授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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東京大空襲

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■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
先生方のどなたでも成果が出せる授業であり、子供達の誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 
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東京大空襲


 前回の「千人針」に続き、戦時下の国民生活の第2時という扱いとなる。
 じつは「千人針」→「東京大空襲」→次回の「硫黄島の戦い」は3時間でワンセットになる。

 「千人針」は銃後の国民から戦場の兵隊さんへの思い、「硫黄島の戦い」は戦場の兵隊さんから銃後の国民への思いを学習する。そのキーとなるのが今回の「東京大空襲」の学習である。



<ワークシート・第1ページ>

★下の絵は1945年3月の東京大空襲のようすを描いたものです。気づいた ことを箇条書きで書き出してみましょう。
東京1
東京大空襲の絵左

児童からは以下のような気付きが出された。
「勢いよく炎が上がって家が燃えている」
「上から何かが落ちてきている」
「みんな防災頭巾のようなものをかぶって逃げている」
「布団をかぶっている人もいる」
「奥にライトの光が見える」
「何かが地面に刺さって爆発している」
「炎の中に逃げ遅れた人がいる」

なお、次ページの資料で焼夷弾については詳しく説明する。
すると炎がなぜ上がっているのか、火から髪の毛を守る行為などの意味がわかる。



<ワークシート・第2・3ページ>

①B29と焼夷弾(しょういだん)

  東京を空襲したのはアメリカのB29(ボーイング29型)大型爆撃機です。このときにB29が落としたのはふつうの爆弾ではありません。焼夷弾とよばれるものです。


東京2
B29

東京3
焼夷弾

 なぜアメリカ軍は焼夷弾を使ったのでしょうか?アメリカはアリゾナの砂漠に一軒の木造住宅を作り、ある実験をしていました。その実験の連続写真を見てみましょう。

0分
東京4

10分
東京5

15分
東京6

20分
東京7


②東京大空襲を生きのびた人たちの証言

「あ、落ちてくる!」                            
 私の一歩前にいた男は、顔をのけぞらしてさけんだ。ごしっ!と耳の破れたような音。地底にひきこまれそうな爆音。あわてて閉じたまぶたの裏に、金色の閃光がはしる。焼夷弾は、落ちてくる-とさけんだ男ののど首に、火をふいてつきささった。その横を走ってきた女の左肩をかすって、電柱にささりこみ、あっというまに、あたり一面を地獄絵図変えてしまった。

 B29が、ガソリンをまきちらしたのは、その後です。爆音が耳をかすめて、頭に、ほおに、さあーッとつめたいものがふれる。はっと気がついてみると、水です。それもへんににおう、とろとろした水、液体です。はじめ雨かと思いましたけど、そのにおいで、すぐガソリンとわかりました。ああ、これで私ら焼き殺されるんだ。死ぬのかな、って思いました。けど、そのとたん、畜生、死んでなるもんかと思い、必死で起き上がろうとしたんですけど、ダメなんです。私の上は、死体だらけ。その死体がつみかさなって、みんなまっくろこげの棒みたいになっているんです。

髪の毛に火のついた人たちが大声でわめき、苦しみながら、のたうちまわる。背中の子どもが、そのとき、ギャーッと、異様な声をあげましてね、あわてて、子どもをおろして胸に抱くと、口の中が真っ赤。いえ、血じゃないの。泣いている口の中に、火の粉が入っているんですよ。火の粉が、のどをふさいでカーッと燃えているんです。私はあわてて、それを指でえぐり出しましてね、子どもを下にうつぶせになって、上にねんねこをかぶりましたが、ねんねこにもすぐ火がついてしまいました。私のまつげは、とっくに溶けてし


③東京大空襲の被害
 日本の首都・東京は、1944年11月24日に初めて空襲されました。その後、1945年8月15日まで110回を越える空襲を受けています。
 アメリカの空襲の最初の目的は製鉄工場や飛行機工場などの軍需工場でした。しかし、最初の22回の空襲であまり効果がないと考えたアメリカは空襲の目的を一般の民間人をもねらう無差別爆撃へと変更したのです。
 1945年3月10日の東京大空襲では、午前0時すぎから2時間半にわたって計334機のB29から1600トンの焼夷弾を投下されました。26万8千戸の家が焼かれ、10万人が焼死、40万人が負傷、被災した人は100万人を越えました。(空襲後の写真を見てみましょう)

被害1
東京8

被害2
東京9

被害3
東京10

被害4
東京11



★①~③の3つの資料を読んで、東京大空襲のどこに大きな問題点があると思いますか?あなたの考えを書いて下さい。

児童からは以下のような意見が出された。

「日本は弱いのに民間人とかをねらったから、それが僕の中ではすごく悲しくて切なかった」

「アメリカの空襲が無差別爆撃に変更したのが、問題だと思います。そのせいで小さな赤ちゃんまで被害を受けているからです」

「爆弾は爆発すれば終わりだけど、焼夷弾はいろいろなものに飛び移り、町全体を焼き尽くして、人を最後の最後まで苦しめた」

「B29がガソリンをまき散らしたところ。焼夷弾だけでももう十分被害を受けているのに、さらにガソリンをまき散らすというところがひどい」

「木造だからすぐ燃える、というのが問題点だと思います。もともと木造の家は日本の文化ですからしょうがないのに、そこをねらってくるのはひどいです。それにガソリンをまいて焼死させる発想がむごすぎる」



 ここで戦時国際法の話をした。

 子供たちは戦争にルールがあることを意外に思っている。これは大事な知識だ。この国際法の中には空襲の項目もあり、民間施設を狙うことは法律違反だということが書かれていることを教えた。



<ワークシート・第4ページ>

★横浜もねらわれた空襲

この東京大空襲の後も、空襲は続きました。

3月10日 東京(被災者100万人)

13日 大阪(被災者 50万人)

17日 神戸(被災者 24万人)

19日 名古屋(被災者 15万人)

4月13日 東京

15日 東京・川崎

6月~8月 全国55の地方都市

 わたしたちが住む横浜も、1942年4月18日に初めて空襲を受けました。
 1945年に入ってから、空襲回数は30回を越えました。

 とくに1945年5月29日の大規模な空襲で、横浜市内は壊滅的な被害を受けました。この横浜大空襲では、B29は517機、戦闘機は100機が飛来し、焼夷弾による約1時間の爆撃と機銃掃射で死者は1万人、被災者は32万人にのぼりました。

 現・京急黄金町駅周辺一帯では、電車から退避中の利用客も住民とともに被害にあい、大勢の人びとが焼夷弾による火災により逃げおくれて焼死しました。空襲警報とともに駅構内に逃げ込んだものと思われ、焼夷弾による火に包囲され、火あぶりとなってしまったのです。

 死体は黄金町駅の道路両側に並べられ、引取者を待っていましたが、初夏に近い五月末のことで、強い日ざしによって死体から油と血が流れだし臭気も出てきたため、やむなく死体は埋葬されました。

また、6月10日の空襲では湘南富岡駅(現・京急富岡駅)に到着した電車が爆撃から逃れるためにトンネル内に待避したところ、トンネルの前後に爆撃を受け、80人が犠牲になっています。


