授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」

わたしたちは誇りある日本人を育てたい。真の国際派日本人を育てたい。

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誰でもできる楽しい歴史!全授業マニュアル刊行中!

『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』
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6年生担任、中学校社会科歴史担当の先生方にに朗報です!
*小中の歴史全授業がこれ一冊でできます。
*画像資料、文書資料、全発問、学習者の反応など、すべて載っています。
*児童生徒が身を乗り出す楽しい授業で、思考力・表現力を育てましょう。
*日本が好きになる、歴史が好きになる授業で、自己肯定感を育てましょう。

◆本書は、歴史教育を担当していない先生方にも好評です。
「義務教育の教員としてのバックボーンができた」
「日本人を育てる教師として、ぶれない軸ができた」
「ふだんの教育活動の中で児童生徒の日本への帰属感を育てていくことが、
健全な自尊感情の育成につながり、学級経営が好転した」
「学級経営であれこれの技を駆使するよりも、教師が日本人としての自覚をもつことだ」
「学級経営や生徒指導の基本的な構えがでいて、あんまりゆらがないようになった」
などのご感想が寄せられています。

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◆本書には、授業づくりJAPANが研究実践してきた歴史授業が、どなたにでも追試できるように書かれています。
◆本書の授業を追試すれば、どなたでも、楽しく・心にしみる・感動のある歴史授業ができます。
◆本書の授業を追試すれば、子供たちがよく考え、活発に話し合う授業(今流行のAL)ができます。
クラスのほとんどが歴史好きになり、最後は日本が大好きになります
◆これまでまったく無視されてきた学習指導要領の教科目標が必ず達成できます。
 用語の暗記や講義一辺倒の授業と決別し、歴史教育の王道に帰れます。
(小学校)「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」
(中学校)「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる。」

◆また、子供たちが日本人としての健康な自尊感を持つという教科を超えたすばらしい効果があります。
 自尊感のある子供の心は安定しています。優しさや公共心が自然と生まれ、学習意欲と向上心のスイッチが入ります

本書は学級経営全般に大きな効果がある実践です。
 
◆本書を読むと、6年生を担任すると否とに関わらず、長い間日本の教育が忘れていた大切なことに気づかされます。
 ですから、本書は日本の義務教育の教師にとって福音となる教養の書でもあるといえるでしょう。

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◆本屋さんでは売っていません。
 お求めいただける方は、斎藤武夫(授業づくりJAPANさいたま代表)までご連絡ください。
 郵送しますので、2000円+送料は後払い(郵便振替)でお願いします。

《連絡方法》 ・Facebookでメッセージをください。

       ・または、メールをください。saitotakeo@jcom.home.ne.jp

       ・または、お手紙をください。
        〒337-0041 さいたま市見沼区南中丸230-3  
                          斎藤武夫


《連絡内容》 (1)お名前  (2)ご住所  (3)電話番号  
       
        (4)冊数  

        (5)メールアドレス

        (6)教員種別または一般の別     
   

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★授業を追試してくださった先生方の声★
・平成26年から、千葉県の船橋で「教師のための:斎藤武夫先生の歴史授業講座」を開催しています。今年は3年目で、歴史全授業を解説するというものすごい企画に毎月取り組んできました。4月~11月まで7回。今回ご紹介した本は、はじめはこの講座のためのテキストとしてつくられました。

●K・I先生(千葉県小学校)20代・女性
(第1回平成27年4月)
 今年初めて6年生を担任しております。そこで一番不安な教科が社会でした。
 昨年も一度お話を聞かせていただいたのですが、知らなかったことだらけで
驚きました。今年は歴史を教えなくてはいけなくなり、本当に不安でしたが、
今日の模擬授業を交えた講座で、具体的に授業をしている姿を思い描きながら
聞くことができました。次回もよろしくお願いします。

(第2回平成26年5月)
 運動会練習の関係で思うように授業が進んでいないのですが、追試をさせて
いただいて明らかに子供たちの反応が違います。
 授業中は前のめりの姿勢で、話し合いは活発に自分の意見をぶつけ合う。授
業後は授業内容について子供たち同士で話し合う(休み時間中)という感じで
す。 本当に齋藤先生の授業には力があるのだと実感しています。
 次回も楽しみです。ありがとうございました。

(平成27年6月第3回)
 本日もありがとうございました。前回の懇親会でもお話しさせていただきま
したが、社会の授業後は子供たちが集まって話をしています。
「おれはAだったけどさー・・・」
「今日のクイズ全問正解したー!!」
「社会得意になったかも・・・」などです。
 授業中の子供の顔つきも違います。
 私は歴史が大嫌いでした。なんで過去のことを学ばなきゃいけないの?と
いう気持ちからです。でもそれは我が事として歴史を捉えていなかったから
なのだと、齋藤先生のお話から気づきました。この人、すごいなー。日本人
ってすごいなー。と子供たちももらしています。
 これからも追試させていただきたいです。よろしくお願いします。


●I・Y先生(千葉県小学校)20代・男性
(平成26年5月第1回)
 とても感動しました。私は今年初めて6年生の担任となって歴史を教える
ことになりましたが、今日ほど歴史を教えることに前向きになったことはあ
りません。本当にありがとうございました。

(平成26年8月第2回)
 今回も大変勉強になりました。自由民権運動と大日本帝国憲法は、私が
子供ながらに社会科が嫌いになった所でした。
「政府は民衆を押さえつけ、日本は軍事国家に歩みを進めていく」という
印象を植え付けられました。
 今日のお話をうかがい、子供たちには引き続き変わらぬ、日本人の勤勉
さ、和を大切にする力を授業を通して伝えたいと思いました。


●O・M先生(千葉県小学校)中堅・女性
(平成27年6月第3回)
 前回も参加させていただきましたが、とてもクラスの反応が変わりました。
 私自身も楽しく授業ができたので今回も参加させていただきました。
 大化の改新前の
「あなたがリーダーだったら、A蘇我氏を支持するか、天皇の血筋を守るか?」
のところの授業は特に大盛り上がりでした。
 A,Bを選んだ子それぞれが、これまでの授業や聖徳太子の政策をもとに理由
を書いており、私自身が「お~!」と言ってしまうほどでした。


