藩が幕府打倒の旗印をかかげたからです。これを「長州戦争」と言います。晋作も船を指揮して幕府軍を打ち破りました。
幕府軍は数ではまさっていましたが、意見が一つにまとまっていませんでした。また、戦国時代からあまり変わらない旧式の装備でした。これに対して長州軍は武士だけでなく民までもが一つにまとまり、西洋から最新式の鉄砲や船を購入していました。

④魔王
 長州藩は自分たちの藩たった一つで無謀にもイギリス・フランス・アメリカ・オランダの四カ国連合艦隊と戦争をしたことがあります。結果は完敗です。
 晋作は、このときの戦争後の話し合いの代表に選ばれました。長州藩は負けた側ではありましたが、晋作は臆することなく相手側と対等に議論しました。このときの晋作のことを相手側の外国人通訳は「まるで魔王のようだった」と記録に残しています。

⑤結核で亡くなる
長州戦争の終わりごろから晋作は体調がすぐれませんでした。肺結核にかかっていたのです。肺結核は当時は不治の病でした。無理な行動をくり返したため、急激に悪化したのです。
晋作は29才という若さで惜しまれながら亡くなりました。

 ここで感想を聞くと
④の馬関戦争のことが話題となる。
 西洋が圧倒的に強い、という情報をここまで与えてきているので長州というたった一藩で四カ国連合艦隊と戦争をしたことに驚いていた。


<ワークシート・第3ページ>

★高杉晋作の日記を読んで考えてみよう

1862年4月。
 晋作は千歳丸という船で清国の上海へ4ヶ月におよぶ海外視察へ出かけました。もちろん、海外へ行くのは初めてのことです。晋作はこのときのことを日記に書きとめ『遊清五録』という本に残しています。
この日記の中から4つのエピソードを読んでみましょう(なお、小学生にもわかりやすくするために言葉や文章を変えたり、付けたしたりしています)。
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   高杉晋作は、下の4つのエピソードの中でどれにいちばん
ショックを受けたと思いますか? 一つ選んで理由を書いて下さい。
また、ショックを受けた晋作はこれからの日本はどうするべきだと考えたでしょうか?

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①5月6日
 ようやく上海に到着。ここは清(中国)でいちばん大きな港のはずなのだが、泊まっているのはヨーロッパの商船や軍艦ばかりである。船の帆柱がすごい数なのでまるで森のように見える。陸にはこれもヨーロッパの商館の白い壁がえんえんと続いていてまるでお城のようだ。

上海の港
高杉3


②5月13日
 イギリス領事館から少し離れたところにガーデンブリッジという橋がある。この橋は今から7年前に一度こわれたらしい。ところが清国人には橋を直す力がなかったので、イギリス人がこの橋を作り直した。そこで清国人はこの橋を通行するたびにイギリス人にお金を支払わなければならないという。

③5月21日
清国人はことごとく西洋人にこきつかわれている。イギリス人やフランス人が町の中を歩けば、清国人はみんなはじによって道をゆずりビクビクしている。ここは清国の町のはずなのにイギリスやフランスの町のようだ。

④6月17日
午後、イギリス人が守っている砲台を見学し、イギリス製の最新式のアームストロング砲を見た。現在、わが国が使っている大砲はほとんどが筒先から玉薬を入れるが、この大砲は手元から玉薬を入れる。だからとても便利だ。図に書き残しておこう。
 

子どもたちの主な意見を見てみよう。 
なお、人数分布は以下のようになった。

①・・・1組 0人  2組 0人
②・・・1組 4人  2組 4人
③・・・1組15人  2組20人
④・・・1組 4人  2組 6人

②派
「これからの日本は、何か壊れたらすぐに直し、外国人に頼りすぎない方がいい。外国人を自由にしたら清のように通るたびにお金を取られるかもしれない」

「清国人が橋を直せなくて、それをイギリス人が直したのは親切かもしれないと思う。でも、お金を取ることはない。日本は何かを直したらお金を取るケチくさいことはしない国造りをしよう」

「もともとは清の橋なのに、イギリスが直しただけで清の民からお金を取るか?普通に対等に過ごせばいいのに。日本は、こんなことがないようにしたい。全員対等に暮らせる国づくりがしたい」

「清国人が直す力がないということで、イギリスに頼み、作ってもらったとはいえ、通行する人がお金を支払わなければいけないというのはあまりに卑怯だ。日本はこういうことが起きないように自分たちの力を付けなければいけない」