被害5
伊勢佐木町周辺
東京12

被害6
空襲上空から見た横浜市 
東京13
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千人針

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千人針


 戦争の「原因」の学習を終えて、ここからは戦争そのものについての学習に入る。
 最初に取り上げるのは「戦時下の国民生活」である。
 ここの学習のポイントは二つあると考えている。
 
 ①第1次世界大戦以降、どの国も「総力戦」になった
 ②つまり、日本の国民は戦地の兵士と一体になって戦った
 
 この授業では①と②を実感させるために「千人針」を中心教材にして教える。

 ワークシートを配布したら<戦時下の国民生活>と板書する。


<ワークシート・第1ページ>
★下の写真は戦争中の国内の生活のようすです。気づいたことを書きだしてみましょう。


千人針1
勤労動員

千人針2
学童疎開

千人針3
千人針を縫う

 児童からは以下のような点が出される。

「女の人が戦闘機を作っている」
「整備しているんじゃないかな」
「ゼロ戦だと思う」
「ランドセルやリュックを背負っているので、登校中だと思う」
「学童専用車と書いてあるので子ども用の電車」
「どこから安全なところへいくのだと思う」
「女の人が何か買ってる?」
「配給で配られているのでは?」

『では、2ページ目を見てみましょう』

 2ページを読むことで勤労動員と学童疎開の画像は意味がわかる。
 残る1枚は「千人針」のお話と関連することを告げてから読む。



<ワークシート第2ページ>

★戦時下の国民生活

 この時代になると、どの国も戦争は軍隊だけで戦うものではなくなっていました。「総力戦」とよばれ、国民の生活や教育、文化などすべてをかけておこなわれるようになっていました。
 戦争によってものが不足し、政府は消費節約や貯蓄増強を呼びかました。

 戦局が悪化すると、労働力が不足したため多くの生徒や学生が勤労動員されました。また、金属の不足のためにお寺の鐘や銅像のようなものも戦争のために供出されました。

 サイパン島がアメリカ軍の手に落ちると、ここを基地にして日本本土に大型爆撃機による空襲が始まりました。このために子どもたちは危険を避けるために親元をはなれて地方に疎開しました。これを学童疎開と言います。


★千人針

 千人針は、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作るもので、お守りのようなものです。これは「武運長久」と言って兵隊さんの戦場での幸運を祈って作られました。
 1メートルほどの長さの白布に、赤い糸で千人の女性に一人一針ずつぬって、結び目をつくってもらいます。特例として寅年生まれの女性は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来ました。これは虎が「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えにあやかって、兵隊さんが生きて帰ってくるのを祈るものです。
 できあがった千人針を、兵隊さんは銃弾よけのお守りとして腹に巻いたり、帽子に縫いつけたりして、大切に身に付け続けていました。
千人針4
千人針1

千人針5
千人針を見る



<ワークシート・第3ページ>

★千人針を作った当時の人の気持ちを考えてみよう

 戦争中の国民生活は苦しいものだったに違いありません。とくに戦争も末期になると自分たちが生きていくだけで精いっぱいの状態だったことが想像できます。

しかし、そんな中でも、当時の女の人たちは戦地で戦う兵隊さんのために千人針を作りました。いろいろ種類の千人針を見て、当時の人たちのどんな気持ちが込められているか考えてみましょう。

A 
千人針6


千人針7


千人針8


千人針9



児童からは以下のような予想が出された。

*Aについて
「虎は千里を・・・の言い伝えがあるので、それを絵の形にして生きて帰ってほしいと思った」
「虎は強い動物だから戦闘に勝てるように、虎のように強くなって欲しいと考えた」


*Bについて
「五円玉を付けているから、これからも御縁が続きますように、帰ってきて欲しいと言う気持ち」
「振り子のように右いってもまた左に戻れるから、それで国に戻ってこれるようにと考えた」
「お金を付けてお守りの力をプラスした」


*Cについて
「頭を守るために帽子の形にした」
「袋状になっていて家族の写真などを入れていたのではないか」
「生きていくためのお弁当を包むものにした」


*Dについて
「子供用の服の形にして家族のことを思い出してもらった」
「防弾チョッキみたいなものでこれを着て銃弾よけにした」


 Aについては虎の言い伝え,Cについては帽子型にしたこと、Dはチョッキにしたことが正解であることを伝え、どれも無事に帰ってきて欲しいと言う気持ちが込められていることを話す。
 
ただし、Bについては正解を保留して次ページを読む。



<ワークシート・第4ページ>

★千人針に込められた思い

◇ある兵隊さんのお話・その1

 千人針の形は腹巻、チョッキ、帽子等いろいろです。とにかく千人の女が一針ずつ縫いつづる、その真心が天に通じて神や仏のお守りが得られると信じられていました。
 私の母も二人の息子を戦地に送ったため、千人針を作ってくれたものですが、当時の私の村は家も少なくて千人の女性の手はなかなか得られず、そのために母は松江市に野菜などを売りに出かけるときには必ず千人針を持っていって、その売り先の家の人たちにお願いしてせっせと作ってくれたことを覚えています。


◇ある兵隊さんのお話・その2

 昭和14年1月10日に歩兵36連隊に入隊して、中国に上陸したのち昭和17年に帰国するまで、千人針の帽子とチョッキは肌につけ続けました。戦いで退却するときに、川を渡るとき恐怖を感じましたが、その恐怖を救ったのがこの千人針でした。


◇ある女の人の話
 チョッキにも腹巻にもみんなしました。それにちょうど心臓のあたりに五銭銅貨を、死線を超えるということで、十銭は苦戦を越えてといわれて付けたのです。主人は、どうも南方へ行くらしいよ、と言うもので、私はもう夢中でたくさんのポケットをつくりました。ミシンでザァーッと縫って、千人針ができたあとで、またポケットをあちこちに付けました。

Bについてはこの文章だけではわかりにくいので板書しながら説明を加えた。

 死線→四銭→4線  五銭→5銭  4より1つぶん多くなる=越えている→死線を越える

 苦戦→九銭→9銭  十銭→10銭 9より1つぶん多くなる=越えている→苦戦を越える



児童の感想を紹介する。

*自分が生きていくのも大変だった時代に女性が千人針を一生懸命作ったのは、絶対に帰ってきて欲しいという強い願いを兵隊さんに伝たかったのだと思う。兵隊さんもお守りとして家族といっしょにいるような心強いものだったんだと思います。

*女の人は、兵隊さんが生きて帰ってくることを誰よりも祈っていたと思った。

*千人針にはいろいろな気持ちや願いが込められていて感動した。これほど、願いや気持ちが込められていたのなら兵隊さんも安心できていたと思う。

*戦争中でも千人針を作って兵隊さんにもたせるということはその兵隊さんたちを大切にしているのだと思う。

*瀬人針は人の命を守るために作られたのであり、とてもいいと思う。ただ、作るのではなくもらった人の気持ちや早く帰ってきてという意味が込められていてすごくいいと思う。漢字にも意味があり、これならずっと頑張っていられる。