●K・M先生(千葉県)中堅教員・男性
(第2回平成26年5月)
 今年度は6年を担任しています。歴史を教えるのが楽しくてしょうがありま
せん。それは齋藤先生の追試をすることで、子供が楽しく授業に参加し、学
級の子供の多くが授業を楽しみにしてくれるからです。
 今回の講座を受けて、改めて国史を教えることで国家観を教える。この大
切さを学びました。天皇について、日本の歴史が作った現在に残る大切な存
在としてきちんと教えることです。摂関政治・幕府政治の図がとてもわかり
やすかったです。権力者に支配される国のかたちを教える教育から脱却した
いと思います。世界一の国日本をたくさん教えたいと思います。

(平成27年6月第3回)
 毎時間追試しています。
 子供の反応が良く、歴史の受業を楽しみにしている児童が多いです。
 特に発達障害と言われている児童は社会を楽しみにしています。その時代
のリーダーになりきっていろいろと発言します。 今日学んだ南北朝時代は、建武の新政(天皇の権力)は3年しかもたず、
2人の天皇が誕生するなど、天皇について考える大事な時代だと思いました。
授業をするのが楽しみです。
 天皇-政府(摂関・将軍)-大御宝(国民)という先生の図で時代を追い
かけているので、子供もよくわかってきました。


●U・M先生(東京都小学校)20代・女性
(平成27年6月第3回)
 齋藤先生の授業を山﨑先生から教えていただき、追試してきました。
 子供たちと一緒に考えながら、歴史を楽しく学んでいます。
 毎回思うのですが、齋藤先生のもとで学ぶたびに、日本がさらに好きにな
り、歴史が苦手で授業をすることがおっくうだった気持ちが、今では日本の
素敵なところを子供たちに伝えていきたいという楽しさに変わりました。
 これからも勉強していきたいと思っています。


●H・M先生(東京都小学校)20代・女性
(第2回平成26年5月)
 齋藤先生の授業を受けて、歴史の中に自分が入り込んだような感じがしま
した。そしてリーダーになったような気分でした。自分だったらどうする考
えて、理由も話すところがとても楽しかったです。また、正解・不正解では
なく、これを選んでいいたら日本の運命が変わっていたかもと考えるとワク
ワクしました。「あってるとか、あってないとかじゃないんだよ」という先
生の言葉が印象的でした。
 私が小学校~高校で学んだ歴史は、人物と年号、出来事の名称を覚え、教
科書に出てくる順番に暗記すればテストで100点取れてしまうようものでし
た。今日の齋藤先生の授業を受けて、歴史の授業はこうすれば楽しくできる
んだ!と思いました。また日本が好きになりました。ありがとうございました。

(平成27年6月第3回)
 鎖国や踏絵など「どうしてこんなことするんだろうな~?日本が海外から
遅れるだけなのに・・・」と思っていましたが、今日勉強し直して、こんな
背景(目的)があったのか!と気づかされました。日本に宣教師が来て、日
本も植民地にされていたかも知れませんが、秀吉のルールのおかげで日本が
守られたとは驚きでした。
 鎖国は(1)国の安全を守り西洋とつながる、(2)国内の秩序を守り平和
を維持するものであり、鎖国のおかげで今の日本があるんだなあと思いまし
た。日本のためによく考えていたことがわかりました。
 また日本が好きになりました。ありがとうございました。


●O・K先生(東京都小学校)20代・女性
(平成27年5月第2回)
 私は今まで歴史と言えば暗記というイメージしかなく、”歴史が楽しい”
と感じたことはありませんでした。しかし、齋藤先生の講座を受けさせてい
ただいて”歴史を学びたい”という気持ちが生まれました。
 初めに自分の先祖について考える活動をしたため、今までの歴史は自分と
無関係ではないのだということに気づきました。

(平成27年6月第3回)
 前回に引き続き「自分がリーダーだったらどうするか?」と考える授業
展開がすごくおもしろかったです。違う方の選択肢を選んだとしても、
「もしこの時自分の選択をしていたら、いったい日本はどうなったのだろう」
と考えたりして、すごく歴史に引き込まれていく思いでした。
 先生が「子供の鉛筆の音が、頭がフル回転しているように聞こえる」と話
されていましたが、先生の授業を受けてそういう気持ちが実感できました。
 今日も「日本という素晴らしい国に生まれてよかったな」という気持ちを
味わえました。特に「頼朝が武力を持たない朝廷を倒そうとしなかった」と
いう事実を改めて考え、鳥肌が立ちました。
 早く自分で歴史の授業がしたいです。本当にありがとうございました。

●S・N先生(埼玉県小学校)20代・女性
(平成27年5月第2回)
 本日はありがとうございました。私はまだ6年生の担任をしたことがない
のですが、はいやく教えたい!ととても思いました。私自身は歴史の授業に
そこまで興味が持てない児童だったのですが、今日の授業はとてもおもしろ
くお話を聞くことができました。 歴史は表面的な流れを聞いて暗記するというイメージでしたが(自分の経
験上)、1人のリーダーの気持ちになって考えていくことで、興味を持て聞
くことができるのだとわかりました。
 それぞれのリーダーの思いを考えるという一貫性をもって、自分も教えら
れたらと思います。
 また、日本の歴史に対するイメージがそんなによくない部分もあったので
すが、そうではないということもわかってきました。国家が人民を支配する
のではなく共同体であるという所や、日本の良いところ(仮名の偉大さ!)
などを知れてとても良かったです。
 自分自身が日本を好きになって歴史の考えが少し変わった気がします。

●M・M先生(千葉県小学校)20代・男性
(平成26年8月第2回)
 情報の羅列の歴史ではなく、当時の人々の思い、葛藤に焦点を当て、他人
事ではない自分のこととしての歴史が、未来の日本を担う子供に必要なもの
だと感じました。先祖への感謝や敬意を前提とした歴史教育を、我々教師一
人ひとりが使命感を持って行っていかねばならないのだと思います。そのた
めには、どのような背景で、どのように考え、どのようなものを目指したの
か、一つ一つ理解していくことが必要で、知らなければならないことがたく
さんあることがわかりました。 いつ6年生を担任しても良いように、これからも参加していきます。