③派
「この頃の日本人は植民地にされたくないと思っている時だったから、植民地にされたらこんなひどいことになるんだって思い知らされている感があってショックで、日本は弱くても堂々と強そうにするべきだと考えたと思う」

「清国人がことごとく西洋人にこきつかわれているところがショックを受けたと思う。もしも、これが日本人だったら耐えられないし、自分の存在を見失う」

「清の人たちはもう、自分たちの居場所がなくなってしまっている。自分の国なのに普通の生活ができない。これからの日本は西洋に負けたとしてもちゃんと自分たちの意見を言うべきだ」

「清国人が簡単にやられてイギリスやフランスの国のようになっているから、これからの日本は清国人と同盟を結んで、イギリス・フランスを倒す」

「日本が開国したらこうなるのではないか、と思った。③から④の日にちが空いているのでショックすぎて他のことを書けなかったのではないか」

「ここは清の国なのにまるでイギリスやフランスの国みたいになったらとてもいやだと思う。これからの日本は外国人に恐れずに立ち向かっていくことが大切だと思う」

「清の土地は清国人のもののはずなのに、西洋の人たちが清を西洋の一部分と勝手に決めつけて住んでいる。これから日本は、聖徳太子と同じように西洋の国とも対等につきあうべきだと思います」

「西洋の植民地になるのはこわい。まるで自分たちの国が他の人々の国のようだ。日本はどうやってでも植民地になるのを防がなければ!日本は日本としてこのまま行きたい。何か方法や対策を練らなければ。独立する!」


④派
「今の日本は、筒先から入れるから時間がかかるのに、イギリスのは手元から入るから負けるのは当たり前だと思う。これからは日本もイギリスから最新式の大砲を買って、研究を重ねるべきだ」

「日本の大砲とは比べものにならないから、戦争を仕掛けても絶対に負けてしまう。これからの日本は、もっと兵術を改良すべきだ!これでは戦争を仕掛けられたら植民地だ」

   ***

 晋作は「これが一番ショックだ」とは書き残していない。
 ここでは自分が晋作だったらという観点で幅広く意見を出してもらう。しかし、どの項目を選んでも子どもたちの意見には「植民地化への恐怖」が述べられている。考えられる対策も具体性のあるものではないが「侮られてはいけない」「軍備の充実」の2点が提案されている。


<ワークシート・第4ページ>

★上海から帰った高杉晋作はどうしたか?

 上海から帰った晋作は次のように言っています。
「清国の上海の状況を調べたり、北京の情報を聞くと、わが国・日本も植民地化されないような策をすぐにでも打たなければ清国と同じようになってしまうだろう」
晋作が言う「策」とはどんなものでしょうか?
┌──────────────────────────────────────┐
日本人が独立の心をもち、西洋に負けない軍備を充実させること
└──────────────────────────────────────┘
 晋作は帰国すると独断でオランダから蒸気船を購入する契約を結びました。また、今回の航海でイギリス人から実地に学んで航海術を身につけ、くわしい日誌をつけています。そして、軍艦や大砲を国内で作ることができるように西洋の技術を学ぶ必要性を訴えました。
 さらに、晋作は奇兵隊(きへいたい)という新しい軍隊を作りました。武士の上下関係よりも、その人の持っている実力を重視し、武士でなくてもやる気のある者は農民でも入隊を許可したのです。 
 外国と戦うためには武士だけでは足りません。人口の90%をしめていた民の力も必要になっていたのです。奇兵隊には入隊希望者が次々と押しかけました。この後、長州藩では、遊撃隊・御楯隊・八幡隊・お相撲さんによる力士隊などさまざまな軍隊が400以上結成され、活躍しました。

 
 学習後の感想文を紹介する。
*晋作の奇兵隊から軍隊が結成されて活躍したと言うことは軍隊のもとは晋作なんですね。晋作の心構えも、軍隊の結成も、勇気がなければできなので晋作はすごい人だとわかりました。

*一番印象に残ったことは、晋作の日記です。西洋人の力が強くて、みんなが怖がっていたことが改めて伝わってきました。そして、「日本人が独立の心を持ち、西洋に負けない軍備を充実させること」・・・この言葉と奇兵隊を作るという考えがすごいと思いました。

*晋作はこんなにも策を練り、日本が植民地になることを誰よりも心配していたはずなのに29才という若さで死んでしまうなんて、どうして大きなことを成し遂げたり、有名になって活躍したりする人は若いうちに死んでしまうのだろう?と歴史の勉強をしていていつも思います。神さまぁ・・・」

吉田松陰

■安達弘先生の「なってみる歴史授業」幕末編の第3弾です。
 横浜の公立小学校6年生の思考力・表現力がみごとですね。
 全国の先生方が追試してくださいますように!