*人々の願いはすごいものでした。他にもいろいろな工夫がされていると思います。人々の思いは苦しい生活よりも強いです。

*今の日本にはない優しさがあると思った。当時の日本人は戦争に行く人全員を待っていたんだということが伝わってきた。

日米開戦

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日米開戦

 今回が「戦争の原因」を探る授業の3回目・最終回となる。
 いつものように「日本の宿命」と「課題」を掲示しておく。
 前回と前々回の「戦争の原因」の2つのキーワードである「満州国」と「日中戦争」の2つを確認する。これによって日本とアメリカ・イギリスは対立するようになった、というポイントである。



<ワークシート・第1ページ>

下の写真は昭和初期の東京・銀座と大阪・阪急デパート前の写真です。
 私たちが今の世の中で目にする風景と同じところを見つけてみましょう。


日米開戦1
昭和初期の銀座

日米開戦2
昭和初期の大阪

 児童からは以下のようなものが出される。

「電線がある」
「同じだけど電信柱がある」
「車が走っている」
「バスがある」
「大きなビルが建っている」
「工事現場がある」
「クレーン車みたいなものがある」

おおよそ電気関係、乗り物関係、建設関係が出てくる。

そこで、次のように簡単に尋ねる。
『車を作るにはどんな原料が必要ですか?』
「鉄」「タイヤはゴムでできている」
『では、車を動かすにはどんなエネルギーが必要ですか?』
「ガソリン」「石油」

同じように
『電気を作るにはどんなエネルギーが必要ですか?』
『建築現場を見てください。ビルの骨組みは何でできていますか?』
等を聞く。

 ここで鉄・ゴム、そして何よりも石油が重要なものであることがわかる(この実践の導入は東京の佐藤民男氏の追試である)。




<ワークシート・第2ページ>

★昭和初期にも必要だった石油エネルギー

 現代の私たちの生活にとって石油はなくてはならないエネルギーです。
 自動車や船を走らせ、飛行機を飛ばし、火力発電によって電気を作り、工場の機械を動かしているのは石油です。石油がなくなれば交通も産業も家庭生活もストップしてしまいます。この状況は100年前の昭和初期もまったく同じでした。
 さて、現代の日本は、石油の80%以上をサウジアラビア・アラブ首長国連邦・カタールなどの中東の国から輸入しています。しかし、昭和初期にはまだ中東で石油は発見されていませんでしたので、その80%をアメリカから輸入していました。


★ブロック経済に苦しめられる日本

 1930年ごろから世界は自分の国の産業を守るために高い関税をかけて他国の商品を閉め出す「ブロック経済」を取るようになっていました。これは原料となる資源が自分の国の中で取れて、国の中で売れる国はいいのですが、資源のない日本にとっては貿易で外国に商品が売れなくなるのでたいへん苦しいものでした。日本はたった1年間で貿易量が半分近くに減ってしまったと言われています。


★日本への経済圧迫
┌─────┬──┬─────────────────────────────┐
│ 1939年 │7月 │*アメリカは日本との通商航海条約をやめることを通告         
├─────┼──┼─────────────────────────────┤
│ 1940年 │5月 │*イギリスは日本向けゴムの輸出を全面禁止               
│        │6月 │*アメリカはインドシナ半島産ゴムを大量に注文して日本のゴ     
│        │   │  ムの注文を妨害                                
│        │    │*オランダはインドネシア産の石油を日本に売ることを断って     
│        │    │  きた                                       
│        │    │*アメリカは日本へのくず鉄(鉄の原料)と石油の輸出を制限    
│        │7月 │*アメリカは飛行機用ガソリンの日本方面の輸出を禁止        
│        │   │*アメリカはくず鉄の日本への輸出を全面禁止             
│        │9月 │*アメリカは鉄鉱石・鉄鋼・銅・スズ・ニッケルなどの日本へ     
│        │    │  の輸出を禁止                               
│        │12月│ *イギリスはタイ産の米を大量に注文して日本の米の注文を妨   
│        │    │  害                                       
└─────┴──┴─────────────────────────────┘
┌─────┬──┬─────────────────────────────┐
│ 1941年  │7月│◇日本はインドシナ半島の南で取れる石油をフランスから買う     
│        │    │ 約束をした。そこで、他の国がこれを妨害しないように軍隊     
│        │    │ を派遣した(南部仏印進駐)。                        
└─────┴──┴─────────────────────────────┘
┌─────┬──┬─────────────────────────────┐
│ 1941年  │7月│*南部仏印進駐に反対するアメリカはアメリカ国内にある日本     
│        │    │ の資産を凍結した(アメリカにある日本の政府や会社のお金        
│        │    │ を使うことを禁止すること。いろいろな国との仕事や貿易な      
│        │    │ どができなくなります)                            
│        │    │*同時にイギリス・オランダも資産を凍結した(アメリカ・イ        
│        │    │ ギリス・オランダは東南アジアには自分たちの植民地がある     
│        │    │ ので、日本の軍隊がここへ出てくると自分たちの植民地が危       
│        │    │ なくなる・・・と考えた)                             
│        │    │*アメリカは日本への石油輸出を全面禁止した              
└─────┴──┴─────────────────────────────┘




<ワークシート・第3ページ>

★当時の総理大臣になって考えてみよう

 アメリカ・イギリス・オランダの資産凍結により、日本は世界のほとんどの国と貿易ができなくなってしまいました。残っているのは満州・中国・インドシナ半島のフランス植民地・タイだけです。
 石油のたくわえは1~2年ぐらいしかもちません。当時の日本の人口は約7000万人ですが、もしこのままの状態が続けば日本人の1000万人が仕事を失います。失業者の家族をふくめれば日本人の約半分が生きていくことができなくなってしまうのです。  また、石油がなければ戦車や軍艦、戦闘機も動かなくなって軍隊は使えなくなります。こんな時に外国に攻め込まれたら・・・。
 ここまで、日本はアメリカとくりかえし話し合いを続けてきましたが、状況を変えることはできませんでした。

当時の政府の中には次の3つの考え方がありました。あなたが当時の総理大臣ならどの意見に賛成しますか?

◇第1案:アメリカとの話し合いを続ける

 とにかく話し合いを続けるべきだ。もし、話し合いが決裂してもアメリカ・イギリスとの戦争は絶対に避けなければならない。日本の国力を考えると戦争をして勝てる相手ではない。とにかく日本の国力が落ちても、戦争をするよりはましだ。くやしいがいまの状態をただひたすらがまんしよう。国民の中にも死者が出るかもしれないが耐えてもらうように頼むしかない。


◇第2案:すぐにアメリカと戦争する準備をする

 話し合いを続けてもアメリカが自分の考えを変える保障はない。そんなことをしているうちに石油はなくなってしまう。こんなときにソ連が満州に攻め込んできたら戦うことはできない。そして、アメリカも万が一に備えて戦争の準備を進めている。時間がたてばたつほど日本はどんどん不利になり危険が増えていく。今、決断すれば強いアメリカに勝てるかもしれない。このまま死を待つのはごめんだ。