(平成27年5月第2回)
 先生の歴史の授業を受けると、今の平和ボケした日本人が失ったアンテナ
や嗅覚を取りもどすことができるような気がします。具体的には、外交・日
本を取り巻く国際情勢への感度であったり、国政への関心であったり、先人
への感謝であったり、伝統文化への完成であったり、日本という国家への興
味関心を失い、他人事のような無責任な態度、そのくせ自己権利ばかり追い
求める危機的状況を打破していくためには、このような教育から始めるほか
ないと思います。早く6年生を受け持ち歴史を教えたい気持ちが強のですが、
今はその素地を耕すことに専念し、自分にできることに専念していきます。
 次回もよろしくお願いします。


●H・K先生(埼玉県小学校)中堅・女性
(平成27年5月第2回)
 本日念願かなって先生のセミナーに参加することができました。
 約3時間半、あっという間でした。歴史の面白さは人物や事柄のつながりだ
と思うのですが、先生の授業には「あ!あのときの」とか「そうやって出会っ
たんだ」など身近に感じられ、楽しくわかるエピソードがたくさんありました。
 また、リーダーとしてどちらを選ぶかという質問は、政治や国の問題に関心
を持つ人間を育てることにもつながるのではないかと思いました。
 今歴史を教えてはいませんが、はやく歴史の授業をしたいと思いました。

(平成27年6月第3回)
 前回ですっかり先生のファンになりましたので、今日は仲間をつれて参加さ
せていただきました(4名)。
 本日印象に残ったのは、西洋とどうつきあうかというところです。
 時代背景を知って、日本のリーダーとして考えると、小学生でも答えが出せ
ることに驚きました。こうやって子供の時から国のことを考えた経験が必ず大
人になったときに生きてくると思いました。
 また、国のために命をかけて生きてこられた偉人の方々を知ることで、誇り
を持ち、もっと日本を好きになるなと感じました。私は個人的には、夢を持ち
続けてその時々でできる精一杯のことをした伊能忠敬が大好きです。
 私も子供に自尊感情を持たせられる教師になります!本当にありがとうござ
いました。

●M・M(千葉県小学校)中堅・女性
(平成27年4月・第1回)
 私は高校から世界史を選んでしまったので、日本史(国史!)は難しいイメ
ージを勝手に持っていましたが、齋藤先生のお話を聞いてすごく身近に感じて
面白かったです。きっと、導入の命のバトン・国づくりのバトンに惹きつけら
れたからだと思います。
 また「選択発問」の与え方や指導するときの声のかけ方、資料の読ませ方な
ども丁寧に教えていただいて、すぐ自分の学校の6年生の先生方に伝えようと
思いました。次回は同じ職場の先生たちを誘います。

(平成27年5月第2回、この日は6年生担任を3人連れて見えた。)
 前回に引き続き、歴史をもっと知りたくなる受業でした。1回目の時に見せて
いただいた金印に興味を持ち、GWに福岡市立博物館に実物を見に行ってきまし
た。そのときに、福岡が朝鮮半島にとても近いことや、今日教えていただいた
元寇のことなども知ることができて、とても面白かったです。
 いつも選択肢が用意されている参加型の授業に無理なく楽しく学ばせていた
だいております。今日もありがとうございました。

(平成27年6月第3回)
 いつも授業の前に話される講座の意図を聞くことができて幸せだなあと思い
ます。小学校で教えたいことに「自尊感を持つことが意欲や向上心につながる」
というお話がありましたが、クラスの子供たちを見ていて、本当にそうだなあ
と思いました。
 先生が用意してくださっている”生き方を問う設問”は、私たち大人にとっ
てもそうですが、子供たちにとってもおもしろい、歴史の授業をおもしろくす
る手立てだと思います。
 そして、発表者の発言への先生のコメントが、より一人ひとりの考えのよさ
を引き立たせ、思わず笑ってしまいます。鎖国が将軍の気まぐれではなく、国
を守るためだったと知って驚きました。
 一緒に参加した6年担任の友達(追試している)から、6年生の反応の良さを
聞いて、私も実践して自分のものにしていきたいです。

●O・M先生(千葉県小学校)20代・女性
(平成27年5月第2回)
 国の実権を握る者がほとんどの冨を持ち、優雅に暮らし、庶民はいつも虐げ
られているイメージを、私も持っていました。けれどもその恩恵を今になって
日本人が受けていること、国は一部の実権者だけでなく、役割分担をしてみん
なでつくっていくものだということを教えていかなければと思いました。
 よくわかっていないことだらけで、歴史っておもしろいなという気持ちを持
てずにいました。先生のお話を伺い、歴史の面白さに気づくことができました。
 ありがとうございました。

(平成27年6月第3回)
 日本のもとになる考えは、何度も繰り返しひっくり返されそうになり、それ
が何度も阻止されてきたことがわかりました。日本の歴史が自分のルーツにつ
ながっているということ、自己肯定感を高める歴史学習がだいじなのだと思い
ました。勉強になりました。


●H・M先生(千葉県小学校)ベテラン・女性
(平成27年5月第2回)
歴史を学ぶ意味は、先人の行ってきたことを生かして世の中を整えていくこ
とだと思います。今日教わったことの中に、日本人ってすごい、すばらしいと
思うことがたくさんありました。個よりも公を優先し、判断の基準は国のため
になるかどうかです。現在の日本も、このような考え方だ対処していくべきこ
とが多いと思います。ですが、その大切な部分をゆがめたり、かくしたりして
学んできた人が世の中を動かそうとするから日本はダメになるのでしょう。外
国の考えに流されず、Yes・Noを的確に判断して言える政治家に日本を動かし
てほしいと思いました。
 教育によって「公の心」を育てていくことが、私たち教師の仕事だと思いま
す。日本の先人が要所要所どういう道をどのように選んできたかということを
伝えていきたいと思いました。ゆがめられていること・かくされていることを
これからももっと勉強していかなければならないと思います。これからも、こ
のあたりを取り上げていただきたいと思います。よろしくお願いします。