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           吉田松陰

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 幕末の人物学習である。
  第1回目は、吉田松陰を取りあげる。幕末人物学習の共通課題は「幕末の武士たちは日本のためにどんな行動を取ったか調べよう」であるが、吉田松陰の授業では当時の武士たちの共通の行動指針となった<尊皇攘夷>の考え方を知ることが大きな目的になる。また、同時にその思想を支えていた「国家」意識の芽生えを感じ取らせることも重要な指導事項である。

  ワークシートを配布して氏名等を書かせた後、松陰の2枚の肖像画を見せる。

<ワークシート・1ページ目>

★どちらも吉田松陰の肖像画です。気づいたことを書き出しましょう。

吉田松陰肖像①
松陰1

吉田松陰肖像②
松蔭2

 子どもたちは以下のような気づきが出された。
*本があること
*刀(脇差)があること
*丁髷を結っているので武士であること
 に気づく。その他に松陰の風貌について
*鼻が長い



『では、吉田松陰はどんな人だったのか調べてみましょう』 

<ワークシート・2ページ目>

★アメリカへ渡ろうとした吉田松陰

①11才で殿様に教える
 1830年8月、松陰は長州藩の武士の子として生まれ、幼いときから山鹿流兵学を学びました。なんと松陰は11才で長州藩の殿様にこの兵学の授業をしました。その授業があまりにもすばらしかったので大人たちを驚かせました。

②西洋の兵学を学ぶ
 しかしアヘン戦争で清がイギリスに大敗したことを知って山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感すると、西洋の兵学を学ぶために九州へ行ったり、江戸に出て勉強を続けました。

③アメリカへ密航をくわだてる
 1853年、ペリーが来航すると浦賀へかけつけて黒船を視察し、西洋文明のレベルの高さに驚き、西洋への留学を決意します。しかし、当時は鎖国の時代です。日本人が海外へ行くことできません。そんなことをすれば重い罪になります。
 翌年、再びやって来たペリーの黒船に乗り込むために、弟子の金子重之輔と二人で、海岸につないであった漁民の小舟で黒船にこぎ寄せました。幕府には秘密でアメリカに渡ろうと密航を計画したのです。しかし、ペリーに乗船を断られました。
 ペリーはこのときのことを日記にこう記しています。
『4月25日。午前2時。
 私たちの船に2人の男が近づいた。通訳を出してその男たちの要望を聞いたところ「アメリカへ連れって行ってほしい。世界を見て自分の考えを深めたいのだ」と言う。しかしそれは今の日本では犯罪になるので引き返してもらった。それにしても、知識を求めるためなら命もおしくないというこの2人は道徳的にも知的にも高い能力を持っている。このような若者たちがいるこの国の将来はたいへん有望だ』

④松下村塾
 この事件でとらえられた松陰は、長州へ帰され、野山獄という牢屋に入れられました。その後、許されて獄を出た松陰は松下村塾を開き、のちに日本を支える優秀な弟子たちを育てました。なお、松陰は一方的に自分が弟子に教えるだけではなく、弟子といっしょにに意見を出し合いました。「キミ」「ボク」という言葉も松陰が使い始めました。

松下村塾①
松蔭3

松下村塾②
松蔭4


⑤松陰の最期
 その後、松陰は再び幕府の考え方を批判しました。
 その結果、松陰は幕府に捕らえられ、江戸に送られて斬首刑となりました。30才でした。

 子どもたちは、幕府の手により30才で斬首されたことに大きな衝撃を受けていた。これはのちの意見形成に大きな影響を与えることになる。




<ワークシート・3ページ目>

★松下村塾の話し合いに参加してみよう

以下は先生の考えた架空の話し合いです。

 松下村塾では毎日のように松陰の弟子たちが「これからの日本はどうすればよいか?」について熱心に話し合っていました。
今日の話し合いは、松陰が次のように投げかけることで始まりました。