◇第3案:話し合いを続けながら、万が一に備えて戦争の準備をする
 
 戦争をすぐに決めた方が勝てる可能性があることは認めるが、まだ望みを捨てずに話し合いを続けるべきだ。たしかに少々の不便はあるが話し合いを続けながら、万が一に備えて戦争の準備も並行して進めることにしよう。もしかしたら、日本が戦争の準備をしていることを知ったらアメリカも話し合いでの意見が変わってくるかもしれない。ただし、期限を決めてその時点で話し合いが決裂したら戦争を覚悟するしかない。


◆一つ選んであなたの考えを書きましょう。後で話し合ってみましょう。

 
 児童の意見分布を見てみよう。矢印の前が討論前、後が討論後の数である。

 1組・・・第1案 1人→0人    第2案 4人→6人    第3案 21人→19人
 2組・・・第1案 5人→4人    第2案 2人→2人    第3案 22人→23人


<第1案に賛成>

「死者が出てしまうのもいやだけど、すぐに戦争をしても勝ち目はない。戦争の準備をしているのをアメリカが知ったら逆に攻め込まれてしまうかもしれない」  

「アメリカ・イギリスは強いから、やっても勝てないと思うし、勝っても日露戦争の時のように日本の限界が来てしまう。資源がない日本は話し合いを続けるしかない」


<第2案に賛成>

「時が経つに連れて石油はどんどんなくなり、日本も弱くなっていざ戦争ろいうときに勢力が弱くて負けてしまうかもしれないから、まだ石油があるうちに戦っておいた方がよい。話し合いをしている間にたくさんの人が死ぬのはいやだから」

「話し合いを続けていてその間に日本人が苦しむと内乱などが起こるかもしれない。石油がある1~2年の間で戦争をして、それ以上続いたら負けを認める。それしか方法はない。もし、アメリカを倒したら他の国も認めてくれるかもしれない」


<第3案に賛成>

「第1案と第2案は危険すぎる。第2案ではアメリカには勝てないので、準備中のそのちょっとの油断をつかれて植民地にされてしまう。第1案は無理矢理話し合いを続けていると、そのうちに犠牲者が増えてしまう。準備さえしておけば倒せる可能性も広がる」

「もしかしたら、話し合いが成功するかもしれないのに、今石油を使えば国民はもっと苦しくなってしまう。1案はやられっぱなしなので悔しい」

「東郷平八郎じゃないんだからアメリカが戦争してくるか、貿易してくれるか、そんなのわかるわけがないんだから、話し合いを続けながら万が一に備えて戦争の準備をするしかない」

「1案で死者を出してしまったら、話し合いに失敗して戦争になったときと同じになる。2案だと無闇に突っ込んでいってしまったらあかえって多くの死者を出してしまい、大戦争になる可能性がある。望みを捨てない3案がいい」

「すぐにあきらめるのではなく、まずはもう一度話し合ってみる。しかし、話し合いがうまくいかず、もしかしたら攻撃をしてくるかもしれない。そのときのために戦争の準備をしておく。両立させておけば、とりあえず間違いはない。安心できる」



<ワークシート・第4ページ>

★アメリカとの戦争を決めた日本

 政府は会議でこれからの方針を第3案に決めました。

 この苦しい状況をなんとかするためにアメリカとくりかえし話し合いを行いました。しかし、残念ながら進展はありませんでした。
 1941年11月、アメリカは「ハルノート」という次のような提案を日本につきつけました。
┌──────────────────────────────────────┐
│ ①日本は中国とインドシナから軍隊と警察を引き上げるべし。                   │
│ ②日本は中国のいくつかある政府のうちアメリカが支援している政府のみ認めよ。      │
└──────────────────────────────────────┘

 日本がこの2つを認めれば石油の輸出を再開するというのです。
 しかし、この2つを認めると言うことは次のことを意味します。
┌──────────────────────────────────────┐
│ *日本は中国にある権利と満州の権利をすべて捨てなければならない。            │
│ *これからは石油を売ってほしければアメリカの言うとおりしなければならない。       │
└──────────────────────────────────────┘

 これは、ようやく世界の大国と肩を並べられるようになった日本に対して「すべてを捨てて日本列島に引っ込み、70年前の明治維新のころの日本に戻れ」と言っているのと同じです。独立国・日本として、これまで先輩たちが苦労して築き上げてきたものをすべてあきらめることなどとてもできません。
 中国と満州にいる日本人の生活はどうなるのでしょう? 
 しかも、本当に欲しい分だけアメリカは石油を売ってくれるのでしょか?
 この提案を承認したら、苦しんでいる国民をさらに苦しませることになってしまいます。

 「ハルノート」を読んだ当時の東郷外務大臣は
「目の前が真っ暗になるほど失望した。長年の日本の苦労や犠牲をすべて無視して、東アジアの大国になった日本に対して持っているものをすべて捨てろ、と言うのだ。これは日本に自殺しろと言っているのと同じだ」
と言っています。

 日本政府はこの提案を「最後通告」と受け止め、アメリカとの戦争を覚悟するしかありませんでした。

 
児童の感想を見てみる。

*自分で総理大臣の立場になってみたら、かなりのプレッシャーを感じた。このことを決めるのはとてもよく考えなければならないと思った。

*今日の学習で、日本は他の国から貿易できないようにされて、これ以上発展するな、と言われているように感じました。はじめは日本が進歩したから戦争をしたのかと思ったけど、日本は仕方なく戦争になったんだなと思いました。

*アメリカはひどすぎると思います。戦争を覚悟するのも無理はないと思います。アメリカなどの大国と戦争すれば負けるのは目に見えているのに・・・。どちらを選んでも日本が負けるなんて不公平すぎます。最低!

*第3案に意見を決めて苦しい状況を進展させようとしたときに、アメリカから日本にとって厳しい通告をされて戦争になってしまったのは、当時の日本にとってしかたがないことなのかなと思いました。石油1~2年分で戦争ができるのか、心配になりました。

*アメリカはいつもずるい!ずるすぎますよ。自分たちが強いからって何を考えているんでしょうか!負ける日本!がんばれ日本!です。いつか日本がアメリカと全く同じに肩を並べられるようになることを願っています。

*日本はアメリカと戦争をするしかなくなったけど、日本はアメリカの考えにはまってしまってついに戦争をするしかなくなってしまった。

*アメリカは、今と違ってけっこう意地悪ですね。それでも、昔から積み重ねてきた日本の苦労をけっして無駄にしないぞ!という日本の意思がすごいと思いました。

*日本だけなぜこんないじめを受けるのでしょうか?大国と肩を並べるということはたいへんなことでもあるんですね。

*アメリカとイギリスはとてもひどいと思いました。(いじめ!)せっかく、今の日本を築き上げてきたのに、それが、すべて水の泡になるのは最悪だと思いました。それほど、世界は厳しいんだなとわかりました。

*アメリカのルーズベルトさんも、アメリカの人たちも「武士道」を読んで「日本はすごい」とか言っていたくせに、日本に対してこの態度はなんだ!ペリーの時代から日本と仲良くしていたくせに!浮気か!たるんどる!