(平成27年6月第3回)
 歴史について正しい認識を持っているつもりでしたが、まだまだ知らないこ
とがたくさんありました。50年も日本で生きているのに知らずにいたことが恥
ずかしいというか残念でした。
 東京裁判の授業を『学校でまなびたい歴史』で追試させていただいたことが
あります。裁判官を明かすと、子供たちがブーイングしていたのを覚えていま
す。この授業を全国の6年生にしてあげたいと思います。また同じ授業を連合
国諸国でもやって、日本の名誉を取りもどしたい。世界の人々に、連合国はす
べて正義で日本はすべて悪だとしたこの裁判がまちがっていたことを訴え続け
たいと思います。そのためにも、まずは日本の子供たちに正しい歴史認識を持
たせられるようにしたいと思います。 

●Y・T先生(東京都小学校)30代・男性
(平成27年4月第1回)
 歴史は「他人事」ではない!「自分事」なんだ!という気づきがあるから
こそ、子供たちが前のめりに歴史を学ぼうと思えるのだと思いました。だか
らこそ、命のバトン・国づくりのバトンの授業はとても大切だと思いました。
そして、歴史を通してご先祖様への感謝を学ぶのが歴史の授業の一つの目的
だということもわかりました。
 「ほめるための教材研究」という言葉にもしびれました。先生の授業づく
りへの思い、姿勢もまねさせていただきたいです。

(平成27年6月第3回)
(1)国のかたちをもとにして歴史をとらえることが大切だと気づきました。
 建武の新政と足利義満の中華冊封体制をそれぞれ別のものととらえていま
したが、日本の長い歴史の文脈で考えると「天皇→権力者→大御宝」という
基本のかたちからははずれたものとして見ることができるとわかりました。

(2)歴史学習のなかには、子供でも見極めることのできる本質が隠されて
いることがわかりました。例えば義満の時代の問題を現代の日本と中国の関
係に結びつけて考えると、本質では同じことが起こっているなどと捉えられ
ると思いました。「ただ昔のこと」ではなく、当時の歴史を学ぶことで現代
の問題を考える糸口にすることができます。

(3)鎖国のとらえ方がわかりました。「2000年の日本の歴史という文脈の
中で考えると、鎖国は賢明な判断だった」という先生の一言になるほどと思
いました。


●H・K先生(千葉県小学校)ベテラン・女性
(平成26年度第1回)
・先生の本は数年前に購入し追試もさせていただきましたが、ふり返ってみ
ると表面的な事柄を伝えただけだったなあと思いました。先生のお話はとて
も深く、日本は本当に良い国だと実感できました。

(平成26年度第2回)
・先生のお話はいつも物語を聞くようで、とても親しみやすく、わかりやす
いです。教科書を読むと、出来事の羅列になっており、そこには感動もない
し、何の感情もわいてきません。先生のお話をうかがっていると、当時の日
本人が何を考えていたのか、当時の日本人の気持ちになって考えることがで
きました。自分の知らないことばかりで、特に、大日本帝国憲法の印象が大
きく変わりました。

(平成26年度第3回)
・今日は参加できてほんとうに良かったです。これまで中学校・高校と自分
が教わってきたこと、いえ教えてもらえなかったことを講義していただき、
戦争に対する見方が変わりました。正しいことを伝え、子供たちが日本に生
まれて良かったと思えるような授業をしていきたいと思いました。

(平成27年4月・第1回)
・歴史は教わることも教えることも苦手で、学生時代はひたすら年号と出来
事の暗記でした。今日お話をお聞きして歴史はドラマなんだと思いました。
また古代から現代までの日本のたどってきた道をいくつかに分けて意味づけ
したことも、大変わかりやすかったです。

【日本民族文化の基礎が築かれた時代→古代日本の国づくりの時代→日本の
伝統文化を形成した時代→近代日本の国づくりの時代→白人中心の世界の中
で日本の生き方を探究した時代(現在)】

 実際の歴史を学ぶ前に、今自分がこうしているのはご先祖様のおかげであ
り、その時代、その時代に、ご先祖様が生きていて、指導者と共に日本を創
ってきたというイメージを持たせることが大事だというお話がとても印象的
でした。

(平成27年度第3回)
・先生のお話を聞いていると、自分が抱いていた歴史上の人物の印象がずい
ぶん変わります。細かいエピソードを知ることにより、ああこうするのも自
然なのだという気持ちが湧いてきます。
 また「神と仏」「家来の国と対等な国」「天皇中心の国」などキーワード
が布石になって、次の授業、次の時代の学習に生きてくるのだと思いました。
 同じ学校の6年を担任している先生方にもお伝えしていきたいです。
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日本マラソンの父・金栗四三②

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●この授業は「授業づくりJAPAN横浜・中学」代表の服部剛さんの授業です。


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日本マラソンの父・金栗四三②


道徳1-(2)強い意志~目標を貫いて生きる
「日本マラソンの父・金栗四三(かなぐりしぞう)」
        3度のオリンピッック(つづき)

金森四三
金森四三1


◆ 発問 3~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

【資料3】を読んでどう思いましたか?
このあと、金栗四三はどうなったでしょうか?


◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

「マラソンをやめた」
「もっと努力した」
「また教師に戻った」など

『資料4で確認しましょう』

【資料4】その後の金栗四三◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

四三は現役を引退しましたが、指導者として大きな功績を残しました。
その画期的な仕事のひとつが、マラソンシューズの開発です。
底にゴムを張りつけた「金栗足袋」は、全国の運動会などで愛用され、多くの選手たちを助けました。

四三は選手の育成、競技の普及のために全国をかけまわりました。
心肺機能の充実をはかる富士登山競争、高地トレーニング、インターバル・トレーニングなど次々と新しい練習方法を取り入れていきました。

また、
「マラソンは孤独で辛い。だから競技人口も少ない」
と、四三はチームで練習をやろうと考え、箱根駅伝を企画しました。
ふだんの練習をゲームにして、互いに励まし合って責任感とチームの和を育て、練習の質と量を高めてマラソンのレベルアップにつなげようとしたのです。