『アメリカ・イギリス・ロシア・・・どこの国も「国」としてひとつにまとまり、巨大な力をもってこの日本に迫っている。ボクが思うには、このままでは日本は西洋の植民地にされてしまう。ところが、わが国はいまだに「オレは長州藩だ」「私は薩摩藩だ」と自分の「藩」にこだわっている。とても「国」としてまとまっているとは言えない。キミたちはどうすればいいと思いますか?』

<弟子Aさん>
とにかく今はオールジャパンでこの危機を乗り越えなければなりません。それにはリーダーが必要です。いくら「だらしがない」と言ってもいまだに日本でいちばん大きな力を持っているのは幕府です。しっかりした考えを持った人が幕府にもいるはずだから、その人たちに働きかけて幕府を改革してリーダーを続けてもらいましょう。そして、いまのまま幕府のリードで開国を推進するのです。貿易でもうけたお金と「敵」である西洋から学んだ知識で西洋に負けない国づくりを進めるしかありません。

<弟子Bさん>
オールジャパンは私も賛成です。しかし、いまの幕府に改革などできるのでしょうか。それよりも天皇にリーダーになってもらいましょう。昔から日本は天皇を中心にまとまってきました。こんな危機だからこそ天皇中心の国づくりが必要です。この意見に賛成の武士たちが集まって幕府に代わる新しい政府を作るのです。そして、新政府がリードして開国を推進します。Aさんの言うとおり西洋に負けない国づくりを進めましょう。

<弟子Cさん>
 もちろん私もオールジャパンが必要だと思います。Bさんと同じくリーダーは天皇になってもらうことに賛成です。しかし、そうカンタンに開国を進めてよいのでしょうか?貿易を始めれば、あっという間に日本は西洋に飲み込まれてしまうでしょう。すでに物価が上がり、民は生活が苦しくなっています。生活が西洋化することで日本の伝統文化も消えてしまう可能性もあります。まだまだ西洋人を日本で自由に行動させるのは制限するべきです。あせってはいけません。


◆あなたはどの意見に賛成ですか? A・B・Cからひとつ選んでその理由を書いて下さい。
児童の意見分布を見てみよう。

A・・・1組 1人  2組 0人
B・・・1組 14人 2組13人
C・・・1組 11人 2組16人

主な意見を見てみよう。

A派
「これまで頑張ってきた幕府を倒すのはよくない」


B派
「昔から日本は天皇中心の国づくりをしたきたのだし、Cさんのような小攘夷をしていると国と国との争いが起きて、結局負けて植民地にされる。それなら、人が死なない開国の方がよい」
(なお、この児童は話し合いの中で「今のままでは幕府がリーダーの日本は弱いと思われているので、新しい政府を作ってイメージチェンジすれば西洋の国も見方が変わるのではないか」という意見を出していた)

「もう幕府はダメだと思います。だから、昔のように天皇中心でいきましょう。開国もした方がいいと思います。今は西洋人から色々と技術を教えてもらって、仲間になり、物価を下げられるようにすればいいと思います」

「どこの国でも強いリーダーが国をまとめています。もう、幕府の力は衰えているので、これからの重要な判断は天皇にまかせ、藩をなくせばさらに国はまとまります」
(この児童は話し合いの中で「藩を作ったのは幕府だから藩をなくして一つにまとめるためには幕府を倒す必要がある」と発言)

「幕府は鎖国をしていたので西洋とつきあうことには賛成はしないだろう。天皇なら昔の日本のやり方で西洋の国とつきあってもいいと許可すると思う。そこで天皇と手を組んで賛成する武士たちで倒幕して新しい国づくりをしたほうがよい」

「天皇中心の国づくりは本当に昔からやってきていることなので、天皇がリーダーになるべき。開国すれば、さらに西洋の国の知識が増えて、海外との親善も深まる」


C派
「リーダーを天皇にするのはよい考えだと思う。でも、日本の文化がすべて西洋風になって消えてしまうのはよくない。キリスト教が入ってくれば、日本の神様がなくなってしまうかもしれない」