*負けてしまうのはわかっていたけれど、戦争になって仕方がないと思う。もし、アメリカの言うことを聞いていたら日本はアメリカの植民地になり、もっとたいへんなことが起こったに違いないと思います。

*日本はこのときになんでこんないじめられてたんだろう?でも、ここまで日本はがんばってきてくれたから本当に感謝しなければいけない。日本って今でもギリギリの国?

*今日の学習では、日本の苦しみと覚悟を知ることができて、とてもうれしいのと悲しいのが混ざってあまりよくわからなかったです。でも、今日の学習は将来絶対に役立つと思います。

日中戦争

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■安達弘先生の「小学校歴史人物学習 <なってみる日本史>」の紹介を続けます。
これは安達先生のブログ「授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー」から転載しています。

安達先生の授業は文科省推薦のアクティブ・ラーニングの歴史授業版です。
また、B4用紙裏表印刷のプリント(ワークシート)1枚だけで学習できる画期的なスタイルによって、
ユニバーサルデザインを実現した歴史授業としても定評があります。
誰でも成果が出せる授業であり、誰もが意欲的に学習に取り組める授業です。
 

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日中戦争

 授業が始まる前に「日本の宿命」及び「課題」を黒板に掲示しておく。
 授業は前回の確認から入る。

『今日は戦争の原因の学習の2回目です。前回のキーワードは満州国でした。日本は満州国を作りました。国際連盟は調査団を送り、日本人が中国大陸で危険な目に遭い、安全が脅かされていたことは認めてくれました。しかし、満州は他の国も共同で管理した方がいい、と報告しました。しかし、すでに満州国を作っていた日本はこれに反対しました・・・ここまで学習しましたね。では、今日は戦争の原因の学習、2回目です』
 
 今日のワークシートを配布する。
 ワークに日付とタイトルを書く。タイトルは<日中戦争>である。
 ここで以下のことを確認し、導入とする。

『おさらいを兼ねて確認します。日清戦争と言ったら日本と清の戦争でしたね。日露戦争と言ったら日本とロシアの戦争でしたね。では・・・日中戦争と言ったら?』

「日本と中国です」
『そうです。日中戦争と言ったら・・・日本と中国の戦争・・・のはずですよね?・・・ではワークシートを見てみましょう』 
 ここでさらに付け加える。

『日中戦争と言ったら日本と中国が戦争をしているはずなんですが、ここの3枚の写真を見ると「あれ?へんだなあ」「日本と中国の戦争のはずなのにおかしいな?」と思うところがあります。それを見つけて下さい』


<ワークシート・第1ページ>
★下の写真は日中戦争のときのものです。 3枚の写真を見て気づいたことを書き出してみましょう。
シナ1
日本軍歓迎1

シナ2
日本軍と中国の子ども1

シナ3
日本軍と中国の子ども2

 2分ほどの短い時間だが、子どもたちはいくつかのことに気づく。

「中国の人が日本の旗を持っている」

「日本の兵隊と中国の子どもが遊んでいる」

「戦争をしている雰囲気じゃない」

「日本軍を中国の人が歓迎している感じがする」

『そうですね。日本と中国が戦争をしているはずなのに・・・中国人が日の丸を振って町に入ってきた日本軍を歓迎しています。それに日本の兵隊さんと中国の子どもたちが手をつないで遊んでいたり、おもちゃで遊んでいます・・・・違う写真も見てみましょう』

シナ4
日本軍歓迎2

中国人の女の子が日の丸を自分の家の前に飾っています。ニコニコしています。

シナ5
日本軍と中国の先生
ここにいるのは中国の女の先生です。日本の兵隊さんに校長先生になってもらっています。


シナ6
日本軍の治療1
この衛生兵は戦った相手である中国兵の治療をしています。

シナ7
日本軍の治療2

この人たちは日本軍の衛生兵です。中国の子どもたちの治療をしています。

シナ8
日本軍の礼儀

「中国無名戦士の墓」と書かれています。戦って亡くなった敵である中国兵のお墓を作り、深々とお辞儀をして弔ってあげています。


『それにしても、日本と中国は戦争をしているはずなのに・・・へんですよね。その理由を調べてみましょう』

ワークシートの2ページ目の①を読み、その後に以下の説明を加える。

『つまり、内乱状態ですから、そこにはいろいろな政府や軍閥、盗賊もいます。その中には、ひどい奴もいるんです。そんな人に町を支配されたら自分たちの安全が守られません。そこに日本軍が来て、そんな奴を追い払い、しっかりした政治をしてくれれば自分たちの生活の安全が保障されます。だから、しっかりした政治をしてくれて親切で優しい日本軍を歓迎してくれているんです』



<ワークシート・第2ページ>
★日中戦争のころの中国大陸

①混乱する中国大陸

 中国には清がほろんだ後に、中華民国という国ができましたが、すぐに分裂してしまいました。そして、各地に武装した「軍閥」と呼ばれるグループがそれぞれ「政府」を作って「自分たちが中国の代表だ」と言っていました。これらの「軍閥」「政府」が互いに絶え間なく戦い合う混乱の時代だったのです。また、満州族は日本の力を借りて満州国を作り、モンゴル族やチベット族も独立を宣言していました。

 この混乱した中国には、西洋の国も日本もすでに自分の国の人間が住み、生活をしていました。ですから、国民とその生活を守るために軍隊を派遣し、「政府」の中の有力なグループと話し合ったり、仲良くしようとしていました。アメリカ・イギリスは南京政府と、ソ連は延安政府と仲良くしようとしていました。
 日本もここまでは南京政府と話し合ってきました。


②日中戦争の経過を見てみよう
┌───┬──────────────────────────────────┐
│1933年│*停戦(戦争をやめる)協定が結ばれて日本と南京政府の戦争が終わる。
├───┼──────────────────────────────────┤
│1934年│*南京政府は満州国と鉄道・郵便・電信をつなげる。
│     │*南京政府と延安政府の戦争が激しくなる。延安政府は敗走。
├───┼──────────────────────────────────┤
│1935年│*南京政府と約束して日本が中国北部に入ることになる。
│     │*北部の各地で日本と仲良くしようとするリーダーが小さな政府をあちこちに
│     │ 作り始める。南京政府はそれを見て警戒。
├───┼──────────────────────────────────┤
│1936年│*日本のことをよく思わない人たちの反日デモが増え始める。
│     │*四川省で日本人記者2人が殺される。 │
│     │*広東省で日本人商店が襲撃され店主殺害・日本人の警官射殺される。
├───┼──────────────────────────────────┤
│1937年│*延安政府がわざと日本軍に鉄砲を撃ち込み、南京政府と日本が戦争に
│     │ なる(7月7日)。
│     │*停戦協定が結ばれたが、南京政府は攻撃を続けた(7月9日)。
│     │*再び停戦協定を結んだが、また南京政府が攻撃したので日本も応戦した
│     │ (7月11日)。
│     │*通州で日本人117名と朝鮮人106名が殺される。
│     │*南京政府は休戦協定を破り、日本への攻撃をくり返した(8月11日)。
│     │*南京政府が日本艦隊へ空襲(8月14日)。
│     │*日本は南京と上海へ爆撃を開始(8月15日)。
│     │*日本はドイツを通して和平交渉を申し込んだが、南京政府に拒否された
│     │ (11月2日)。
│     │*日本はアメリカに「間に入って和平交渉を進めてほしい」と頼んだが、断られ
│     │ る(11月15日)。
│     │*日本は南京政府を追い、首都・南京まで攻め込み占領する(12月13日)。 
│     │   南京政府は重慶へ逃げて重慶政府となる。
└───┴──────────────────────────────────┘
※最初は南京政府とうまくいっていたのに、いつから関係がおかしくなったのだろ う?