さらに、女性のスポーツが一般的でなかった当時、四三は女子体育の大切さを説き、全国に普及させました。

四三は常に日本スポーツ界の先頭に立って、全国を回り、オリンピック運動や陸上競技の普及・向上に努めました。
抜群の発想力、企画力、行動力、指導力、組織力を発揮し、日本スポーツ界のパイオニアとして活躍しました。

戦後も全国マラソン連盟の会長となり、現在のマラソン界につながる試みのほとんどが四三の発案です。
我が国が長距離走に強いのは、四三のおかげと言ってもいいでしょう。

一方で後輩たちからは「お釈迦様」と呼ばれるほど、誠実で温厚な人柄でした。

金栗四三
金森四三2


そんな四三の座右の銘は
「体力、気力、努力」
です。

現役時代から換算すると四三の全走行距離はなんと25万km、およそ地球6周以上にもなります。


世界のマラソン界でも金栗四三の名は知れ渡り、いつしか四三は「日本マラソンの父」と呼ばれるようになりました。

そんな彼のただひとつの心残りがストックホルム大会での挫折でした。

初のオリンピックを途中棄権してから50年余りが過ぎた昭和42(1967)年。
75歳になった四三のところにスウェーデンのオリンピック委員会から招待状が届きました。
「ストックホルムオリンピック開催55周年」を記念する式典に招待するというのです。

実はストックホルム大会の時、正式に棄権届けを出していなかったので、四三は
「競技中に失踪し、行方不明」
として扱われていたのです。
その「消えた日本人選手」が、今も健在であることを知った委員会が四三を招待したのでした。
その招待状には、なんと次のように書いてあったのです。

「あなたは、1912年のストックホルムオリンピックマラソン競技において、まだゴールをされていません。
あなたがゴールするのをお待ちしております」


四三は、半世紀ぶりに思い出のスタジアムを訪れました。
するとそこには、一本のゴールテープが用意されていました。
彼のためだけに用意されたゴールです。
観客の割れるような拍手の中、四三は20メートルほどの直線を走ってテープを切りました。
スタジアムには、

「ただいまゴールしたのはミスター・カナグリ。ジャパン。
タイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。
これで第5回ストックホルム大会は、全日程を終了しました」


とアナウンスが流れました。
観客たちは、20歳でスタートし、75歳でゴールした四三を声援と拍手でたたえました。

四三は、これに答えて

「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」

とユーモアあふれるコメントを返し、ストックホルムの人々は大喜びです。

この記録はオリンピック公式記録として認定されました。
今後、この記録が破られることはないでしょう。

54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でゴールした瞬間
金森四三3


昭和59(1984)年11月13日、四三は93才で永眠しました。
箱根駅伝では、彼の功績をたたえて、最優秀選手に「金栗四三杯」が贈呈されています。

◆(資料ここまで)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


◆ 発問 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

【資料4】を読んで、考えたことや感心したことは何ですか。
今日の学習内容に照らして、現在の自分はどうですか。


◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

(授業 終わり)


日本マラソン界に多大なる貢献をした四三の功績を称えるとともに、不屈の闘志で頑張った四三から
「努力を続けることの大切さ」
を学びとらせたいですね。

また、スウェーデン人の粋なはからいに感動しました。
偉大な人の功績は、国境を越えるのでしょう。

現在、ストックホルム近郊のマラソンコースがあった町「ソレントゥナ」に金栗四三の記念銘板が設置されています。

ストックホルム近郊のマラソンコース上の町・ソレントゥナに設置された金栗四三の記念銘板
金森四三4


左の女性が、四三を介抱してくれた農家の人の子孫ですって。
JOCの竹田会長からプレート贈呈。

JOCが感謝のプレート贈呈 百年前、マラソン金栗を介抱した家族の子孫に
金森四三5



■参考文献■

・『熊本陸上競技史』(熊本陸上競技協会創立60周年記念)
平成19年3月発行
・熊本県和水町HP「マラソンの父・金栗四三」
 http://www.town.nagomi.lg.jp/default.asp
・熊本県立玉名高等学校HP「大先輩」
 http://www.higo.ed.jp/sh/tamanash/
・『走れ25万キロ―マラソンの父金栗四三伝』
 豊福一喜、長谷川孝道(講談社)
・『走ったぞ!! 地球25万キロ―マラソンの父・金栗四三』
 浜野卓也、清水耕蔵(佼成出版社)
・ビデオ『夢をかなえた男マラソン王 金栗四三』
 (テレビ熊本偉人シリーズ)1999年作品

日本マラソンの父・金栗四三(かなぐりしぞう)

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道徳1-(2)強い意志~目標を貫いて生きる

「日本マラソンの父・金栗四三」
         3度のオリンピック


◆ 発問1 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

あなたは挫折したことがありますか?
どんなことで落ち込みましたか?
あなたは、なぜ挫折をしないのでしょうか?
今は立ち直ってますか?
どうやって立ち直りましたか?
どうすれば立ち直れると思いますか?

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

中学生といえども、たいがい誰でも大なり小なりの挫折を経験しているものです。
今日の徳目は「強い意志」とは何かを考えること。
ひとしきり生徒に自分自身を振り返らせたあと、【資料1】に入ります。

【資料1】オリンピック日本人選手第1号◆◇◆◇◆◇◆

箱根駅伝
金栗四三1


今や正月の恒例行事となっている箱根駅伝。
その第1回大会は大正9年(1920年)2月14、15日に行なわれました。
慶応大・明治大・早稲田大・東京高等師範(現筑波大学)の4校で競いました。
数々のドラマはこの時から始まりました。
この箱根駅伝の提唱者が金栗四三という人です。

さて、日本が初めてオリンピックに参加したのは1912年、スウェーデンで開催された第5回ストックホルム大会です。
参加した日本代表選手は、たったの2人。
そのひとりがマラソン代表の四三(しぞう)でした。

日本で「マラソン=42.195キロ」が定着したのは1911年。
このストックホルム大会の前年に行われた国内予選のことです。
これが日本初の公式マラソンでした。

日本マラソンの始まりは劇的でした。
羽田からスタートして川崎を経て、東神奈川で折り返すコースです。
この大会で四三は、雨風の悪条件の中、2時間32分45秒のタイムで優勝し、なんと当時の世界記録(2時間59分45秒)を27分も縮めたのです!