「幕府には改革はできない。開国を焦ると民が生活できなくなって、西洋につぶされてしまう。お金がどんどん外国に流れて日本が弱くなってしまう可能性もある」

「日本は昔から天皇中心だったので、天皇中心に賛成です。そして、焦らずにまずは日本をしっかりさせてから開国した方がいいと思います」

「いちばん数が多いのは民です。しかも、何年も続く伝統文化を絶やさないようにするのも今の人の使命です」

「日本なのに時の流れに流されて日本の文化をなくし、西洋の文化を広めるというのはおかしい。自分たちにしかない文化を高めて、日本は西洋に負けないぞ、ということをアピールしたほうがよい」

「藩ではなく国全体でまとまらなければいけない。昔からの日本の考え方ならまとまれる。だから大切。天皇中心でいいと思う。これからも日本らしく行くためには開国はまだ早いかなと思う。日本という国としてまとまるべきだ」


  佐幕派はたった1人となってしまった。前回から比べて大きな変化である。これは松陰を斬首刑にしたのが幕府であることが大きく影響していると思われる。

  話し合いが終わったら
『では、松陰の考え方を見てみましょう』
と言って4ページ目を読む。



<ワークシート・4ページ目>

★吉田松陰の考えた日本の未来

 では、松陰はどう考えたのでしょうか?
 松陰は長州藩の殿様に自分の意見を提出しました。その『将及私言』という本の中でこう書いています。
┌──────────────────────────────────────┐
│  最近、よくこんな意見を聞くことがあります。
│ 「もし、西洋が攻めてきたら、江戸は幕府の土地だから、幕府を守るやくめの旗本と
│ 徳川家の親藩大名、昔から徳川に仕えている譜代大名が守ればいいだろう。
│ そして、私たち長州藩のようにその他の藩はそれぞれの自分の藩を守ればいいはずで、
│ 江戸を守るために幕府に力を貸す必要はない。
│ これは本当に大事なことがわかっていないダメな意見です。
└──────────────────────────────────────┘
 西洋の国々は「国」というまとまりで大きな力をつけています。
ところが、当時の日本人はいまだに「藩」という小さい単位でしか世界を見ていませんでした。
日本という「国」の「日本人」として考え、行動し、まとまらなければ西洋の植民地にされてしまいます。

 そこで、松陰は日本人が一つにまとまるために次のように考えました。

①尊皇(そんのう)
 古来から日本は天皇を中心にまとまってきた。これが他の国にはないわが国の特徴だ。だから、日本が他の国と対抗するためには天皇を中心にまとまるべきだ。

②攘夷(じょうい)
 たしかに西洋の国々はすごいし、学ぶべきこともたくさんある。しかし決してビクビクして侮られてはいけない。言うべきことははっきり言わなければ いけない。すべての国と対等につきあえるように堂々と行動しよう。

 こうした松陰の考え方を「尊皇攘夷」と言います。幕末の武士たちはみんなこの考え方で行動するようになっていきました。

黒船が来た


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【おわび】
前回12/18日に更新した後、発行人が病気になってしまいました。長い間更新できず申し訳ありませんでした。
退院はしましたが、まだ療養中であり、思考・集中・気力において不十分ですので、当分の間十分な更新はできないと思われます。すばらしい授業はたくさんあってとても残念なのですが、もうしばらくご容赦いただけますようお願い申し上げます。

■引き続き横浜の安達弘さんの授業をお届けします。安達さんは授業づくりJAPAN小学校の部のエースです。とくに人物中心の歴史授業ではこの人の右に出る教師はいないと思います。理論家でもあります。
ブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」ではもう大東亜戦争まで来ています。是非ブログもごらんください。
授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー

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             黒船が来た

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第2時である。
 ペリーの黒船来航を扱う。
「前回の学習でオランダ風説書がアメリカのペリーが来ることを予告していましたね。ついにやって来ました」
 

<ワークシート・1ページ目>

★ペリーの黒船来航
 1853年の6月。
 予告されたとおりアメリカの巨大な黒船4せきが江戸湾に近い浦賀にあらわれました。この絵を見て気づいたことを書き出してみましょう。

黒船

黒船2
1853年
サスケハナ号

 画像右手の黒船について
「船から煙が出ている」
「国旗みたいなものがついている」
「外国の船の方が何倍も大きい」
「横に水車みたいなものが着いている」
 当時のエンジンは石炭を燃やして、そこから出る蒸気の力で動く蒸気船であることを教える。
日本の小舟との大きさの比較は大事な気づきである。
 画像左手の海岸周辺について
「たくさんの人や舟がある」
「青いもので囲まれている」
「兵隊?らしき人がたくさん並んでいる」
「日本の小舟は34隻」
「日本側は厳重な警戒」
 船の大きさの違いも重要だが、幕府側は戦闘態勢にあったことをイメージしてほしい。
決して友好ムードで黒船と対峙しているわけではない。
 次のワークシートの設問(1)で4隻はすべて「軍艦」であり「大砲」を摘んでいることに着目させる。商船ではないのだ。