<ワークシート・第3ページ>
★不拡大方針のはずが・・・どうやって戦争をやめればよいか?

 日中戦争が始まると日本はすぐに「不拡大方針」を発表しました。
 つまり、これ以上戦闘を続けたり、騒ぎが大きくならないようにするという方針です。
 しかし、こうした方針を決めたのになかなか戦闘を止めることができませんでした。
 では、どうすればよいか?当時の日本政府になって考えてみましょう。

この時に、中国大陸には3つの有力な「政府」がありました。
┌──────────────────────────────────────┐
│  ①もと南京政府が重慶に逃げて作った重慶政府。アメリカ・イギリスが応援して
│   います。日本もこれまではここと仲良くしようと考えていました。。

│  ②もと南京政府から分かれてできた新しい南京政府。日本と仲良くしたいと考え
│  ています。

│  ③延安政府。ソ連が応援しています。
└──────────────────────────────────────┘
当時、下の2つの考え方があったとします。あなたが、当時の日本政府ならどちらの考え方を選びますか?

A:新しい南京政府と話し合おう

 本当は重慶政府と仲良くしたいのですが、いくら話し合いを望んでも、重慶政府は応じてくれません。これ以上、こちらから歩み寄ってもムダです。それにアメリカ・イギリスは東南アジア側から山にルートを作って武器を重慶政府に売っています。これは日本に対して戦争を仕掛けているのと同じです。こんな状況で仲良くなれるのでしょうか? 
 新しい南京政府は日本と仲良くした方がこれからの中国のためになると言う考え方です。だったら日本は希望を持てる新しい南京政府と話し合うべきでしょう。


B:重慶政府と話し合おう
 新しい南京政府はまだ小さくて力があまりありません。ここと仲良くなったからといって戦闘が止まるのでしょうか? 結局は力のある重慶政府と話し合うしかありません。それに重慶政府との関係をあきらめたら、アメリカ・イギリスを完全に敵にすることになります。
 日本に不利な条件を要求してくるかもしれませんが、ここはがまんにがまんを重ねて重慶政府の要求をできるだけ受け入れましょう。今後のことを考えると、アメリカやイギリスとの関係が悪くなるのは避けたいです。

◆どちらかを選んであなたの考えを書きましょう。後で話し合ってみましょう。

児童の意見分布は以下のようになった。矢印の前の数字が討論前、後の数字が討論後の人数である。

1組・・・A 15人→19人  B 12人→ 8人
2組・・・A 15人→17人  B 15人→13人 

主な意見を見てみる。

<A派>

「新しい南京政府は日本と仲良くしたいと思っているので、南京政府の方が仲良くしやすくて希望が持てる」

「Bの意見ももっともだけど、戦争から逃げると世界から、日本は弱くなったな・・・と思われてしまう。新南京政府と組めば中国にもメリットはあるんだからその方がいい。重慶政府は話を聞いてくれないし攻撃してくるんだからデメリットばかりだ」

「日本は強いのでその武器を新南京政府に送ればそれなりの力になると思う」

「新南京政府が力がないというのなら、その政府と話し合って日本の信頼をもらって日本と組んで大きな政府にすればいい」

「何回も停戦協定を結んだのに、無視して攻撃を続けてくる相手と組んでもうまくやっていけるわけがない」

「話し合いを断られているし、重慶政府の要求を受け入れるのは日本にとって不利だと思います。アメリカやイギリスが武器を売っているのに仲良くなれるとは思わない」

「重慶政府と話し合って不利な条件を受け入れてしまったら、後からどうやって改正するんですか?昔に逆戻りです」

「重慶政府と仲良くなったら、日本と仲良くしたいはずの新南京政府が攻撃してくるかもしれません」

「新しい南京政府と仲良くして、混乱している中国を一緒に安全にする」



<B派>

「新南京政府の方が話し合いは楽に進みそうだけど、アメリカからは日本が国際連盟を脱退してからというものなめられているので、ここは信頼を取り戻すチャンスになる。そもそも、もともとやっていない罪を延安政府になすりつけられているんだから、互いに謝れば大丈夫だと思う。延安政府を全滅させればいい」

「どうしてもアメリカ・イギリスを敵に回すのは絶対に避けなければいけないから、ここは重慶政府を仲良くして、その後に南京政府とも仲良くすればいい」

「アメリカやイギリスは大切な学ぶべき相手だし、貿易をしているから」

「力の弱い新南京政府と話し合っても戦争は終わらないし、アメリカやイギリスを敵に回すと他の西洋の国々とも仲が悪くなる」



<ワークシート・第4ページ>
★日本は重慶政府をあきらめて、新しい南京政府を選んだ

日本が選んだのはAの「新しい南京政府と話し合う」でした。

 そのころ中国大陸には、日本と関係の深い産業がたくさんありました。
 茶・清涼飲料水・自動車・木材・セメント・マッチ・電球・ゴムなどの中小工場、製糸・製粉・造船などの巨大工場などです。そして、そこで働き、生活している日本人がたくさんいたのです。中国は内乱状態でしたから、日本人を守るための軍隊も必要でした。中国大陸は日本の経済と生活に深く結びついていたのです。
 もし、重慶政府と意見を一致させようとすれば、日本はそこに住む日本人も、苦労してそこに起こした産業も、軍隊もすべて撤退しなければなりません。これは国民の気持ちを考えると、たいへん難しいことでした。

しかし、この決断はアメリカ・イギリスとの関係を悪くしてしまいます。もしかしたら戦争になるかもしれません。中国大陸での問題も解決していないのに、アメリカ・イギリスと戦争をすることはなんとしても避けなければなりません。

ですから、政府内でもくり返し話し合いが行わました。そして、日本政府が決断したのがAだったのです。こうして、日本は新しい南京政府との間で条約を結びました。これに反対するアメリカ・イギリスは重慶政府への応援をさらに広げていくようになり、対立が深まっていきました。


 児童の感想を紹介する。

*今回の決断はとても難しかったです。当時の人も大変だったと思います。しかし、アメリカ・イギリスと仲が悪くなったのは残念です。でも、しょうがないことなんですよね。

*重慶政府は、日本の軍隊と停戦協定を結んだのに攻撃を続けるのはどうかと思うし、それを非難しないアメリカやイギリスもどうかと思う。

*ただ強いからという理由でアメリカ・イギリスが応援する重慶政府ではなくて、中国大陸に住む日本人を思って新しい南京政府と条約を結んだ当時の日本人は、アメリカ・イギリスとの関係を悪くしてしまうリスクを背負いながらも、すごいと思いました。