東京中に号外が舞ったといいます。
この驚くべき記録で優勝した四三は、翌年のストックホルムオリンピックに「日本人選手第1号」として出場することになりました。
この時、20歳の若者でした。

金栗四三は、明治24(1891)年8月20日、熊本県和水(なごみ)町の造り酒屋に生まれました。
父親が43歳の時に生まれたので、四三と名付けられました。
小学校時代は往復12キロの道のりを、毎日走って通学したといいます。
中学校時代は特待生に推薦されるほどの秀才で、スポーツの経験はなかったそうです。

東京高等師範学校(現筑波大学)に入学した四三は、校長の嘉納治五郎(かのうじごろう)(講道館柔道創始者)に才能を見出されます。
陸上競技部に入部し、独特の工夫とアイディア、人の何倍もの努力を積み重ね、たちまち学校を代表するランナーに成長していきました。

オリンピック代表選手に選ばれた時、四三は、国際オリンピック委員会(IOC)委員でもある嘉納校長に、胸の内を打ち明けました。

「先生、羽田のレースでは幸運にも勝つことができました。
しかし、充分な練習も準備もできていないまま、たとえ3、4ヶ月のトレーニングを積んだとしても全く自信はありません。
行けば是非勝ちたいと思うでしょう。
また、勝たねば期待してくれる国民諸君に申し訳ありません」

日本人初のオリンピック出場に、四三には巨大なプレッシャーがのしかかっていました。

1924年に開催されたオリンピック、第8回パリ大会での金栗四三選手
金栗四三2

「日本マラソンの父」といわれている金栗四三の現役時代(左)。足に履いているのは何でしょう?

◆ 発問 2~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

金栗四三はオリンピックへの出場を決意するのですが、それは何のためだと思いますか?

ア、自分自身のため
イ、家族や世話になった人達のため
ウ、その他

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

【資料2】「JAPANなら、やめます」◆◇◆◇◆◇◆◇◆

オリンピック出場に迷う四三に対して、嘉納は
「君の足で、君のマラソンの力で、日本のスポーツの海外発展のきっかけを築いてくれ。
勝ってこいというのではない。
最善を尽くしてくれればいいのだ。
日本スポーツ界のために『黎明(れいめい)の鐘』となりなさい」
と説きました。

黎明とは、夜明けのことです。
「黎明の鐘」という言葉にしびれた、と四三は決意します。

「実力を発揮すれば必ず金メダルが獲得できる!」
マラソンシューズなどは持っていないので、四三は底を厚く縫い合わせた足袋を履いて競技していました。
この格好で、絶対に優勝してみせるとの信念で、ストックホルムへと向かいました。

開幕の直前、組織委員会から「日本の国名標示をどうするか」と問い合わせが来ました。
四三が「正式の国名どおりに漢字で『日本』とすべきでしょう」と提案。
「それでは外国人には読めない。やはり英語でJAPANに」と国際通の監督。
ところが、四三は
「それは外国人が勝手につけた名前です。
『日本』という本当の呼び名を使い、世界の人々に知らせる必要がある。
JAPANならプラカードを持つのをやめます」
と譲りません。
困ったみんなが一斉に団長の嘉納治五郎の顔を見ます。
「ウーム、どちらも一理ある。発音はニッポン、標記はローマ字。つまりNIPPONでどうか」
この調停に一件落着しました。

このエピソードは、四三が母国日本のために戦うと強く決意していたことを良く表しています。

◆(資料ここまで)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

●発問2の答は「その他」→「日本のため」でした。
「国の代表」という重みと四三の気概を感じ取らせたいところです。

五輪ストックホルム大会旗手
金栗四三3

1912年7月14日 開会式の入場行進
短距離走の三島弥彦が国旗、四三はプラカードを持つ。
出場選手わずか2名のため、行列人数が非常に少なく、観衆の同情をひいた。


【資料3】歴史に残る過酷なレース◆◇◆◇◆◇◆◇◆

オリンピック最終日、マラソンがスタートしました。
しかし、四三は冬のマラソンしか経験が無かったのです。
しかも当日は北欧では珍しい猛暑の40度近い炎天下、参加選手68人中で完走したのはわずか37人でした。
意識不明で死者まで出る歴史に残る過酷なレースになったのです。

母国日本の期待を一身に背負った四三も、初めての海外遠征・慣れない洋食・白夜(びゃくや)とストレスによる睡眠不足がたたり、25キロを過ぎたところで意識不明となりました。
熱中症です。

近くの農家に助けられ、目を覚ました時は翌日の朝になっていました。
競技中に姿を消したので大騒ぎになり、「日本人選手が行方不明」と新聞にまで載ってしまいました。

四三は日記に

「大敗後の朝を迎えた。
自分の一生で最も重大な記念すべき日だったのに。
しかし、失敗は成功の基、またその恥をすすぐ時が来る。
雨降って地固まるの日を待つのみ。
笑わば笑え。
この敗北は日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものである。
重い責任を果たせなかったことは、死んでもなお足らないけれども、死ぬことは簡単なことである。
生きてその恥をすすぎ、粉骨砕身(ふんこつさいしん)してマラソンの技を磨き、日本の名誉を示そう」

と、あふれる涙をぬぐいながら書きました。

■翌日の日記原文
大敗後の朝を迎う。終生の遺憾のことで心うずく。
余の一生の最も重大なる記念すべき日になりしに。
しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。
人笑わば笑え。
これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。
この重任を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん。(以上抜粋)


帰国後、四三は4年後の第6回ベルリン大会を目標に練習に励みました。
日本選手権などで2回も世界最高記録を出し、誰もが今度こそ金メダル間違いなしと思いました。

しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発し、オリンピック自体が中止になってしまいました。

それでも、四三はまったくあきらめませんでした。
歴史と地理の先生をしながら、さらに自分の走りに磨きをかけます。
そして迎えた第7回アントワープ大会。
優勝を期待されながら、今度は寒さによる足の痙攣(けいれん)で無念の16位。

次の第8回パリ大会(1924年)では、四三すでに33歳。
32キロ地点で棄権を余儀なくされました。

結局、四三はストックホルムのリベンジを果たせないまま、悲運のアスリートと言われるようになりました。
金栗四三4

第八回パリ大会で激走する四三(1924)

◆(資料ここまで)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


◆ 発問 3~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

【資料3】を読んでどう思いましたか?
このあと、金栗四三はどうなったでしょうか?


◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

(つづく)

道徳「一輪の花から始まった絆」(アーレイ・バーク)

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●この授業は「授業づくりJAPAN横浜・高校」代表の服部剛さんの授業です。

●「集団生活に必要なものは何か」を考える授業です。
 もちろん、それは「日本人の伝統的精神」から学ぶことになります。

徳目は 4-(4)「集団の一員としての自覚」
(2-(2)「おもいやり」で捉えても良いお話だと思います)


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道徳「一輪の花から始まった絆」

《授業開始》
一輪の花1


◆ 発問 1~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
これは五輪招致のプレゼンテーションの時の写真です。
滝川クリステルさんは、何と言っているでしょうか?


◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
お・も・て・な・し

答え:「お・も・て・な・し」

●有名なシーンですね。生徒もみんな知っていました。
ここでまったく無関係のような質問をします。

◆ 発問 2~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

ところで、「トモダチ作戦」を覚えていますか?
知っていることをどうぞ。


◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

●これがほとんどの生徒は知りませんでした。
最初から知らないのか、忘れちゃったのか…。
適度にヒントを出しながら、説明しました。
ヒント:「東日本大震災」「アメリカ軍」「救援」

在日米軍が助けてくれたことは、ある程度知っていました。
よかった。

では、【資料1】を読みましょう。

【資料1】 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

今日は、外国人を感動させた日本人の「おもてなしの心」について勉強しましょう。
平成23年(2011)3月11日、日本に甚大な被害をもたらした東日本大震災がおこりました。

一輪の花2

自衛隊や警察、消防が必死の救援活動を繰り広げました。
この時、すかさずアメリカ軍が「トモダチ作戦」と名付けた日本への復興支援を開始し、瓦礫(がれき)の除去や多くの救援物資を届けてくれました。
実は、この話の裏には60年以上も前におきたひとつの物語があったのです。

それは、大東亜戦争(太平洋戦争)の終結からわずか5年後、昭和25年(1950)9月のことです。
まだ戦争の傷跡が残る日本に、一人のアメリカ人がやってきました。
アメリカ海軍の提督、アーレイ・バークです。

アーレイ・バーク

バークは駆逐艦乗りです。
巨大な戦艦を追い回す駆逐艦乗りには、日米ともに猛将といわれた人が多くいました。
バークもその一人です。
バークは大東亜戦争の中でも、日米合わせて9万人以上もの犠牲を出した激戦「ソロモン海戦」で日本軍の脅威となった男です。
そのバークが、敗戦国日本を支配する占領軍の海軍副長として、アメリカから派遣されてきたのです。
それは、「朝鮮戦争」勃発の直後でした。

バークが東京の帝国ホテルにチェックインした時のことです。
従業員「バーク様、お荷物をお持ちいたします」
バーク「やめてくれ。最低限のこと以外は、私に関わるな!」
実は、バークは筋金入りの日本人嫌いでした。
親友を日本軍の真珠湾攻撃によって失い、血みどろの戦いで多くの仲間や部下を失っていたからです。
戦争中、バークの心には、敵である日本人への激しい憎悪が燃えていました。

「日本人を一人でも多く殺すことなら重要だ。
日本人を殺さないことならば、それは重要でない」
という訓令を出したほどでした。
また、公の場で日本人を
「ジャップ」「イエロー・モンキー」
と差別的に呼び、露骨に日本人を蔑みました。
したがって、どれだけ日本人の従業員が話しかけても無視しました。
「腹立たしい限りだ! 黄色い猿どもめ!」

日本に来てから1ヶ月ほどしたある日のこと。
「なんて殺風景な部屋なんだ!」
ベッドと鏡台とイスだけの部屋を見て、せめてもの慰みにと、バークは一輪の花を買ってきてコップに差しました。

このあと、この花が意外な展開をたどることになります。
翌日、バークが夜勤から戻ってみると、
コップに差した花が、花瓶に移されていたのです。

◆(資料ここまで)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆ 発問 3~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

花瓶に移されていた花を見たバークは、
このあとどうしたと思いますか?


◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

●想像でどうぞ。
○生徒:「ほめた」「お礼を言った」「やっぱり怒った」など。

●【資料2】で確認しましょう。

【資料2】 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

バークはフロントに行き、苦情を言いました。
バーク「なぜ、余計なことをした。誰が花を花瓶に移せと言った!?」
従業員「恐れ入りますが、ホテルではそのような指示は出しておりません」
バーク「何だって?」

この時は誰が花瓶に移したのか分からなかったのです。
さらに数日後…。
何と花瓶には昨日まではなかった新しい花が生けられていました。
「いったい誰がこんなことを…」

花はその後も増え続け、部屋を華やかにしていきました。
バークは再びフロントへ行きました。
「私の部屋に花を飾っているのが誰なのか、探してくれ」

調べた結果、花を飾っていた人物が分かりました。
それは、バークの部屋を担当していた女性従業員でした。
彼女は自分の乏しい給料の中から花を買い、バークの部屋に飾っていたのです。

それを知ったバークは、彼女を問い詰めました。
「君は、なぜこんなことをしたのだ?」
「花がお好きだと思いまして」
「そうか。ならば、君のしたことにお金を払わねばならない。受け取りたまえ」
と、彼女にお金を渡そうとするバーク。
ところが彼女は…
「お金は受け取れません。私はお客様にただ居心地よく過ごしていただきたいと思っただけなんです」
「どういうことだ!?」