<ワークシート・2、3ページ目>

(1)この4隻の黒船のデータを見てみましょう。

│   船名       │    種類   │  大砲 │  定員  │  積載トン  │
│ 1. サスケハナ号 │ 側輪蒸気軍艦 │   9 │  300人 │  2450トン │
│ 2. ミシシッピー号│ 側輪蒸気軍艦 │  12 │  268人 │  1692トン │
│ 3. プリマス号   │   帆走軍艦  │  22 │  210人 │  989トン  │
│ 4. サラトガ号   │   帆走軍艦  │  22 │  210人 │  882トン  │

  ※この4隻の船に共通していることは何ですか?

(2)アメリカ大統領からの手紙を読んでみよう
 この時、ペリーは幕府へ大統領からの手紙を渡しました。
 そして「来年また来るのでその時に返事を下さい」と言って4日後に帰っていきました。その手紙を読んでみましょう。
┌──────────────────────────────────────┐
│  日本の皇帝へ

│ ①アメリカの船が故障したり台風のために日本に避難が必要なときは乗組員の命
│  と財産を保護してほしい。
│ ②アメリカの船が燃料や水、食料が必要なときや修理しなければならないときは
│  日本の港をいくつか利用できるように許可してほしい。また、日本の近くの無
│  人島を石炭の貯蔵所にしたい。
│ ③日本と貿易をしたいのでいくつかの港を利用できるように許可してほしい。

│   アメリカ大統領 フィルモアより
└──────────────────────────────────────┘
※幕府がいちばん困ったのは①②③のうちどれでしょうか?

★日米和親条約
 翌年の1854年。今度は黒船12隻をひきつれて、ペリーが再び来航しました。
 このときに日本はアメリカと日米和親条約を結びました。この条約で下田と函館の2港を開くことになり、ついに鎖国は終わったのです。

1854年①
久里浜上陸

1854年②
久里浜上陸


★日米修好通商条約
4年後の1858年。アメリカ総領事のハリスと何度も話し合って日米修好通商条約を結びました。今度は横浜・神戸・長崎・新潟・函館の5港を開きました。
 この条約は以下の点で日本側に不利な不平等条約でした。
┌──────────────────────────────────────┐
│ ①日本は治外法権を認めた
│ 日本で犯罪を犯した外国人を日本の法律で裁けないので、外国人に有利な判決
│ が下されてしまう。
│ ②日本には関税自主権がない
│ 外国の安い製品に税金がかけられないので、日本の製品が売れなくなり、日本
│ 国内の産業がつぶれてしまう。 │
└──────────────────────────────────────┘
日本は、これとほぼ同じ内容でオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも条約を結びました。
巨大な軍事力を持つ西洋の国々が相手では不平等な条約を結ぶしかなかったのです。

★当時の武士たちはどう思っただろうか? 
この時代の武士はこんな考えを持っていました。

□すべての武士の共通点は「尊王攘夷」だった
*尊王(そんのう)・・・日本でいちばん偉いのは天皇である。
*攘夷(じょうい)・・・西洋人に侮られたくない。ぜったいに負けないぞ!

□意見がちがう武士たちの対立点は2つある
①開国して外国人とつきあうべき(開国)⇔ 西洋人は斬り殺してしまえ(小攘夷)
②リーダーは天皇とそれを助けるやる気のある藩だ(倒幕)⇔ 
                 リーダーは天皇とそれを助ける幕府だ(佐幕)

□(1)と(2)を考えると次の4つの意見に分かれます。
┌──────────────────────────────────────┐
│ A:幕府を守り、開国して西洋人とつき合おう
│ B:幕府を倒し、開国して西洋人とつき合おう
│ C:幕府を守り、西洋人を追い出そう
│ D:幕府を倒し、西洋人を追い出そう
└──────────────────────────────────────┘