*アメリカ・イギリスはどうしても重慶政府の味方なんですね。アメリカ・イギリスと対立してしまったら、この二国は戦力も圧倒的なのでそれは絶対に避けたいです。

*日本は重慶政府、そしてアメリカ・イギリスを敵に回してしまったけど、時間をかけて作り上げた工業を手放す必要なはいと思った。

*延安政府はひどいと思いました。日本と重慶政府との戦争の原因だから。

*日本はアメリカ・イギリスと対立してしまうことになったけれど、日本人・産業・軍隊のことを考えると仕方がないと思う。

*今日の学習の最初に日中戦争って書いてあるのに、助け合いなんかしてびっくりして「何やってんだよ日本」と思ったけど、理由を知って日本は偉いな、と思いました。でも、これからの日本とアメリカ・イギリスの関係が気になります。

*日中戦争なのに中国の人に喜んでもらえるなんて、日本は本当に優しい国だな。あらためて実感しました。

*国民の気持ちを考えるとAだけど、外交のことを考えるとBだから、どちらにしてもリスクが高いなかでの決断だと思う。でも、米・英との戦争を避けなければならない。

満州国をどうするか

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満州国をどうするか

 第2時は「戦争の原因を探る」というテーマの学習の1回目となる。
 一つ目のキーワードは満州である。

 最初に上記のようなこの授業の方向性を確認した後に、第1時から続く共通の課題を掲示する。 
 また、「日本の宿命」も大事なヒントとして掲示する。

<ワークシート。第1ページ>

★下の表と地図を見て気づいたことを書き出してみましょう。
┌───┬───────────┐
│ 王朝名│  建国した皇帝
├───┼───────────┤
│ 隋   │ 楊堅(ようけん)
├───┼───────────┤
│ 唐   │ 高祖(こうそ)
├───┼───────────┤
│ 宋   │ 太祖(たいそ)
├───┼───────────┤
│ 元   │ フビライ
├───┼───────────┤
│ 明   │ 洪武帝(こうぶてい)
├───┼───────────┤
│ 清   │ ヌルハチ
├───┼───────────┤
│ ?   │
└───┴───────────┘
満州1
現在の中国地図

 なお、教材として適切な地図が見つからず、余計な情報が入ったものとなってしまっている。そこで事前に着目させる観点を与えるために『地図にはいろいろな線が入っていますね。どんな線があるか、調べてみましょう』と指示しておく。

 ここで児童に気づいて欲しいのは以下の2点である。

 ①表にあるカタカナの人名

 ②地図にある線のうち東西を走るデコボコの線 


①は漢民族以外の民族が中国の王朝となった例である。モンゴル族のフビライと満州族のヌルハチである。
②はその異民族の侵入を防ぐために作った防御用の壁となる万里の長城である。



<ワークシート・第2ページ>
★中国大陸と日

①万里の長城

「万里の長城」は全長は6000kmで千年以上かけて作られました。月からも見えると言われています。これは南に住む漢民族が北から異民族(モンゴル族や満州族など)に侵入されないように作った防御用の壁です。この壁を突破し、漢民族を滅ぼしてできた国が元(モンゴル族)と清(満州族)です。中国大陸にはさまざまな民族が住んでいて戦いをくりかえしてきた長い歴史があるのです。
満州2
万里の長城1
満州3
万里の長城2
満州4
万里の長城3
満州5
万里の長城4


②日本人は満州に住むようになった

 日露戦争後のポーツマス条約により「万里の長城」よりも北の土地である満州はロシアから清に返されました。そこで、日本は南満州鉄道(満鉄)の権利を清からもらい受け、満州の荒れた土地に鉄道を通し、町を作り、産業を起こしました。そして、多くの日本人が満州に住み、農業・商業・工業を営んで生活していました。


③盗賊と軍閥といくつもある政府

1911(明治44)年、ついに清が滅んで中華民国が誕生しました。しかし、中華民国はまとまりが弱く「自分たちが本当の中国政府だ」と名乗る人が何人もあらわれるような状態でした。また、大陸では数え切れないほどの大小さまざまな盗賊が暴れていました。そして、こうした盗賊の中から強い者たちが軍閥を呼ばれるグループを作り、戦争をくりかえしていました。中国大陸は内乱状態だったのです。


④次々と起こる事件

 清が滅び、しっかりした政府もない中国大陸では治安が乱れていました。ほとんどの中国人は日本人と仲良くしていたのですが、なかには日本人を標的にするグループもあって事件が続発しました。日本人の子どもたちに石が投げられたり、日本の会社に勤めている中国人が脅迫されたり、町に日本人の悪口を書いたビラが貼られたりしました。さらにひどくなると町の中で日本人が殺されたり、日本人の経営する会社が爆破されるなどのテロも起きるようになりました。そして、怒った日本人と中国人のなかが険悪になり、衝突することが増えるようになってしまったのです。


⑤ソ連が迫ってきた

革命が起こったロシアは、これまでとはまったくちがう社会主義の国・ソビエト連邦(ソ連)になっていました。ソ連は五か年計画で力をたくわえ、満州の近くに大軍を集め始めました。その力は日露戦争の時よりも強いと考えられていました。



<ワークシート・第3ページ>
★満州を今後どうするか?・・・当時の日本人になって考えてみよう

 では、満州を今後どうすればよいか、当時の日本人になって考えてみましょう。
以下は架空の話し合いです。
 3人の意見を聞いて、あなたならどの意見に賛成するか考えてみてください。

◇Aさん:満州を「日本」にする

この状態では満州に住んでいる日本人の安全が保障できません。満州地域の「政府」に犯罪の取りしまりを頼んでも何もしてくれません。これでは子どもが町の中で遊ぶことさえできないではありませんか。こうなったら満州を日本の植民地にして日本政府が直接治めるしかありません。日本の国の力で安定した政治を進めれば安全な生活ができて満州に住む満州人や漢人たちもみんな喜ぶはずです。
 それにソ連が迫ってきています。満州に進入されたら大変です。日本の軍隊をソ連防衛に専念させるためにも日本の領土にしましょう。


◇Bさん:満州国をつくる

確かに安全な生活ができればみんな喜ぶとは思いますが、日本の植民地にして「日本」の領土ということになったら、満州人や漢人のプライドを傷つけることにならないでしょうか?ここはもともとは満州族の国だったところですから、日本の力を満州人に貸して「満州国」という国にしたらどうでしょう。最初は日本人がリードして安全な国にして、少しずつ満州人に政治をまかせるようにするのです。
 ソ連に対しては、満州国にいろいろな援助をする代わりに日本の軍隊を置かせてもらえるように約束し、ソ連防衛に専念できるようにしましょう。


◇Cさん:協力を頼み、じっと耐える

 その「満州国」は本当の独立国と言えるのでしょうか?アメリカやイギリスから「日本が裏で満州国をあやつっているんだろう」と言われてしまいそうです。確かに満州に住む人の安全も大事ですが、世界中から日本のイメージが悪くなる可能性もあります。ここはじっと耐えるしかありません。いくつもある「政府」に安全を確実にできるようにそれぞれ協力を頼んでみましょう。
 内乱状態の満州でソ連防衛は難しいので、満州にいる日本の軍隊の数を無理をしてでも増やしていくことで対応しましょう。