アメリカではサービスに対して謝礼(チップ)を払うのは当たり前のことです。
しかし、彼女はお金を受け取りません。
このあと、彼女の身の上を聞いたバークは驚きました。
彼女は戦争未亡人で、夫はアメリカとの戦いで命を落としていたのです。
しかも、彼女の亡き夫も駆逐艦の艦長で、ソロモン海戦で乗艦と運命を共にしたのでした。
それを聞いたバークは、
「御主人を殺したのは、私かもしれない」
と、彼女に謝りました。
ところが彼女は毅然としてこう言ったのです。
「提督。提督と夫が戦い、提督が何もしなかったら提督が戦死していたでしょう。
誰も悪いわけではありません」
バークは考え込みました。
「自分は日本人を毛嫌いしているというのに、彼女はできる限りのもてなしをしている。
この違いは、いったい何なんだ…!?」

      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

のちに、バークは次のように言っています。
「彼女の行動から日本人の心意気と礼儀を知った。
日本人の中には、自分の立場から離れ、公平に物事を見られる人々がいること。
また、親切に金で感謝するのは日本の礼儀に反すること。
親切には親切で返すしかないこと、を学んだ。
そして、自分の日本人嫌いが正当なものか考えるようになった」
こうして、バークの日本人に対する見方は一変したのです。
折りしも朝鮮戦争は激しさを増していました。
バークは一刻も早くアメリカ軍の日本占領を終わらせ、日本の独立を回復するようにアメリカ政府に働きかけるようになりました。
加えて、日本の独立と東アジアの平和を維持するために、日本海軍の再建を説きました。
まだ終戦5年後ですから、アメリカ人の大多数が反日感情を持っている中です。
バークは根気強く説いてまわり、ついに海上自衛隊を作ることに成功したのでした。

その後、バークはアメリカ海軍のトップである作戦部長に就任します。
3期6年間も作戦部長を務めたのは海軍史上でバークだけです。
バークは、最新鋭の哨戒機P2Vを16機、小型哨戒機S2F-1を60機も海上自衛隊に無償で供給しました。

1961年、海上自衛隊の創設に力を尽くした功で、バークは日本から勲一等旭日大綬章(最高の勲章)を贈られました。

1991年、バークは96歳で亡くなります。各国から多くの勲章を授与されたバークですが、葬儀の時に胸に付けられた勲章は、日本の勲章ただ一つ。
それは本人の遺言でした。
そのため、ワシントンの海軍博物館にあるバーク大将の展示には、日本の勲章だけが抜けたままになっています。

◆(資料ここまで)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆ 発問 4~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

【資料2】を読んで、感心したことは何ですか?
3つ以上、書きましょう。


◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

●女性従業員の偉さはもちろんですが、素直に自分を変えたバークも偉いとの声もあり。
今も墓の中でバークが日本の勲章を付けていることに感銘の声も出ました。

●でも、この話はまだ続きがあったんです。
歴史の数奇な繋がりをどうぞ。

【資料3】 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

平成23年3月11日、東日本を巨大地震が襲いました。
この戦後最大の国難に際して、在日アメリカ軍は直ちに「OPERATIONTOMODACHI=トモダチ作戦」を発動しました。

一輪の花3


このトモダチ作戦で、もっとも早く被災地に着いたのが、
原子力空母ロナルド・レーガンでした。

一輪の花4


本来、韓国に向かう任務で移動中でしたが、艦長の独断で日本の救援に駆けつけたのです。
その艦長の名は、海軍大佐トム・バーク。
そう、あのアーレイ・バークの孫です。

一輪の花5

バーク大佐は、ヘリコプターのパイロット出身でしたから、空母のことは副長に任せ、自分は救援物資を積んだヘリを操縦して、避難所を飛びまわったそうです。

このような自然災害が発生した場合、世界中でどんな光景が見られるか知っていますか…。
住民たちによる食料の取り合いが始まります。
こうなると、ヘリコプターといえども危険で着陸できないそうです。
何と着陸した途端、被災民が銃をぶっ放して、食料を取りに来ることもあるといいます。
したがって、たいていは低空からの空中投下になるそうです。

しかし、東北地方は、どの避難所にもヘリが着陸しやすいように、ヘリ着陸の目印「H」が書いてありました。
ヘリが着陸すると、被災民が荷降ろしを手伝いました。
終わったら、全員がお礼を言って見送ってくれます。

一輪の花6

これには、世界各地で救援活動をしてきたバーク大佐も驚いたそうです。
「東北地方では、一件の略奪も殺し合いもなかった」
と軍の機関紙『星条旗』に書いています。
さらに、住民たちは必ず
「ここはこれだけで良いから、別の避難所に持って行ってくれ」
と言いました。
そんなことを言われたことも、日本だけだったそうです。
人間、極限状況にある時ほど、その本性があらわれる
と言いますね。

トム大佐は帰国後、日本で経験した驚きの出来事を家族に話しました。
もし、バーク大将が生きていたら、
「そうじゃろう。じーちゃんが日本好きになった訳がわかったじゃろう」
などと応えたでしょうね。

時が流れていくと、変わってしまったり、失われてしまうものがある中で、変わらないのが日本人の「人を思いやる心」です。
いつまでも護り伝えていきたいですね。

◆(資料ここまで)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆ 発問 5~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

今日のお話を通して、学んだことや感想を書きましょう。
日本人の伝統的精神「人を思いやる気持ち」は、
今の自分に照らしてどうですか。

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

《授業終わり》

●「おもてなし」や「思いやりの心」とは、温かい「人間愛」の精神であることをわからせたい。

●実感としては、「親切」をしたり、されたりした時の気持ちを思い浮かべてみよう。

●震災時の日本人の米軍に対する態度は「助けられる時の『おもてなし』の態度」(変な言い方ですが)と言えるのではないか。

●日本の「伝統的精神」の良さを知り、日本人の一員として、他人に対して思いやりの心を持とうとする態度を育てましょう。

トモダチ作戦4
一輪の花7


【参考資料】 勉強になりました! ありがとうございました。
■『海の友情―米国海軍と海上自衛隊』阿川尚之 (中公新書)
■ビーバップ!ハイヒール「半世紀の時を超えて…『一輪の花』から始まった絆の物語」
  ABC(朝日放送)2013年放送

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