 当時の武士になったつもりで、あなたの意見を書いてみましょう。後でみんなで話し合ってみましょう。
 4つの選択肢の分布は以下のようになった。

 A・・・1組 9人 2組 7人
 B・・・1組11人 2組10人
 C・・・1組 6人 2組10人
 D・・・1組 1人 2組 1人

代表的な意見を紹介したい。
*A
「幕府は家康様が開いて続いてきたものだ。絶対に守り抜く。そして、西洋人ともつきあう。戦争して植民地になるぐらいなら、つきあって貿易して日本を発展させたい。もっともっと強くなってから追い出せばいい」
「参勤交代の制度もあって幕府を倒すことはできない。西洋人を追い出すと戦争になってしまう」
「西洋人を追い出そうとして戦いが起こったら勝てないし、幕府を倒そうとすると日本の中で戦争が起こってしまう」
「幕府を倒してしまったら日本を制御できないし、西洋人とつきあえば科学が発展すると思う」

*B
「幕府は200年間も鎖国を続けてきたから開国はすぐに認めないと思う。でも、このままだと西洋との差がどんどん広がってしまうから開国する気のない幕府を倒して、やる気のある藩と開国を進めたほうがいい」
「いまの幕府は力がないし、日米修好通商条約を勝手に結んじゃったから倒すべき。西洋人を追い出そうとしてもアメリカやイギリスの方が強いから攻撃されて日本が滅びてしまう」
「もう幕府は信用ならないから倒す。外国とつきあいながら少しずつ軍事力を付けていき不平等条約を改正する。戦争になったら外国からもらった新しい武器で戦う」

*C
「幕府がいなかったら日本はまとまらない。貿易したら外国の安い製品が入ってくるから日本の商売はつぶれてしまう」
「幕府はまだ大切だから守っておくべきだ。西洋人のいいなりになったら日本は商売がだめになる。だから西洋とは離れた方がいい。西洋には勝てないかもしれないが、このままだとだめだから追い出すべき」
「今まで江戸時代はうまくいっていた。苦しいと思った人は少ないと思う。もし、開国したら植民地になってしまうと思う」

*D
「幕府は日本に不平等な条約を結んだから倒す。こんな条約を結んだら外国人に好き勝手にやられてしまうから追い出さないと困る」

 開国派が多いのはわかるが、倒幕派と佐幕派を比べると佐幕派の方がやや多いのは興味深い結果である。
これまでの江戸時代の学習により、パックストクガワーナ(江戸時代の平和)は子どもたちの中に印象深く残っているようである。
 また、小攘夷派も意外にたくさんいる。
やはり、不平等条約への怒りは子どもたちも当時の武士と同じようである。



<ワークシート・4ページ目>

★江戸時代の終わりごろの日本はどうなっていたのか?

 江戸時代の終わりごろを「幕末」と言います。では、「幕末」はどんな時代だったのでしょうか。

①日米修好通商条約を結ぶときに幕府は天皇の許可をもらおうとしました。
しかし、天皇は西洋人が日本に住むことや港を開くことには反対していたので許可がもらえませんでした。
このため、開国派よりも、幕府に反対する小攘夷派の意見が強くなっていきました。

②ところが、幕府の大老・井伊直弼(いいなおすけ)は天皇の許可なしで条約を結びました。
そして、これに反対する者を次々と逮捕したり、処刑しました。
これを「安政の大獄」と言います。これで、今度は佐幕派の意見が強くなりました。

③しかし「安政の大獄」に怒った武士たちは、江戸城に入る途中の井伊直弼を桜田門の近くで襲撃して暗殺しました。
これを「桜田門外の変」と言います。これによって再び幕府に反対する意見が盛り上がりました。

④そこで、幕府はまきかえしをはかるため「天皇と幕府が協力しましょう」という「公武合体」を進めました。
天皇も賛成したので、またもや幕府は力を盛り返しました。
 
このようにめまぐるしく変化する中で、日本を大きく変える力になったのが「雄藩」と呼ばれる大きな藩です。
とくに次の3つの藩は大きな役割を果たし「志士」と呼ばれて大活躍する武士がたくさん生まれました。

*薩摩藩(いまの鹿児島県)の西郷隆盛・大久保利通

*長州藩(いまの山口県)の吉田松陰・桂小五郎(木戸孝允)・高杉晋作・伊藤博文

*土佐藩(いまの高知県)の坂本龍馬
 などです。

なお、幕府にも勝海舟というすぐれた人物がいました。
この後はこうした人物を通して学習を進めましょう。
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