◆ひとつ選んであなたの考えを書いてみましょう。後で話し合いましょう。

 意見分布は以下のようになった。右の数字は話し合い前、左の数字は話し合い後である。

 1組・・・A 4人→3人   B 18人→21人   C 4人→1人

 2組・・・A 5人→7人   B 17人→17人   C 6人→4人
 

 児童からは以下のような意見が出てきた。

◇A派

「Bさんの最後の話はそんなに都合よくいくわけがないからダメだと思う。Cさんはイメージが悪くなると言うけど耐えてばっかりいるのは満州に手が出せないくらい日本って弱いんだ・・・と見られるからどうどうと植民地にした方が日本も満州も安全になるし、ソ連防衛にもなる」

「元々満州にいる人たちのプライドを傷つけるかもしれませんが、これが一番安全です。堂々と日本に植民地にした方がいい」

「当時の日本は植民地を持たなければ植民地にされるから、ここは日本が直接治めて安全にそしてソ連防衛に専念するべきだ。満州の人たちにはこれは日本の宿命なんだと言うことをわかってもらうしかない」


◇B派

「満州を植民地にしてしまうと満州人のプライドを傷つけてしまう。でも、中国のいろいろな政府に頼んでも互いに仲が悪いから協力してもらえないと思う」

「満州国を独立させたら満州の人も喜ぶし、日本人の安全も守れる。一石二鳥。平和なのが一番いい」

「植民地にしてしまうとプライドを傷つけられて満州で反乱が起きてしまうかもしれない。そこで「裏で操っている」と言われないようにアメリカとイギリスに了解をもらっておけばいい」

「もし植民地にするにしても現地の声をしっかり聞かないと、争いがひどくなる。それに日本は台湾の時のことを見ればわかるけどそんなに冷酷になれないからBがいい」

「植民地にすると朝鮮の時のように相手のプライドを傷つけて反対されてしまうから植民地にはしないで満州人と日本人で仲良く暮らした方がいい。日本政府が軍隊を満州に行かせて盗賊などと取り締まればいいと思う」

「Aは満州人のプライドを傷つけてしまい、もしかすると日本人にいやがらせをするかもしれない。だからといってCのようにずっと耐えることなんて本当にできるんでしょうか?満州国を作り日本が手助けすればよい国になると思う」

「Aだとソ連に満州に攻め込まれたときに直接、日本に攻め込まれたことになる。Cのようにいろいろな政府に協力を頼むとそれぞれが裏切られた!とかなって危険。なのでBがいい」

「日本が台湾のときのように元々住んでいた人のプライドを傷つけずに政治を進めれば、満州人や漢人も満州国を作りたいと思ってくれるはず。それに満州人には軍隊はないと思うので、日本がソ連から守ってあげればいいと思います」


◇C派

「同じ国際連盟に所属する日本のイメージが悪くなると、結局ソ連の方に有利になってしまい相手の思うつぼだと思う。アメリカやイギリスに対してイメージをよくしておけば助けてもらえるかもしれない」

「日本のイメージが悪くなると他国から攻撃を受けるかもしれない。今はソ連のことに集中して軍隊を増やした方がいいと思う」



<ワークシート・第4ページ>
★満州事変から満州国の建国へ
  
◇1931(昭和6)年、満州を警備していた日本の陸軍部隊が満州の奉天(ほうてん)という町の近くで満鉄の線路を爆破し、これを中国のしわざであるとして満鉄の沿線にある都市を占領しました。この陸軍部隊は強引な方法でBの考え方を実行しようとしたのです。
しかし、日本政府と陸軍本部はCの考え方に近かったので「これ以上強引な方法で問題を拡大してはいけない」と不拡大方針の命令を出しましたが、満州の陸軍部隊は命令を聞かずにさらに満州のその他の都市も占領しました。日本政府はどうすることもできずにこの行動を認めてしまいました。これを満州事変と言います。

満州で日本人が受けていた被害を解決することができない政府に対して不満が高まっていた国民の中には、この強引な方法を支持する者も多くいました。
 こうして1932(昭和7)年、満州の陸軍部隊を中心に、清が滅亡したときの皇帝を満州国皇帝の地位につけて満州国を建国しました。

アメリカをはじめ各国は満州事変をおこした日本を非難しました。国際連盟(アメリカは未加盟)は満州にリットン調査団を派遣して調査を行いました。
リットン調査団の報告書にはこう書かれています。
*満州に住む日本人の安全と権利が脅かされる被害にあっていたことは認める。
*しかし、満州国は日本単独ではなく他の国も参加して管理した方がよい。
すでに満州国を建国していた日本はこれに反対して国際連盟を脱退しました。

◇その後、日本と中国の間には停戦協定が結ばれてしばしの平和が訪れました。
満州国は五族共和(満州人・漢人・朝鮮人・日本人・モンゴル人)の理想を掲げ、日本の力を借りて経済を成長させました。政治が安定し、安全が保たれたことで南の中国から多くの中国人が満州に入ってきました。
しかし、満州国のリーダーシップは満州の日本陸軍がにぎっていました。また、日本人を標的にした事件もなかなかなくなりませんでした。

◇当時の満州国の各地のようすを写真で見てみましょう。
満州6
新京駅前
満州7
新京のメインストリート
満州8
西公園(夏はボート遊び、冬はスケートリンクになる)
満州9
キタスカイヤ街1
満州10
キタスカイヤ街2
満州11
牡丹江小学校の運動会
満州12
鞍山製鉄所
満州13
大豊のダム建設
満州14
貿易でにぎわう大連港
満州15
大連の広場(当時の最新の都市デザインだった)
満州16
満鉄あじあ号(蒸気機関ながら今の新幹線こだまと同じスピードが出る)
満州17
あじあ号の食堂車
満州18
あじあ号の展望車



 最後に児童の感想を紹介する。

*満州事変で日本が中国に罪をなすりつけて占領したなんてとてもひどい。でも、その後に満州国を建国して安定させたのはとてもいい。はじめはよくないけれど終わりはととえもよかった。

*少し強引だったけれど、日本は満州国を豊かな国にしていたことがわかりました。いろいろな国の人や文化が違う人と一緒に住むのは大変だろうなと思いました。

*満州国が独立して中国と日本も平和になったけれど、日本人を標的にした事件がなくならなかったのは悲しいです。

*満州国が安定したのはいいと思いますが、国際連盟を脱退したのはよくないと思います。もとどおりになってほしいです。

*満州事変で日本のチームワークが少しずつなくなってきているような気がする。国際連盟を脱退してちょっと不安があるけどへいわになったてよかった。

*中国ではたくさんの日本人が殺されていたということがわかりました。日本政府はいまのままではダメだと思いました。もっとしっかりしないと。

*結局、満州は平和になったのでしょうか?経済成長できたなら満州国もうれしかったでしょうね。満州は近代的な街だったんですね。

*陸軍部隊は満州を安全ににようとしたのはわかるけど、やり方は強引で日本のイメージを悪くすることにしかならなかったような気がする。 
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